リリーはお兄様を大切にし、ない
いつもお昼はハーフコースだけど、今日は量を少なめにフルコースで用意してもらった。フルーツを使った甘酸っぱいソースがお肉によく合って美味しい。
さっきレヴィ兄から真っ赤なダリアの花とカードが届いた。午後に執務室で会いたいっていう内容だ。アルバニアに逃げる具体的な計画が知らされるんだろう。
一口大のケーキ数種類をつつく。美味しい。濃いめに淹れてもらったブラックコーヒーで食事は終わりだ。食事が終わったのを見てベルがあたしの装いを準備しだしたけど、まだ行かないよ?午後としか言われてないし、食休みのお昼寝は必須だもん。
「2時間たっても起きなかったら起こしてね?」
執務室でレヴィ兄は忙しく書類をめくっていた。両脇にはなおも高く積み上げられている書類がある。王太子ということで、既に一部の内政を担当してるって聞いたことがある。けど軍部の指揮権とか最終的な意思決定は国王にある。国王も健康でまだ40代だし、譲位はまだまだ先だろうな。というかアリアンナちゃんのために強力な後ろ盾として譲位する気はさらさらないだろうな。
「リリアンすまない。急ぎのものだけ決裁を済ますから掛けて待っていて。」
「お忙しい時間に申し訳ございませんお兄様。わたくしのことは気になさらないで?」
ソファに座ってレヴィ兄を眺めた。正式な場ではあげられている髪も下ろしていて、少し幼く見える。ラフに白いシャツ一枚だけさらっと着こなし、書類を追いかけるその顔は真剣そのものだ。心から国のことを民のことを思っている優しいお真面目な王太子さま。あたしには優しくなかったけどー。
でもこないだまでの怒りも恨む気持ちも今はない。イケメンは3日で許せるって言うもん。ただレヴィ兄はあたしの大切な人ではないからね。大切にはしないよ?
忙しいだろうからと紅茶はレヴィ兄の侍従じゃなくてサーシャに淹れてもらうことにした。これなら安心して飲める。
しばらくして扉をノックする音のあと入室してきたのはアベル君の異母兄、宰相さんだった。レヴィ兄は手を止めて、入れ替わるように人払いをした。部屋にはあたしたち3人だけだ。
「リリアン殿下、怪我のお加減はいかがですか。…陛下を止められず申し訳ございませんでした。」
特に美形って訳じゃないけど、人好きのするような朗かそうな人だ。目元のシワも彼を優しげに見せている。アベル君にはちっとも似てない。
「ありがとう閣下。もう見た目にもわからないでしょう?陛下を止められる方なんていませんわ。あなたがお気に病む必要などありません。」
そうそう、悪いのは可憐な乙女に手をあげる国王だもん。丁寧に艶出しされた1枚板のテーブルを挟んで、レヴィ兄と宰相さんは並んで座った。
「愚弟のアベルから大方のことは聞き及んでいるかと思いますが…。その上で殿下がご協力頂けるというのはまことですか。」
「アベルを叱らないでやってくださいね、はしたなくもわたくしが泣き落として聞き出したのです。…思うところがないとは申しませんが、わたくしも王女です。事の重大さは分かりますわ。お兄様の望む通りアルバニアに向かいましょう。」
「…ありがとう、リリアン、いやリリー。」
やっだーレヴィ兄。あたし愛称で呼ぶ許可してないよー?そんな切なそうに微笑まないで欲しいんだけど。
「…殿下の勇気あるご決断に感謝致します。レヴィエル様が即位された暁には必ずやお戻り頂けるようこの国を支えますことをお約束いたします。」
やっだー宰相さん。それって何十年後のことですかー?おばさんになったら王女って肩書きなんて役に立たないんだけど。若い今だから男と遊ぶのにスパイスとしてちょっと役立ってるんじゃん。ヘンリーがあたしたちの身分差について考えないように耐えてる姿とかきゅんきゅんしちゃう。
「遠くにいてもわたくしの心は常にスーリュアとともにあります。閣下、お兄様が無理なさらないように助けて差し上げてね?…それで、わたくしはどうしたらよいのかしら。」
「殿下には明後日、インテカードン侯爵家の夜会に出て頂きます。」
明後日。あたしの予想通りだ。レヴィ兄たちの計画は至って単純だ。明後日の夜会はパーティー好きのインテカードン侯爵主催の仮面舞踏会。夜会終わりにあたしと同じ扮装をした女と入れ替わる。女は気分が優れないからと侯爵家に一晩世話になる。あたしはその隙に用意された馬車で夜に紛れてアルバニアを目指すというもの。アルバニアまでは馬車で一週間ほど。レヴィ兄の息のかかった人たちが旅程は面倒を見てくれるって。
前々から計画してたんだろう。夜間は閉まる街道に繋がる門も通れるように手配してあるし、道中見つからないような隠れ宿も、変装セットも用意しておいてあるってさ。護衛騎士はアベル君とイーサンあと数名つくけどそれもアベル君が遠ざけてくれるとのこと。
