リンは聖職者の賢さについていけ、ない
微睡みから目覚めると目の前にはキラキラしい美形がいた。なんとも素敵な目覚めだなぁとほんわり微笑む。
「お身体の具合はいかがですか?リリー様。」
ふふふ。あたしが病気療養なんてしてないって知ってるくせに。
「とってもいいよ。目覚めたらキリアンがいるなんて、嬉しい。」
隣に座るキリアンの髪に手を伸ばす。さらりさらりと指を通した先からこぼれ落ちていく。陽が落ちた後、闇に染まる前の空の色だ。動いたことで膝に乗っていた本が落ちた。キリアンが拾い上げる。
「懐かしい本ですねぇ。幼い頃爺がよく子供達に読んでいた本です。」
キリアンは愛おしそうに目を細めながら表紙を撫でた。
「視察は終わったの?」
どのくらい寝てたんだろう。東の窓からはもう陽が差してない。お昼過ぎかな。
「終わりましたよ。爺からあなたを起こしてくるよう言われました。寝覚めに紅茶でも淹れましょうか?」
キリアンがオリヴィエについて調べ始めてからまだ1週間ちょっと。何も言わないということは、まだ結果が出てないということ。
「ありがとう。ねぇ、あたしと皇子様の婚約って今どうなってるか詳しく教えてくれる?」
キリアンはこの国の聖職者のトップだ。あたしと皇子様の婚約の儀でも祝福を与える役だったらしい。
「私の方には陛下より期限未定の延期と伝えられています。皇子も延期を了承し、スーリュア滞在を延ばす予定です。が、帝国がいつまでも延期を許すとは思えませんねぇ。それに婚約と共に同盟の調印も延びているのですから、帝国内でのスーリュアの立場は悪くなる一方でしょうねぇ。」
ほんわりした口調で、顔も優しげなのにキリアンの目は冷たかった。彼は遠回しにあたしの出奔を責めているようだ。キリアンにはまだ国王とメガンの共謀について言っていない。あたしが黙ってると、キリアンは更に続けた。
「リリー様は、私がなぜあなたの存在を秘匿しそしてお願いを聞いているか分かりますか。」
あたしには難しい政治的な思考なんてよく分からない。お爺ちゃんもキリアンも今はただあたしを面白がってるだけ。その腹の中なんて分からない。でも分かることもある。
「…お爺ちゃんのためでしょう?お爺ちゃんが何を考えてるのかは知らないけど、キリアンが協力するのはお爺ちゃんのためでしょう?」
「なぜそう思われるのです?」
「だってあなた、お爺ちゃん大好きじゃない。ついつい性格まで似せちゃうほど。」
お腹の中に動物飼ってるところとか、面白い半分な愉快犯風なところとか。人間、好きな人の真似をしたくなっちゃう生き物だ。孤児だったキリアンにとって、きっとお爺ちゃんはとてもとても大切な存在だ。古い絵本を愛おしげに見たあの目が語ってる。
「お爺ちゃんはキリアンにとっての羊飼い、なんでしょ。」
キリアンはふうと息をついて笑った。
「…爺は私にとって確かに大切な存在です。父であり師でもあり。あの方の故郷は戦で滅びました。彼は根っからの聖職者で、平和主義者でもあります。あなたと皇子の婚約に裏があるなら、それが戦の火種になるようなものだったら、と協力することにしたのでしょう。」
なるほど、じゃあキリアンから見た今のあたしの行動は帝国を無駄に挑発してるように見えるってことね。イケメンに嫌われるのは心臓が痛いから本当にやめて欲しい。
「キリアン、今から話すことはお爺ちゃん以外誰にも言わないって約束して?」
そうしてあたしは国王が帝国を裏切りメガンと共に侵略をするつもりであること、王太子であるレヴィ兄がそれを止めるためアリアンナちゃんと皇子様をくっつけるつもりであることを話した。話すにつれ、キリアンの眉間のシワはどんどん深くなっていく。苦悩するイケメン様も素敵。
「本当に、スーリュアは愚かな王を持ちましたねぇ。」
盛大にため息をついてこめかみを揉みながらキリアンは言った。確かに愚王と言っていい行いだ。けど、国王は結構人気がある。今回の判断以外は賢王って言えるくらい上手くスーリュアを統治していた。おかげで王都は住みやすいいい所だ。
「王太子様も浅はかな判断をされたようで。」
「どうして?国王を止めるのにアリアンナを使うのはいい判断だったと思うけど。まぁ結果的に失敗しちゃってるけどね。」
「なぜ既に帝国がスーリュアの裏切りを感知していると考えないのでしょう。」
「…バレてたらわざわざ皇子様がスーリュアに来るかな?すごく危険だよね?」
「相手は帝国ですよ?未だ侵略し併合した国からの反旗を一度たりともさせない大国。恐らく潜り込ませている間諜は一人二人ではないでしょうねぇ。戦から遠いて久しい平和ボケしたこの国の基準で考えるのは危険かと。」
確かにキリアンの言う通りだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずって諺だってある。皇子様の行動が全て知った上でこちらの油断を誘うものだって否定できない。もしそうなら。
