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リンは皇子様を信じることに、した

 朝から王都中央のワイアット商会を訪ねたけど、残念ながら会長のワイアットさんはいなかった。昨日から貝の生態に詳しい学者さんと東に向かったとのこと。帰りはまだ未定、なんてこった。


 昨日、あたしはテト坊と教会に行った。キリアンからの手紙が届いたからだ。内容は簡潔に、あなたの推測通りでしたとだけ書かれていた。そして明後日、いやもう明日だけど、教会で話し合おうって。ワイアットさんに、今後の助言が欲しかったんだけどなー。


 仕方ないからお店戻ってきちんと仕事をすることにした。乗合馬車も何度も乗って、スプリングのない固い座席にも慣れた。最初はすぐお尻が痛くなったのに。



 ジェイクさんの指示に従って萎れた葉っぱや折れた花を取り除いて行く。バケツを洗って水を張り替える作業はなかなか重労働で、王女さまのあたしにはキツかった。とんとんと腰を叩くなんておばあちゃんみたい。


「ジェイクさん終わりましたー!」


「ん。」


 一通りの作業を終えるともうお昼過ぎだった。ジェイクさんの作ってくれたご飯を二人で食べる。アクアパッツァのような白身魚の煮込みはとても美味しかった。ジェイクさんのご飯もそろそろ食べおさめ。味わいながらゆっくり食べた。


「ジェイクさん、あたしそろそろ実家に戻ることになりそうです。今まで、お世話になりました。」


「…そうか。大丈夫、なのか。」


 ううう、こんなサボりぃなあたしを心配してくれるなんて、いい人!


「うーん、あたし実はこっそり実家から逃げてきたんですよねー。どうやって戻ろうか今考え中で…。」


 本当どうやって城に戻ろう。国王からしたら突然の失踪、レヴィ兄からしたら盗賊に攫われた。戻ったとして、今まで何してたとか言われたら答えようがない。


「難しい話は分からないが、もしまた嫌になったらここにでも逃げればいいさ。俺は賑やかなリンがいてくれて、妹みたいで楽しかった。」


 ジ、ジェイクさん!こんなに長文話すの初めて聞いたよ!不覚にもうるっときてしまった。ぐすぐす。


「…ミアも、寂しがるだろうな。」


「うん。ミア姉さんにも、また挨拶に行くよ。」












 午前中はあんなに晴れていたのに、夕方から空には雲がかかった。そして今、外はポツリポツリと雨が降り出した。遥か遠くで稲妻が走る。音はまだ届かない。昨日の満天の星空が嘘のようだ。今夜は嵐なのかもしれない。


 皇子様との約束の時間まではもうすぐ。こんな天気では恒例の夜のピクニックは中止だろう。そもそも夜のデート自体が中止かもしれない。念のため着替えたけど無駄かなと窓の外を眺めた。


 今日チラッとルークのお店を覗いたけど、ルドはいなかった。やっぱりもう縁がないんだろう。なんだか酷く心もとなくてセンチな気分だ。きっと昨日、最後に顔を見せてくれなかったルドのせいだ。そしてこんな天気のせいだ。皇子様、会いたいなぁ。こんな夜に一人ではいたくなくて、じっとあたしは待った。


 いつもと変わらない時間に、いつもと同じ位置に黒い馬車が止まった。雨外套に、傘を持った男が降りる。あたしはショールを頭から被って急いで階段を下りた。傘を広げて待ってくれた男に飛びつく。


「熱烈な歓迎だね。嬉しいよ。」


 ぎゅっと抱きしめ返してくれたのが嬉しい。少し冷たい皇子様の手を取って馬車に乗り込んだ。雨足はだんだん激しくなっていく。


「生憎の雨だけど、今日も公園に行こう。見せたいものがあるんだ。」


 おとなしく頷いたあたしの手を、皇子様はずっと握っていてくれた。公園についた馬車はいつもの所で止まらなかった。アーチ門を潜って、どんどん先に進む。噴水も、皇子様と寝転んだ芝生もクローバー畑も通り過ぎて、温室の前で止まった。


「こんな時間、もう閉まってるんじゃない?」


「お金があればなんとかなるものだよ。」


 馭者が温室の鍵を開けて、皇子様にランタンを渡した。促されるまま中に入る。進むにつれて、重く甘い香りが空気中に漂ってきた。


「やっと今日蕾が膨らんだって聞いてね。リンに見せたかったんだ。」


 皇子様が掲げたランタンに、今にも綻びそうなほど膨らんだ蕾が照らされた。


「…月下美人?」


「うん。咲くまでもう少しかな。寒くない?」


 そう言って脱いだ外套をあたしにかけてくれる。素晴らしいジェントルメンだ。どこからか椅子を二脚持ってきて、あたしと皇子様は座って花咲くのを待つことにした。


 こういうふうに、皇子様と会うのも今日が最後なのかもしれない。この一週間あたしは楽しかった。ただ何をするでもなく二人で戯れるだけ。何かを探り合うようなこともなく、ただ時間を共有した。結局あたしは皇子様を虜にできてない。あたしが思った以上に敵は手強かったみたい。



