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リンは愛人と逃避行し、ない

 麗らかな春の日差しの中、あたしは歓楽街にある宿屋の一室にいた。所謂連れ込み宿ってやつで、一日中いつでも使える宿だ。前世でいうラブホテル。受付のお婆ちゃんに多めにお金を握らせて、口止めもしておいた。ここがヘンリーとの待ち合わせ場所だ。


 久しぶりのデートで初っぱなからラブホテルなんて情緒もないし、めちゃめちゃ残念だけど仕方ない。あたしに皇子様の監視が付いてないとは限らないからだ。だって教えてもないのにあたしの家知ってたしねぇ。念には念を、だ。


 しばらく部屋で待ってるとゆっくり五回ノック音がした。ヘンリーだ!急いで鍵を開ける。扉の向こうにいたのは、相変わらずぼやんとした平凡なヘンリー。挨拶するより前に、あたしたちは抱きしめ合った。ヘンリーの抱えてた荷物が床に落ちたけど、拾うよりも口付けを優先した。


 ヘンリーは香水を使ってないみたいで、彼自身の匂いがする。キスしながらヘンリーのシャツをズボンから引っ張り出す。裾からうっすら汗ばんだ背中に手を這わせた。あー久しぶりのヘンリーだぁ。癒されるぅ。


「…リリー様、会いたかった。」


 あたしの頰を、髪を何度も撫でながら、キスの合間にヘンリーが喋る。求められてるなぁ、と嬉しくなる。


「あたしも。会話は後で。ね?」


 そのまま抱き合いながら二人でベッドに倒れ込んだ。安物のスプリングが悲鳴を上げたみたいに軋む。不純物が多く混じった曇りガラスみたいな窓越しに、柔らかな光だけがあたしたちを包んだ。





「えっアベル、近衛辞めちゃったの?第3隊はどうしてるの?」


「今は副隊長が隊長してます。…アベル元隊長は、多分リリー様を探してるんだと思います。今は陛下直属の部隊にいるっぽいですね。恐らくそこが、リリー様を探してる部隊です。」


 二人でベッドの上でゴロゴロしながら話した。ヘンリーが果物や飲み物を買って来てたみたいで、それを行儀悪くベッドの上で摘む。


 それにしてもアベル君、あたしを探してるのか。それって近衛騎士という身分と隊長という地位を捨てて、あたしを選んだってことだよねぇ。しかもだ。当然レヴィ兄とか宰相さんとかあたしが見つかるとマズイ人達はアベル君のこと止めるよねぇ。それでも探してるってことは、レヴィ兄たちよりもあたしを選んだってことだよねぇ。


 ふふふー。フェミニストなアベル君ってば本当に可愛い。柔らかくて強靭な、そして粘っこい蜘蛛の巣に、思惑どおり見事絡まっちゃったんだね。あんまり可哀想すぎて、次に会ったら聖女よりも慈悲深い微笑みを浮かべちゃいそうだよ。


「城内のあたしについての噂はどーなってる?皇子様とアリアンナの関係は進展してる?」


「リリー様が病気療養してるのを疑うような噂はないですね。第3隊の皆も塔の下で警備しながら心配してます。陛下が見事に隠してるんでしょうね。えーと、アリアンナ王女と皇子は相変わらずって感じです。たまに散策してる所を見られてるようです。けど最近皇子は夜会には参加してないらしいですよ。」


 うん。皇子様夜はあたしと会ってるからね。


「うーん。せっかくあたしが消えたのに、なーんにも解決してないね。」


 まぁ城下でルドに会えたし、わざわざ失踪した甲斐はあったかなー。


「それより悪化してますって。いつまでも誤魔化して延期なんて出来ないのに、陛下は何考えてんだか。」


「…ねぇヘンリー、もしアリアンナがメガンの王族の血を引くとしたら、状況はどう変わるかな?」


「……………は?」


 話しながらもあたしの口元にせっせと果物を運んでたヘンリーの手がピタリと止まった。


「や、もしもの話だよー?」


「…もしも、そうだとしたら、リリー様それは絶対に秘密にすべきです。」


「なぜ?」


「もしそれが帝国に知られたら、メガンと通じてる国としてすぐ様侵攻されるかもしれない。それに、アリアンナ王女は民にかなりの人気があります。それは貴族にも言えるし、王太子だって彼女を庇うかも知れない。もし意見が分かれれば国が割れるかもしれない。意見がまとまれば、スーリュアが一体になって彼女を守る可能性だってある。」


