6.たまには拗ねてもいいよね
きらびやかな衣装を身につけ、下品にならない程度に飾り付けられた装飾品を揺らしながらフィルは側近のセルジュとともに廊下を歩いていた。後ろから無言の圧力を感じながらフィルは振り返ることもできず、表情を消している。
自分が時期領主の立場であることを理解していながら、無断で部屋を出て勝手に城を徘徊していたのだから自分に非があることはわかっている。だが、少しくらい子供らしいことをしてもよいと思うのだ。普段勉強しかしていないのだから。
少しの不満を抱きながら歩いていると、前の扉が開かれた。父、ルークが出てくる。
「おやフィル。何かあったのかい?」
さすが父というべきか。フィルのまとう雰囲気がいつもと違うことにすぐ気がついたようだ。フィルは無言のままかすかに首を横に振る。
ルークはキラキラした洋服が汚れることも気にせずフィルを抱き上げた。
「今から国王様とそのご家族と一緒にパーティーなんだ。フィルは初めてだから緊張するかもしれないけど、国王様は優しいから楽しむといいよ」
「…はい」
息子が不機嫌なのをわかっていながらルークは髪を撫でつけ、上機嫌に言う。なんだか拗ねているのが恥ずかしくなってフィルは素直に返事をした。
「そういえばソフィはまだかい?そろそろ時間なんだけど…」
「ルーク様。ソフィ様はすでにお部屋を出られたと」
親子の戯れの邪魔にならないようにと横で控えていたセルジュが淡々と言う。
「そうだったのか。じゃあ早く向かうとしよう。女性を待たせるわけにはいかないからね」
ルークは、フィルが少し身をよじるがそれに気づかないふりをして抱っこしたまま歩き出した。
少し歩いているとソフィの上機嫌な声が聞こえた。誰かと話しているようだ。壁の陰になっていて相手が見えない。それよりも母ソフィの美しさにフィルは見とれてしまった。
うっすらとピンクがかったレースのついたドレス。ところどころキラキラして見えるのは宝石だろうか。いやそれよりも、普段研究熱心な母は前世でいう白衣のようなものを着ていることが多い。そうでなくても動きやすいようにとおよそ貴族の女性とは思えない服を着ている。そのためドレスで着飾った母を見て、その美しさにフィルは驚いたのだ。ルークは見慣れているようでそのままスタスタと足を進めた。
「やあソフィ、早かったんだね」
「ルーク、遅かったじゃない。待ちきれなくて来ちゃったわ。久しぶりにリーネに会えて思わず立ち話しちゃった」
うふふと笑いながらリーネと呼ばれた女性を前に出す。紅の長い髪、金色の瞳を持つ美しい女性だ。肌はまるで透けるように白く、育ちの良さがわかる。彼女は一歩前に出るとルークとフィルににっこり笑い、スカートの裾を持ち上げてゆっくりと頭を下げた。
「お久しぶりですわ、ルーク先輩。そして初めましてフィル殿。わたくしはリーネ・アシュリーと申します。ヘンリーの妻でございます」
「こちらこそ、お久しぶりです。リーネ様。本日はこのようなパーティーを開いてくださり、感謝します。それから…先輩はおやめください」
ルークが挨拶を終えたころを見計らって、フィルはもぞもぞ動いた。おりたいという意思表示である。それに気づき今度はすぐにおろしてくれた。
「フィル・マーティンです。マーティン家の長男でございます。本日はよろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げるフィルに、リーネは驚いて口に手を当てたがすぐににっこりとほほ笑んだ。
「まあ、噂には聞いておりましたがフィル殿はとても賢いのですね。これはヘンリーがしつこくお会いしたいと言っていたのも納得ですわ。今晩はパーティーといっても身内のもの。マーティン家の皆さま、身分関係なく、友人として接していただけると嬉しいですわ」
リーネは全体を見渡してそう言う。ソフィがもちろん、とうなずいた。
「リーネは私の親友だもの。ほかのうるさい貴族がいないんだから、ルークもそう堅苦しくしては駄目よ。フィルが怖がってしまうわ。それに、あなたがそんなんだとほかの方たちも思う存分楽しめないもの」
