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16.神の戯れ

 真っ白な空間がどこまでも続き、出口が見えないその場所に、3歳くらいの幼女がぺたぺたと歩いていた。幼女は地面につきそうなほどの長い金髪を引きずりながら、ふんふんと鼻歌を歌っている。周りには保護者と思わしき人はいない。だが、それは当然であった。なにせ幼女のように見える彼女は、この世というものが生まれてからずっと世界を見守ってきた女神なのだから。


「忙しい、忙しいのう」


 忙しいとは言いながらも、楽しそうにスキップし始める。ふわふわと重力を感じさせない彼女の体は気づくと宙に浮いている。

 そんな彼女は急に振り返ると、眉間にしわを寄せ頬をぷくっと膨らませた。


「我は忙しいのじゃ!」


 突如、真っ白だった空間に1人の青年が現れた。女神は青年に舌を出しべ~と言うと、腕を組んで青年と向き合った。青年はくすくすと笑い女神の頬っぺをするすると撫でる。


「やめい、我は子供じゃない!」

「僕にはどうやっても子供に見えるけどね。だいたい君のその格好、ただの趣味だろう?」


 青年の声は男とも女ともつかない、不思議な声であった。女神はむきーと両手を突き出し、怒りをあらわにする。

 青年は右手を前に出し制した。


「裏切り者が、準備を始めたようだ」


『裏切り者』。

 それは女神の世界ではすでに知れ渡っている存在。ほかの女神の元へ帰るはずであった魂を横から奪おうとし、挙句奪えずに地に落ちた女神。それが裏切り者である。

 幼女はその愛らしい顔に、苦々しい表情を浮かべた。


「あやつは馬鹿なことをした。我の魂を盗むなど、悪魔のすることよ」

「そうだね。こちらの準備は整っているんだろう?」


 女神は当然じゃ、と得意げに頷いた。


「フィルには悪いことをしたがのう、あやつはいい奴じゃ。あと少しすれば魔物に対抗できるだけの力はつけるであろう!今はまだただの子供じゃが…」


 青年が嬉しそうに手をぽん、と叩いた。


「僕、彼に会ってきたよ。精神年齢は20歳超えてるんだよね?なのに彼、ネクタイも結べてなかったんだ。いやあ、笑った笑った」


 言葉どおり上品に笑う青年に、女神は眉間にしわを寄せた。


「もしやあのときのおなご…やはりお主であったか。魂が感じられんかったからのう。おかしいと思ったんじゃ。勝手なことをするでない、お主は…」

「わかってるよ。でもたまには、抜け出してもいいじゃないか。この世界は退屈なんだ」


 青年は拗ねたように頬を膨らませた。


「可愛くないぞ」

「えー、君の真似をしてみたんだけど」


 こうするんじゃ、と言って女神は頬を膨らませてみせる。青年は微笑ましそうに笑って彼女の頬を人差し指でつついた。


「やめい、ゼウス!お主はいつも我を好き勝手に…」

「人間の世界では、僕らは夫婦らしいからね。いいんじゃないかな?」

「ここは人間界ではない!だいたい、姿が定まっていない我らに男も女もなかろう」


 幼女が本気で拗ねると面倒くさいことを知っているゼウスと呼ばれた青年は、頬から手を退けてその手をくるりと回転させた。一瞬の間のあと、目の前には美味しそうなフォンダンショコラと紅茶が置かれたテーブル、それから2つの椅子がどこからともなく現れた。女神は慣れたように椅子に座飛び乗ると、さっそく紅茶に手を出す。


「ふむ、うまい!」

「それはよかった。わざわざセルジュという人間に習ったかいがあった」


 青年も椅子を引き、座りながら紅茶に手を伸ばす。


「セルジュ?聞いたことあるような、ないような…まあよい」


 女神は今度はフォンダンショコラに手を伸ばす。中からとろりと溢れ出てきたチョコに、ふおおおお、と歓声を上げる。


「すごいのじゃ!これはフィルが食べていたフォンダンチョコラじゃ!」

「ショコラ、ね」

「どっちでもよい!」


 女神はフォンダンショコラを1口食べ、んー、んーと頬っぺに手をあてて唸っている。

 ひときしりフォンダンショコラを味わったあと、女神は紅茶をずずっと飲み青年をじとっと見た。


「お主、ずいぶんとフィルに興味があるようじゃのう?これも、これもフィルが食していたものじゃ」


 紅茶とフォンダンショコラを指差す女神に、青年は笑みをうっすらと浮かべた。


「彼の魂はとても魅力的だ。いつほかの女神が裏切り者になるのかわからないからね。僕がお近づきになることで、彼の魂に印をつけようと思ったんだ。そうすれば誰も彼に手を出せない」

