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02 袖を通し


 新しい中学の制服に袖を通した。


 私が本来通うはずだった中学の制服は、(つい)ぞろくに着られることもなく新しい我が家の押し入れの奥深くへと仕舞い込まれた。もう日の目を見る事はないだろう。


 さて、母と一緒に引越してから3日が経った。

 腰まであった髪を肩に届く程度にまで切り、すっかり軽くなった後頭部にも慣れはじめた頃。こうして私の手元に新しい中学校の制服が届いた。


 いつの間にやら、母は制服を注文していたらしい。試着もせずに……とぼやきそうになったものだが、よくよく考えてみれば本来通うはずの中学校の制服を購入する際に採寸したばかりなのだ。試着しなおす方が変というものであろう。


 初めてセーラー服に袖を通した感想は、重い。この一言が真っ先に出た。

 中学に入学したばかりの私は、母の目からすればまだまだ成長期なのだ。故に、購入したのは一回り大きいサイズの制服。袖を通したところで、手のひらは完全に姿を見せず。奇しくも“萌え袖”のようになってしまっている。


「これはひどい」


 姿見の前に立って、改めて今の自分を確認してみる。

 なるほど、ぶかぶかの制服に着られている姿は、ただでさえチビな私をより矮小な存在に映して見せた。

 新しく通う中学の制服はここら一帯ではかわいいことで有名なのだが、それを私が着てみればどうだ。馬子にも衣裳なんて言葉は無かった。残酷だ。


 だが、転校することを承諾したのは他ならぬ私だ。文武両道な兄が卒業したばかりの前中学校は、私にとっては色々と辛い所がある。兄の伝説という名の残渣がそこかしこに残った中学は、きっと肩身の狭い思いをするに違いない。事あるごとに見ず知らずの先輩や教師から、『あの“兄”の妹さん』と呼ばれるのは苦痛に耐えない。


 それほどまでに、兄は特段優れていた。


 だから、新しい生活で何もかもをまっさらにしてしまおう。

 これは私が望んだことなのだ。

 

 私は脳内で入学後の姿をシミュレートする。滞りなく自己紹介を行えるのかを自問自答。……そういえば、私が他人に対してアピールできることはあっただろうか?


 私の特技は?

 趣味は何だろう?


「参ったなぁ……ロクな案が思い浮かばないや」


 ひとさし指を顎に当て、思案。

 父と母が離婚しました―――は、却下。初対面ばかりの空間でこの強烈ブローはあまりにも重い。ネタとして昇華できなければ、下手すりゃいじめの原因にもなる。

 じゃあ趣味―――と、呼べるものが何もない事に気が付いた。ソシャゲをやっていないわけでもないが、入学早々の自己紹介で語れるものがソシャゲオンリーというのは寂しい女すぎる。

 だったら特技は、と考えたところで。


 ―――ピンポーン


 玄関のベルが鳴った。母はまだ仕事。

 母に言伝された配達物(萌え袖)は既に受け取ったはずだ。

 だったら、誰だろう?


 そう思い、ソロソロ、なるべく足音を立てずに玄関へ。

 そのまま覗き窓へと目を寄せてみると。


 玄関前に立っていたのは、私よりも40cmは身長が高い優男。モデル体型のようにスラッとしていながら、それでいて必要な筋肉はついている、無駄のない体。線の細い顔つき。


 間違えようがない。

 

 敵襲()だ。

 

 そこには、父方に付いて行ったはずの、兄がいた。


 なぜ?どうして?と自問するも、答えは出ない。

 兄であれば、母はまだ仕事中であることくらい知っているだろう。

 まさか、私に用があって来た?それこそ、どうして―――。


「千景―。いないのかーい?」


 ドア越しに、兄の声が響いた。止まってた思考が不意に現実へと戻され、私は「ふにゃっ!?」と変な声をあげては尻もち。

 物音で流石に居留守を使えないと観念した私は、仕方なくドアを開けることにした。


「やあ、千景。3日ぶり―――本当に、髪切ったんだね」


 にこやかに笑いかけながら兄は私の姿をまじまじと見つめてくる。

 ばっさり切った私の髪の毛を、兄は少々残念そうな顔で見つめながらも「よく似合ってるよ」と心にもない世辞を言うのだ。


 顔が、赤くなる。


 それは世辞を言われて憤慨したと言われれば正解であるし、しりもちをついた事を兄にきっと見透かされているだろうことに羞恥を覚えたと言われてもまた、正解だろう。


 要は、兄に先制されたのだ。

 3日ぶりとなる兄妹間の水面下の戦いは、既に始まっているのだ。


 私は努めて冷静を装いながら、なるべく毅然とした態度で兄に応えた。


「……あにき、どうしてここに?」

 

