リリーは一服盛ることに、した
「リリー様!王太子殿下からお花が届きましたよ!」
エリンちゃんが腕に抱えていたのは見事なカトレアだった。濃い桃色の花弁はフリルのように波打って、中心は誘うような鮮やかな紅色だ。こういう艶やかな花があたしは大好きだ。
鼻を寄せると濃厚な甘さの中にもピリっとした南国を思わせるエキゾチックな香りがした。レヴィ兄はなかなか趣味がよろしいようで。駒のご機嫌とりか、それとも妹に歩み寄ろうとしているのか。
切子細工のガラス瓶に活けて貰い、飾り棚の上に置いてもらった。部屋が明るくなった感じがして、気分も上がる。誰が贈っても花に罪はないもんねー。百合の花は別だけど。
侍医の軟膏が良かったのか、あたしの頬の赤みは消えてる。少し腫れてるくらいかな。うん、まだ腫れてるし今夜の舞踏会もキャンセルだ。あたしの新しい女官選びも気になるし、サーシャに女官長を呼んできてもらう事にした。
「新しい侍女?」
お昼前にやって来た姿勢のいい女官長は二人の女性を連れていた。ケイトと紹介されたひとりはとても背の高い30代くらいの赤毛の女性。黒の女官服に身を包んだ彼女があたしの新しい女官さんだ。選別にもっと時間がかかるもんだと思ってたけど、時期が時期だけに急いだのかな。意思の強そうな目元にはやる気が見られる気がする。期待期待。
「はい。リリアン殿下におかれましては今後参加される催し物が更に増えることでしょう。侍女が二人というのもご不便をかけるかと思いますので、更に一人お側に控えさせて頂きたく。ベル、殿下にご挨拶なさい。」
「リリアン殿下、お初にお目見えいたします。ゴートニア男爵家が三女ベルと申します。先日まで修道院にて行儀見習いをしておりました。至らぬ点も多々あるかと存じますが精一杯仕えさせて頂きます。」
首元まで詰まった侍女服を優雅に摘み膝を曲げたベルを観察する。オリーブブラウンっていうのかな。緑がかった髪は纏められててもくるくる跳ねている。あたしよりも身長はあるけど、タレ眉とタレ目がとっても可愛い。小動物系のエリンちゃんとはまた違った癒し系の可愛さだ。正直、側に置きたい。癒されたい。
「丁寧にありがとう、ベル。でも今特に人手が足りないって思ったことはないの。女官長、ベルはお母様かアリアンナの元へ行かせるのはどう?」
この可愛い子は欲しいけど、今はあまり側に人を置きたくない。また王都にも行きたいし、ヘンリーとの逢瀬だってある。危険は冒したくないなぁ。
「王妃様もアリアンナ殿下も人員は充分に足りてございます。このものは護身術も心得ておりますので、殿下のお力に添えることでしょう。」
あたしのために選んだってことかー。固辞して変に勘ぐられたくないし、仕方ない、かな。
「そう、じゃあよろしくねベル。」
「はい、ありがとうございます。お側に侍られて光栄でございます!」
ベルの仕事はエリンちゃんについて覚えてもらうことになった。後輩ができてエリンちゃんがちょっと誇らしそう。可愛い。二人は連れ立って厨房へあたしのお昼を用意しに出掛けた。
「リリアン殿下、今朝方殿下に届いた文にございます。」