「あやつの魂は我のものじゃ。たとえお主でも渡さんぞ」


 女神が、その容姿に反して低い声で威嚇する。だが青年は、ははっ、と軽くあしらった。


「そういう意味じゃないよ。ただ…全ての神の頂点である僕が目をつけてると知れば、馬鹿な真似はできないだろう?もちろん、実際に彼の魂を奪おうなんて考えてないから安心していいよ」


 女神はぷくーっと頬を膨らませる。


「我も、これでも神々の女王、ヘーラーであるぞ。それでもあやつは奪おうとした」

「うん、あれは馬鹿だったね。だけどあれのおかげで、裏切り者がどんな運命を辿るのか…ほかの神たちはよーくわかったはずさ」


 女神はそれでも青年への睨みをやめない。青年は苦笑いした。


「基本的に干渉はしない。だけど君は忙しいから、君の代わりに彼を見守ることくらいはしてもいいだろう?」

「……ふん。好きにせい」


 残りの紅茶をぐびっと飲み干すと、女神は椅子からぽんっと飛び降りた。


「お主が裏切り者にならんことを」

「もちろん」


 女神は青年に背を向けて歩き出す。右へ左へ長い金髪を揺らしながら遠ざかっていく幼女の背中を見つめながら、青年は笑みを浮かべて右手をくるりと回す。次の瞬間には、まるでそこに始めから何もなかったかのように、ただ白い空間が広がっていた。






 地に落ちた女神。それは人間たちに古くから伝わる神話である。

 天には女神たちがおり、器はひとりの女神に魂を分け与えてもらう。分け与えられた魂はやがて自我を持ち、ひとりの人間として世で人生を謳歌する。それにより魂は輝きを増し、やがて器が耐えきれず限界が訪れる。限界を超えた器の魂はその輝きのため、悪魔に狙われ始める。女神は魂を救うため、また悪魔に力を与えないために魂を手元に引き寄せ、その輝きを世界を創る源とする。こうして輝きを失った魂は再び女神の手により、器に分け与えられるのだ。



 あるところに、1人の女神がいた。彼女は魂を、器を、そしてそれらが創る世界をとても愛していた。毎日毎日、器を失って帰ってくる魂を愛おしみ、その魂が去るときには涙した。

 そんなある日、彼女は1人の男に恋をした。他よりもはるかに輝くその魂に惹き付けられ、たまらず人間になりすまし下界に降りた。


『人間よ、我はそなたに惹かれた。ぜひともその魂を頂戴したい』


 しかし人間の男は恐怖し、女神を拒絶した。

 心の底から傷ついた女神はしだいに怒り、狂っていった。


『器の分際で我を無下にした』


 狂った女神は男の器を壊し、輝く魂を手に入れようとしたが、それは神の世界において禁忌であった。

 禁忌を犯した女神は、他の神たちによって自分の元へ還るはずであった魂を全て吸収され、女神としての力を無くした。

 力を持たぬ存在はやがて狂い自我を失う。女神だったものは自我を忘れ、ただただ自分を地へ落とした神たちへの復讐のためだけに地を駆け回るのであった。



「……っていう、すごい有名な神話だよ。普通子供のころから聞かされるのに。本当に知らないのか?」


 フィルは神妙な顔をして頷いた。

 なんだか子どもに聞かせるにしては物騒な話だ。それに、どこか聞いたことがあるような話である。

 女神はフィルの魂が奪われそうになったと言っていた。


(そういうことって、よくあるんだろうか…)


「…い、おいフィル!聞いてんのか?」

「あ、うん、はい。聞いてます」


 考えごとをしているとイヴァンが不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 明日は休みということで、イヴァンの部屋にお泊まり会だ。ベッドに寝転がり、椅子にお菓子とジュースを置いている。


