リリーは白百合を飾ら、ない
「リリー様、いい加減起き上がって下さいませ。」
ベッドで微睡むのが気持ち良すぎて、ここから出たくない。サーシャはあたしの寝たふりに気づいているようで、肩をゆさゆさ揺すってくる。
「んー。もうちょっと寝かせてえ。皇子様のせいであたし傷心中なんだから優しくしてよぅ。」
嘘だけど。いやぁ、昨日のヘンリー可愛かったな。あたしと同じくらいの十代だとばかり思ってたのに、まさかの28才。奇跡の童顔ぴゅあぴゅあお兄さんとか美味しすぎ。心の中でモブモブ言ってたの、ごめんね。
「お言葉遣いが緩みきってらっしゃいますよ。本日は午後早々からワイアット商会とのお約束が、夜にはチャーチ公爵家の舞踏会がございます。」
だって、もう猫被るの面倒なんだもん。んー、ワイアットさんには会いたいな。あの人センスあるもの持って来てくれるし。けど夜の舞踏会は嫌だな。嫌だったら嫌だなー。ママンごめん、早速約束破ります。あたしが皇子と会うのは今じゃない。
「んー。チャーチ公爵に体調不良で欠席と皇子様にエスコート不要の連絡するようマーサに伝えてー。昨日の今日だもん。許されるでしょ。」
「かしこまりました。…それから暫くの間リリー様のお着替えは私が全てお世話致します。人前で肌をお見せにならないよう。」
「は、はーい。」
…うん。ヘンリーてばね、ぴゅあぴゅあのくせに意外とイケイケだったみたいでね。身体に結構な跡を残してったんだよね。見える所にはついてないけど、見えない所にはびっしり。昨日部屋に戻ってすぐにサーシャにバレちゃった。
絶句してたけど、最後まではしてないって言ったら特に追求されなかった。
…サーシャってあたしの変化をどう思ってるんだろう。謎だ。
「エリンの前でもですよ。あの子は隠し事に向きません。くれぐれも。」
サーシャの念押しに、今日は長袖のピンク色のドレスを選択した。お日様も雲で隠れててちょっと肌寒いしね。うん。
朝食を持って来るはずのエリンちゃんはなぜか嬉しそうに見事な白百合の花束を抱いていた。
「エリン、その花どうしたの?」
「あの、ガルディクス皇子からのお詫びの品として届けられまして…。とてもいい香りですよ、今花瓶に生けますね。」
あたしの愛称がリリーだから百合の花にしたのかな?安直すぎるでしょ、捻りなさすぎるでしょ、さすが皇子様。あたしのヘンリーに弟子入りして女心を擽る意外性&ギャップ萌えを学んできたらいいと思うよ。
というか白百合の花言葉って純潔だよね。確かにあたしまだ純潔といえるけど、昨日の今日に白百合とかどんなタイミングなの。笑っちゃう。
「重かったでしょー、ありがとうエリン。あたしね百合の香りが苦手で、頭痛くなっちゃうの。それはエリンにあげるよ。よく似合ってる。」
嘘だけど。本当は百合のあの黄色花粉と相性悪くて、鼻水とくしゃみが止まらなくなっちゃうだけだけど。
「も、申し訳ございません!すぐに外に出しますね!あ、でも皇子からの贈り物を勝手に貰ってもいいものなんでしょうか…?」
「大丈夫だよ。花束を人伝に贈ってきたってことは本人は直接見舞うつもりはないってことでしょ?バレないバレなーい。」
エリンちゃんは痛ましそうにあたしを見てぺこりと頭を下げた。可愛い。エリンちゃん、あたし本当に昨日の事は気にしてないんだよ?皇子様に思うことなんて、一度あの奇跡の御尊顔を快楽に歪めて見下ろしてやりたいなってだけ。
ワイアットさんはシアさんに紹介して貰った最近勢いのある新興商人だ。中々にあたし好みのものを勧めてくれる、熊さん似のおじ様だ。
「こちらはリリアン殿下への贈り物でございます。試作品になりますが、綺麗なお色に仕上がりまして。」
ワイアットさんが取り出したのはガラス瓶に入った爪染め用の染料。前に会った時にあたしの爪に興味深々だったから教えたの。そしたら商品化したいってお願いされて許可した。何の花を使ってるのかな、ビビッドなオレンジ色が可愛い。
