3.初めての外出
さて、フィルは馬車に乗り、緊張しながら窓の外を眺めていた。
先日5歳を迎えたフィルは、以前からセルジュに教わっていた「女神の儀」を行うためとある施設に向かっていた。この歳になるまで外に出たことがなく、馬車に乗るのも初めてだ。異世界に転生して初めての外ということで、緊張しないわけがない。
(いくら貴族の息子でもちょっと過保護すぎやしないか?このままヒッキーまっしぐらかと思ってたよ…)
最近はずっとセルジュとの勉強ばかりだった。セルジュの教え方はわかりやすく、フィルも楽しんではいるのだがやはり机の上での勉強は飽きる。それでも自分がマーティン家の長男だとわかり、将来は跡を継がなければならないと認識してから柔らかい頭をフル回転させて必死に勉強してきた。その甲斐あってか、少し前からセルジュが庭で剣術を教えてくれるようになった。ようやく長男としての自覚があると認められたのだろうとフィルは思っている。
実際は5歳にして農業、商業、漁業など領地の状況を把握し、何が足りないのか明確に答えを出し、解決策を見出してしてしまった(本人はわかっていない)フィルは、マーティン家だけでなくマーティン領の民から天才と崇められているのだが、外に出たことがないフィルにはわかるはずもない。
「フィル様、お疲れではございませんか?」
「うん、大丈夫」
セルジュが心配そうに声をかけてくる。初めての外出でいろいろと気を使ってくれているのがわかり、少し申し訳なく思う。
「フィルは本当にかわいい子。天使だわ。ねえ、ルーク」
「そうだねソフィ。私だって女神の儀のときは緊張してご飯ものどを通らなかったっていうのに、フィルは落ち着いているね」
ルークが頭をよしよしと撫でてくる。緩む頬をどうにか抑えながらフィルは言う。
「緊張してます…」
「あら、本当に?そうね、女神の儀は一生を決めるとも言われる儀式だもの。緊張するのも無理ないわ。でも、フィルはきっと大丈夫。だって私たちの子なんですもの!」
ソフィはエメラルドの瞳をキラキラさせながらルークに同意を求める。ルークも深くうなずいた。
「フィル、適度な緊張はいいことだ。けれど、国王様はとてもお優しい方だから何も心配しなくていい」
そう。今フィルたちが向かっているのは、国王の城、つまり王城なのだ。ことの発端は、国王の一言だった。
「ルークとソフィの子か。私もぜひ会いたいな。そうだ、女神の儀ならば私も執り行えるから王城に招待しよう」
ということらしい。女神の儀には特殊な魔力と道具が必要になるようで、幸か不幸か国王は女神の儀を執り行うことができる。そしてフィルの両親と現国王は学生時代互いに切磋琢磨し合った同級生だということで、友人である二人の息子に会いたいと国王が駄々をこねたらしいのだ(父上談)。
「まったく、国王様にも困ったものだ。この歳になってまで我儘を押しとおすとは…変わっていないな、はは」
文句を言いながらもルークは嬉しそうだ。ソフィもうなずいている。実際に女神の儀で何をするのかはわからないが、二人がリラックスしているのをみてフィルの肩の力も自然と抜けていた。
(父上と母上がいるんだから、何とかなるだろ!うん、大丈夫。セルジュもいるし)
フィルにとってセルジュは「尊敬する兄ちゃん」だ。本人には恥ずかしくて言えないが、生まれてから今まで一緒にいた時間が一番長いのはセルジュだし、この世界のことを教えてくれたのもセルジュなのだ。信頼しないわけがない。実際の年齢はわからないが、頼りになるのは事実だからそこは問題ではない。
小さな段差でもガタガタと揺れる馬車に、いよいよフィルのお尻が悲鳴を上げだしたころセルジュが声を上げた。
「王城です」
馬車がゆっくりと停止し、セルジュが窓から検問員と言葉を交わす。その脇からひょっこり顔を覗かせ外を見ると、たしかに立派な城が存在を放っていた。白を基調として黒のアクセントが光り、もはやどこまで続いているのかわからないほど広大な城だ。
フィルは表情にこそ出さないが、心の中ではワクワクドキドキしながら城を眺めていた。
ふと、検問員の男性が城を見上げるフィルに気づき、にっこりほほ笑んだ。フィルは決して人見知りではない。人見知りではないが、この世界に生まれてから今まで一度も家族と屋敷の者以外と言葉を交わしたことがなかった。いや、対面したことさえなかった。だからほほ笑みを向けられたフィルが少し恥ずかしそうに馬車の中に引っ込んだのは、当然といえよう。
(このままじゃ将来友達も恋人もできない、出来損ないになってしまう!)
焦ってルークとソフィを見るが、二人とも気にした様子はない。むしろ微笑ましそうにフィルを見ていた。
(二人の考えていることがわかるぞ…このまま甘やかすつもりだな。僕は僕自身で強くならないと、二人に任せちゃ将来ニート確定だ!)
検問が終わり再び馬車が動きだした。が、すぐに城の入り口と思わしきところで停止し、4人は降りた。扉のそばに立っていた40代ぐらいの女性が迷いなく近づき、深々とお辞儀をした。
「皆さま、お待ちしておりました。女神の儀の準備は整っております。王より『休むならば部屋へ案内せよ。すぐに儀を行うならばお部屋へお通しせよ』と言付かっております。どうなさいますか?」
「ふむ。フィルがずっと緊張したままなのはかわいそうだし、先に儀を済ませてしまうとしよう」
「かしこまりました。それでは、お部屋へご案内します」
緊張を顔に出さないように気を付けながら、フィルたちは女性のあとをついていくのだった。