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03.拡張世界を歩く

 さて、僕らは夕暮れ迫る庭先へ出ることにした。

 もちろん拡張世界のデバイスを着けたままであり、姉はすらりとした脚で前を歩く。そして不意に振り返ると、紅の乗ったつややかな唇で笑いかけてくる。


 つい先ほどの「口を聞かない」宣言は、スマホの写真を眺めているうちに消えてしまったらしい。とても機嫌良さそうな声で話しかけられた。


「ふふ、何も知らない無垢で純情な由紀ちゃんに、お姉ちゃんが全部教えてあげる。私の好きなもの、嫌いなもの。どんな言葉に弱いのかを」

すい姉さん、教えてもらうのはゲームの事だよね?」


 しかしまったく聞いていないのか、姉は泣きホクロに指先を当て「楽しみだわ」と言うように微笑んだ。


 それにしても姉の背景はまるっきりファンタジー世界で、普段とまるで異なるのだから面白い。なだらかに広がる草原は鮮やかな緑色で、遠くには怪物らしき生物がのしのしと歩いていた。


 これは眼鏡のように着けたデバイスによる視覚効果で、当然のこと姉の格好も様変わりをしている。

 ボリュームのあるスカートは、レース付きのわしゃわしゃとした布地で膨らませている。そして太ももまですっぽりと覆うタイツに、なぜか大人っぽさを感じた。


 シャツを肘のあたりでまくり、僕とお揃いなのか黒いベストを着ている。異なるのは手首を覆う黒い布だろうか。これはきっと彼女が身につけている武器に合わせているのだと思う。


「あら、これが珍しいのかしら? この素敵な日本刀はお姉ちゃんの武器よ。菊御雷きくみかづちと名づけているの」

「……まさか剣道部に入ったのは、それが理由だったりしないよね?」

「ふふ、もちろんそうよ。私は好きな物なら、特にゲームの為なら限界まで本気を出すわ。だから今までのお年玉をすべて使い果たしても、まったく後悔をしていないの」


 ばーんというポーズで、自信満々に返された。正直、アホだと思う。

 長い付き合いなので僕も理解をしているが、姉はとても猫っかぶりだ。優等生じみた姿は偽りで、ゲームとアニメをこよなく愛している。


 わざと地味に見える野暮ったい眼鏡と髪型を選び、しかし家のなかではゲーム三昧。授業中や試験のときだけ勉強をし、点数や評価は高いので文句も言われない。


 つまり、先ほど言っていたように「ゲームの為なら本気を出す」というのは悲しいくらいの真実だ。


「そういうわけで、由紀ちゃんにゲームを教えるわね。これはARという分類で、拡張現実と呼ばれているの。テレビゲームと異なるのは、こんな風に景色を様変わりさせている事ね」


 それと、と言葉を足してから姉は「しゃがんで」と手で合図をしてくる。

 わけもわからず身をかがめると、その真上を日本刀が一閃した。ゲームのように半月状のエフェクトを残し、背後から「げええ!」と悲鳴が響いてきて驚いた。


 慌てて振り向くと、そこには立ち上がった猪のようなものがおり、どずんと膝をついて倒れてゆく。デバイスが与えてくる情報は映像と音声だけなのに、極めて自然に表現されている為、そのままぺたんと尻餅をついてしまった。


「これがモンスターよ。ゲームと同じように倒すと経験値が入って、私たちのレベルは上がる。筋力や敏捷、知性などにポイントを割り振ったり、職業ジョブを選択することで使える技が増えてゆくというわけ。ね、簡単でしょう?」

「あー、そう……へえ、ゲームみたいだねぇ」


 見栄をはって落ち着いた返事をしたけれど、実際のところは心臓バクバクだ。倒れた魔物からリアルな血が流れており、本当にこれがゲームなのかと僕は怯えていた。


「で、でもこれって、映像表現は大丈夫なの? 年齢制限とかそういう規制があってもおかしくないんじゃない?」

「えへ、お姉ちゃんが外しちゃった。由希ちゃんもそのほうが楽しいと思って」


 楽しくないよ!と正直なところ叫びたかった。

 しかし、見栄をはりたいお年頃でもあるので「そ、そうだね」という引きつった笑みを浮かべてしまう。

 ようやく起き上がると、ぱんぱんと姉からお尻ををはたかれた。


「それと職業や魔物の設定をしているのは社員ではなくて人工知能よ。毎日のように増やしているから、今ではもう攻略本なんて役立たないわ。データベースを作っていた有志の人たちも、とっくに諦めているくらいよ」


 はあ、最近なにかとニュースに出てくる人工知能だけど、まさかゲームの開発まで任されているとは。


「もちろん悪い点もあるわね。バランスは微妙だし、最初のうちはバグが多くてまともに遊べなかったの。もちろん今は快適だけど、今度はユーザーが増えてしまって……とても面倒になったわ」


 姉はぺろりと桜色の舌をだし、困ったような表情で呟いた。

 面倒というのはどういう意味だろう。そのことを詳しく聞こうとしたけれど、その前にレクチャーは再開されてしまう。


「それでね、由希ちゃんはまず職業を選ばないといけないわ。私みたいに暴れたいなら近接系、そうでないなら魔術師や回復役、他には仲間を強化したり守ったりする職業もあるわね」


 うーん、どの職業が良いだろう。

 剣を使うのは微妙だ。剣道をしている姉には絶対かなわないだろうし、むしろ足を引っ張りかねない。回復役は楽そうだけど、ずっと仲間の戦いを見ている退屈な職業かもしれない。


