7.不法侵入者
黒を基調とした服に金色の線が数本。主の良さをさらに引き立てるであろう、上品な仕上がりの制服を手に取りそっとため息をついたのはセルジュだ。ルークやセルジュが懸念していた通り光属性を持つフィルは「機関」に目をつけられた。さらに後日、国王が神童について大々的に発表したため機関はなんとしてでもフィルを手に入れようとしているらしい。こうして制服を送ってくるほどに。しかしいつどこで採寸をはかったのか。自分が通っていたころから機関の謎は深い。機関の方針に反発しようとした者は直ちに消されるという噂は有名だ。実際に大通りのあるパン屋が、ある日忽然と消えたことがある。最初からそこになにもなかったかのように建物も跡も何もかもなくなっていたこと、消える少し前に機関の者に土地を明け渡すように言われていたものの口論になっていたことなどから、そのような噂が広まったのだ。
そんな機関は制服を送ってくるほど我が主が欲しいらしい。制服を送るというのは特待生として入学させてやるよ、という意味だ。たとえどんなに貧乏でも戦う力が抜きんでている者は特待生となることがあるし、逆に一国をの王子であっても才能がなければ特待生にはなれない。
「面倒だな…」
ぽつりと漏れた声にはっとする。制服を丁寧に畳んで置くと、送られてきた箱の底に白い封筒が落ちているのに気が付いた。手に取り裏面を見ると差出人はやはり機関だ。自分も入学前に制服が届いたが手紙なんて入っていなかった。そこまでしてフィルを取り込みたいのか。
チッと舌打ちしたい気持ちを抑えながら破らないように封を切る。手紙の内容は要約するとこうだ。
“女神の儀お疲れさま。君を学園に招待するよ。ぜひ入学を!もし断ったらマーティン家が危ないかもね?あと使いの者を送るからそれまでに出発の準備はしといてね!“
「失礼にもほどがある…」
マーティン家を脅迫するなんて、よっぽど機関の連中はこちらを敵に回したいらしい。ルークとソフィがいる時点で小国を一つ潰すことなんて容易いのだ。それに機関を主席で卒業したエリート中のエリート、セルジュもいる。あまり知られてはいないが執事長のジョセフは偵察に優れている。誰も知らないはずの国の情報をルークに淡々と報告する彼にはいつも背筋が寒くなる。絶対に敵に回してはいけない人だ。
そんな者たちが揃うマーティン家に挑発するような手紙を送ってくるのは何も考えてないか、はたまた別の意図があるのか。
今考えても仕方ないと思い手紙を懐へ入れると主のもとへ向かうため部屋を出た。
フィルは部屋で勉強…ではなくリアム宛に手紙を書いていた。パーティーで少し仲良くなりどうしてもこのまま疎遠になるのが嫌だと思ったリアムが(フィルの勝手な解釈)文通しようと言ってきたのだ。おそらく王子という立場上、友人なんて作る機会そうそうないのだろう。レターセットもプレゼントされたので書かないわけにはいかず、現在返事を書いている。手が小さいせいで上手くペンを握れず字が悲惨だ。それでも最近まともになってきたと思っている。お世辞かもしれないがセルジュに褒められたのだ。何気に嬉しい。
一文字一文字バランスを意識しながら書いていると、急に後ろの首が冷たくなった。はっとして手を止める。後ろを向くこともできず手紙に視線を向けたまま固まる。
「動くなよ」
低い男の声がした。声はするのに、男がそこにいるとわかっているのにいまだに気配がしない。完全に気配を消して男はフィルの後ろ首にナイフをあてている。
「天才で、神童と名付けられた少年はただの貴族の坊ちゃんか。ハッ、バカバカしい。機関はこんなガキに何を執着しているんだか」
悔しいが体を動かすどころか声さえ出せないフィルには反論できない。今はどうやったら生き延びれるのか必死に考えていた。そして一つの可能性に気づく。
「…僕を殺そうとはしてない、ですよね」
「あん?」
必死に振り絞って出した声は若干震えていたが気にしない。それよりも不機嫌そうに返事をした男が怖すぎる。
