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リンは嵐の夜に泣くことに、した

 風邪を引くと行けないからって、ついて早々あたしはお風呂を勧められた。ここに着いた時からある程度の覚悟は決まってて、髪も洗って染粉を落とす。


 広い湯船で充分に温まってから出ると、着て来た服は何もなかった。用意されたドレスを控えていた侍女の手を借りて着る。髪も軽く乾かしてまとめてもらった。


「主人は私室でお待ちでございます。」


 素直についていった。時間も時間だからか、明かりは最低限ですれ違う使用人もいない。人払いしてあるんだろう。侍女が重い木の扉をノックし、あたしはひとつ息を吐いてから入った。


 華離宮はもともと宰相をも務めたかつての王族の居住地だ。歴史のある建物で、家具もアンティークのものばかり。ガルの私室は品が良かった。蝋で艶出しされた古い家具が味を出している。照明は明るすぎず暗すぎず、落ち着ける空間だ。


 部屋にはガルしかいなかった。侍女は一礼してから退出した。


「お茶とお酒、どっちがいい?」


 ガルもお湯を使ったのかかなりラフな格好で、髪も少し濡れている。濡れ髪って色っぽいよねぇ。


「お酒がいいな。」


 クリスタルのグラスを二つとってテーブルに並べてくれた。デキャンタにはたっぷりの果実酒。あたしに合わせてくれたんだろう。


 さて、湯船に浸かりながらあたしは色々言い訳を考えていた。あたしの髪の色にも瞳の色にも驚かない限り、ガルはとっくにあたしがリリーだって気付いているってことだ。そうだと思ってたけど。


 うーん。療養中のあたしが城下にいて怪しまれない理由なんて、正直思いつかなかった。だからまずはガルの話を聞こうと思う。


 グラスをとり口つけた。ソファに深く座ったままガルはあたしを観察してる。


「…毒が入っているとは思わないの?」


 あたしが躊躇いなく飲んだことに対してだ。そんな心配、必要ないのに。


「だってあたしはガルを信じてるから。」


 果実酒は甘すぎず、すっきりした味わいだった。遠慮なく二口目を飲む。ガルが何を切り出すか待っていると、ノックとともに男が二人やって来た。


 仮面舞踏会の夜会った、アレクと短髪の護衛の騎士だった。アレクさんはあたしを見て目を見張った。ぺこりと会釈しておく。二人はガルの後ろに立った。


「側近のアレクと護衛のランスだ。…さて、どうしてここに連れて来られたかわかる?」


 首を振った。わっかりませーん。


「…では、改めて自己紹介をしよう。ガルス改め、帝国ベルベガルドが皇太子、ガルディクスだ。」


 帝国の皇族には姓がない。うんうん、知ってる。あたしは頷いた。続いて自己紹介すべき?と悩んでると、ガルは続けた。


「君とは仮面舞踏会の夜に会ったよね。リリアン王女、」


 あーはいはい。会ってますよね。今更ですよね。


「…の、影武者さん?」









 ……………………………………ぅわっつ?

 え?え?え?影武者?影武者ってあの影武者?あたし、偽物だって思われてる?え?なんで?ハテナがこれでもかと頭の中を飛び交う。


 しばし固まってると、ガルは無言を肯定だって捉えたようで、そのまま謎解きのように話を進めていく。


「君がリリアン王女と入れ替わったのは僕がスーリュアに来るちょっと前かな?その頃から王女が変わったと噂になったからね。…本物のリリアン王女は姿を隠した、そして君は彼女に成り代わってリリアン王女が姿を隠す時間稼ぎをしたということかな?」


 …違うけど。まあ、確かにあたしはリリーじゃないけど。それでもリリーなんです、とは言えない。頷くべきか否か。全く予想だにしてなかった話の流れで、正直頭の中パニックだ。ぐるぐるする。ああ、お酒なんて飲むんじゃなかったぁ!またしても無言を肯定としてガルは続ける。


