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04 顎は尖らず

 春特有のゆるゆるとした日差しというものは、どうしてこうも人を眠りの世界へと誘うのがお上手なのか。

 これは私が常々考えてはいるが、いまだ答えには辿り着くことのない難解な命題の一つである。

 四月も終わりごろ、土曜は昼下がり。晴天、風(ぬく)し。

 我が肢体も、ゆるゆると温し。脱力、避けられず。


「ぁふ……」


 つまるところ、すさまじく眠い。


 ベッドにうつ伏せになっては、数十秒刻みで欠伸を噛み殺す。過去の偉人や文豪が見れば『これいかに。人生において無駄な時間である』と断じかねない所業だ。普段の私であればそんなことは露程も感じることはなく、むしろこの無駄を喜んではむせび泣くであろう。

 だがしかし、今日ばかりは流石に無駄な時間と評す者たちに肩入れせざるを得ないのではなかろうか?


 理由はただ一つ。


 私が今、こうして視線を落とす先にある『なんとも刺激的な(ひどく退屈な)世界』……そう、少女漫画の存在である。


 我が目線の先には、やたら目をキラキラとさせた少女が、顎がひどく尖った男性に壁ドンをされ『どうすれば俺の方に振り向いてくれるんだ?』などと世迷言をのたまっておられるという奇行に、よりにもよってキュンとときめきを感じているのである。


 ありえん。そもそもこの目キラ女は、数話前に別の顎イケメンと付き合いだしたではないか。それもクラスメイト公知という羞恥プレイ付きで。

 そんな舌の根も乾かぬうちに迫る方も迫る方なら、ときめく方もときめく方である。なんだこいつらは、恋は不埒な刺激がないと物足りないとでもいうのか。シゲキックスのクエン酸でその濡れそぼった舌ただれろ。


 ……などと、数ページに一度は荒唐無稽なツッコミを入れる始末である。

 多分脳がロクに働いていない。現にうつらうつらしている。


 今のところ、本に涎がかかっていないのが唯一の救いであろう。


 何故私がこのような苦行を強いられているのか、と尋ねられれば、答えは実に明白である。これこそが夢にまで見た友達付き合いだ。


 小学時代の友人を振り切って入学した新たな環境も、1ヵ月も経とうとすれば次第に我らがクラスメイトの“人となり”、というものも見えてくるであろう。入学時に形成されていたいわゆる“おな小”グループはその後細分化し、それぞれがクラス内ヒエラルキーに沿った仲間を迎え入れ、派閥を作る。別に私はぼっち街道をひたすら行くのも吝かではなかったのだが、幸いにも迎え入れてくれるグループは存在したのだ。決してクラス内ヒエラルキーは高くはないが。


 だが、この仲間はもしかしなくても、私が“よくできた兄”の影響を受けずに手にした、初めて純然たる友と呼べる存在ではなかろうか。


 そんな考えに至っては、私も少しはセンチメンタルな考えを持ってしまうのも仕方なし。この純然たる友を手放さぬために、私にできることは何でもしてやろう、と。


 まあ、大げさに語ってはしまったが、これは単に友達から借りただけの漫画でしかない。でも借りたからには感想を言わねばならない。友達付き合いとは出会いという偶然で終わってはいけない。袖振り合うも多生の縁。ふれあいと理解の積み重ねで、ちょっとずつ形成されていくのだろう。


 だから私、よく頑張った。よく理解しようとした。それで十分じゃないか。

 視界の脇に積み重なった、いまだ未読の“目キラ少女”10冊分もきっと応援してくれているはず。

 『あなたもきっと素敵な出会いがある筈よ』と。

 うるせえ。その出会いのせいで私は今落ちかけているんだ。

 あ? 恋じゃねえよ! 睡魔だよ!


 もはや散漫とした意識が断絶するその瞬間。

 私の脳裏にはこの目キラマンガを貸してくれた“ゆあちゃん”の笑顔が浮かんだ。


 初めてできた友人たちは、春の陽気にも似た、ゆるいオタグループであった。




◇◇◇◇



「んぁ……?」


 差し込む西日が私の頬を焼き、その暑さでようやく私の意識は帰って来たらしい。


 瞼を開けると、なるほど白い布団は薄オレンジに染められている。晴天はそのまま夕焼模様へ。昼寝の気持ち良さと倦怠感。そして未だまどろみから抜けきれぬ私だが、意識が落ちる前の情景を思い出し、その違和感をようやく覚えた。私の目の前にあったはずの“目キラ女”たちは、何処へと消えたか。

 涎塗れにしなくてよかった。などと考えながら、次第に、ようやく事に気づく。


 あれ? 借りてきたマンガは?


