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03 混ぜ物

 入学式を終え、新たな環境へと投じられた私であったが、入学初日のクラスというものは往々にして浮足立っているものである。

 小学校が同じであった者同士、特に仲が良かった生徒同士で早々にグループが形成される。

 取り残されるとすれば、私の様な違う学区からこの中学へとやってきた余所者だけ。

 当然私のクラスも例外ではない。


 結局、最初の一日はHRでの自己紹介もほどほどに、特段誰とも仲良くなる事もなかった。

 私と同じような境遇の少数のクラスメイト達はまだ牽制の段階。

 席も近くないとなれば、ほとんどまっすぐ家へと退散してきたわけである。

 これではぼっち街道まっしぐらだ。正直言って、芳しくはないだろう。


 しかし、私はこの事実にどこか充実感を得ていた。


 そう、兄の影響が全くない、新たな環境へと踏み込んだのである!


 なにせ引っ越しを決めなければ、あの兄の影響をがっつり受けた中学(魔境)に入学するところだったのだ。“あの兄の妹”扱いされることは、私にとって最も屈辱的な事なのである。

 この事実は、私を大層充実感で満たしたのだ。

 ぼっち街道だって怖くない。

 今日は枕を高くして寝られるだろう。


 そうして、私は午後の優雅なひと時を、ルンルン気分で帰宅。

 誰もいない新しい我が家で、一人気ままに過ごすこととなったわけである。


 引っ越してまだ日数の経っていない家の香りというものは、独特だ。

 私が生まれてからついこの間まで慣れ親しんだ我が家には匂いなんてないと思っていたが。

 いざ、こうして住処が変わってみれば思い出すのは懐かしき旧家での日々。

 なるほど、今になって分かった。

 我が家には、我が家の香りがあった。


 さてもそれに引き換え、新しい今の住処の匂いは何と表現すべきなのだろうか。

 少なくとも、新築の匂いとは異なる。

 当たり前だ。

 このマンションは取り立てて新しいわけでもない。

 私たちが引っ越す前にはきっと、前の住人が暮らしていたことなのだろう。


 家の香りというものは、用いている衣料洗剤の香りが大半を決定するとどこかで聞いた事がある。

 と、すると、だ。

 今新しい家に漂っている香りは、前の住人が用いていた洗剤と、生活の混ざった残り香なのだろうか。

 なるほど、嗅いでみれば確かにこの家からはほのかに私や家族とは違う洗剤の香りがする……気がする。


 私と母がここで暮らすようになってまだ一か月も経ってはいないのだが、それでも引っ越し当初に比べれば、鼻腔を通り抜ける慣れない香り、といった感覚はだいぶ薄れてきた気がする。

 それは私が慣れただけなのか、はたまたこの家が新しい家族を受け入れ、少しずつ新しい香りとの混ぜ物を形成していってる為だろうか。


 ふと、私は自分の制服の香りを嗅いだ。まだ着慣れていない…というよりも切るのも二回目な制服は、まだまだ仕立て直後のどこかスマートな匂い。

 買ったお店の匂い、洗濯糊の匂い、或いは生地特有の匂い…。

 そんなのが混ざった香りの中に、どこか、懐かしい何かを感じた。


 その香りは、まるで私を昔から包み込んでくれているような、何か。

 或いは、私が心の芯の部分から何らかの欲求のままに、求めてやまない、何か。


 はたして、何だろうと思いながらも、制服の香りの中からその成分の足跡を探るのを止められない。

 すんすん、すんすんと私は小さな鼻を鳴らしながら自分の制服の匂いを嗅ぎ続けている。

 傍から見れば、自分の匂いを気にしている女の子に見えないこともないかもしれない。

 それはそれで、微妙に女子力が高い様な気もする。

 だが、それを見せる相手も今はいない。


 さてもさても、記憶の淵から匂いの原因を引っ張り出そうとする度に、思い浮かぶのは私のにっくき敵対生物()の姿。

 何故だ、何故だと思案していると。



 思い出した。



 そういえば、この服を初めて着たその日、私は兄に抱かれたのだ。

 ……いや、この言い回しでは誤解があるか。

 ともかく、兄は愛玩的な意味で私を玩んだのだ。


 なるほど、この匂いはその時のか。


 とすれば、はて―――私は、兄の、匂いを、懐かしいと、感じ、て―――?



 残り香の正体が次第に鮮明になるにつれ、私は自らの頬がまるで紅を指したように鮮やかになっていくのが、自身が発する熱より感じ取れた。


 おお、なんという事だ。


 無意識下で私は兄の匂いに夢中になっていたとは。


 その事実に気づいた私は、ばっと自らの制服を脱ぎ去り、子供っぽいインナーのみの姿すら厭わずに、大急ぎで制服をバタバタ、バタバタと両手で仰いだのだ。


 ―――匂いよ、匂いよ飛んでいけ!


 はたして私の願いは届いたのだろうか。


 いや、それとも、願いは空しく散りゆくのか。


 無情にも、新しい我が家の空気は次第に私の制服の香が混ざり合う。


 知らない誰かの、知らない洗剤が混ざった生活臭の中に。

 私と、母と、それから兄の香りがポヤポヤと舞い上がり、調和し、融け合っていくようで。


 兄のいない新しい我が家に、しかし“あにき”の存在がしかりと刻み付けられてしまった……そんな気がしてしまった。



 おのれ。


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