リリーはお肌の敵を許さ、ない
たっぷりと朝寝坊してからブランチをとってると、マーサがやって来た。着替えずにガウンのまま食事をとるあたしのしどけない姿に眉を寄せてる。
「国王陛下のお呼びにございます。」
一部の隙もなく女官服に身を包むマーサはとても有能に見える。不快感をすぐに顔に出すところとか、主人の機嫌を伺わないところとか無能だとあたしは思ってるけど。
「準備してから向かいます。もう下がっていいよ。」
「同席するよう賜っております。」
ふん。ブランチを切り上げて簡素なドレスに着替えてから向かうことにした。国王に会うのはかなり久しぶりだ。いい話なわけ無いよねー。
サーシャにエリン、イーサンとモブ騎士君そのなんとかとマーサを引き連れて正殿の国王の執務室に向かう。アベル君の報告が入って、それでお怒りを買ったのかな。国王の執務室なんてあたし、初めて入るんだけど。
正殿の3階奥の執務室前には近衛騎士が控えていた。マーサが来訪を告げると、中に伝えに行く。暫くしてから入室が許可されたのはマーサとあたしの二人だけだった。完全アウェイの孤立無援だ。
「お呼びにより参上仕りました、陛下。」
頭を下げてドレスを摘み礼をとった。父親との対面がこんな他人行儀なんて、悲しいよね。
「面をあげよ。」
視線だけで飾り気の少ない、実用的な広い執務室の中を確認した。あたしに面をあげよなんて言った国王は大きな卓の上に広げられた書類から顔を上げていなくて、こっちを見ていない。
後ろに書類を捲る侍従が控えていて、側にある国王の執務卓よりも小さな卓にはいい感じに年を重ねた感じの良さそうな男性が座っていた。彼は多分アベル君の異母兄、グルーブリーブ宰相だ。静かにこちらを見据えていた。
「そなた、ガルディクス皇子との夜会に参加していないそうだな。」
「体調を崩しまして、暫く伏せっておりました。」
やっとちらりとこちらを見てそう言った。白いものが混じった濃い金髪が揺れる。
「今夜から以後は必ず参加するように。女官には既に皇子に連絡を入れさせてある。最近随分と身なりに気を配っているようだが、その調子で既成事実でもなんでも作って皇子を捕まえておけ。」
こ、これが娘に言うことなの。りんのパパなんてあたしに彼氏がいるって知っただけで卒倒するようなお茶目さんだったのに。仮病だけどさ、あたしの体調を気遣う言葉もないじゃん。
「…わたくしがガルディクス皇子の側に侍ればアリアンナが悲しむかと存じますが。」
アリアンナちゃんの名前を出して、やっと国王は動かしてた手をとめて顔を上げてあたしを正面から見た。
「私は、皇子を、アリアンナから引き離せと言っているんだ。」
「でしたらアリアンナに早々に婚姻を結ばせては如何でしょう。…彼女に他のものと、既成事実を作らせては?」
地雷を踏んだな、とは思った。けどさムカつくじゃん。あたしはあたしを愛してない人の言いなりになんてやりたくないもん。国王はガタンと立ち上がってあたしに近付いてから頬を叩いた。
体力作りする前のあたしならよろけて地面に突っ伏したかもしれない。覚悟して足を踏み締めてたから、そんな無様な姿晒さなくて済んだけど。頬が熱をもってじんじん痺れが広がってく。そっと手を当てて冷やした。
「…あら。こんな顔ではとても人前には出れなくなってしまいましたわね。どうやら今夜もお断りをすることになるようですわ。皇子には二転三転して申し訳ございませんが。」
くすりと笑って更に挑発してやった。
「…お前は皇子を好いてるのではなかったか。」
「もちろんお慕いしておりますわ。」
顔とキステクは。というより、ただあなたの思うままに行動するのが嫌だからだけどー。
「…もういい。下がれ。腫れが引いたら我儘は許さんからな。」
言われなくても下がりますよーだ。早く冷やしたいしね。口の中は切ってないみたいで良かった。宰相さんからの憐れみの視線を感じながら、あたしはさっさと下がった。
あたしの赤く腫れた頬を見て、サーシャとエリンちゃんがぎょっとした。あたしは今まで良くも悪くも国王にとっては空気だったから、手をあげられたのは初めてだ。頬は痛いけど、あの男から感情を引きずり出せてちょっと歪んだ優越感を感じる。ふふん。
エリンちゃんに氷嚢で頬を冷やしてもらってると、ぜんっぜんあたしを心配してるようには見えないマーサが言った。
「国王陛下の意に逆らわれるのは得策ではないかと存じます。」
「もういいから下がって。」
「リリアン殿下、最近の浪費といい一体どうなされたのですか。殿下らしくございません!」
…何を言ってるの、この女。あたしらしくない?あたしらしいって何よ。リリーみたいに、空気のように存在して誰にも迷惑をかけずにいろってこと?権利も何も主張せずに与えられるものだけ受け取って、奪われるものは声も上げずに奪われろってこと?
