12.友達できるかな
入学式当日。フィルは朝7時にぱちりと目が覚めた。空きすぎてきゅうきゅうなるお腹を擦りながら昨晩のことを考える。昨晩というか、一番新しい記憶は生徒会長と別れて部屋に入りベッドで横になったところだ。それ以降の記憶がさっぱりない。つまり、昼頃から今朝まで眠り続けたということになる。昼食も、夕食も食べずにだ。このことをセルジュが知ったら発狂するだろうが、今は彼がいないのでその心配はない。セルジュは地味に説教が長いのだ。
とりあえず体が不潔に思えたので部屋に取り付けてあるシャワーを浴びる。セルジュから大浴場があると聞いているので今晩はそこに入りにいってもいいかもしれない。セルジュには絶対に入らないようにと何度も念を押されたが、せっかくの大きな風呂だ。入りたいと思うのは当然である。
シャワーを浴びて慣れない制服を着終わったころにはマシューが言っていた8時が迫っていた。
部屋を出るとすでに廊下は騒がしくにぎわっていた。
「はい、新入生はこっちです!部屋のカードを持ったことを確認して、前に続いてくださーい!」
「そこ!逆流しないでー」
「走らないで、時間はあるからゆっくり進んでくださーい」
まず初めにフィルが感じたのは、壁だった。文字通り”壁”である。なにせフィルは5歳にしては身長が低いらしい。そうでなくても周りは特待生を除きおよそ11歳である。周りは皆身長が高く恐怖すら感じる。そのため部屋から出たはいいものの、波に流されそうで後ろの壁に張り付いたまま固まってしまった。
そんなフィルにいち早く気づいたのはすぐそばで新入生の案内をしていた眼鏡の少女だった。少女はフィルに気づくとするすると人の間を抜け、目の前までやってきた。
「大丈夫?君も新入生?」
フィルに合わせて屈んでくれる少女は首を傾げながら問う。フィルは人の多さに圧倒されっぱなしで無言のまま頷いた。少女はフィルの胸元に目を止めるとくすっと笑ってネクタイを解いた。
「ネクタイはね、こうやって、ここをこうするの。……ほらできた!簡単でしょ?」
「…ありがとうございます」
「どういたしまして」
恥ずかしさで反応が遅れてしまった。こんな少女にネクタイの結び方を教えてもらうとは、情けない。それに自分ではうまく結べたと思っていただけになおさら恥ずかしい。
少女は屈んでいた態勢を元に戻すとにっこり笑って皆が向かう方向へ指さした。
「あっちに行くと会場があるよ。皆についていけばわかると思うけど…私と一緒に行く?」
フィルが小さいからそう言ってくれているのだろう。彼女にも仕事があるはずで、入学早々迷惑はかけられないと思い首を横に振った。
「そっか。じゃあ頑張ってね」
それだけ言うと礼を言う暇もないまま少女は踵を返し去って行った。上級生だろうが、またどこかで会えるだろうかと考えながら流れに身を任せて会場へ向かうのだった。
入学式は何事もなく終わり、新入生は巨大なホールに集められた。白を基調とした大広間という印象だ。前では筋肉ムキムキのおじさんがなにやら話している。フィルは目立たない程度に(十分目立っているが)きょろきょろ周りを見渡しながら先ほどから感じる違和感の正体を探っていた。
(ほわほわ…ふわふわ?うーん、なんだろうこれは?)