 ゆっくりと重い首をあげる。気だるさに負けそうになりながらも、原因を特定しようと周囲を見回す。そしてその原因は、存外すぐ見つかる運びとなった。

 私のベッドの縁に背中を預け、まるで我が物顔で乙女の私室を蹂躙する『()』一人。


「やぁ。あまりにも気持ちよく寝ていたようだから、ちょっと“これ”借りてるよ」


 ―――カクン


 私は大きく首をかしげた。


 意識にまだもやがかかっているのか。はたまたこれは夢か。

 

 あまりに理解の域を越えた場に遭遇すると、なるほど人は再び安寧を得ようと、眠りに堕ちようと云うのか。どこか安心する望郷の香に、私の意識は再び低空へ。


 だがしかし、惑わされてはならぬ。この懐かしさは敵だ。


「いやあ、少女漫画だなんて馬鹿にしてたけどさ。面白いもんだね、ちょっと刺激的って言うか、過激なところがあるけど……」


 この(宿命の敵)である。油断はできない、今もこうしてその“刺激的なマンガ”をほめそやっているものの、いつ寝首をかかれるか分かったものではない。


 とにかく、戦況を整えねば。


 私は寝ぼけ眼のまま、ベッドを立ち、振り子のように頭を揺すりながらのそりと足を出す。ベッドがきしみ、その度に体が左右に沈む感覚に陥る。


「あれ、どうしたんだい千景?」


「んー……。かおあらってくるー……」


 そのまま、私はゆらゆらとゾンビのように部屋の外を目指す。だが、思った以上に春の陽気に充てられてしまっていたのだろう。

 普段は絶対踏み外すことのないベッドの淵。そこに足をかけた瞬間、たわんだ布団に足を取られては、そのままずり落ちる様に体勢が崩してしまった。


「って、千景危ない―――!」










 一瞬の出来事に、よくも対応してくれたものだと、そう言いたい。



 やはりそこは、兄が完璧たる所以だから、であろうか。


 体勢を崩し、あわや壁に後頭部を激突しそうになったその瞬間、兄は咄嗟に私の頭を掬い持っては壁への激突を阻止。

 しかしその勢いまではいくら完璧な兄でも抑えきれなかったのであろう。反対の肘で壁を抑えることにより、二人して激突するのをどうにか寸での処で回避したのである。



 何が言いたいのかというと。


 つまりは、まあ。アレだ。


「あ、あにき……」


「全く、寝ぼけっぱなしだからこうなるんだよ、千景。怪我はなかったかい?」


 私は壁を背に、頭は兄に支えられている状態。対する兄はそれに覆いかぶさるような体制で、壁に肘をついている。


 壁ドンである。


 それにしても、いみじくもこんな体勢を取れたものだ。漫画で見た刺激的なシーンと寸分たがわず同じになると、もはや乾いた笑いさえ覚えてしまいそうになる。


「ぁ……ぅ……」


「千景?」


 心配そうに覗き込んでくる兄の顔が近い。よもや私の隙を見せるどころか、それを取ってこんな不埒な情景を再現してくるとは、思いもしなかった。

 兄は私に、こういう女の子っぽいのが好きなんだろう?とでも言いたいのだろうか。否、断じて違うと言ってやりたい。それは私が買ったマンガじゃない、私の趣味じゃない。


 だが、考え方を変えるとすれば。


 私は兄にわざわざこんな恥ずかしいシーン再現まがいのことをさせてまで、私の怪我を防がせた。

 それはすなわち、私のためにうまいこと兄を使役したと言えるのではなかろうか!?


 いや、うん。きっとそうだ。

 兄だってきっと恥ずかしい思いをしているだろう。こんなキラ目漫画みたいな目に遭うなら、助けなければよかったと内心思っているに違いない。そう、違いない。


 つまり、これは私の勝ちなのである。



 故に。


「ぁにゃあぁぁ……」


「千景っ!?」


 今この瞬間に、私が顔を真っ赤にしながら腰を抜かしたのも、勝ちへの高揚感と、兄に勝利した事の安堵によるものであり、目が涙で潤んでいるのも、きっと兄への勝利に感極まっただけなのである。



 四月も終わりごろ、土曜は黄昏時。夕焼け、きらめき。

 我が眼も、キラキラと濡れし。されど兄の顎、さほど尖らず。




 ちなみに、後日ゆあちゃんにはきちんと漫画の感想を伝えられた。

 そのほとんどが兄の感想の伝聞であり、当の私はあれ以降、件のキラ目漫画をまともに読むことすらできなかったという事実を胸の奥深くにしまい続けている。


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