それでそれで、もう一度死ねって言ってんの?八つ当たり入ってるって分かってる。だって、あたし王女だもん。八つ当たりしてもいいよねぇ?
「あたしは下がりなさいって言ったの。誰が意見を述べろって言ったの?…ああ、そう、そんなに言いたいなら言わせてあげる。どうぞ?」
マーサは自分が有能だって自負があるんだろう。あたしを見くびってるのか知らないけど、どうやらここで引く気はないようだ。引けばいいのにねぇ。
「…まだ4月にもかかわらず殿下は既に年間予算の7割を使っております。」
「予算超過してないんだからいいじゃない。お金は使わないと民に回らないよね?王族は今までずーと御用達商人にお金を使ってきた。それって、もとは国民の税だったものを一部に下げ渡してるようなものじゃない。あたしは御用達商人を使わずに、平民に近い立場の人たちにお金を使っています。むしろ経済に貢献してるって言ってほしいね。」
「…そんなのは詭弁です!あなたは義務も果たさずに王族の特権を享受されています!恥を知るべきだわ!」
本当に、プライドだけ高い女というのは可哀想だ。恋のライバルで一番チョロかったタイプだ。自分の意見が絶対だと思っている。受け入れられないことが受け入れられない。マーサ、興奮した頭であたしの身分、忘れちゃったの?
「…サーシャ。」
あたしが振り向かずに呼べば、サーシャは扉を開けて護衛騎士を中に入れた。ツーカーの仲って便利だよねぇ。
「この者を捕らえなさい。あたしに対する不敬罪。典範の通り罰して。」
モブ騎士君とイーサンはあたしとマーサを交互に見てから、彼女の両腕を拘束した。
「で、殿下は言いたければ言えと仰いました!約束を反故されるおつもりで!?」
「あたしは言いたければ言わせてあげるとは言ったけれど、不敬に問わないとは言ってないよ。ねぇサーシャ、エリン?」
「り、リリー様のおっしゃる通りでございます。」
「あなたは王族に恥を知れと言ったのよ、マーサ。たかが女官が随分思い上がったわね。」
「そ、そんな、私は殿下を諌めただけです!そんなつもりじゃ…!」
「だーかーらー、なんの権利があってあなたはあたしを諌めるの。何様のつもりでいるの。あたしを侮る陰口がいっぱいあるのは知ってるよ?マーサ、陰口は所詮陰口。本人に言ったらダメだから陰で言うんだよ?本人に言っちゃうのはね、それは馬鹿って言うんだよ?」
追い打ちで煽ってみたらマーサは顔を真っ赤にして駄目押ししてくれた。馬鹿って本当に馬鹿だ。
「あ、あなたなんて、へ、陛下の御子でもないくせに!」
これにはイーサンがすぐに動いてマーサの口をハンカチで塞いだ。モブ騎士君にマーサを連行するよう指示する。牢獄は内壁と外壁の間の塔にある。精々そこまで引き摺られて見せ物になればー?
あたしはあたしを好きじゃない人に周りにいて欲しくなんてないの。ストレスたまっちゃうじゃん。お肌に悪影響じゃん。