18.神奈川県ショッピングモール
朝食を終えたあと、僕らは外出の準備をし始めた。
背負い鞄に食料や水を詰め、念のためスマホの充電器も用意しておく。
戦闘ならスマホ画面を操作するよりも、口で実行したほうが早いし安全だ。しかし連絡手段と情報収集能力はあったほうが良い。
「行ってきます、お父さん、お母さん。どうか見守っていてください」
最後に両親の仏壇へ挨拶をし、お線香の匂いを嗅いでから戸締りをする。
それから庭に出てみると、やはり周囲に魔物は見当たらない。あれはきっとチュートリアル期間用の存在だったのだ。
「よし、それじゃあ選択してみよう、翠姉さん」
「鍵は閉めは大丈夫、元栓もチェックしたし……ええ、そうしましょう。その前に戦闘モードをオンにするのを忘れないで」
おっとそうだった。
あれをオンにすると周囲の魔物から襲われてしまうが、市民が襲われている以上、最初からつけていた方が良い。
いつもの装備品を身にまとい、それから一緒に「イベントへ参加する」ボタンを押した。
すると情報サイトの書き込みがあった通りに、身体の周囲へ白いもやが起こる。視界はゆっくりと白く塗りつぶされてゆき、わずかにふわりと足が浮く。
すぐに地面の感触が伝わってきたが、先ほどよりもずっと硬質なもの――アスファルトだった。
白いもやが消えたとき、目の前の景色はがらりと変わる。
辺りは駐車場だろうか。
数百台と収納できそうな駐車スペースがあり、あちこち車が転がっている。そして遠くには円形のアーチをしたショッピング施設があり、田舎出身の身としては眩暈をするほどの大きさだった。
「うわ、大きい。都会だーー……」
視覚に続いて、今度は音声がやってくる。
ピリピリピリーー!とけたたましく響く警笛の音。白いヘルメット、紺色の服を着た者たちがあちこちに見え、忙しく走り回っている。
そのうちの一人の隊員が、こちらを振り向いて「わっ!」と悲鳴をあげた。
「びっくりした、どっから入って来たんだ君達は!」
「あー、えーと。今ちょうど来た所で……」
イベントに参加した場合、かなりびっくりすると思うけど、今のように現地へ直行できるらしい。それは情報サイトで見たもので、半信半疑だったけれど事実だった。
時計をみると庭で見たときと同じ時刻であり、瞬間移動のようなものと分かる。ゲームでは普通だけど、こんなの現実にやったら自分の常識そのものが崩れそうだ。
……という事を、警察官らしき人にどう伝えたら良いのだろう。
きょとりと姉と視線を合わせたが、厳戒態勢の真っ只中ではまともに話も聞いてもらえない気がする。
「はやく避難しなさい! あっちにパトカーが見えるね、そこまで走って!」
「いや僕たちは……」
「早く、はやーーく! 走って!! 走れえええ!!」
その剣幕に負けた。こんなの中学生に勝てっこない。
怒鳴る大人というのは怖いので、ばたばた姉と一緒に駆け出す。
パトカー周辺に待機している警察もこちらに気づき「はやく!」と手招きをしていた。
走りながら観察すると、あちこち地面に血が広がっていることに気づく。だからか。大人たちが血走った目をしているのは。
車の数が少ないのは、ひょっとしたらイベント発生が早朝だったという理由かもしれない。しかし従業員はというと、何も知らずに近づいていた可能性がある。
「これは確かに大事件だ。見ると聞くとでは大違いだね」
「雰囲気が日本じゃないみたいだわ。知らないけど戦争中って、こういう空気なのかしら」
鼻の奥がツンとするような匂いというか感覚がある。これはずっと前にも感じた気がするけど、いつだったかな。
百メートルほどの全力疾走だけど、息ひとつ乱れもせずに僕らは会話をする。これは能力強化の影響だろうし、普段の僕はもっとひ弱なはずだ。
あっという間にパトカーへたどり着き、コスプレまがいの格好をした僕らへ警察官はぽかんとする。
「なんだ、落ち着いているな。安全な場所まで送るから早く乗りなさい」
「いえ、そういうわけではなく……何か聞いていませんか? ここで大規模なイベントがある事を」
暗に伝えたつもりだったけど、失敗した。
警察官らは顔を見合わせて「コスプレの?」「たぶん」という会話をする。数秒ほど沈黙した後に、理解できなかったのか「早く乗りなさい」と先ほどと同じ命令をされた。
うーん、参った。説明のしようが無い。
もう帰る?と姉に無言で問いかけると、ぶんぶんと首を横に振られてしまう。困った、八方ふさがりだ。
そのとき、不思議な人物に気がついた。
分厚い本を持った女性が、懸命に警察へ説明していたのだ。