 キッ、と睨み付けるように、目つきの鋭さは平常時の3割増しである。


「ん。元気しているようで何より、だ」


 兄は私の目線にも慣れた様子で、ポン、と手を私の頭に置き。

 わしゃわしゃとまるで動物をあやすかのように撫でるのだ。


 どうやら、こうやって撫でれば私の機嫌が良くなると思っているらしい。


 何と間抜けな兄なのだろうか。

 そうやって、騙され続けているが良い。


 安心しきったところで、思いっきり寝首を掻かれるとも知らずに。


 故に、あえて(・・・)私もほのかに嬉しそうな表情を兄へと示すのだ。

 それもこれも、兄を完全に油断させるため。


 そう、これは、弱者である私の立場を最大限に生かす、考えに考え抜かれた策なのだ!


「千景が一人で寂しくしていないか、心配だったんだよ?」


 兄は私が照れているのだと思っているのだろうか。

 少なくとも、表層上に現れる声音は本心を物語っているように、思える。


 ―――本当に、私を心配してくれていたのかな?


 なんて、意地悪に聞き返してみたくなるのをぐっと堪え、私は目線をあげる。

 兄との身長差は、頭一つ分、それ以上。


「寂しくなんて、ない」


 つい、と目をそらしてみせる。

 そのしぐさに、兄は苦笑しながらさらに強く、頭を撫でてくるのだ。


「そんなに見栄を張らなくてもいいんだよ、千景。どうせ離婚したからって母さんが早く帰って来るようになったわけじゃあないだろう?」


「それは、そうだけど」


「ほら、やっぱりそうだろう? ―――安心して。今日はお兄ちゃんが、一緒に居てあげるから」


 兄は、本当に身勝手だ。


 私に一切の連絡も無しにやってきて、こうして、何の気兼ねもなく入り込んでくる。

 まだ段ボールが転がっているリビングに入ってきては、まだ真新しいソファに我が物顔で腰掛けて。

 そのまま、おいでおいでと、私を呼ぶのだ。


 兄の膝の上、それはもはや私の定位置といっても過言ではない。

 ……私個人としては大変に不本意である事なのだが。


 しかしそれを何度か口に出したところで、兄は余裕の笑みを絶やさない。

 仕方なしに、私はおずおず兄の元へと寄っていき腰を下ろした。


「うん、うん、この重み、やっぱ落ち着くなあ。……たった三日ぶりのハズなんだけどね」


「あにき、女の子に重いって言うのは失礼だと思うよ?」

 

「ごめんごめん。でも千景の場合は逆に、もうちょっと肉をつけた方がいいかもね?」


 言いながらギュッと腕を腰に回してくる兄に溜息が出る。

 トン、と私のつむじに顎を乗せてくる兄のせいで、眉間にしわが寄る。


 まるでデリカシーってモノが感じられない。

 いくら妹だからといって、もはやペットと同格ではないかと思えてしまう、この扱い。

 

 私は自身が兄の庇護対象となって、結果として兄の生活を束縛するのは好きだ。

 だけど、こうして兄に束縛されるのは、何だか腹が立つ。


 子供としか見られていないのは、すごく癪なのだ。


 だから。


「私だって、4月からもう中学生なんだけどな」


「うん、知ってる。……その制服、今度通う学校の服でしょ?」


「……知っているなら、何か言う事はないの?」


 何を言っているんだ。私は。


 兄に見え見えの世辞を言わせたいのだろうか?

 ……時折、自分ですら何を言っているか分からなくなる時がある。

 今がまさにそれだ。


「千景、すっかり見違えたね。今までよりもずっと、大人びて見える。可愛いよ」


「……心にもない事を言われても嬉しくない」


 第一、大人びて見えるといった直後に、カワイイはないだろう。

 両立しないと言うわけではないが、褒め言葉の組み合わせとしては最悪だ。

 もしくは、狙ってやっているのだろうか。


「そんなことないよ。その可愛い制服は、千景によく似合っている。とっても魅力的で、カワイイ」


「……っ!」


 ……息苦しい。


 ぎゅうと抱き寄せられ、頭を撫でられ、兄の優しい声音で褒められるたびに。

 私は決まって心臓がきゅう、と締め付けられたように痛くなる。

 

 息が、荒くなりそうで。

 猛た血流は頬をどんどん火照らせる。

 私はどうしてこんなに心を乱されないといけないのか。

 今こんな状態の私の顔をもし兄に見られたら、何と説明づければいいのか。

 何もかもが、分からない。


 もし、可能性があるとすれば。

 

 “完璧な兄”に“私という人物”を褒めさせている罪悪感が、良心の呵責を感じさせるのだ。


 ……きっと、絶対、そうに違いない。



 そこまで見越して褒めてくるのであれば。

 

 やはり、本当に―――、本当に、私の兄は狡賢い(馬鹿だ)




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