 なんと。アリアンナちゃん人気恐るべし。スーリュアの妖精姫、聖女、至宝だって言われてるもんねぇ。公表したら国王を退位に追い込めるかなぁとか思ったけど、そんな簡単じゃないんだね。むしろ戦争待った無しになっちゃうのね。ヘンリーてば以外と知性派。


 じゃあ暴露されたくなければ退位しろって国王を脅すのはどうかってヘンリーに聞けば、それも危険な賭けだって。むしろあたしが口封じされちゃうって。確かにあの国王なら躊躇なくあたしのこと殺しそう。表情一つ変えずあたしを串刺しちゃいそう。あーれー?このカードってば、もしかして使えない…?


「まぁ仮定の話だしね。今考えても仕方ないや。で、ヘンリー。」


 ぶるぶる頭振って切り替える。今一番あたしが聞きたいこと。ヘンリーが不自然にも話題に出さなかった人のこと。あたしの真面目くさった顔にヘンリーも気付いて、姿勢を正した。


「サーシャはどうしてるの。」


 あたしが城下に身を隠してから、サーシャからの連絡は一度もない。塔に篭りっきりだって前ヘンリーの手紙にはあったけど。それでもサーシャが連絡してこないなんてあり得ない。彼女はできる侍女だ。どうにかして手紙の一通くらい出せるはずだ。でも、手紙は来ない。


「…俺含め、誰も姿を見た人はいません。」


 …多分、サーシャは軟禁されてるんだろう。あたしの腹心の侍女なんだもん。あたしの謎の失踪について何かしらの情報を国王に期待されてるんだろう。もしかしたら、拷問されてるかもしれない。


 ヘンリーに触れられて癒されて軽くなった身体がずんと重くなった気がした。国王を甘く見たあたしのせいだ。あたしが消えたら、アリアンナちゃんと皇子様は結ばれて、戦争もなくなってハッピーエンドだなんてどうして思えたんだろ。あの時のあたしはアリアンナちゃん以上にお花畑だった。


「塔には、いるの?」


「…そう言われてますが、実際はどうだか分かりません。塔に入れるのは陛下の許可を得た数名だけで。」


 サーシャ。あたしの大切なお姉さんみたいな人。あたしがあたしになる前から、その魂を愛してくれた人。


 もしあたしの命とサーシャの命が天秤にかかったとして、あたしは迷うことなくあたしの命を優先させる。それだけあたしは利己的な人間だし、一番大切なのはあたし自身だ。でもあたしの命にさえギリギリ関わらないんなら、可能性があるなら助けたいって思うくらいにサーシャはあたしの大事な人だ。あたしの一部で、あたしのものだって言える人。


「リリー様、何を考えてるんですか?…ねぇ気分転換に、遠くに旅行にでも行きませんか。道中俺が守ります。贅沢はあんまりさせてやれないかも知れないけど、あなたが穏やかに過ごせるよう努力しますから…。」


 あたしの剥き出しの肩にヘンリーが頭を擦り付けてくる。ヘンリーにとってはサーシャよりもあたしのが大事、だからこう言ってくれてすごく嬉しい。けど。


 その誘いに乗っちゃったら、あたし自己保身しか考えない嫌な奴じゃん。まぁ実際そうなんだけども。遠回しに逃げようなんて言われちゃ、余計逃げらんなくなっちゃう。それに贅沢出来ないのは嫌ですぅ。


 戻ろう。キリアンの報告を待って、城に戻ろう。そんで素直に皇子様と婚約するなりして時間稼ぎして、戦争が始まる前にサーシャもヘンリーも連れて逃げよう。こっそり宝石とか拝借しちゃったりしてさ。難しいかもしれないけど、アベル君てカードも増えたんだしどうにかしよう。きっと大丈夫。


 まぁどうやって疑われず戻るかだけど。そんで、戻って今度はレヴィ兄に消されないようにどう振る舞うかだけど。…それよりも次にリリーとして皇子様に会った時のこととか考えなくちゃ。うう。やっぱり逃げたい。…取り敢えず問題は先送りしてルドと遊ぼうかな。