彼女もまたコスプレまがいの格好をしており、薄紫色の長い髪を黒いリボンとヘッドドレスで飾っている。真夏だというのに、身を包む服装もドレスのような形状をした黒色のもの。
折り目の多いひらひらとしたスカートからは、絶対領域的な太ももが覗いていた。
「違うっつってんだろバぁカ! 俺はここに仕事で来てんだよ、いいかげん分かれ! どう見たって普通じゃねえ事件が起きてるじゃねえかよ!」
……ちょっとだけ頭が白くなった。
外見と口調がまったく合っておらず、内気そうな大きな瞳とアニメ声で汚い言葉を連発している。どう見ても、彼女は同業者だ。
「あのー、すみません。仕事というのはイベントのことですか?」
「ん? あっ、おまえらも再構築者か! やっと話しの分かる奴がキタコレ!」
どけどけ!と警察らを追い払いつつ、彼女は雑な歩き方で近づいてくる。太ももまでのタイツ、そして厚底ブーツなのになぜかガニ股だ。
一方の警察らはというと「アバターってあれか?」「連絡しとこう」と、僕らの避難誘導ではない職務に戻ってゆく。
目の前にやって来た彼女|(?)は、僕らを見上げながらニッと白い歯を覗かせた。
「俺は東洞院 誠。回復役をやっている大学生だ。お前たちは?」
「あー、ええと神桜 由紀、こちらは姉の翆です。中学生と高校生をやっています」
おう、と彼は呻く。
どうやら年齢差がありすぎて、戸惑っているらしい。
まあ確かに共通の話題なんて無いし、僕らも少し困るかな。たぶんというか、絶対に中身は男性だろうし。
「まあ、ともかく。お前たちは他に仲間はいんのか? 回復役は?」
「いませんが……。今までも回復無しでやって来ましたので、特に考えてません」
そう答えると、がしりと肩をにぎられた。女性らしくない握力、そして野性味のある瞳で誠さんは話しかけてくる。
「ぜってーーに居たほうがいい。確かに拡張世界はいなくても平気だったが、RPGの鉄則として回復役は必須だ。でないと死ぬ、たぶん」
あれ、売り込まれているのかな。
僕らみたいな外見をした姉弟にアピールするだなんて、ひょっとしたらかなり彼は困っているのだろうか。普通ならもっと頼りになる人達へ売り込みそうなんだけど。
「ちなみにレベルは幾つなんですか?」
「……男ってのは誰にも言えない過去があるものだぜ、坊主」
うわ、一気に信頼度が低下したぞ。
確か都会のほうでは魔物の取り合いだったと聞くけれど、一人ぼっちの回復役ってどうやって敵を倒すんだろう。というか大学生で一人も友達が居ないって、あり得るのか?
「あり得るんだ! あり得るんだよ! 信じがたい現実だが、入学して1週間で分かった。俺はこれから4年間、ぼっちなんだなーって。だからモデリングにばっかり時間をかけて、恋人どころか卒業まで……あー、もういいや、俺の心だけがえぐられる」
う、うん、あんまり聞きたくない現実だったな。
姉もとっくに嫌そうな顔をしており、もはや同性とは思えない汚いものを見るような目をしていた。
「よし分かった、俺のおっぱいを触っていい。それで仲間になってやる」
ざわり、と警察官らが声をあげた。
すごいなこの人。これだけの国家公務員に囲まれている状況で、平然と犯罪的な言葉を口にするなんて。
軽い。おっぱいの価値が軽い。
ものすごく大事なものだろうに、僕の感覚としては50円くらいの価値に成り下がっている。見た目だけは可憐な美少女なのに。
というか姉から不穏なオーラが出ていて、振り向くのも怖い。
「いえ、結構です。どう見ても男性ですし、さっき自分のこと男だって言ってましたよね」
「はあーーっ!? くそっ、俺のおっぱいは中坊の欲情も誘えねえのか! 俺のおっぱいには一円の価値も無いのかああーー!」
本当にめんどくさいな、この人!!
これで僕よりも十歳くらい年上なのか?などと考えていたら、涙目で上着のボタンを外し始める様子に、再び警察官らはざわりとした。
「分かりましたから脱ぐのはやめてください! 目の前で逮捕されるのを見るのは忍びないです!」
「ん? おお、分かりゃあ良いんだ、分かればよ。へっ、人を見る目はあるようだな、坊主。将来が楽しみだぜ」
ああうん、信用とは真逆の方向であなたを見ていますよ。
こうして、なし崩し的に彼と行動を共にすることになった。ただし前提として「足を引っ張るようなら抜けてもらう」という約束をしてある。
しかし、僕としても回復役というのには興味がある。
彼は信用できないが、そのような専門の職業がある以上、恐らくは活躍できる場があるだろう。ただでさえチュートリアル期間を終えているのだから、生命を守るというのは以前よりずっと重要と思える。
ただちょっと、姉から冷たい目で見られるのだけは困った。