13.初授業です
授業1日目の午前中は何事もなく過ぎていった。魔法とはなんなのか、どんなときに使うべきなのか、また絶対にやってはいけないことなど、前世でいう道徳のようなことを淡々と教師が説明するだけに終わった。担任であるはずの髭男ことエリーは、朝の出欠確認以降1度も姿を見せていない。午後からの実技を教えるのだろうか。そう考えていると、廊下がなにやらがやがやと騒がしいことに気がついた。授業が終わりアマリアとイヴァンがバタバタと席に集まってきたときだった。
「なんだか騒がしいね」
その言葉に2人は嫌な顔をした。イヴァンが口を開く。
「毎年のことらしいぜ。魔術師を見たい奴らが来るんだって。まったく、俺達は見世物じゃないってのに」
アマリアがその言葉に頷きながらフィルをじっと見つめる。また天使と言われるのだろうかと少し身構えていると彼女も口を開いた。
「今年は噂の神童がいるから、それも理由。最年少入学者かつ神童の子っていうのを見たいの」
アマリアの言う通り、ここまで見物者が多いことは無い。せいぜい廊下に数人が通りがかる振りをして見に来る程度である。それが今年は廊下から覗き込むようにして見ているあたり、よほど神童を一目見たい者が多いのだろう。また、たった5歳で入学ということもあり好奇心が湧くのも仕方が無いといえば仕方が無い。だが本人にとっては迷惑極まりないこともまた確かなのだ。
フィルはいつものように表情を崩さず2人とともに食堂へ向かった。
昼食を食べいよいよ午後からの実践が始まった。10名の魔術クラスの生徒の前には担任のエリーが、隣には30名ほどの騎士クラスの生徒とその担任の筋肉ムキムキ男が1人立っていた。騎士クラスの担任だろう。
「今からそれぞれのクラスに分かれて各々の実践練習をする。騎士クラスは俺の指示に、魔術クラスはエリー先生の指示に従え。なお、今日はまだ一緒になにかするということは無い。それぞれの分野で基礎を学んでから本格的に合同練習に移る。以上、騎士クラスは向こうに集合しろ」
「魔術クラスはこのままここで練習する。立ち上がって、円になれ」
騎士クラスはぞろぞろと移動し始め、魔術クラスはエリーの言葉に丸く円を作った。さすが10人、すぐにできる。その円の中心にエリーが立った。
エリーはぐるっと周りを見渡すと1つ頷いた。
「よし。これから魔法の使い方について説明する。まずそこのお前」
「えっと…僕、ですか?」
一人の少年が指名され、おずおずと返事をする。気の弱そうな少年だ。
「そうだお前だ。昨日の検査のときのことを思い出せ。なにか違和感を覚えなかったか?」
フィルの頭に、すぐにお腹の辺りのふわふわしたものが思い浮かんだ。居心地が良かったが、確かにあれは違和感だった。少年も気づいていたようでふわふわ…と口にする。するとエリーは満足そうに頷いた。
「昨日の、あの場所にはある結界が張られていた。それに気づいたのは今ここにいる、魔術クラスのお前らだけだ。騎士クラスの奴らはわからない。それはなぜか?俺達にはたとえ小さな魔力でも変化すれば『感覚』でわかるからだ」
エリーは右手をすっと前に出し手のひらを上に向けた。次の瞬間、ぼうっと炎が現れた。
「この炎を出した瞬間、お前達は視覚ではなく感覚で魔力の動きを感じ取ったはずだ。これは騎士クラスの奴らにはできない。そしてここからが本題だ」
右手首をくるりと回すとチラついていた炎が消えた。かわりに、辺りにそよ風が吹き始める。
「お前達が戦う魔物は、魔力の感知に長けている。お前達が魔法を使おうとすれば魔力が変化し、勘づかれるんだ。そして俺達に魔法を使わせまいと一斉に襲ってくる」
先ほどの気弱そうな少年が、その場面を想像したのかぶるっと震えた。ほかの生徒も不安そうな表情を隠せない。
「そんな俺達を守るために、あいつらがいる」
そう言って指さしたのは騎士クラスの生徒達だ。彼らは体力づくりのためか、掛け声とともに走っている。
「守ってくれるあいつらのために、俺達ができることはなんだと思う?」
エリーはアマリアに答えを促した。彼女は少し考えるそぶりを見せる。そして口を開いた。
「…できるだけ早く、魔法を使う」