 おっと、大事なことを忘れていた。

 このゲームは拡張現実なので、姉のように剣を振り回す姿というのは、周囲から白い目で見られかねない。いや、かなり怪しいと思う。


 この辺りはだいぶ田舎なので人目に触れるのは少ないけれど、おかしな噂などされたくない。田舎にも田舎のルールはあるのだ。

 そのため自然と選択肢は絞られていった。


「じゃあ魔術師かな。動きは少なそうだし、どうせなら派手なほうが面白そうだ」


 イメージとしては杖から炎や氷などが飛んでゆく感じだけど、この世界ではどのような扱いなのかは分からない。とはいえ自分視点で魔法が飛んでゆくというだけで楽しみだ。


 それならばと姉から手順を教わり、職業を設定することにした。音声あるいはスマホを操作することで専用画面は浮かび上がり、青くて四角いモニターのようなものが空中に表示される。


「へえ、職業、技能、能力値、それとレベルか。HPやMPとか、当たり前だけどゲームっぽい表示だね。あれ、最初はポイントを割り振れないのかー」

「最初はね、特性を自動で判断してくれるのよ。体格の良い人は筋力が多めだったり……あら、やっぱり由希ちゃんは知性が高めかしら。昔から頭が良かったものね」


 そうだったのか。最初にたくさん設定をして個性を持たせたかったのに。

 知性に思い切り振って魔力を高めたり、MPを増やしてバカスカ魔法を撃てたら楽しそうなんだけどなぁ。


 そう考えていると、にこにこと上機嫌そうに覗き込んでいる姉に気づく。

 どうしたのと尋ねると、姉は横に首を振った。


「ううん、やっぱり由希ちゃんと遊べるのは楽しいと思って。ほら、中学になったくらいから男友達と遊び始めて、急によそよそしかったから。あのときは、なんだか玩具を取り上げられた気になったなぁ」

「翠姉とばかり遊んでいたから、女男ってあだ名が付いたんだよ。……でもごめん、確かに会話も少なかったと思う」


 ずっと言えなかったけど、この時は素直に詫びることができた。

 心のどこかへトゲのように引っかかり、小さな罪悪感を感じ続けていた。遠ざけたくなんて無かったし、遊びたいという気持ちもあったのに。


 でも、僕は負けてしまったのだ。

 周囲のからかいの声に負け、よそよそしい態度を取ってしまった。何度も何度も声をかけてくれたのに。


 きっと中学生というのは、そんな多感な時期なのかもしれない。身体が成長し、異性を意識するようになり、そんな変化に心は戸惑ってしまう。


 もう一度、姉は首を横に振ると「いいの」と答えてくれた。それは憂いの晴れたような笑みで、僕の罪悪感を綺麗に吹き飛ばしてくれる。

 救われたような思いをしていると、柔らかく手首を掴まれる。しかし姉の眉尻は落ちてゆき、悲しげな表情に変わってしまった。


「でも本当に残念だわ。もっと早く、由希ちゃんと遊べたら良かったのに」

「え、それはどういう意味……?」

「あら、知らなかったの? このゲームは危険だってニュースでもやっていたでしょう。そろそろ運営できない会員数になったから、今夜でもうサービスは終了なのよ」


 だから寂しいねと囁かれ、思っていた以上に僕はショックを受けた。

 まだほんの少ししか触れていないのに。それよりも、姉と久しぶりに会話をするのは楽しくて、また疎遠に戻ってしまうのではと思ったのだ。


 そのように感じていると、姉の瞳はみるみる見開かれていった。


「わ、わ、由希ちゃん、こんな場所で泣くなんて!」


 その問いかけに僕はきょとんとする。悲しくてもさすがに泣きはしないし、頬を伝うような感覚も無い。しかし彼女の言うとおり確かに透明な粒が落ちてゆくのは……まさかこれ、僕の感情を読み取ってエフェクトを出しているのか?


 戸惑っていると、がばりと翠姉の腕に抱かれてしまった。普段よりも大きな胸をしていたけれど、伝わる感触はささやかな……おっと、それは別に良いか。


「わっ、ちょっ、ちょっと翠姉さん!」

「由希ちゃんのバカ。こんな事でまた疎遠になるわけが無いわ。ゲームが無くても私たちは姉弟で、嫌でも毎日顔を合わせるの。もしも同じ高校に入学したら、もっと大変なんだから」


 泣き虫と言われたけれど彼女も同じようにぽろぽろと泣いていた。それが本当の涙なのか拡張現実のせいなのかは、僕には分からない。


 ふわりとした姉の匂いに包まれているうちに理解した。それくらい僕らは密接で、そして離れている期間も長かったのだろう。


 ほんの少ししか遊べなかったゲームだけど、得たものは大きい。覗きこんでくる姉の表情も、たぶん僕と同じような思いをしていたと思う。

 涙の浮いた大きな瞳から笑いかけられた。


「じゃあ、残り少ないサービス時間だけど、昔みたいにうんと遊びましょ。あらぁ、由希ちゃんみたいなモヤシっ子には無理かなぁ」

「あのね、これでも一時期はサッカー部だったんだよ。キツくて一年でやめちゃったけど」


 白状すると、姉は「やっぱり」とお腹をかかえて笑った。

 それからは陽が沈むまで魔法で遊び、MPの切れたところで夕飯づくりをする事にした。

ローファンタジー部門で9位になりました。

お読みいただきありがとうございます。

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