「それこらこちら、些かお値段の張るお品なのですが、リリアン殿下にお見せしたいと思いましてお持ち致しました。」
赤いベルベット張りのトレイにワイアットさんはじゃらじゃら米粒型や雫型の淡い乳白色の真珠を取り出した。真珠、だよね?確かに量はあるけど、どれもこれも5ミリくらいかな?小さいし不揃いだしこれ、高いの?あたしが黙って真珠を見つめてるとワイアットさんはここぞとアピールを続けた。
「いやあ、ここまでの量を集めるのに苦心致しましたよ。それからこちら、本当にたまたま手に入れる幸運に恵まれました。これぞ王族に相応しい逸品かと。」
別のトレイにワイアットさんが慎重に取り出したのはまたもや真珠が一個。隣のじゃらじゃら真珠よりもかなり大きい。2センチくらいあるまん丸のものだ。サーシャとエリンちゃんは目を見開いて凝視してる。綺麗だとは思うけど、あんまり心惹かれないなぁ。
「お幾ら?」
伝えられた金額に思わずはぁ?って声が出ちゃう所だった。王女予算に婚姻特別予算を合わせてやっと買える金額ってどういうこと。と、疑問に思ったけどすぐにピンときた。前世デートでミキ○ト真珠島、真珠博物館に行ったことを思い出した。
この世界の真珠は全て天然ものなのだ。養殖真珠は?とワイアットさんに聞けば、ようしょく?と返された。養殖という概念すら無いようだ。真珠は人魚の零した涙を貝が受け止めたことでできる非常に貴重な宝石とのこと。人魚の涙ってそんなアホな。
結局小さい真珠を1つだけ使って、華奢な指輪を仕立ててもらうことにした。
サーシャがワイアットさんに出したのは、可愛い熊さんが描かれたラテだ。彼は甘いものが大好きだ。あたしのはハート型。今の心情にぴったり。うふふ。始めは下手くそだったラテアートも最近はとても上手。城付きの侍女たちは向上心に溢れてる。ワイアットさんは目をキラキラさせながら喜んでくれた。よかったよかった。
ワイアットさんと最近の王都や周辺国の流行とか噂とかについておしゃべりしてから、彼はそろそろと帰り支度をした。
ワイアットさんの話は面白い。真珠1つの買い物とはちょっとケチだったかなと思い、あたしの名前でアリアンナちゃんへの紹介状を書いて彼に持たせた。
ごめんね、ワイアットさん。あたしの代わりにそれをアリアンナちゃんに存分にアピって懐ろを潤してってね。今度来たときは気に入ったら大人買いするからっ。
うつ伏せで寝る前の日課になってるサーシャのマッサージを受けながら、うとうとヘンリーとの次の密会について考えた。昨日はついついコンサバトリーで事に及んじゃったけど、あそこはリスクが高すぎる。 安全な場所って言ったらやっぱりあそこしかないよなー。むにゃむにゃ。
「リリー様。」
マッサージ中は眠りを促すためほとんど話しかけて来ないサーシャがあたしを呼んだ。ちょっと決意みたいなのが滲んだ硬い声だ。おう、とうとうその時が来たか。
「なあに」
「あなたは、誰ですか。」
直球だなぁサーシャ。まあ、あたし変わりすぎたもんね。こんな風に聞くってことは、もう彼女の中では何か確信してて結論みたいなのも出てるんだろう。あたしはサーシャが大好きだ。だから適当に答えるのは彼女に失礼だ。
「あたしはサーシャの大切なリリーだよ?古いリリーはね、愛しい皇子様との甘い夢に溺れてるの。もう彼女の目が醒める事はない。だから、あたしが、サーシャの大切なリリーだ。」
「あの日、私の知るリリー様は死んだのですか。」
「そうね。可愛いリリーにはこの優しくない世界は苦しかったみたい。」
背中に水滴がポタポタ落ちてくる。あたしを思って零れるそれはきっと人魚の涙より綺麗。身体を起こしてそっとサーシャを抱きしめて目元の雫を舌で拭った。小さい頃、よくこうしてあたしたち慰めあったね?
「…リリー様。リリー様…」
自分に言い聞かせるように何度もポツリと零すサーシャにあたしは返事しなかった。ただ抱きしめあって、お互いの体温を感じながら小さく丸く二人で眠った。