4.国王、そして女神
案内された部屋…というか建物は、フィルの知る協会に、限りなくよく似ていた。違うところといえば3段の段差の上にある祭壇に、不思議な模様が描かれていることだ。ほかには特に変わったところはない。だがその不思議な模様を見たとたん、フィルは自分の体がぶるっと震えたのを感じた。思わず近くにいたセルジュの袖を掴み、無表情ながら耐えていると若い男の声がした。
「ようこそ参った、マーティン一家」
「本日はお招きいただき光栄にございます。国王様自らわが息子、フィルの女神の儀を執り行っていただくことになりましてまことに…」
マーティン一家は片膝をつき頭をたれ、ルークが挨拶をする。が、国王は呆れたように首を振った。
「やめようやめよう。ルーク、私たちは旧友の仲じゃないか。今日は国王という立場を忘れ、女神の儀を執り行う司祭として来ているんだ」
金色の長髪をなびかせながら国王はばちっとウインクをかました。フィルは思う。前世にこんな奴がいたらナルシストだと後ろ指を指されるだろうと。だがここは異世界だ。そして現に彼は皆から尊敬される国王であり、民から慕われる王である。
マーティン一家は立ち上がり、ルークも笑顔を見せた。
「では、本日はヘンリー様と友として接することにします。息子のフィル・マーティンです」
ルークに優しく背中を押され、あいさつするように促された。握っていたことも忘れていたセルジュの袖を離しながら、一歩前に出て国王と対面する。
一言でいうと、美しい。男らしくきりっとした顔立ちで、ルークと同じぐらいの背丈であるものの、むさくるしいという思いを抱かせない、そんな男である。そして何よりも国王の印象を決定づけているのはその暗い瞳だ。こちらではめずらしい(と思われる。フィルは家族以外知らない)漆黒の瞳が、5歳のフィルを容赦なく見定めている。フィルは表情に出さないように極力つとめながら、先ほどのように膝をつき頭を垂れた。
「マーティン家の長男、フィル・マーティンと申します。本日は女神の儀を国王様に執り行っていただけるということで、大変うれしく思います」
すらすらと言葉を口にしたフィルに、国王・ヘンリーは表情には出さないものの驚いていた。まだたった5歳の子供が、こうまで言葉を自在に操るのか。いや、自分の息子は先日6歳になったばかりだが、まだまだお転婆だ。肝は据わっているがここまで知性は感じられない。ということはやはりルークの息子、フィルは噂に聞くように天才なのだろう。
一人納得しながら顔を上げるように言う。言われたとおり顔をあげ、立ち上がるのを確認すると国王はにやりと笑った。
「これはルークが外に出したくないというのもわかるな。まるで天使のようだ」
フィルにとって天使は言われ慣れた言葉だ。生まれたときからセルジュに言われ続けているのだ。慣れないわけがない。マーティン家もフィル以外は満足そうに頷いている。
「それではさっそくだが、儀を行うことにしよう。フィルよ、こちらに参れ」
「はい」
返事はしたものの、フィルの心は不安でいっぱいだった。こちらと言って国王が指さしたのは、先ほど体が震えた不思議な模様の上だったからだ。一瞬足を止めたフィルの不安に気づき、ソフィが手招きした。近寄ると頬を包まれむにむにされる。
「大丈夫よ、フィル。あの模様の中では女神さまとお話ができるの。それは一生に一度と決まっている、女神の儀でしかできないこと。フィルの正直な気持ちを女神さまに伝えてきなさい」
こくりとうなずいて、今度こそフィルは模様の上へ立った。国王はすぐにこちらの言語ではない不思議な言葉を言い始めた。何を言っているのかは聞き取れない。
(うっ…ぞわぞわする!なにこれ気持ち悪いんですけど!)