「アルバニア大公にはリリーを匿うように私の自筆の文を用意した。私たちのお爺様だ、きっと良くしてくださるだろう。」
「ありがとうお兄様。…お別れしたら次はいつ会えるかわかりませんね。少しだけでも寂しく思って、くださいますか?」
「もちろんだ!…私は先日から後悔ばかりしている。もっと君に向き合えばよかった、話をすればよかったと。リリー、君の献身に心からの感謝を。」
レヴィ兄は立ち上がってそっとあたしの肩に手をかけた。ちょーろーい。あたしは肩を震わせてレヴィ兄の腰に抱きついた。爽やかな森のような香りがする。好青年にぴったりの香水だ。声は出さずに次から次へと涙をこぼす。シルクのシャツが、小さな真珠のボタンが濡れて汚れるのも厭わずにレヴィ兄は膝をついてあたしを抱きしめた。
「っごめん、リリー、本当にごめんっ」
そんな何度も謝らなくていいんだよ、レヴィ兄。送ってくれた満開のダリア、とても綺麗だった。嬉しかった。ふふふ。ダリアの花言葉ってさ裏切りだよ?あなたは意図してなかっただろうけどね。ごめんねお兄様。ことはあなたの計画通りには進ませないよーだ。
自室に戻ってすぐに目を冷やした。せっかくの大きな目だ、腫れぼったくなるなんて絶対嫌。明後日の夜会に参加するからエスコートを頼む旨皇子様に連絡してもらう。夜会当日に着るドレスも仮面もレヴィ兄が用意してあるから、あとで届けられる。あたし好みだといいんだけど。
「リリアン様、そんなに泣き腫らされるなんて王太子様に何を言われたのですか?私王太子様には憧れてましたけど、ちょっと幻滅しそうです。」
「ありがとうベル。お兄様は何も悪くないよ?これからも憧れてあげてね。」
優しいねぇベル。この子は明後日連れて行かない。どんな理由で遠ざけようかな。エリンちゃんも連れて行けないな。夜会にはサーシャだけ連れていく。
もう一回寝るからとサーシャと寝室に引っ込んだ。小声でさっきのこと、これからあたしがしようとしてることを伝える。
「リリー様は王女の身分を捨てる、ということですか?」
「うん。それが一時的なものか永久なのかは分かんないけど。周りの情勢次第で変わりそうじゃない。でね、サーシャには城にいて欲しいんだ。」
「嫌です!」
予想通りサーシャはあたしについて来たがる。けど、一人で姿を隠すのと目立つナイスバディ美女と一緒に姿を隠すのじゃ、後者のがバレるよねぇ?精々長くて一月の話だ。ずっと離れてる訳じゃない。そう説明しても過保護なサーシャの反応はよろしくない。
「お願いサーシャ。それにサーシャにはあたしが消えたあとの城の噂も仕入れて欲しいの。あたしは絶対サーシャのもとに戻るから。」
目を見て手を握ってお願いした。サーシャもあたしのお願いごとには弱い。リリーの分もあたしを甘やかそうとしてくれる。
「…わかり、ました。けれど直接会えなくとも文でのやり取りは許されますよね?」
「うん。念のためどこか経由する形をとるかもしれないけど、ちゃんと返事する。」
「あの方はリリー様に協力するでしょうか…。彼にとってもかなり危ない橋を渡ることになるかと思いますが。」
「あたしね、とっておきの条件を思い付いたの。あとは賭けるだけ。」
あたしギャンブルって大好き。失うのかそれとも得るのか、結果が分かるまでのドキドキがたまらない。恋愛のドキドキの方が好きだけどー。サーシャに今夜のヘンリーとの逢瀬を伝えてあたしはベッドに横になった。
「俺はついて行きますからね。」
ここにも過保護がいた。ヘンリーには全て話した。国王の裏切りもあたしが消えることも全部。あたし別にアベル君にもレヴィ兄にも誰にも言わないって言ってないし。あたし基本口軽いしー?
「だーめ。ヘンリーもサーシャと一緒、普段通りの生活を送って。」
あたしがそう言えばヘンリーは捨てられた子犬みたいな顔をする。そんな表情は卑怯だ。言うこときいちゃいそうになる。もう話はおしまいと口を塞いだ。けど、息をつく間にヘンリーはまたしゃべる。
「…首座総司教様は随分な美形でしたね。」
「なあに。ヘンリー嫉妬してるの?」
「…してますよ。する資格なんてないってわかっていても、あなたが男性と二人きりだったんですから。」
可愛い可愛い可愛い可愛いいぃー!ヘンリーの柔らかい濃い茶髪をぐしゃぐしゃかき混ぜる。
「あたし、ヘンリーが一番好きだよ。」
「今のところは、でしょ。」
バレてるし。けど、本当にヘンリーが好き。彼の前では素でいられるもん。ヘンリーはあたしに何も求めず、そして惜しみなく心をくれる。それがとても心地よい。卑怯なあたしは返事をしないでまた口を塞ぐことにした。