「計画的な逃亡だ。見つけることは難しいだろうね。ねぇリン、この筋書きを書いたのは王太子かな?彼は何を考えてるんだろうね?」


 レヴィ兄、とっくにバレてるよぅ。ガルのこの顔、キリアンの言う通りきっとスーリュアの裏切りもとっくにバレてるよぅ。何を言っていいのか分からなくてあたしはひたすらだんまりしてるしかない。ガルが色気たっぷりにふぅと息を吐いた。


「君の主人は王太子?…城下で初めて会ったのも、仕組まれてたのかな?」


「あれはっ、本当に偶然!」


 焦って初めて反論した。だってあれは本当に偶然だったんだから。春風がイケメンを運んで来ただけだ。


「それで僕の指輪はどこに隠したのかな?辺境出身の平民リーンベル、親戚を頼って王都に出稼ぎに来た、という身分は?どういう経緯で影武者を務める事になった?」


 あたしは嘘が得意だ。ない事ない事ペラペラ言える。けど、今はどれが正解なのかが分からない。あたしの身は安全だって思ってた。だってガルはあたしのことが好きなはずだ。なのに、彼の目が冷たい。裁判官ってこういう目をしてるのかな。


「ここ1週間君と過ごして、君が特殊な訓練を受けた間者でないことは分かってる。平気で僕に背中を見せるし殺気を放っても反応しなかった。僕を殺す絶好のチャンスを与えても行動しなかった。まぁ色事が専門なのかもしれないけど。」


 カッと頭に血が上った。色事が専門…?ガルはあたしが身体を使ってるって言いたいわけ?冗談じゃない!あたしはあたし好みの男にしか身体を許すつもりはない!思わず立ち上がろうとしたけど、足に全く力が入らなかった。そのままぽすんとソファに崩れた。


「…は?」


「酒に軽い痺れ薬を入れてある。あまり動かない方がいい。ねぇ答えて?」


 目の前が真っ暗になる。だって、あたしはガルを信じてそれを飲んだ。なあんにも疑わずに。


「出来れば手荒なことはしたくない。リン、答えるんだ。」


 この人はあたしが偽物だって確信してる。観察眼がありますねって褒めるべきだろうか。もうあたしが本物だって言ったってややこしくなるだけだよね。くそう、全部レヴィ兄に擦りつけてやる!


「…あたしは、ただ王太子様に命じられて城で暮らしてただけだよ。理由なんて知らないけど、平民が王族の言うことに逆らえるわけないでしょ。さっきも言ったけど初めて会ったのは本当に偶然。たまたま拾った指輪は王太子様に渡した。それで、影武者のあたしに何をさせたいの。」


 発した声はちょっと掠れていた。


「僕に協力してほしい。」


「…何をやらせるつもり。」


「まずはリリアン王女として王城に戻ってほしい。脚本はこちらが書く。多少無理なものでも押し通すよ。その通りに演じてくれればいい。」


 …王城に戻る。それはあたしが願ってもいない事だ。サーシャを探すために、どちらにせよ一度は戻らなきゃいけなかったんだし。むしろ都合がいいくらいだ。なのに、天は我に味方せり!って喜ぶ気になれない。


「あたしが、王太子に忠誠を誓ってるとは、思わないの?」


「僕が過ごした君は合理主義者だ。だからこそ、こうして話をしている。ちなみに君の親族はみな調べてある。」


「…考える時間が欲しいんだけど。」


「駄目だ。今この場で返答してほしい。それとも君は親族より王太子を選ぶとでも?酷く泣かされたと聞いている。僕は、君を泣かせはしない。」


 ちょうど今現在あたしの心が泣いておりますよ?自分のあまりの馬鹿さ加減に号泣中だ。外の雨よりも酷いだろう。うううう。つまりはガルはこの一週間あたしを観察して、使えるかどうか試してたって訳だ。そして甘い言葉であわよくばあたしを言いなりにするつもりだったんだ。