ほかの方たち、というのは使用人だ。ソフィの言葉にルークはうっと詰まり、しぶしぶといったようにうなずいた。
「ふふ、ルーク先輩は相変わらずソフィに尻に敷かれているのですね。このやりとりも懐かしいですわ」
言葉通り嬉しそうに笑うリーネの後ろから、突然男の声がした。国王、ヘンリーだ。
「まったくそろいもそろって何をしている。立ち話なんぞ、中に入ってからでいいだろう」
少し不機嫌に見えるのは気のせいだろうか。いや、不機嫌だ。隣には先ほど部屋を抜け出したときに会った王子、アシュリーがヘンリーの裾を持って立っている。アシュリーはフィルに気づくとあっと声を上げた。フィルも目線を合わせ、普段あまり変えない表情を少し変えた。といっても両親とセルジュでも少しいつもと違うな、ぐらいにしかわからないが。
「とりあえず、中へ入ろう」
その言葉とともに国王から順に部屋に入っていき、身内だけの小さな、けれど豪華なパーティーが始まった。
フィル様は大変可愛らしいお方だ。天使だと言われても疑わないほどに可愛く、きれいでどことなく神秘的な雰囲気を持っている。また、今回の女神の儀で「神童」名をもらい、その存在は本当に遠くなってしまった。そんな彼は今まで一度も屋敷の外に出たことがなかった。だから彼が部屋から忽然といなくなったとき、これは誘拐だと確信した。
「セルジュ様、勝手に城内を散策するのは失礼にあたります。城の警備に捜索の要請を出しましょう」
セルジュの右腕といってもよい少年がそう告げる。
「わかった、そうしよう。私も探しに出る」
「はい」
少年と別れ廊下を歩く。静かな廊下では、緊張から自分の心臓がどくどくと脈打っているのがわかってしまう。セルジュは小さく舌打ちした。普段の紳士的な彼からは考えられない。いや、マーティン家に仕える前まで騎士団にいた彼の周りには、乱暴者も多かった。もちろん、騎士団というのは国が執り行う祭典などの警備もするため、ただの乱暴者ではないのだが、やはり腕っぷしが強いやつらが多いので争い事になるのも日常茶飯事であった。そんな中で揉まれたセルジュも例外ではなく、勝負、決闘と称して喧嘩することは当たり前だ。今は主であるフィルにふさわしい側近になるように努めているが、ふとした拍子に、例えば今回のように周りに誰もいなくて感情が高ぶっているときなどは、乱暴者の血が騒ぎだす。
「どこのどいつだ…」
自分の主を攫ったやつは。
声に出てしまった続きを必死で飲み込み、廊下を歩き続ける。すると柱の陰から見覚えのある男が出てきた。
「ですから、もし部屋を抜け出して何かあったらどうするのです!いくら城の中とはいえ、絶対安全とは限らないんですよ!」
「わかってる!次からはきをつけるさ!」
「前もそういってました。僕はもう騙されませんよ、王子」
男は幼い子供と言い合っている。王子と言っているからおそらく第一王子だろう。セルジュは手を胸にあて、頭を垂れた。城では身分の低いものがしなければならない礼儀だ。男と第一王子が横を通り過ぎようとしたとき、ふと知った香りに気づきちらっと目線だけ上げた。相手はこちらを見ていたのか、たまたまなのかわからないが男と目が合う。二人の目が驚きに開かれた。
「セルジュ?」
「ソウジ?」
思わず互いの名を呼んでしまう。セルジュは王子がいたのを思い出し、すぐに頭を下げなおした。
「そーじの知り合いか?」
「はい。古い友人でございます」
ソウジとは機関で知り合った。入学試験の座学で満点を叩き出したセルジュとは別に、ソウジは技能で周りを圧倒したのだ。機関では成績でクラスが決められるため必然的に二人は同じクラスに入り、勉強することとなった。そして何かあるたびに教師たちが二人を組ませたがったので、気づけばいつも一緒にいることが多かった。気が合ったのも理由の一つだ。機関卒業後、ソウジは王城に、セルジュは騎士団に勤めることになった。その後セルジュはマーティン家に仕えるためルークに引き抜かれたのだが、そういえばソウジには伝えていなかったなと今さら思い出す。