「フィル君、もしかして眠い?」


 もう一つの椅子に座ったアマリアがお菓子をポリポリと食べながら聞いてくる。慌てて首を横に振った。


「違います。……その女神さまはどうなったんですか?」

「地に落ちた女神さまか?うーん、たしか…」


 イヴァンは考える素振りをみせる。だが彼が答える前にお菓子を食べ終わったアマリアが横から口を開いた。


「ほかの女神さまによって消されたの」

「消された?」


 首をかしげていうと、アマリアはなんでもないことのように平然とした。


「地に落ちた女神さまは、私たちの世界に悪影響を与えだしたの。だからほかの女神さまが存在を消したのよ。そしてその女神さまというのが、神の女王、ヘーラー様ね」


 神様にも名前があるんだ、と思いながらフィルは女神の儀のことを思い返す。あの幼女はそんな大層なものじゃないだろう。特に根拠があるわけではないが、なんとなくそう思った。


(だってあんな幼女が女王なんて……うん、ないな)


「それにしても、フィルは頭いいのに変なとこ常識知らずだよなぁ」


 イヴァンがベッドから起き上がり胡坐をかいて、椅子の上のお菓子をひとつ口に放り投げた。


「そうね。大魔術師のことだって知らなかったし」

「みんなが当たり前に知ってる神話も知らない!」

「なのに授業中スペルミスしたエリー先生に気づいた。ほかの誰も気づかなかったのに」


 散々な言われようだ。だがフィル自身、自分にこの世界の常識がないことは薄々感じていた。

 赤子の頃から天才だと勘違いされたフィルは、子供の頃に(今も子供だが)絵本というものを読んでもらったことがほとんどない。変わりにこの世界の大陸がのった地図や、マーティン家領地のこれまでの経歴、11歳になると親が教えるという簡単な計算など、ありとあらゆるものは教えてもらった。変に前世の記憶があったため、とくに計算は覚えるまでもなく、セルジュには天才だなんだと褒めちぎられた覚えがある。ちなみに文字は最初読み書きができなかったが、知らないうちに覚えていた。赤ちゃんの吸収能力はすごいとしかいいようがない。まあそれも、大人の自我があるゆえのスピードなのだが。

 色々と考えを巡らせていると、イヴァンが急に大声でそういえば!と叫んだ。あからさまに嫌そうな顔をするアマリアと、驚きを表情に出さないフィル。かまわずイヴァンはフィルをびしっと指さした。


「お前、敬語はなしって約束したのに戻ってるぞ!結構前から気になってたんだ」


 じとっと睨むイヴァン。

 少し前の話になるが、普段から敬語が抜けないフィルに対して2人はやめるように提案していた。軽くいいよと返事をしたが、よく考えると今まで敬語で話すことの方が多くそれはもうフィルの癖になっていた。両親さえも、基本的に敬語で接してきたのだ。唯一フィルが普段から敬語を使わなかったのはセルジュくらいで、それも彼に敬語を使うと立場上問題になると言われたからであった。そんな経緯から、初めは敬語を使わず話していたが気がつくと自然に元に戻っていた。だがイヴァンとアマリアはそれが嫌らしく、特にイヴァンは入学当初から敬語はやめようと提案してきた。おそらく彼は弟とフィルをどこかで重ね、親近感を抱いているのだろう。


「すみません…。もう癖みたいなもので…」


 申し訳なく思い、しょんぼりして言うとアマリアがイヴァンに抗議する。


「やりたいようにやらせてあげればいいじゃない。天使は私たちのことを友人だと思ってくれている。言葉なんて関係ない」

「でも…」

「うるさい」


 なおも抗議しようとするイヴァンの頭を、アマリアはバシッと音が出るほど強く叩いた。イヴァンはそんなこと日常茶飯事であるかのように叩かれたところを撫でながらフィルを見る。


「まあ…しょうがないか」


 納得していない顔を隠そうとせずイヴァンはぷいっと顔を背けた。そのままトイレ、と言って立ち上がる。彼の背中が扉の向こうに消えると同時に、アマリアが口を開いた。


「ほんと、男って不器用。…フィル君、イヴァンにもう少し甘えてあげて」

「甘える…ですか?」


 アマリアは頷く。


「ホームシックになってるの。それで、弟君と歳が近いフィル君に安らぎを求めてるのね。ああ、ほんとに男って弱いんだから」


 呆れたように肩をすくめて言うアマリア。だが、フィルの目から見ると彼女もどこか寂しそうに映った。

 フィルは精神年齢が見た目と一致しないため今まで気づかなかったが、よく考えるとまだ皆11歳なのだ。家族と離れ離れになって寂しくないわけがない。

 フィルは2人の家族になれるはずもないが、何となく、もっとたくさん話してお互いのことを知っていこうと密かに心に決めたのだった。

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