リンは野生の獣を狙うことに、した
ヨガをしながら、暇をつぶす。通りに面した窓は開けたままだ。もう日が落ちて大分たっている。そろそろかと、切り上げてクローゼットを物色することにした。
あんまり派手なのは避けて、でも地味すぎるも魅力に欠けるから明るめの臙脂色のワンピースを選んだ。少し広めの襟ぐりで鎖骨が綺麗に見える。髪の毛は簡単にハーフアップにした。
準備が整った頃に、窓の下から馬車の音がした。覗いてみると昨日と同じ馬車がちょうど止まったところだ。外階段から降りて向かう。
馬車に近づけば黒い外套を羽織った皇子様が待っていた。扉を開けてあたしに手を差し出す。ほんのり温かい掌に不意に心臓が鳴る。いつ騒ぐか分からないリリーの恋心という名の残留思念は、あたしにとって呪いみたいなものだと思う。
「どこかに行くの?それとも昨日みたいに馬車を走らせるだけ?」
「いや、王立公園で夜の散策でもしよう。」
王立公園は王都北にある大きな大きな有名な公園だ。広い芝生広場に噴水、大きなガラス張りの温室や中央に人口の池もあるそうだ。昼間は貴族が公園内で乗馬を楽しんだり平民が散策したりしている。リリーは行ったことないから、初めての場所だ。
馬車用のアーチ門の側で、馬車から降りた。あたりに人気はなく、皇子様の腕に手を乗せて彼の進むままに任せた。まだらにしか外灯はない上に、月には雲が流れるようにかかっていて足元が少し不安になる。皇子様の腕に寄りかかるように身体を預けた。
池にほど近い芝生に、皇子様が外套を脱いで広げる。あたしは遠慮することなくその上に腰かけて、皇子様はそのまま芝生に座った。
「飲む?」
皇子様が差し出したのは淡褐色の液体の入った瓶だった。あたしに何かするつもりなら昨日とっくにしてるだろうし、そこまで警戒せずに受け取る。一口飲むと蜂蜜のような濃い甘さに香草と果実の香り、アルコール特有の熱さが口に広がる。スィートベルモットみたいな味だけど、それよりは度数が少し高いようだ。皇子様もあたしに渡したのと同じような瓶を呷った。彼のは透明で、きっと甘くないんだろう。
「リンはお酒好きなの?」
「うん。好き。」
「なら良かった。他には何が好き?色々教えて?」
甘いなあ。緑色は人を落ち着かせる色だというのに皇子様の瞳はこのお酒よりも甘く、心をざわざわさせる。何も考えずに舐めて舐められて甘さを共有したくなっちゃう。
「ガルだけあたしを知るのはズルいよ。交互に一個ずつ質問しよ?ガルはお酒強い?」
「まあまあかな。お酒の席で失敗したことはないね。次は僕の番か。何を聞こうかな。」
自分でまあまあなんて言うってことは相当強いんだろう。酔わせて口を軽くさせるのは無理ってことか。薬を盛るのも、無理だろうなぁ。大国の皇太子様だもの。毒にも薬にも慣らしてあるはず。
お互い他愛もない質問を続けた。皇子様の好きな色は意外にも白。甘いものと辛いものが苦手だそうだ。趣味はチェスと乗馬。あたしたちはお互いの素性に関わるような質問は一切しなかった。
「もしさ、ガルが敵同士の家に生まれた結ばれちゃいけない人を好きになったら、どうする?」
もし皇子様がアリアンナちゃんを愛してるとして、彼はどうするのか。ロミジュリの結末はこの皇子様には似合わない。
「駆け落ち、は追手がかかるだろうね。うーん…相手の家を滅ぼしてから愛しい人を連れ去る、かな。同じ質問を返そう。リンならどうするの?」
げー。やっぱり皇子様超怖い。
「うーん。諦めるかなー。滅ぼしちゃったら、愛しい人から嫌われちゃわない?怖くはないの?」
「奪ったもの以上のものを与えて、幸せにする努力をするよ。リンはそんなに簡単に愛した人を忘れられるの?」
「思いっきり泣いて笑って、笑って泣いてそれから他の人を愛すればよくない?世界は広いんだし、愛するに値する人は一人じゃない。それにあたし、身体中に愛が溢れてるからね。みんなに分け与えたくてしょうがないくらい!」
そう、世界は広いんだ。異世界があるくらいだ。素敵な男は五万といる。愛する人が生涯でただ一人だなんて、もったいない話しじゃないか。なんたってあたしラブハンターですから!