「あたし、昨日城下で皇子様に会ったんだけど。」
あたしがそういえば、ティースプーンを持つキリアンの手が止まった。
「…それはそれは、面白いことになってますねぇ。」
「皇子様、何を考えてるんだろ…。」
もしかしたらレヴィ兄のこともお見通しで、その上あたしに会いに来たとか?リンがリリーだって分かってて。うっわー。もしそうなら皇子様超怖いんだけど。
キリアンも何か考え込んでいるようだ。手は止めずに、優雅にポットから紅茶を注いでいる。
「所詮私は聖職者に過ぎません。聖職者が政に口を出すことは許されていませんので出来ることなどたかが知れていますが、知ったからには傍観者ではいられませんねぇ。後ほど爺にも相談してみましょう。」
「何をするのか決まったらあたしにも連絡してね?協力できることならするから。」
キリアンに出来ないならあたしが出来ることなんてもっとないけどね。戦争なんて起こったらあたしの生活が危うくなるけど、なんの権限も与えられてない一王女がどうにかできるもんじゃない。首突っ込んで危険な目に会いたくないし。やっぱり自己保身のために皇子様に念入りに媚びって誑かすしかない、か。
「リリー様は陛下の愚行の理由に亡きオリヴィエ様が関係していると思われているのでしょうか?」
「へ?」
「リリー様がオリヴィエ様を調べる理由ですよ。メガンと通じるなど、陛下らしくない判断です。彼の判断が鈍るのは亡きオリヴィエ様とアリアンナ王女に関係した時のみでしょう。…もしやあなたはオリヴィエ様について既に何か掴んでいるのでは?」
国王のオリヴィエへの愛とアリアンナちゃん溺愛は有名だもんね。探るようにキリアンはあたしを見るけど、あたしそんなこと考えてない。ただヒロイン属性のアリアンナちゃんなら平民との子じゃなくて。
「どっかの王族の隠された落とし胤かなーって思っただけだよ。」
軽く言ったのに、キリアンは目を見開いた。すごい衝撃的なものを聞いたみたいな反応に、あたしが戸惑う。え。そんなに変なこと言いました?
「そう、いう、ことですか。」
絞り出すみたいにキリアンが言う。
「…メガン周辺地域の名簿を優先的に調べさせましょう。リリー様はお馬鹿のフリが上手でしたねぇ。騙されましたよ。本当にあなたは面白い。」
キリアン、何言っちゃってるの。あたしちょっとついてけない。まぁ鷹揚に頷いといたけど。なんでメガンを優先するの。オリヴィエはメガン出身てこと?
…メガン出身?キリアンより劣るあたしの脳みそがやっとピンときた。けど、これはただのあたしの勘だ。でももしキリアンの考えてる通りなら、国王の行動の説明もつく気がする。スーリュアに利益をもたらすとは思えない裏切り、アリアンナちゃんと皇子様の仲を決して認めないこととか。
国王がオリヴィエと出会った時期には、既に帝国とメガンは険悪だった。もしオリヴィエがメガン王族の落とし胤なら、スーリュアと国境を接する帝国を刺激しないように身分を偽ってもおかしくはない。
なんてこと。もしその通りならアリアンナちゃんと皇子様はロミジュリじゃん。アリアンナちゃん、すっごい可哀想じゃん。あの子のメンタルで耐えられるのかな。でも可哀想と思う一方で、ちょっとドラマチックな悲恋の結末にワクワクもしちゃうあたし。
まぁ皇子様が本当にアリアンナちゃんに惚れてるのかはよく分かんないし、オリヴィエが本当にメガンの王族なのかも確定してないけど。確定したなら、これは大きなカードだ。
花屋に戻ってからジェイクさんと遅めの昼食をとった。一人暮らしが長いからかジェイクさんは料理上手だ。
「ジェイクさん、あたしこれから多分毎日夜に出かけことになると思う。」
貝をふんだんに使ったパスタをフォークにくるくる巻いていく。スーリュアは東側を大海に面しているから、魚介系の料理がとっても美味しい。
「…危なくないのか?」
「大丈夫だと思う。知り合いが送り迎えしてくれるようだし、心配しないで。」
「…ん。」
食後にジェイクさんに銀の髪飾りと手紙を渡された。三日月型のシンプルな髪飾りは午前中にルークが届けに来たらしい。昨日の酔い潰れたお詫びってことかな。手紙はヘンリーからだった。ワイアットさんの商会経由でここに届くことになってる。
自室で一人手紙を読む。どうやらヘンリーは明後日お休みのようだ。あたしに会いたいって!あたしの失踪を知らないモブ騎士君たちは心配してくれてるって書かれていて、嬉しい。
引き出しから紙を取り出して明後日のデートの返事を認める。もちろん会うに決まってる。サーシャからの手紙がない分、ヘンリーから色々聞きたいこともある。それにただただヘンリーに会いたい。会って癒されたい。あたしの中の一番は、離れていてもヘンリーのまま変わらないようだ。