フィルは一つ一つ情報を整理して考えながら、慎重に言葉を選ぶ。
「だって、あなたが僕を殺そうとするなら話しかける前に殺せばよかった」
フィルはナイフを首にあてられて初めて気づいたのだから。
「それにさっさと殺すなら首の後ろじゃなくて頚動脈、でしょう?」
一瞬無言になり首から冷たいものが離されるのを感じた。同時に後ろに人がいる気配が感じられる。とりあえず危機は脱したようだと胸をなで下ろし、ぎぎぎと首を動かす。後ろにいたのは服も、髪も、瞳もすべてが真っ黒の男だった。男はナイフをくるくるとまわしながらにやりと口の端を上げる。
「ふぅん。戦闘に関しちゃただのガキだが頭の回転は悪くねぇ」
「はあ」
男は足音を立てずに歩くとそのままフィルの向かいの席へ座った。いちいち偉そうな態度だが音が全くしないのはかなりのやり手なのだろう。男はフィルの手元にある書き途中の手紙をパシッと奪った。
「文通、ねぇ。へったくそな字」
自覚はある。あるからこそ偉そうな目の前の男にムカつく。眉間にしわが寄っていることも、頬がぷくっと膨らんでいることにも気づかず口を開く。
「誰ですか」
「愛想のねぇガキ……まあいいや。俺はノア。ノア様と呼べ」
一瞬でフィルは理解した。自分はこの男とは合わない。高確率でフィルの怒りを逆なでするようなことしか言わない目の前の男のいうことなんか聞いてやるもんか。珍しく気持ちを表に出しながら黙っているとノアが指をくいっと曲げて早く言えと促してくる。またナイフを向けられてはたまらないのでとりあえず口を開く。
「………ノア、さん」
「…しょうがねぇな」
許してやると言いながら手紙を投げる。床にひらひらと落ちていった。乱暴な男だ。それに不躾だ。じろじろとフィルを嘗め回すように見てくる。その黒い瞳はなんだか恐ろしく感じた。
「なるほど、確かにあの二人のガキだわ。魔力はすげぇ。しかも光属性か…こりゃあ荒れるな。チッ…面倒くせぇ」
お前が現れたことのほうが面倒くせぇだよ、と心の中で毒づいているとノアが急に立ち上がった。しかし音はしない。ふわっと起こった風に意識を取られた一瞬のうちに、ノアは窓の縁に足をかけていた。
「言っとくが俺は機関の人間じゃねぇ。だがまたすぐお前とは会うことになるだろうな。それまでにちったあ笑い方でも教えてもらえ、ガキ」
ひらりと飛び降り窓から消えたと思ったら反対からコンコン、とノックの音がした。返事をすると扉が開きセルジュが入ってくる。セルジュはフィル、床に投げられた書きかけの手紙、開いている窓を順にみて首をかしげた。
「暑かったでしょうか?気が利かず申し訳ありません。ああ、お手紙が風で飛んでしまったのですね。少々お待ちください」
貴族というのは床に落ちたものを拾ってはいけない。前世の癖が抜けないフィルは日頃しつこくセルジュに言われていることだった。あの男は自分の痕跡を残さぬよう、自然な部屋の状態を作って去っていったのだ。やはりただの嫌味な男ではない。
セルジュが紅茶をいれているのを見ながら先ほどの出来事を伝えた方がよいか考える。本当なら不法侵入ということですぐに言った方がいいだろう。だがノアという男には不思議と脅威を感じなかった。嫌な奴ではあるけれども。そんな彼がセルジュに自分の存在を気づかせたくなかったのなら、自分も黙っていよう。そう考えた。まあ本音はあの男のことで悩むなんて不快だというだけなのだが。
「お待たせいたしました。本日はフィル様お気に入りのジョルジです」
「…?」
たしかにセルジュの入れる紅茶で一番好きなのはジョルジだ。幼い舌に甘味がちょうどよいのだ。だが、それをセルジュに言ったことがあっただろうか。
「ふふ。5年もおそばにいるのです。主の好みくらいわかって当然です」
頬が熱を持ったのがわかった。満足げに言うセルジュに、少しの恥ずかさと嬉しい気持ちを抱きながらノアのことをすっかり忘れ、フィルは慣れ親しんだ紅茶を楽しんだ。