2.マーティン家ってすごいんだよ
2歳になったフィルは困惑していた。
赤ん坊のころはただ寝て起きてセルジュにご飯をもらい、また寝る、を繰り返していただけでよかったのだが、1歳になるちょっと前だろうか。セルジュに絵本を読んでもらっていたときにたまたま魔法属性のページがあった。そのときセルジュがメイドに呼ばれ、その場を去ってしまったので適当にページを指さしながらあうあう言っていたのだが、戻ってきたセルジュがそれを見て驚きの声を上げたのだ。
「フィル様、まさか魔法属性がわかるのですか!?」
これに驚いたフィルはおもわず涙を目いっぱいにため、それを知られないようにそっと俯いた。ただの赤ん坊ではないフィルはこれくらいのことで泣かないのだ。
だが、それからだ。セルジュが教育らしい教育をし始めたのは。
まず、今までは絵本を読むと言えば王子様とお姫様がでてくる、いわゆる架空物語の絵本だったのだが、最近は「戦い方の基本(入門編)」や「属性による魔法攻撃の違い(初級編)」など、絵はあるが絵本と呼ぶにはいささか物騒な本ばかりをセルジュは読む。
フィルにとってはこの世界を知ることができるし、セルジュは説明が上手なので楽しいといいことばかりなのだが、なにせまだ2歳である。普通の2歳がこんな物騒な本を読んでもらって喜ぶのかと思い、どう反応していいのかわからない。よっていつも表情を押し殺して大人しくセルジュの説明を聞いていた。
今日もセルジュの膝の上で、無表情のまま本を読んでもらっていたときだった。ノックなしに部屋の扉がかちゃりと開き、銀髪のイケメンが入ってきた。フィルの父・ルークである。
「やあフィル、セルジュ。久しぶりに帰ったよ」
「お帰りなさいませ、ルーク様」
セルジュはフィルを抱っこしたまま立ち上がり、ルークにフィルを渡すと深々とお辞儀をした。ルークはああ、と返事をしたが視線はフィルから外さない。
「フィル、元気だったかい?今回は長い遠征だったけれど、今日からしばらく休みがとれたんだ。たくさん遊ぼうか」
イケメンな顔をにこにこさせながらフィルの柔らかい髪をゆっくりとなでる。普段無表情なフィルだが、父や母に抱っこされたりなでられたりすると頬が自然と緩む。
(ちちうえ、いつもかっこいいなあ!)
美男子と天使が戯れるこの光景を絵に残したい、と本気で思いながら、セルジュは言った。
「ソフィ様は研究所におります。なんでも進展があったとか」
「ああ、そうか。まったく、彼女にも今日帰ると伝えておいたんだが…研究が絡んだときの彼女は止められないな」
苦笑しながら言うルークが、なんだか元気がないように見えてフィルは無意識に彼の胸に顔をすりすりした。
「ふふ、くすぐったいよフィル。ああ、可愛いなあ。どうしてこんなに可愛いんだろうね、セルジュ」
「はい、フィル様は天使でございます」
天使という言葉にぞわっとしながらも、自分の容姿を見たことがあるフィルは確かに天使に見えなくもないなと自画自賛しながら父を見上げた。
「ようし、風呂に入ろう。フィルを一緒に入れてもいいかな?」
「かしこまりました、すぐにご用意します」
「頼む」
やはり血がつながっているからだろうか、精神年齢は軽く20歳を超えているだろうというのに父がかまってくれるというのはうれしいものだ。父に抱っこしてもらいながらムフフとほほ笑むフィルであった。
フィルとルークが風呂から出ると、ルークはフィルに軽くおやつを食べさせ書類仕事に戻った。魔術師が本業ではあるが、王から一つの領地を任されている、いわば領主なのだ。魔物と戦うだけでは領主は務まらない。
セルジュはお腹が満たされ眠ってしまったフィルをそっとベッドに横たえ、軽く毛布を掛けるとルークの部屋へ向かった。
コンコン
「セルジュです」
少し待つと扉が開き、40代ぐらいの男性が中へ入るように促した。ジョセフである。見た目はダンディなこのおじさまは、このマーティン家の執事長であり、当主ルークの側近である。セルジュがマーティン家に来たときには、彼に側近とはなんたるかを叩き込まれたものだ。
部屋に入ると奥でルークが書類に目を通しているところだった。彼はセルジュに気づくと手を止め、ほほ笑んだ。
「フィルはどうだい?君から魔法の原理を理解していると聞いたときは驚いたが…」
「はい。私も驚きました。フィル様はなにもお教えしていないのに属性の関係を把握し、それぞれ有効な属性を指さしておりました」
あれは妖精の絵本を読んでいたときだった。少し目を離してしまい、慌てて戻るとまだ1歳にも満たないフィルが絵本を指さし何かを懸命に訴えていた。後ろから覗き込み、しばらく見ていると火、水、土、風と順に指さし、光と闇を何度もなぞっていた。火は水に弱く、水は土に弱く、そして土は風に弱い。それは魔法属性の基本であるが、そんなことが赤ん坊に理解できるわけない。
「フィル様、まさか魔法属性がわかるのですか!?」
思わずそう声を上げるとフィルは一瞬こちらを見たがすぐに絵本に視線を戻し、何を当たり前のことを、というように普通に絵本を読みだした。
(フィル様は天才だ……小さなころから天才と言われていた私など足元にも及ばぬ天才…!)
しかも文字を教えていないのに絵本の文字を一つ一つ追ってはページをめくっている。今まで膝に座らせて読み聞かせていたため、表情が見えなかったがもしかすると今までも自分で読めていたのかもしれない。
これを知ったセルジュはすぐにルークにこのことを伝え、ルークは「教育」を進めるように言ったのだった。
「今は魔法の使い方などを一通り説明しております。とくに嫌がる様子もありませんので理解しているのかと思われます」
「ふむ…まさかたった2歳の子供が…これは早急に機関に目をつけられるかもしれないね」
「はい」
ここでいう機関とは、ルークも通っていた魔術師教育機関である。ここでは魔法を使える者を教育する。ちなみにセルジュが通っていたのもこの機関であるが、彼は魔術クラスでなく騎士クラスだった。魔術クラスはその名の通り魔術を専門に習うクラスで、騎士クラスは剣術と魔術両方を学ぶ。どちらかというと剣術に重きを置いた教育をする。この世界での戦いは、魔術も多少使える剣士が前衛で戦い、後衛から魔術師が支援する。そういった戦術がとられている。
「まだ周知されておりませんが、おそらく5歳の女神の儀ではっきりするでしょう」
「ああ、魔力も多そうだ」
魔力が多いと基本的に体が丈夫だ。ルークは生まれて今まで一度も風邪をひいた記憶がないし、怪我をしてもせいぜい1、2日あれば完治する。フィルも2歳になるまで風邪をひかないということは、魔力が多い可能性が十分ある。
「でもフィルがどんなに天才であれ、私のかわいい息子に変わりはない」
フィルを愛おしむように遠くの見つめるルークの瞳は慈愛に満ちていた。
「セルジュ、これからもフィルを頼むよ」
「もちろんでございます」
セルジュは心の底から、そう思いながら深々とお辞儀をした。