足元からぞわぞわと何かが這い上がってくるイメージが駆け巡り、身震いする。なぜか国王の声が遠くなり、父と母、それからセルジュ皆が霞んでいる。
ついに国王の声が聞こえなくなり、あたりが静まり返った。同時に自分以外が光に包まれているかのように、誰もいなくなってしまった。
何もすることができずぼーっとしていると、突然目の前にぽんっと煙が上がりその中から幼女が現れた。
「え、誰よ?」
フィルは同時にいろんなことに驚いた。まず自分が発したと思われる声だ。とても5歳とは思えない、声変わりを終えた青年の声である。急いで自分の体を確認すると、なんだか懐かしいような、見たことのある両手、両足があった。
「ほお、おぬしの精神はかなり成熟していると言えよう。それにしても実際と変わりすぎやせんか?あの天使がこのようになるなんぞ…」
二つ目に驚いたのはため息をついている目の前の幼女だ。幼女…であっていると思われる。髪の長さで判断した。その幼女は胸を張って話し出した。
「我は人間たちから女神と呼ばれる存在。おぬしにこの世界で生きるため、力を与えよう」
にやりと幼女、もとい女神は笑い両手を天高く突き上げる。とたん、風があたりに吹き渡った。
「……とまあ、茶番はやめよう」
女神はぱちんと指を鳴らし、フィルの目の前に胡坐をかいてどかっと座り込んだ。風はいつのまにか止んでいる。幼女のような女神はフィルと真正面から向き合い膝に手を当てる。まるでじじいのようだ。
「時間がないのじゃ。さっさと話すぞ。おぬしは我がこの世界に送り込んだ人間じゃ。おぬしの魂はもともと我に返ってくる手筈じゃった。なのにおぬしが前世であんなことをしたばっかりに、他の女神に横取りされそうになったのじゃ」
女神は不機嫌そうに膝に置いた指をトントン揺らす。
「そこで我はおぬしの魂が取られる前に、さっさと送り出すことにした。じゃが、魂の浄化に十分な時間をかけなかったせいで記憶をすべて消すことはできなかったのじゃ」
「ちょ、ちょっと待って?僕はその、よく前世を覚えていないんだけど、僕はそんなに悪いことをしたのか?どうして僕は僕自身のことさえ覚えていないんだ?」
そう、フィルは前世のことをあまり覚えていない。いや、前世で学んだ知識、習慣などは覚えているのだが、自分が誰で、どこでどんなふうに過ごしていたのか全く思い出せないのだ。今まで考えないようにしていたが、自分は前世の家族を置いてきたのだろうかと考えなかったわけではない。
しかし女神は呆れて言った。
「おぬしは阿呆か?前世の記憶すべてをもって生まれ変われば、それはそやつの足枷にしかならん。家族、友人、恋人すべて覚えていればこの世界になじむなんぞ、到底できまい」
「まあ、確かに…」
この世界でフィルは、前世の知識はあるものの、前世を思い出して悲しむことなどなかった。だからこそこの世界に馴染もうとして馴染めたのも事実だ。女神のいう通りなのかもしれない。
「時間がないといったであろう。話を続けるぞ」
「あ、はい」
フィルは姿勢を正し、女神の目を見た。
「この世界において、おぬしにはある使命がある」
「使命?」
最後まで聞けと怒られ、口を閉じる。
「この世界はあと数年のうちに、魔物の強襲によって滅んでしまうのじゃ」
女神はそれまで強気だった態度を一変し、その表情は悲しみに満ち溢れていた。この世界がお気に入りだと言っていたのは本当なのだ。
「魔物の強襲は止められん。じゃが、我はこの世界が滅んでしまうことがどうしても耐えられんのじゃ。魔物がいつ襲ってくるのかわかるのは“”先が視える“我のみ。じゃからおぬしには、女神の声を授かった「神童」として、我の代わりに人間らに伝えてほしいのじゃ」
「えっと、つまり…僕に預言者てきなものをやれと?」
フィルが恐る恐る聞くと、女神はぷるぷるのほっぺをにんまりさせて満足そうに頷いた。
「もちろん、それだけではないぞ。おぬしには人間らが魔法という、才能とやらをやろう。魔力はぴかいちじゃ!」
幼女がぴょんぴょん跳ねながらはしゃぐ姿はなんとも可愛らしいものである。フィルは違う方向へ行きそうな思考をなんとかとどめながら、女神に聞いた。
「僕は将来父上のあとを継がなきゃならないんだけど、預言者になってもそれはできるの?」
「預言者じゃなくて神童なのじゃ。もちろんできるぞ。そうじゃ、魔力は何がよいかの?おぬしには厄介ごとを押し付けることになるのじゃ。少しくらい融通してやるぞ」
そういわれ、しばし考える。フィルは前世の記憶から、こういった異世界トリップものの小説を一時期読み漁っていた気がする。その中で主人公たちは強力な魔法を武器に魔王と戦っていたのだが…いかんせん、フィルは臆病であった。
「僕はほら、治癒魔法みたいな、後方支援系の魔法がいいな。前線に出なくてすむようなやつ」
前線に出て魔物と対峙するなんて、怖い。怖すぎる。魔物がどんなものなのかはわからないが、フィルにはおそらく自分には耐えられないだろうと早々に結論付け女神にそう伝えた。
「ふむ。わかったのじゃ。何かあったときのために人間を守れるよう、光の魔力を存分に流し込んでやろう。どうやらこの世界でおぬしは天才と崇められておるようじゃ。それに光の魔力を持っているとなれば神童と言われてもだれも疑うまい。おっと、そろそろ時間かのう」
女神がそう言ったとたん、急に光だけだった空間が歪み、徐々に両親やセルジュの姿、そして国王の声が聞こえ始めた。
「よいかフィル。おぬしは今後、しばらく我とこうやって会うことはできん。じゃが我の声はおぬしに届く。その声を皆に伝えるのじゃ。まず一つ目の言伝……おぬしには近々、弟ができるぞい!!」
最後にそう言い残し、女神はばちんという音とともに消え去った。それと入れ替わるようにして周囲の音や色が鮮明に見えてくる。両親が心配そうに駆け寄ってくるのが見えた。どうしたのだろうと自分を見てみると、尻をついて座り込んでいるのが目に入る。だが力が入らぬまま、フィルは近寄ってくる二人にこう言った。
「父上、母上。もうすぐ僕に、弟ができるそうです」
二人のぽかんとした顔を見て、フィルはこてんと首を傾げた。