お腹のあたりに暖かいふわふわしたものを感じる。体調が悪いわけではない。むしろ優しいぬくもりに安心している。このホールに入ってからずっとこの違和感が続いていた。害はないのであまり気にしないでいいのだろうが、どうにも気になってしまう。
「……さて、一通り説明が終わった。これから検査を行う。自分の順番が回ってきたら部屋のカードを渡し、それぞれ教員の指示にしたがってくれ。以上」
いけない、説明を全く聞いてなかった。と思ったのも束の間、並んでいる列が動き出した。どうやらこの流れにそのまま乗ればいいらしい。今並んでいるのは入学式の会場から適当に歩いてきてできた列なので、特に意味がない列だ。そしてフィルは先ほどから王子、リアムの姿を探しているのだが、いかんせん二人とも背が小さい。そう簡単に見つかるはずもなかった。
列は長かったが、検査というのは比較的簡単なのかすぐに順番が回ってきた。検査を行うのは前におかれたカーテンの向こうらしい。一人ずつ入っていき、そして帰ってきた生徒は別の位置に座るよう案内される。クラス分けを行っているのだと気づいたのはついさっきだ。
「名前は?」
「フィル・マーティンです」
顎鬚を生やした男はその名を聞くと一瞬固まったが、すぐに男の前の椅子に座るように促した。座ってみると目の前にはなにやら透明なガラスがある。よく見てみると変速的に反射する光の色が変わっている。不思議なガラスだ。髭の男はそのガラスに手をかざすように指示した。その通りにする。
「手の中心に何かが集まるイメージをしてみろ」
「はい」
言われた通りにしてみると、だんだんと手のひらが暖かくなってきた。先ほどからお腹のあたりに感じていた違和感とよく似ている。それと同時にとても眩しい。思わず目をつぶってしまいそうになる。
「もういい、そこまでだ!ガラスから手を除けろ!」
男の慌てた声がし、フィルは急いで手を除けた。ふぅ、と少し乱れた呼吸を落ち着かせていると男が何やらぶつぶつと呟いている。手にはペンを持ち紙に何かを書いていた。少しして男が一枚の金色のカードを取り出した。
「部屋のカードとこれを交換する。今度からこのカードがお前の身分証となり、部屋へ入るときも食事をするときもこれを使う。とりあえず肌身離さず持っておけ」
カーテンで仕切られた部屋を出るように促され出ると、優しそうな女性がカードを見せるように言ってきた。
「あら、噂の子ね。あなたは…魔術クラスというところ、ほらあそこよ」
女性が指さした先には10人ほどの生徒がいた。反対側を見ると、100人はいるんじゃないかと思われる集団がある。
「あっちはなんですか?」
「あっちは騎士クラスなの。剣術を使って戦う人たちのクラスよ」
君はあっち、と再度魔術クラスの方を指さす。聞いてはいたがこんなに人数に差があるのかと驚きつつ言われた通りに列に並ぶ。前には少年と少女が座っている。二人は知り合いのようで親しそうに話していた。
(と、友達…になれるかな…なりたい、けど怖い…)
この世界に来てからというもの普通の友達というものがいなかった。フィルより年上とはいえ、これから同じ環境で勉強していく身としては親しい友人の一人や二人、作っておきたい。ちなみにリアム王子は別だ。彼は友達の前に一国の王子として知り合ったからだ。
そんなことを考えているとふいに片方の少年が振り返った。視界にフィルを入れたとたん、口をぽかんと開けたまま固まってしまう。少女が話を聞いていない少年に気づき、元凶である後ろを振り返る。そして少女も目を見開いてぴたりと止まってしまった。フィルはどうしたらいいかわからず視線を左右へ動かす。
「えっと…」
「!しゃべった!!」
フィルが言葉を発したとたん少年が叫んだ。そしてすぐに自分が叫んだことに気づき口を両手で覆う。慌てる様子は歳相応で可愛らしい。少女も我に返ったのか、今度は意思を持ってじっとフィルを見つめてくる。居心地悪く首を傾げると少女は右手をすっと前に差し出した。握手だ。
「よろしく。私天使って初めて見たわ。本当に存在したのね。毎日神様に祈っていた甲斐があった」
「あ、よろしくお願いします。…天使じゃないです、フィル・マーティンって言います」