「ヘンリー、あたし本当にヘンリーが好き。あたしのためにそう言う提案をしてくれるあなたがすごく好き。旅行は楽しみだけど、今はまだ行けない。」


 童顔のヘンリーはお肌がとってもきめ細かい。あたしの頰と頰を擦り合わせても全然痛くない。あたしの返答に、ヘンリーは目を伏せたままため息をついた。


「…分かりました。…ところで全然話変わりますけど、リリー様。」


「なあに。」


「アベル元隊長とも、こういう事しました?」


 肩に置かれた手で軽く押されて、あたしはぽすんとまたベッドに押し倒された。


「へ、ヘンリー?」


「あの人が近衛やめてリリー様を探すって可笑しいですよね?王太子派ですよね、元隊長。そこまでリリー様に忠誠を誓ってるなんて変ですよね?」


 無邪気に口角を上げた顔は、あたしよりも幼く見えるかもしれない。なんてこったい…!あたしってば本当にお花畑だったんだ。色々油断しすぎてた。ううん、ヘンリーのことを完全に見くびってたんだ。舐めてたんだ。


「嫉妬しちゃったの?あたし、ヘンリーとしかこんなイケない事してないよ?」


 嘘じゃない。今世では。今のとこは。挑発するように妖艶に微笑んでみた。


「…確かに嫉妬してます。でも俺、仮にそうだとしても怒ってはませんよ?」


 へにゃりとヘンリーが苦笑した。確かにあたしを押さえる手はとても優しい。あたしを見下ろす瞳にも、浮気を咎める男の激情は感じられない。


「…どおして?」


「だって俺はリリー様の愛人だ。恋人じゃない。元からあなたが俺のものだなんて思っちゃいないです。それでも嫉妬はする。勝手に期待しては裏切られた気持ちにもなる。けど、絶望はしません。」


 ヘンリーの強い眼差しに心臓が跳ねる。なんてしなやかなんだろう。絶望しないって言い切ったヘンリーは、可愛い愛玩動物なんかじゃなくて、確かに成熟した一人の男だった。


「…ヘンリーてば、意外と強かったんだ。」


「なんですかそれ。俺はあなたよりも十も年上ですからね。人並みに女に惚れたり、失恋したり、手酷い目にあったこともあります。でも時間が経てば乗り越えられた。これからだって、リリー様に裏切られて捨てられたとしても、おんなじように乗り越えて行きますよ。」


 ヘンリーは眩しいくらい健全だ。恨むでもなく絶望するでもなく、受け止め消化できるのはすごいことだ。メンタルが強い。すごくバランスがいい。多分あたしと別れても彼はいつか可愛い人と結婚して子供をもうけるんだろう。…なんかそんな想像したら、嫌だなと思った。


「ヘンリーがキラキラして見える。」


「小娘に誘惑されてあっさり堕ちた男の、どこがそう見えるんですか。」


 ヘンリーを誘ったあの夜のあたしを褒めてやりたい。エスコートをドタキャンしたあの夜の皇子様にお礼を言いたい。あたしは、とびっきりいい男を愛人にしたみたいだ。大丈夫、きっと何もかも上手くいくって根拠もないけどそう思えた。


















「今夜もまた嬉しそうだね?」


 あたしたちのお決まり逢引スポット、王立公園は広い。今夜は一面にシロツメクサが咲く広場に二人して寝転んだ。聞こえてくるのはジーと鳴く何かの虫の声と、皇子様のとろりとした声。


「うん。ねぇガル、ありがとう。」


「なに急に。僕感謝されるようなことしたかな。」


「ふふふー」


 感謝の気持ちを込めて花冠を編むことにした。夜目に慣れれば難しくはない。皇子様は器用だねってあたしの手元を興味深そうに眺める。出来上がったそれを皇子様の黒髪に乗せた。女性的な容貌なわけじゃ無いのに、宗教画に描かれる天使のようだ。


「僕もお返ししないとね。」


 そう言って皇子様はシロツメクサを一本摘んで長い茎を輪っかにした。余った茎を輪にぐるぐる巻き付けていく。あたしの右手を取って、薬指にそれを嵌めた。ちょっとブカブカだけども、可愛い。


「シロツメクサの花言葉ってさ、あたしを思って、なんだって。お互い贈り合っちゃったね。とっても素敵、ありがとう。」


「…お礼なら言葉よりも欲しいものがあるんだけど。」


 あたしの下ろした髪を丁寧に耳にかけて、皇子様は触れるだけのキスをした。奪うでも与えるでもなく、ただ何か確認するようなだけの優しいキスだった。

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