「その通りだ。魔術師がまずすべきことは、一刻も早く標的を定め魔法を放つことだ。騎士の身体強化なんて後回しでいい。あいつらも多少は魔法が使えるんだから、それくらい自分でやれる。けど致命傷を負わす攻撃魔法は撃てない。だからこそ俺達は戦いが長引かないようにさっさと魔法で仕留める。ここまではわかったか?」
皆が一斉に頷いた。だが、とフィルは思う。光属性には攻撃魔法なんてあるのだろうか。今までかなりの本を読んできたつもりだが、そのどこにも光属性の攻撃魔法なんてのっていなかったように思う。
エリーが今度は右手に雷をばちばちと発生させながら話す。
「火、水、雷属性は今言った戦法が有効だ。だが例外がある。それが光と闇属性だ」
エリーの目がフィルを捉えた。そして体ごとフィルに対面するように立つ。
「光は治癒、疲労回復、身体強化などに特化している。特別な攻撃魔法は存在しない。よってお前は光属性で敵に攻撃できない」
そうでなければ困る。なんてったって、女神に頼んだのだ。直接戦わなくてすむように。自分の知識が間違っていなかったことに安堵しているとエリーがだが、と言った。
「光属性を持つ奴はなぜか必ず闇属性も扱える。理由はわかっていない。そしてフィル、お前も例外じゃなく昨日の検査で闇属性の反応が出ている」
驚きで変な声が出そうになるのを抑えながらこくりと頷いた。
「闇属性は危険だ。ほかの属性に比べて攻撃だけに特化した属性。ほかの属性が損傷を与えるのに対して、闇属性は全てを飲み込んでしまう。それこそ一切の外傷なく一瞬で『命』を奪うことも可能だ。だから対人相手で実践はしない。お前は当分の間、魔力制御の練習をしてもらう」
エリーはぐるっとほかの生徒を見回した。
「お前達はそれぞれの属性にあった攻撃魔法を習得することが目標だ。1ヶ月後には外での実践も始まる。それまでに最低でも2つ以上の攻撃魔法が使えるようになれ。いいな」
顎鬚を撫でながらエリーは皆に言い放った。やる気に満ち溢れている10人の少年少女は意気揚々と頷いたのだった。
ソフィはフィルからの無事到着したという手紙を読んでいた。それを届けに来たセルジュはソフィのために紅茶を入れている。しばらく沈黙が続いていたがソフィが手紙をそっとテーブルに置き、セルジュをじっと見つめた。
「……いかがなさいましたか、ソフィ様」
あまりにも見つめてくるので堪らずたずねると、ソフィは頬をぷくっと膨らませた。もう30近いがこの表情が似合うのは、フィルとよく似た美しい容姿のせいだろう。
ソフィは手紙をとんとん、と叩いた。
「フィルはあなたが大好きなのね。あなたのことばかり書いてるわ」
主は手紙に自分のことを書いているらしい。セルジュはくすぐったく嬉しい気持ちになりながらもソフィの機嫌とりのために真面目な顔をしていた。
「恐縮でございます」
セルジュの入れた紅茶のカップを傾けながらソフィは唸る。
「出発の日だってフィルに抱きついてもらってたわ。あの子、自分から来るなんてめったにないことなのに」
「…」
何も言えない。確かに先日、普段自ら触れてこないフィルが抱きついてきたのには驚いた。その笑顔と天使のような可愛らしさにふにゃっと気持ちが緩んだのを覚えている。
「まああの子、あなたのことお兄ちゃんって言ってたし慕ってるのねぇ」
「えっ」
『お兄ちゃん』という響きにまさかという思いで驚きが口に出てしまった。慌てて閉じる。
「あら、ルークから聞いてない?あなたの元気がないって心配したフィルが相談してきたのよ。てっきり知ってるかと思ったわ」
もしかして寂しいという思いが態度に出ていたのか。感情を表に出すのは苦手なフィルだが、昔から相手の少しの変化を読み取るのが得意だった。だからセルジュのほんの些細な変化にも気づいたのだろう。感心すると同時に、主の変化に気づかなかったことが悔しい。ソフィはそんなセルジュの気持ちに気づいていながらそれでも拗ねている。
「あなたにフィルのこと任せっきりにした私たちの責任ね。まあ…」
ソフィがくいくいっと近寄るように指を動かす。まるで女王のようなその行動に、いつものことだと顔を寄せた。
「あなたがいてくれて良かったわ。これからもフィルのこと、よろしくね」
そこには耳元で囁かれた言葉にさっと頬を赤くし、嬉しさと恥ずかしさに悶えるセルジュの姿があった。その後、部屋にやってきたルークが2人を見比べてあらぬ誤解をし、セルジュはしばらくの間笑顔で無言という圧力を受けたのであった。




