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リリーは理不尽に脅すことに、した

 アベル君は身体に力が入らないようで、立ち上がろうとしてフラつきソファに深く倒れこんだ。耐えるように足に置かれた手を握り込んでいる。どんどん息が荒くなってるし、薄めのサファイヤのような瞳は色を濃くし、潤んできた。普段はサラサラ流れる金髪が額に張り付き、こめかみを汗がつうと滑り落ちた。…この薬ちょっと強力すぎない?大丈夫?縛る必要ないよね。よし、ヘンリーに使うのは可哀想だからやめておこう。


「…なんのためにこんな事をっ」


「アベルがあたしの質問に答えたくなるように、かな。あなたの主人はレヴィエルお兄様だよね。どうしてアリアンナと皇子を結婚させたがってるの。」


「…なんのことか、判りかねます。」


「アベルは強情だねー?」


「こんなことしても、無駄ですよっ」


「アベルが正直に教えてくれたら薬消し、飲ませたげるよ?辛いでしょう?」


 唇を噛み締め首を左右に振ってアベル君は抵抗の意を表す。まぁ簡単には吐かないとは思ってたけどさ。あたしだってこんな強引なことしたくないんだよ?じっくり口説いて落としたかったんだよ?


 けどさ、正直今のあたしは危うい立場だと思うんだ。イケメンと自分を天秤にかけたら、自分をとるに決まってるじゃんね?


 アベル君に嫌われるのは辛いけど、仕方ない。カップをことりと置いて、ソファに近づいた。金のブレードで縁取られた白の近衛騎士服って、本当に素敵。詰襟のそれを上から順に途中までボタンを外していく。中に着たシャツも同様に外す。アベル君は何をされるかわかってないようで混乱しているみたい。


 ショールを外し、サーシャに手伝ってもらって乱暴に背中のボタンを引きちぎって肩を露わにした。結ってもらった髪は手でぐしゃぐしゃに崩す。これで、らしく見える。サーシャには呼ぶまで寝室に控えてもらうことにした。ごめん、見られてるのはちょっと恥ずかしいんだもん。えーと交渉の基本ってなんだったかな。理不尽に脅してから優しくだったっけ。


「一体なにをするつもりですか…!肌をお隠しください!」


「ねえ、あたしが叫び声をあげたら、どうなるかな。興奮した男と無理強いされた女に見えちゃうと思わない?」


 アベル君はこれでもかと目を見開いてあたしを凝視してくる。お口もぽかんと開いて可愛い。


「…まさか、そんな馬鹿げたこと、周囲が信じるわけが、ない。」


「一途に皇子を慕っている王女と、女を渡り歩く騎士の言うことだよ?まあ最悪他の人が信じなくてもいいんだ。国王さえ信じれば。アリアンナと皇子を引き離したい国王なら、あたしという存在を手放さないでしょ?彼なら、緘口令を敷いた上でグルーブリーブに罰を与えると思わない?」


「あなたは、悪魔かっ!王女のくせになんてことを考えてるんですか!」


「誰があたしを悪魔にしたと思ってるの?あたしを駒のように使おうとしてるあなたたちでしょ。宰相は任を解かれるかもしれないね。」


 薬のせいで、多分アベル君は頭がよく回ってないんだと思う。それでも必死に逃れる方法を考えてるのか、目が揺らめいてる。アベル君の上半身をソファに倒して、太ももに跨った。あたしを引き剥がそうとする腕は弱々しい。


「…上から退いて下さい!私は女に組み敷かれる趣味はないっ」


「落ち着いて、アベル。レヴィエルお兄様は国のためだって言ってた。あたしだって王女だ。国のためなら皇子への恋心なんて捨てる覚悟は出来てるんだよ。お願い、理由を教えて?納得さえすれば絶対に協力する。」