ケイトさんが教会の天秤の封蝋がされた手紙を差し出す。夜会の招待状とかは女官がそのまま開けて処理する。封蝋が押されたこれは、あたしへの私信だ。ケイトさんには今日の皇子様への断りの連絡をお願いして下がってもらった。
サーシャがペーパーナイフで丁寧に開けて、あたしに中身を渡した。待ち人からの手紙は簡素だった。明日、午前に首座総司教は礼拝堂で直々に聖書朗読を行うそうだ。その後の謁見の申込だ。場所は告解室。…格子越しにしか顔見れないじゃん…。
しぶしぶ了承の返事を書いてサーシャに渡す。首座総司教はお忙しいんだもんね、仕方ないよね。くそう、暗い告解室じゃあたしの魅力を振り撒けないじゃんか。…ポールにチューベローズを用意して貰おう。花言葉は危険な悦楽。香りで惑わしてやる。
ワゴンとともに戻ってきた二人が食事を配膳してく。今日のお昼はフカヒレスープだ。東部の漁村の郷土食のような扱いだったらしいんだけど、料理長に手に入れてもらった。コラーゲンたっぷりだ。海洋性コラーゲンが一番吸収が良いからかなりの頻度で作ってもらってる。美味しい。
ベルは初めて見る料理らしくて目を丸くしてた。行儀が悪いのは承知で一口あーんしてあげた。
「不思議な食感ですね…。リリアン殿下はどちらでこの珍しい料理を知ったのですか?」
「ないしょー。ふふ。」
食後のコーヒーを飲んでると、母の侍女がやってきた。アフタヌーンティーを正殿の中庭でするから体調がよければ参加しないかというものだった。断る理由もないし、了解した。
昼寝後に母の侍女さんが迎えにきた。残念ながら今日の騎士はヘンリーじゃなかった。やっぱり専任騎士じゃないと、側に侍る頻度は低い。一昨日のやり取りでアベル君の態度が変わるかななんて思ったけど、彼はいつも通りあたしに優しげに微笑んで礼をした。
案内された東屋には母と同年代の貴婦人がいた。彼女は確かチャーチ公爵夫人マチルダだ。凡庸王女の頭の中にも一応高位貴族当主とその夫人の顔と名前は入っている。…一部おぼろげにだけど。
「お母様、お招きありがとうございます。マチルダ様、お久しぶりにございます。相変わらず麗しくていらっしゃいますね。」
「まあリリアン様、本当にお綺麗になって!さぁさぁもっとお顔をよく見せてくださいまし。」
コロコロ笑う夫人は薔薇のように艶やかな美熟女だ。年齢を感じさせないたっぷりのストロベリーブロンドを上品に結い上げている。彼女はお母様のお茶飲み友達のようだ。
「でしょう!マチルダにもぜひ会って欲しかったから呼んだのよ。存分に娘自慢をさせてちょうだい。」
「お母様ったら。そんな風に言われたら面映ゆくておしゃべりできなくなってしまいます。」
「謙虚なところも可愛くていらっしゃるのね!先日の当家の夜会ではお会いできなくて残念でしたわ。」
チャーチ公爵家の夜会は初日にドタキャンしたやつだ。あたしの仮病は母も夫人も承知の上だろう。けど、そこは知らんぷりするのが貴族のマナー。それに夫人の言葉からは嫌味を感じない。母の友人だし、あたしに同情的な立場なのかな?