「フィル君…私はアマリアっていうの。あなたは天使よ。きっと記憶をなくしちゃったのね」
少女もといアマリアはうんうん、と数度頷いてまたフィルをじっと見つめる。いくら言ってもわかってくれなさそうだ。そして今度は横から少年がキラキラした瞳で手を差し出してきた。
「俺はイヴァンっていうんだ。よろしくフィル!」
「よろしくお願いします」
イヴァンは元気な少年だ。今まで自分より年上の人としか接したことがなく、リアムは歳のわりに大人びている。そのため二人の好奇心に満ち溢れた瞳と行動が歳相応で、とてもくすぐったく感じた。
イヴァンがフィルを見て首を傾げる。
「フィルって、何歳だ?ちっさいなぁ。俺の弟たちより小さいぞ」
「……5歳です」
何度も小さいを連呼するイヴァンに、思わず眉間にしわが寄る。実年齢より幼くみられることは十分知っている。
「え、5歳!?じゃあ弟たちより大きいな。ごめん、ていうか5歳で入学ってすごいなー」
「イヴァン。彼は噂の神童。神からの使い、つまり天使なの」
「えっ!」
イヴァンがまじまじとフィルを上から下まで見る。そして納得したようにうなずいた。
「どおりで、なんか雰囲気が違うなあって思ったんだ」
それにしてもアマリアはいったい何なのだろうか。先ほどから天使天使と、なんども連呼するが最初に自分は天使じゃないと言ったはずだ。それを二人に言うとイヴァンがははは、と笑った。
「アマリアはちょっと変わってるんだ。気にしたら負けさ」
仲の良さそうなイヴァンがそういうなら、そうなのだろう。アマリアはちょっと変わった少女。そう言い聞かせて、訂正するのは諦めた。
そうして話していると男の声が響き渡った。先ほど検査をしてくれた髭男の声だ。三人が姿勢を正し、前を向く。
「俺はこのクラスを担当する…エリーだ。お前たちは今日から魔術クラスの生徒として、4年間過ごしていく。このクラスは少人数のためクラス替えはない。よって、4年間同じ仲間だ。仲良くしろよ。今日はこれで終わり、明日から本格的に授業が始まる。基本的に午前中は座学、午後からは騎士クラスと合同で実践練習だ。服装は必ず制服、教科書などはいらん。それから…」
男はいったん言葉を区切り、指をぱちんと鳴らした。とたんにぶわっと魔術クラスの全体に白い靄のようなものがかかる。同時に今まで騎士クラスの方から聞こえてきていた声や音が一切聞こえなくなった。魔術クラスの生徒は何が起こったのかときょろきょろ辺りを見渡している。再び男、エリーが口を開いた。
「お前たちは希少な存在だ。魔術師というだけで特別扱いされることも珍しくない。だが忘れるな。俺たち魔術師は確かに強力だ。強大な力を持って魔物も、人間をも蹴散らすことができる。でもな、それは騎士あってのものだ。騎士たちが盾となり時間を稼いでくれるからこそ、安心して魔法を使える。俺たちは生身じゃ何もできない。それを心に刻み込んでおけ。騎士をバカにしたやつは俺がすぐに機関から追い出す。たとえ特待生でもな。まあつまり、面倒事を起こすなってことだ。以上、今日はゆっくり休めよ」
そういうと教師エリーは再びぱちんと指を鳴らし、その場を立ち去ってしまった。その後ろ姿を見ながらイヴァンが興奮している。
「すげぇ!こんな強い結界を一瞬で張るなんて…!さすが大魔術師、エリー先生だぜ!」
いろいろ聞きたいことはあるがとりあえず大魔術師、というのが気になる。魔術師にも階級のようなものが存在するのだろうか。
「大魔術師って、何ですか?」
イヴァンとアマリアがえぇ!?と声を上げて驚いている。大魔術師とは、常識なのか。
「大魔術師と言えば国王様が認めた人しかなれない、すごい人だよ!」
「王城で働くには大魔術師じゃないといけない。すごい攻撃魔法を使えるとか、治癒魔法を使えるとかそういう人だけがなれる特別な魔術師」
すごいすごい、としか言わないイヴァンに代わってアマリアが説明してくれる。なるほど、魔術師のさらに強い人たちが大魔術師なのか。納得して頷く。
「みんなその大魔術師になりたいの?」
そう聞くと二人はもちろん、と頷いた。大魔術師についてフィルが詳しく知ることになるのはもう少し先の話である。