ソウジは騎士団の制服でないセルジュに眉をひそめている。
「セルジュ、どうしてこんなところに…まさか、騎士団を追い出されたのか!?」
ソウジは昔のセルジュを知っている。座学はトップのセルジュだったが、いかんせん、性格は荒くれ者のようであった。だから騎士団を追い出されたのではと心配したのだ。
「いや、マーティン家の当主様に拾われ、今は長男の側近をしている。お前も王子の警護とは、随分と出世したな」
そういいながらも頭の中ではフィルのことでいっぱいだ。だから多少目つきが悪いのも、声が低いのも許してほしい。
「ああ…うん?長男というと、フィル殿か。先ほど会ったぞ。天使のようにお可愛らしい方だなあ。リアム様とは大違いだ」
「うん。フィルはかわいかった」
「え?」
リアムが拗ねるかと思い言ったのだが、彼からは素直な言葉しか返ってこなかった。王子はにこにこ笑っていて、機嫌がいい。拍子抜けだ。そして直後、肩にきた衝撃に驚いた。
「フィル様を見たのか!どこで!いつ!?」
普段イケメンですまし顔をしているセルジュが、鬼のような血相でソウジに掴みかかってくる。ソウジは慌てて言った。
「な、中庭だ!ついさっきのことだから、おそらくまだいる!」
「ありがとう!」
そういうと、何か言っているソウジに気づかぬふりをして王子に一礼し、中庭への道を急いだ。
中庭に佇んでいたフィルは、まるで神から召された天使のようだ。主人の神々しさにぼうっとなるも、すぐにセルジュははっとする。いけない、なぜ部屋を抜け出したのか聞かねば。
「フィル様!こちらにおられましたか。お部屋を出るときは私か警護の者に一言声をかけてください!」
きつい口調になったのに気づき心を落ち着かせる。
「どうして突然お部屋を出たのですか?誰かについてくるように言われましたか?」
幼いフィルを騙し、よからぬことを考えるどこかの誰かが部屋から連れ出したのかと思ったが、そうではないらしい。主人はふわふわの銀髪を揺らしながら小さく首を振った。誘拐ではないのなら安心だ。だが、幼い主人にはこれを機に伝えなければならないことがある。
「そうですか。…フィル様、マーティン家のお屋敷は危険なことはありません。しかし、ここは王城。人の出入りが激しいのです。悪い者が入ってきて、フィル様を危ない目にあわせようとする輩もおります。どうか、私たちマーティン家の者がいないところでの行動はお控えください」
5歳には難しかっただろうか。もう少しかみ砕いた方がいいだろうか。そう思ったが自分の主人は天才だ。おそらく、自分が説明した以上のことを理解しているだろう。フィルを見ると、表情は変わらなくともしっかりと頷いている。しかしどこか、かすかにしかわからないが、フィルのまとう空気がいつもと違うことに気づく。
「フィル様、お疲れですか?パーティーの前に少しお休みになられますか?」
エメラルドの瞳がじっと見上げてくる。しばし見つめ合ったまま無言という奇妙な状況が続いたが、フィルはふぃっと目をそらし、「ううん」と言うと歩き出した。
セルジュは主の行動の意味がわからず、自分の未熟さを噛みしめながらそのあとをついていくことしかできなかった。
その後、屋敷に戻ったセルジュが執事長であり師匠でもあるジョセフに、フィルの行動の意味を問うと呆れられてしまった。
「それは当たり前だろう。フィル坊ちゃんはたった5歳なんだ。外に出てみたい、知らない世界を見てみたいと思うのは当然じゃないか。ルーク様は気づいていたようだぞ。初めてフィル坊ちゃんが拗ねているところをみたと喜んでおられた」
主人は拗ねていたのか。天才で、どことなく神秘的な彼をどこか普通の子供とは違うと考えていた。だが、自分が5歳のときは何をしていたか。楽しく外で遊んで日々を過ごしていたように思う。
「勉強ばかりはやめよう……」
もっと外に連れ出したり、庭でボール投げや鬼ごっこなど子供らしいことを一緒にやろうと誓うセルジュであった。