テーブルにはフルーツ盛り盛りタルトが並べられている。侍女が手際よく切り分けてサーブしてくれた。夫人は主にあたしの変身について聞きたいようで、話は美容談義で盛り上がった。
「リリアン様、あちらに控えているのはグルーブリーブ家の次男坊ではなくて?噂には聞いていたけれど、御母堂に似て美しく目の保養になりますわねぇ。」
アベル君含む騎士たちはこちらに背を向けて東屋を囲むように離れて立っている。こちらの会話は聞こえない距離だけど、夫人はアベル君を見ながら内緒話のように扇子で口元を隠して話しかけてきた。
「騎士アベルの母君、ですか?幾分世事に疎くて存じませんわ。どんな方でしたの?」
「有名な歌姫でしたのよ。グルーブリーブ前侯爵がパトロンになるまで、多くの殿方から求愛されていてね。」
歌姫って言えば聞こえは良いけど、この世界では要は歌の上手い高級娼婦だ。名前を売って貴族の愛人になるのが殆ど。サーシャはアベル君が庶子だと言ってた。まぁ、よくある話だ。
夫人は話を続ける。前侯爵がどれほど歌姫を寵愛したか、歳を経てから授かった歌姫に瓜二つのアベル君をどれほど溺愛したか。そして、アベル君がそんな異母兄に対して罪悪感を抱いて早々に家を出て騎士見習いになったこと。なるほどよくある話で、そしてとても身近な話だ。
「そう言えばリリー、マダム・ピートーのことはもう聞いた?」
女性のおしゃべりっていうのは話がいろんな方向に飛んでっちゃうもの。母が突然切り出した。
「マダム・ピートーがどうかされたのですか?」
「なんでもガルディクス皇子に不敬を働いたとかで、華離宮に拘束されたのですって。リリーの衣装は既に届けられているけれど、なんだかケチがついちゃった気分だわ。今回はもう仕方ないにしても次からは使わないことにするわ。」
…もしかしなくても、あたしが原因かな。聞かなかったことにしよう。ちょっと皇子様、ちょー怖いんだけど。
専任騎士の仕事は基本夜二つめの鐘までだ。そのあとは夜番の騎士たちが交替で守衛を務める。夕食後、あたしはアベル君を自室に招いた。初日で疲れてるだろうからとベルは早々に下がらせて、エリンちゃんも用があれば呼ぶからと下がらせた。
アベル君の口を割りたい。けど彼は騎士だ。一筋縄じゃいかない。今日の夫人の話からして、アベル君の弱点は異母兄の宰相さんだ。本当、実りあるお茶会だった。
「サーシャのお茶はとても美味しいの。アベルも気に入ってもらえると嬉しいんだけど。」
対面で用意されたカップにサーシャが手描きの意匠が美しいポットからお茶を注ぐ。伸ばされた指がゆっくりとカップを持つ。男の人の指ってエロいよね。特にアベル君の指は細いんだけど節はしっかりしてて色気を感じさせる。寄せられたあまり赤味のない唇も舐めて噛んで血色を良くしてあげたくなっちゃう。
「…甘いですね。でも、とても美味しいです。」
はい、嘘だねー。微かに眉を顰めた様子からアベル君は甘いものはお気に召さないようだ。あたしも紅茶に口付ける。うん、あたしのはぜーんぜん甘くない。サーシャ、良くやった。
「そう言えば、国王の執務室でアベルのお兄様を見たよ。あまり似てないね?」
「兄は父の前侯爵に似て、私は母に似ましたから。」
「グルーブリーブ宰相は30代の後半くらい?その年で宰相だなんて優秀なんだね?」
「今年で36になります。殿下にそう言って頂けて、弟として光栄です。」
ふんわり笑みがこぼれる。どうやらアベル君は宰相さんのこと、罪悪感やら引け目だけじゃなくて好きなようだ。宰相さんがアベル君をどう思ってるのかは知らないけど。
「アベルはお兄様を尊敬してるんだね。…じゃあお兄様のためにもグルーブリーブの名を貶めるようなことは出来ないよねぇ?」
「…勿論です。」
途端に警戒した目付きになって、失礼にならない程度にあたしを見据えてくる。よく見れば額に薄っすら汗をかいてるようだ。熱そうだね?
カシャンと軽い音とともにアベル君の指からカップが滑り落ちた。アベル君自身、自分の粗相に驚いたのか呆然としてる。そんな表情も可愛いなぁ。…もう効いてきたんだね。何かに気付いたのかハッとした様子でアベル君があたしを見る。
「…紅茶に毒を?」
毒なんて入れる訳ないじゃん。この世からこんなイケメンを消すなんてあたし、そんな罰当たりなことしないよ。これは、可愛いヘンリー用に調達したやつだ。
「アベルに良いこと教えてあげる。紅茶、甘かったでしょ?古今東西媚薬ってね、とってもあまーい味なんだよ?」