「…あなたが信用できるなんて、保証はないでしょう。というか、こんな事をする王女なんて私は、信用出来ません。」


 ひどいなぁ。悲しいなぁ。その通りだけど。まだ冷静な思考ができるんだね。


「…じゃああたしの身体を担保にするよ。傷物になれば私は皇子と結婚できない、でしょう?レヴィエルお兄様もそれを望んでるよね?そしたら信じてくれる?」


 アベル君の唇から顎へと、コクリと上下する喉仏から鎖骨へとつうと指を這わせる。


「…何を言って…まともな結婚も出来なくなりますよ。というか!どこでそんな触り方を覚えてきたんですか王女ともあろう者が!」


「それがあたしの覚悟だって受け取って?結婚出来なくなってもいい。こんなことして、本当にごめんなさい。あたしのこと軽蔑するよね。許して貰えなくてもいい。でも、スーリュアのためにあたしも何が出来るか自分で考えたいの。お願い、アベル。」


 じぃと近距離でお互い見つめ合った。アベル君は苦しげに息をしながらもあたしを探るように試すように。あたしはアベル君に懇願するように縋るように。


「むちゃくちゃなお姫様ですね、本当に…。」


 先に大きなため息をついて降参したのはアベル君だった。あたしの後頭部に大きな手を回してぐっと引き寄せ、そのまま剥き出しの肩に噛み付かれた。けど、すぐに正気に戻ったのか突き離された。痛いんだけど。


「はぁっ。さっきまで良いようにされた仕返しです、よ。…理性がまだ働くうちにさっさと薬消しを渡してください。…あなたの覚悟は分かりました。ちゃんと話しますから。」


 …嘘はついてないみたい。しぶしぶ緑色の液体を渡した。もうちょっと色気むんむんのアベル君を堪能したかったのに。アベル君はそれを一気に呷った。苦かったのか顔を思いっきり顰めている。


 しばらくして薬が効いて息が落ち着いた様子のアベル君が床に落ちてたショールを拾った。あたしの肩にそれを巻きつけてきつく結ばれる。紅茶を勧めたけど断られた。果実水も勧めてみたけど断られた。悲しい。


「それで、あなたの主人はレヴィエルお兄様?」


「…そのとおりです。」


「宰相も一緒になってあなたたちは何をしようとしてるの。」


「殿下はガルディクス皇子との婚約がなんのためのものかお分かりですよね。」


 もちろん分かってる。帝国の長年の頭痛の種、メガン王国に対抗するためのものだ。あたしとの正式な婚約と同時に軍事同盟に調印することになっている。あたしは頷いた。


「…陛下はベルベガルド帝国を裏切り、メガン王国に通じ共に帝国に侵攻するつもりでいます。」


 驚愕で心臓が高鳴った。じゃあなんのためにあたしと皇子は婚約するんだ。疑問が顔に出てたのかアベル君が続けた。


「殿下との婚約も同盟も帝国の油断を誘うためのものです。恐らく、婚約後から婚姻までの一年間の間に宣戦布告なしに行動を起こすつもりでしょう。」


「…そう、あたしと皇子が婚約しても無意味なのはわかった。けど、アリアンナと皇子を結婚させようとするのはどうして?」


「帝国の隙を突いてもメガンと手を結んでも戦になればスーリュアも無事ではすまないでしょう。…正直、勝算だって怪しいものです。情報を得たレヴィエル様は何度も考え直すよう諫言したけれど、陛下は聞き入れませんでした。けれどアリアンナ殿下だったら、彼女ならば陛下を思いとどまらせることが出来るのではと考えたのです。彼女が帝国に嫁ぐならば、陛下はきっと翻意しメガンと手を切るでしょう。レヴィエル様にとっても、これは苦肉の策なのです。」


 確かにアリアンナちゃんのためなら国王はそうするだろう。あの人は国とアリアンナちゃんならアリアンナちゃんを取りかねない。そして色んなことが腑に落ちた。アリアンナちゃんと皇子様を祝福する噂は、きっとレヴィ兄たちが故意に流したものだ。あたしが皇子に仮病で会わないのを国王に隠したのもレヴィ兄たち。もしかしたらアリアンナちゃんを唆したりもしてるかもしれない。


「いつから国王はメガンと通じてたの?スーリュアは国土は広くなくても安定した統治の国でしょ。どんな利益があるの?」


「陛下が何を考えてるのかはわかりません。ただ、レヴィエル様が陛下の意向を掴んだのは半年ほど前です。陛下は秘密裏に、それこそ上層の一部のものしか知らないでしょう。」


