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リリーは未来を悲観し、ない

 「リリー様はいつも花の香りがします。誘ってるみたいに香ってくる。」


 ベッドに横たわったあたしの足の爪を染めながらヘンリーが言った。あたしは香水は使わない。変わりにポールが毎日届けてくれる花の香りを衣装に移しているのだ。ヘンリーの剣を握るのに慣れた無骨な指に爪染め用の小さな筆が似合わなくて、なんか退廃的だなぁとゾクゾクする。


「誘ってるんだよ?ヘンリー、嫌?」


 ヘンリーは苦笑しながらゆるゆる首を振った。あの日あたしの最期を迎えるはずだった侘しく汚かった隠し部屋は、変わった。サーシャに整えてもらったのだ。ちょっと色っぽい香を焚きしめたし、ベッドは小さいままだけど清潔な絹のシーツが肌に心地よいし、上等な羽毛がぎゅうぎゅうに詰め込まれたクッションは柔らかくあたしの背を包んでくれる。


 この小さいベッドが好きだ。ヘンリーと隙間なく抱き合える。彼は全て承知なのかあたしの純潔を散らすようなことは求めない。それに、もう跡を残したりもしない。本当に可愛い愛人だ。


 今日サーシャからヘンリーが自主的に貴族籍から離れたことを聞いた。彼はもうヘンリー=フルールじゃない。あたしとの関係で、家族に類を及ばせないための予防策だろう。あたしは彼に書類上とはいえ、家族との縁を切らせてしまったのだ。


 だから、ヘンリーあなたはあたしが大事にしてあげる。失ったもの以上のものを与えてあげる。このあたしが可愛い愛人に犠牲を払わせっぱなしなんてこと、したら女が廃るよね。彼の手を引っ張ってあたしから口付けを強請った。気持ちいい。下唇をはむはむしてみる。気持ちいい。


 あなたにこれを教えた男を殺してやりたいってヘンリーは言うから教えてあげた。あなたが初めての相手だって。一瞬固まったのち息も苦しいくらい激しく口付けられる。あたしを強く抱きしめて小さく、くそって悪態をついた。かんわいいいいいいいっ!


「今夜の夜会も欠席してよかったんですか?今夜は確か…サールトン侯爵家の夜会でしたね。」


 体調不良を理由に夜会をサボり始めてから今夜でもう3日になる。毎日白百合が届けられてる。にも関わらずあたしはきゃっきゃはしゃぎながら庭や図書館に出没してる。王城ではなく、王都北の華離宮に滞在してる皇子様の耳にも既にあたしの仮病の噂は届いているだろう。ヘンリーはあたしの立場が悪くなることを心配してくれてるようだ。別にあたし、考え無しに行動してるわけじゃない。ただ今回のことで、ちょっと確かめたいことが出来たのだ。


「皇子様があたしに直接会いに来たら参加するよー。いつになったら来てくれるのかな。」


「リリー様は、まだ、ガルディクス皇子をお慕いしてるのですか。」


 あたしによく似た茶色い瞳が揺らめく。違うよ、ヘンリー。あたし皇子様が来ないことに拗ねてるわけじゃないよ。


「あなたの方がずっと好き。」


 だから安心してよ。今はヘンリーが一番好きなんだから。


「ヘンリー、明日は非番なんでしょ。あたし、街に行きたいの。ヘンリーとお忍びデートしたい。」


「それは…。警護上の問題があるんじゃ」


「王族秘伝の抜け道その1を使えばあたしこっそり抜け出せると思う。ヘンリーはあたしを守りきる自信、ないの?」


 挑発的に見遣ると、ヘンリーはぐうっと唸った。童顔お兄さんは負けず嫌いだったりする。結局王都中心部の時計塔に正午待ち合わせをする事にした。彼はあたしのおねだりには逆らえないのだ。可愛い。


 卓の鈴がリィンと鳴った。サーシャからのタイムアウトの合図。甘い逢瀬はここでお仕舞い。床に落ちた夜着を着せてもらって二人で手を繋ぎながら階段を登った。


 本棚から出て、頬に別れのキスをしてからあたしは浴室に向かう。ヘンリーは待ち構えたサーシャとともに応接室から出て行く。二人きりになっていないアピールだ。


 この逢瀬を隠すために、あたしは夜自室の応接間で労いとしてモブ騎士君たちをお茶に招いたりした。カモフラージュのためとは言え彼らから聞く話は興味深い。有望株の騎士が誰かとか、誰と誰は親戚だとか誰々はあたしを崇拝してるとか、ね。


 なんとヘンリーは第三隊で三番手につく剣の遣い手らしい。あの童顔でとビックリしたけど、童顔だからこそ舐められないように努力したのかもね。


 白い湯気がふわふわ浮かぶ湯にワイアットさんから買った膨らまし粉の原料、重曹とグラスに入ったレモン果汁を入れる。小さくしゅわしゅわ音がしてパチパチ泡が立つ。炭酸風呂が出来た。



 肌に無数に気泡がつく。肩まで浸かって天井を見上げて物思いにふけった。今日も皇子様は来なかった。何か嫌な予感がする。しかも特大なやつだ。


 あたしは帝国と王国を結ぶ橋になる大切な政略の駒だ。さすがにこんな何度も夜会をすっぽかしたら皇子様だって危機感を感じるはずだ。なのに本人が来ることはない。なぜ、皇子様はここまであたしを蔑ろにするんだろ。


 橋は強固であればあるほど都合がいい。婚約披露後一年の婚姻準備期間を経て、あたしは帝国に嫁ぐ予定だ。今はメガンの横入りが出来ないほどに、同盟は揺るぎないものだと対外的に印象付けなきゃいけない大切な時期だ。婚約披露にはメガンの使者も祝いにやって来る。いや、常識的に考えてとっくに王都入りして諜報活動とかしてるよね。


 皇子様はそんなにお馬鹿だったかな。アリアンナちゃんとの恋にトチ狂っちゃった?お顔だけじゃなくて頭も優秀って噂はデマだった?記憶の皇子様を探る。どちらかと言えば常に油断ならないような、計算を張り巡らせてる腹黒さんの目をしてた、と思う。あたしへの態度には必ず理由があるはず。それを確かめたくて、ドタキャンを繰り返した。結果はご覧の通り。


 つまりだ。あたしはもしかしたら彼の行動が示す通り、大切な政略の駒じゃなくて、蔑ろにしてもいい存在になっちゃうのかもしれない。近い将来に。


 お気軽王女のセレブリティ生活も長く続かずに終わっちゃうかもな。そんな予感がする。今のうちにもっと堪能せねば。ぶくぶく。


 サーシャに就寝準備して貰いベッドに入った。明日、お忍びデートをすることを伝えるとすごーく嫌そうな顔をされた。けどこれはただのデートじゃない、絶対に必要なお出かけだと説明した。あたしが頑として折れないのを悟ったのか渋々了解してくれた。


 お忍びに必要な小道具の用意と、エリンちゃんに明日1日臨時休暇って名目で遠ざけとくことをお願いして、サーシャは下がった。独り寝のベッドから窓の外を見上げる。


 今日は半月、ここから下弦に欠けていく月にちょっと寂しさを感じた。

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