「リンは強いんだね、すごく。」
夜目にもはっきりわかるくらい皇子様は素敵に笑った。…なんだか無性に悔しくなって、中身の少なくなった皇子様の瓶に、あたしの甘い甘いベルモットを足した。あたしの子供染みた行動にも動じずに、彼は優雅にそれを飲んで美味しいと、また笑った。
「でも、見てみたいなぁ。」
「んー?何を?」
「リンが恋に焦がれてなりふり構わず愛に苦しむ姿。その相手が僕なら尚見たい。」
バケツにいけた花から蕾のものだけ抜き取る。今日もミア姉さんからアレンジの注文が入っていた。春らしいピンクをメインに花は蕾だけで作る。満開の花も綺麗だけど、今にもほころびそうな蕾は可憐で可愛らしい。最後に瑞々しい青い葉っぱをバランスよく散らせて完成だ。
ジェイクさんに一声かけて、ミア姉さんのお店に向かった。道中色んな人に声を掛けられて、元気よく挨拶を返す。デートのお誘いは断った。夜にはまた皇子様との逢引があるからね。仕方ない。
花を渡して、いつも通りお茶とお菓子を頂いてからお暇した。そのままミア姉さんのお店と同じ通りにあるルークのお店に寄った。
こじんまりしたお店で、看板も出ていない。照明は最低限で薄暗く、壁一面にガラスケースが誂えられている。中にはガラクタのような石や綺麗に細工された石、設計図のような紙が、謎形状の金属細工が規則性なく並べられている。何に使うのか、さっぱり分からない。
扉の奥正面にカウンターがある。白衣のような服を着たルークはカウンターでフードを被った大柄な誰かと話し込んでいた。すぐに入ってきたあたしに気付いたようで、顔を上げて手を振ってくれた。
「リンちゃ〜ん!会いたかったよ〜。どしたの〜?」
いつもの間延びしたような軽い口調だ。
「ルーク!昨日は髪飾りありがとねー。お礼が言いたかったの。今日さっそくつけてみたんだけど、似合うかな?」
あたしの右サイドに緩く纏めた髪の上に、銀色の三日月が輝いてる。
「リンちゃんの夜空みたいな黒髪に月が映えてよく似合ってるよ〜。本当一昨日はゴメンね〜。俺、疲れてたのかな。ねっ今日また飲み行かない?」
「うーん。しばらく夜は予定が空かないんだぁ。ゴメンね?」
「じゃあ今度昼にでも店に寄ってってよ。美味しいお菓子貰ったんだよね〜。」
多分ファンの女の子にでも貰ったんだろう。ルークはモテるもんねぇ。あたしとルークが話してる間、フードの人は黙ってカウンターチェアに座ったままだ。なんか邪魔しちゃったみたいだし、愛想振りまいとこうかなぁ。
「うん。あ、お客さん?かな。お話中お邪魔しちゃってゴメンね?」
カウンターに手をついて、下からフードの人を上目遣いに覗き込んだ。ら、バッと顔を背けられた。
「邪魔だって分かってんなら、とっとと失せろ。」
バリトンの低い声があたしの鼓膜を震わせる。む。なかなかいい声だけども。愛想良くしたのに、その態度はひどいよ、あたし泣いちゃうよ。邪魔ったって、ここは商品売ってるお店なんだから誰が入って来たっていいじゃんか。…そんなに顔を見られたくない?
「ちょ。ルド、女の子にその物言いはないでしょ〜。ゴメンねリンちゃん、こいつ照れ屋だから〜。」
ルークが慌ててフォローする。ちょっと嫌がらせしてやるぅ。
「ううん。あたしが馴れ馴れしかったのが悪いし。じゃあもう帰るね。お兄さんもゴメンね?」
あっと声を上げてよろけてみる。思わず、という風にお兄さんの肩に手をついてフード付きの上着をずるりと剥ぎ取って、そのまま床に尻餅ついた。
「リンちゃん?!」
「いたた…わっゴメン!」
わざとじゃないのよアピールして顔を上げる。さあさあ、あたしにその顔を見せてごらん?あなたは声に似つかわしいイケメンですか?それとも美声の無駄遣いですか?
「てめぇ!」
ガタンと立ち上がった男は、それはそれは見事な赤毛だった。ルークのよりも数段鮮やかな、目を引いて背けられないような。不愉快に顰められた男らしい眉、少し吊り上がった奥二重の目の色は榛色だ。中心に行くにつれ色味が濃くなっている。整えられていない無精髭は、意思が強そうな顎にまだらに散らばっている。
男が立ち上がったことで、その背の高さがよく分かる。190センチ以上は確実にありそうだ。床にへたって、見上げてるあたしの首が痛くなりそうだ。
なんて、なんて猛々しい男だろう。皇子様みたいな超絶美形って訳じゃないのに、なんとも魅力的だ。リリーの周りには絶対居なかったタイプだ。王立騎士団には居るのかもしれないけど、近衛には居なかった。まるで野生の獅子みたいな男。あたしが求めてた野生のイケメン像にドンピシャな、獣みたいな男。
ーーー欲しい!あの腕で乙女の夢、片手抱っこして欲しい!荒々しく組み伏せられて身体を弄られてみたい!首輪を付けて、牙を、爪を折って飼い慣らしてやりたい!遊んで欲しいし、遊んでやりたい!あたしのM心とS心を同時に刺激するなんて、なんてパーフェクト!
「あの、わざとじゃないの。これ、返すね!」
男、ルドって呼ばれてたな。ルドは転んだあたしに手を差し伸べてくれない。野生のイケメンだもん、しょうがないよね。一人で立ち上がってワンピースの埃を払う。ルドの上着も同じく払うが、途中で奪われた。くすん。
「リンちゃん大丈夫?怪我してない?」
「うん、大丈夫だよ。お騒がせしちゃってゴメン。お兄さん、ううん、ルドさんもゴメンね。」
「失せろ。」
やー。つれないねぇ。さすが野生動物。
「うー。でも、失せる前に一言いいかなぁ?」
「あぁ?」
ルドはまたすぐにフード被っちゃって顔が見えない。残念、すごーく残念。
「あたし、あなたに一目惚れしちゃったみたい。」
恋する乙女のとびきりの笑顔で告げると、フードから唯一見えるルドの口元がぽかんと開いた。
「リン、何か良いことあったの?今夜はすごく良い笑顔だ。」
昨日に引き続き、王立公園での皇子様との逢引。今日は噴水側のベンチに並んで座った。
「ふふ、ガルに会えて嬉しいからかなぁ?」
昼に野生のイケメン、夜に高貴なイケメンだなんて、なんて贅沢。
「…こんなに心のこもってない言葉を貰うのは初めてだ。」
眉を下げた皇子様がすごーく可愛くて、思わず声をたてて笑っちゃった。