 じわりじわりと蕾が広がる。それに合わせて芳香はいよいよ強くなっていった。ふぁさっと聞こえた微かな音は、花びらが擦れた音なのかもしれない。なんだか子供を見守るような気分になって小声で頑張れ、なんて呟いてしまった。


 白い花も可憐な花も特に好きじゃない。なのに、咲ききった月下美人はとても綺麗だった。儚さは微塵も感じられず、むしろ力強く思った。暗闇に浮かび上がる白さが、高潔さをたたえていた。なぜか身体の深いところからじわりじわり愛しさが湧き出る。


 ぎゅっと皇子様の手を握りしめる。彼もあたしの手を握り返した。


「…僕は、君と一緒にこの瞬間を過ごせて幸せだと思っている。」


 なんてチョロいんだろう、あたし。ロマンチックなシチュエーションなんて腐るほど経験している。口説き文句なんて聞き流すほど浴びてきた。顔のいい男にだって慣れたもんで免疫がある。でも今彼の言葉がとても嬉しい。カッと顔に血がのぼる。


 ランタン1つの明かりじゃ、ガルの表情は見えない。見えていたって多分変わらず穏やかに微笑んでいるだけだろうけど。ポーカーフェイスを維持するのは大変だと思う。あたしにすら本心を読ませないほど、ガルは常に気を張っている。


 ガルは大国を継ぐ皇子様だ。国を治めるってどれだけの重圧なんだろう。自分の匙加減一つで一人二人じゃ済まない人数が死んでいく。その中には、きっと死んでほしくない親しい人だって含まれる。


 敵国かもしれない国に、滞在することは怖くないのだろうか。きっと心安らかではいられないと思う。どんな自信家だって天才だって、死ぬ恐怖は凡人と変わらないはずだ。この世界の死は身近すぎる。


 極上の容姿に権力資力、完璧な皇子様としてきっと彼は際限なく求められてきた。愛して欲しい愛して欲しいとまとわりつかれたはずだ。だってこんなにも特別な存在だ。


 けど、ガルには望まれるだけの愛を返す余地はあるのかな。お姫様を愛で包んで守ってあげられるだけの余裕はあるんだろうか。だってまだまだ若い。そんな彼に我儘に愛を乞うことは、とても残酷なことじゃないだろうか。


 今まであたしはガルのことなんてちっとも見てなかった。こんなに彼という人間を考えたこともなかったと思う。あたしと一緒にいて幸せだって言った。今、あたしはこの言葉を信じてみたいと思ってる。


「あたしは強いからね、ガルを守ってあげる。もっと幸せにしてあげる。だから流されちゃいなよ、あたしに。」


 肩にそっと手が置かれた。壊れ物を扱うように、優しい手だ。


「…僕は、愛することが出来るのかな。」


「誰かを愛することが出来ない人間なんていない。絶対に。」


 見上げたガルの顔は、少し泣きそうだと思った。何かに耐えているようにも見える。けれど確かにあたしに対する愛情を感じるんだ。


 それだけでいい。喜びが血に乗って身体を巡る。髪の先から足の先までガルが、好きだ。あたしがリリーに喰われていくのがわかる。でも存外悪い気分じゃなかった。多分リリーの残留思念だけじゃない。あたしはあたしとして、この哀れな男が好きだ。だってイケメンだしね、なんて。


 きつく腰を抱かれて口付けられた。ガルの唇は酷く冷えてて、暖めてあげるようにあたしも唇を寄せた。何度も何度も。あたしはリリーをずっとバカだと思ってた。けど、男の趣味は悪くなかったのかもしれない。



 再び馬車に乗って、あたしたちは移動した。来た道とは違う道、知らない道を通ってもあたしに不安はない。馬車に叩きつけるように激しくなった雨も煩わしくはない。その馬車が、華離宮の裏門を潜ってもあたしに恐怖はなかった。


 だってガルを信じるって決めたから。



 まぁ結局、結論から言えばあたしもリリー同様バカだったって訳なんだけど。月下美人は所詮一晩で散っちゃう花な訳で、信じるには儚すぎたということだ。


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