 帝国から同盟の打診があったのは一年とちょっと前だ。その前からメガンと通じてたのか、その後から裏切ったのか。


「国王にアリアンナと皇子の婚姻を認めさせるのは難しいんじゃない?」


「ええ。レヴィエル様がアリアンナ殿下のためにと陛下に進言しましたが、色よい返事は頂けなかったようです。婚約の儀まで日もありません。正直、焦っております。」


 アベル君は深く息を吐き出した。だからレヴィ兄はあたしに直接接触してきたのか。例えば婚約の儀の前にあたしが姿を消して、二人に既成事実でも作らせれば国王も認めざるを得ないだろうからね。


「レヴィエルお兄様はあたしに何をさせる気なの。」


「…王妃様の母国、アルバニア公国へ身を隠して頂きたいと思っています。」


 あたし、結構気の長いほうだと思う。狙ってた男を横からポッと出のぶりっこに盗られた時だって愚痴は言ってもそこまで怒ってなかった。けど、今腹の底に行き場のない怒りがぐるぐるしてる。


「そう。わかった。…今日のことはどこまで報告するの?」


「薬を盛られたという不甲斐ないところは隠したいですね、それ以外は報告しますよ。多分、盛大にお怒りを買うかと思いますが…。」


 アベル君が苦笑して言った。お綺麗な顔も今は憎らしく見えてくる。


「じゃあ、レヴィエルお兄様の意向通りあたしは動くって伝えて。国のためだものね。」


 あたしが微笑みを乗せて言えば、アベル君は心底ホッとしたような顔を見せた。恭しくあたしの手をとり綺麗に染めた指先に口付ける。


「…殿下の決断に感謝致します。」


「あたし感謝されるようなことしてないよ。…ねえアベル、あたしみたいないらない王女でも最後には役に立つんだね。」


「え?」


「国王にも兄にも仮初の婚約者にも愛されない王女でもいなくなる事で役立つなら、それであたし嬉しい。」


 泣かないよ。あたしは無理矢理嬉しそうに笑った。健気に見えるでしょ?気丈そうでしょ?アベル君は痛々しいものを見るように、憐れみを込めてあたしを見下ろした。触れてた指先に力が込められた。


 アベル君の家庭事情って、王家とちょっと似てるよね?アリアンナちゃんみたいな立場にいるアベル君、宰相さんみたいな立場にいるあたし。異母兄に罪悪感と引け目を感じる優しいあなたなら、あたしに同情するって思ってた。その同情心、絡め取ってあげる。


「ご自分を卑下なさらないでください。あなたの決断でこの国は救われます。レヴィエル様だってきっと喜びます。」


「…アベルは?あなたも喜んでくれる?」


「…勿論です。もう殿下に隠し事はありません。あなたの騎士としてお守りいたします。」


「本当に?あたし主失格なことばかりしたのに。アベルを脅したり酷いことしたのに。自業自得なのに嫌われたと思うと怖かった…。謝っても許されないことだけど、ごめんなさい。」


「…確かに滅多にない経験でした。身体もまだ少し辛いですしね。けれど私も殿下に誠心誠意仕えてたとは言えなかったんですから、おあいこだという事にしませんか?」


 …フェミニストのアベル君、君ちょっとチョロいんじゃない?


「…ありがとうアベル。ねえ、あたしちゃんと約束通り消えるから。だから、今だけ抱きしめてもらえない…?」


 アベル君の腕に手をそっと乗せて、不安げに見上げた。迷いが見て取れる。もう一押し必要かな。


「…アベルには馬鹿なあたしのこと覚えていてもらいたい。忘れられるのは、寂しい。」


 何度か躊躇ってから、アベル君はそっとあたしの腰に手を回した。優しい抱擁だ。固い胸に頬を寄せると、遠慮がちに乱れた髪を梳くように頭を撫でられた。あたしもアベル君の背中に手を回す。ゆっくりと抱き寄せる腕に力が込められた。


 窓越しに小さく鐘の音がするまで静かに抱擁は続いた。


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