 さっき、ついさっきあの瞬間あたしは確かにガルと心が通じた気がした。彼の言葉に誠実さと真摯さを確かに感じた。感じたのに。今ここにいるのはガルじゃない。あたしを駒としか思ってない皇子様だ。あたしが愛する価値のない男だ。あのガルは幻みたいなものでもう、どこにもいない。


「…ジェイクさんたちに何もしないって約束するなら、協力する。」


 あたしは皇子様の目を見て頷いた。皇子様は顔を綻ばせた。相変わらずの麗しさだ。


「あたしも聞いていい?」


「なんでも。」


「なんであたしがリリアン王女だって思わなかったの?あたしたち、大分似てるよね?」


 確かにあたしの見た目は大分変わった。それでもリリアン王女としての面影が無くなった訳じゃない。だって本人の身体なんだから。あたしの質問に皇子様は苦笑した。


「君がリリアン王女かもしれないなんて一度も思わなかったよ。僕は、彼女に対して何の興味も湧かなかった。でもリンは違う。脅すような事も言ったけど、僕は君のことを気に入っている。」


 真っ直ぐにあたしに届く皇子様の眼差し。どこか執着めいた仄暗いものを秘めた眼差し。確かにそこにあたしに対する熱量を感じる。けどダメだよ皇子様。その感情は誰も幸せにしない。というかあたしを幸せにしない。あたしは皇子様の順従なペットになるつもりはないの。それもある種の好意なのかも知れないけど、あたしはソレは欲しくない。


 あーあ、結局あたしはゲームに負けたってことだ。誑し込むつもりがうっかり可哀想な皇子様に絆されて。恋には敗れたけどまぁこの状況はそこまで悪くない。皇子様があたしを利用するなら、あたしも皇子様を利用する。サーシャを見つけたら、皇子様なんておさらばポイポイだ。


 刹那、大きな雷鳴が響いた。遠かった雷は随分近づいたようだ。外の雨音も激しさを増していく。春の嵐だ。街中に咲いた花はこれで大方散っちゃうかもしれない。


 たとえ嵐じゃなくても、温室にあっても、さっきの月下美人も明日には散ってるだろう。所詮は一晩限りの花だ。そう言えば、花言葉は儚い恋、だったっけ。


「ねぇガル、あたしのこと、好き?」


「僕は、僕の愛するべき人を、愛するつもりだ。」


 そして、それはあたしじゃないってね。じゃあアリアンナちゃんは?って聞こうとした言葉は飲み込んだ。聞いたって無駄だ。皇子様の言葉は刃になって、あたしを刺した。リリーの呪いとも言うべき恋心を、あたしの芽生えたばかりの恋心をさくりと殺した。驚くほど、憎しみは湧かない。ただ可哀想に思うだけだ。二度も失恋したリリー、そしてチョロいあたし、それに皇子様も。ああアリアンナちゃんもかな。


 なんて馬鹿なんだろう。彼の心は自由なのに、枷なんてないのに、心のままに動けばいいのに、自分で自分を戒めてどこまでも皇子様であろうとしてる。愛するべき人を愛するだって。本当に馬鹿。言葉さえくれれば、それが嘘でもあたしは信じるって決めたからには信じるのに、きっと、いや多分。なのに皇子様の彼はその言葉さえ与えようとしない。


 もう一度、雷鳴が轟く。雷には魔を祓う効果でもあるのかな。隅々まであたしを侵食してたリリーの呪いが、ぱっと霧散した。手足から力が抜ける。今夜、あたしと彼の道は完全に絶たれた。


 あたしは、もう皇子様を愛することはないんだろうなぁとぼんやり思った。それを少し残念にも思うけど、それも運命ってやつなんだろう。温室のあの一瞬の恋は、もう泥濘に嵌ってどこにも行けない。つきりと痛む心には鈍感力を発揮して見ない振りをした。あたしは、ただ微笑むことで決別を受け入れた。


「ねえ皇子様、リリアン王女の振りをするためにも1人探して欲しい侍女がいるんだ。」




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