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10.実は寂しい


 機関へ入学することが決まってから屋敷の使用人たちの態度が明らかにおかしい。もともとフィルには甘い人たちだったが勉強の途中にお菓子を持ってきてフィルの気をそらすなんてしなかったし、セルジュもそれを注意しない。なんだか甘やかされすぎているようで居心地の悪さを感じているフィルである。


「フィル様、失礼してもよろしいでしょうか。夕食のデザートを作りすぎてしまったのですが、よろしければお食べになりませんか?フィル様のお好きなフォンダンショコラです」

「……食べます」


 そして誘惑に負けるのもいけないとわかっていつつ、ここの料理人が作るフォンダンショコラは最高に美味しい。柔らかなスポンジを割ればそこからあふれ出てくるのは濃厚でとろとろのチョコレート。食べなければ勿体ないと思ってしまう。そして今日も、誰にも注意されないので勉強を途中で放り出してフォンダンショコラという敵に抗えないでいた。

 表情は変わらないがどことなく柔らかくなったフィルの雰囲気に、使用人たちは悶える心を必死に抑えて食べる様子を見守り続けるのだった。


「フィル様、お食事中失礼します」


 セルジュが大きな箱を抱えている。それをメイドが持ってきた低い台の上に乗せた。大きい割に軽そうな箱である。


「こちら、フィル様へのプレゼントです。使用人一同からでございます」


 セルジュの後ろでは数人が並んで固唾をのんで見守っている。今開けた方がいいのかと思い、フォークを置いて箱に近づいた。きれいな水色のリボンでラッピングされている。今日は誕生日でもなんでもないのにどうしてプレゼントなのかと思いながらリボンを解き、ふたを開けるとそこには大量の服があった。色とりどりできれいな服に目をまるくしていると使用人の一人であるダンディなおじさまが一歩前に出て深々とお辞儀をする。


「機関へご入学ということで、なにかと外出することも多くなりましょう。そのときにでも着てやってください。気に入らなければまた新しいものを厳選してお送りさせていただきます」


 たしかにフィルは今まで外出というものをしたことがほとんどなかった。一番最初に庭以外の外へ出たのが先日の女神の儀である。だが、フィルはいつも何も考えずセルジュに着替えさせてもらっていたわけではない。フィルは気づいていた。一度も同じ服を着たことがないということに。家の中で過ごすため汚れたわけでも破れたわけでもない。悔しいが体の成長速度も遅い。それなのに一度着た服をその後見たことはない。今まで我慢していたが、どうにも限界が訪れてしまった。


「ものを大事にしない人はいずれ痛い目にあうよ。今まで僕が着た服はどこにやったの」


 セルジュははっとなってフィルと目を合わせた。


「今までのお召し物はすべて領民の者たちへ無料配布しております。フィル様のお召し物ということで大変好評をいただいているのですが…申し訳ございません、勝手なことをしました」


 しゅんとなっている皆を見てフィルは思わず黙ってしまう。彼らはフィルが想像したように服を処分していたのではなかった。


「ううん。僕の方こそごめんなさい。てっきり捨ててるのかと思ったんだ」


 その言葉に使用人たちは首をぶんぶんと横に振り、セルジュはイケメンが台無しの血相である。


「絶対にそのようなことはいたしません!領民の元へいかないものはすべて使用人が引き取っております!フィル様のお召し物だったものです。たとえ破れたとしても捨てることはありえません!」

「あ、うん…そうなんだ」


 勢いに押されたじたじになりながらそういうと、セルジュは満足げに頷いた。そして次の言葉でフィルの機嫌が急降下する。


「そういえば、ノア殿が本日お帰りになるそうです。見送りは不要と言われましたが…どうなさいますか?」


 口をきゅっと結んだまま首を横に振る。あの男の見送りなんて、とんでもない。本人がいらないと言ってるなら行かなくても文句は言われないだろう。どうせ父上が行くのだから、自分はいらないはずだとフィルは固くなに否定し続ける。それをみてセルジュはくすっと笑いかしこまりました、と言った。普段人を嫌がることのないフィルがあからさまに拒否しているのをみた使用人たちは、子供らしい一面に胸がほっこりなったのだった。






 そんな数日間を過ごすうちにフィルはあることに気が付いた。なんだかセルジュの様子がおかしいのだ。

 いつも通りに朝目覚め朝の紅茶を入れてもらい、少しゆっくりしてから服を着替えさせてもらう。すべて着せてもらうと髪をくしで整えてもらい、朝食をとる。両親がいないときは部屋で一人で、どちらか一方でもいるときはリビングルームへ行って食事をする。その間ずっとセルジュは後ろで控えている。朝食が終わるとお勉強タイムである。10時ぐらいになると小休憩をし、疲れによく聞くと言われるハーブティを飲む。また昼まで勉強を再開し、昼食を食べた後は庭でセルジュに剣術を教わる。といっても体力がないのですぐに疲れてしまい1時間ほどしかできない。それが終わるとストレッチと称してセルジュに全身をマッサージしてもらう。おやつにセルジュ特性の紅茶と料理人自慢のデザートを食べ、天候がよくルークが許せば町へ散策に行くこともある。セルジュが護衛となり、一緒に広場で行われているパフォーマンスを観たり見たことのない民の食べ物を買ってもらったりする。ソフィへのお土産を買い屋敷へ戻ると、少し早いが夕食だ。夕食はできるだけ家族そろってというのがマーティン家の決まりなので皆でとることが多い。そしてお風呂に入り、セルジュに体を洗ってもらい一気に風魔法で髪を乾かしてもらう。この時点でフィルの眠気は最高潮に達し、セルジュに支えられながらベッドまで直行だ。

 一見いつも通りに見えるセルジュの行動だが、節々で違和感を感じることが増えてきた。たとえば服を着替えさせてもらうときゆっくり時間をかけたり、勉強しているとまったく関係のない話を振ってきたり(今まではフィルの邪魔になると話しかけてこなかった)、髪を乾かす時間が増えたまに頭を撫でつけたり…とにかくほんの少しの違和感なのだが、感じることが多くなったのだ。だがフィルはそれを直接セルジュに言うことはしなかった。自分の勘違いだとしたら恥ずかしいからだ。


「フィル、父さんの膝にもおいで」


 ソフィの膝の上でも恥ずかしいのに、ルークはおいでおいでと手招きする。フィルは恥ずかしさで頬を若干赤く染めながら素直に従った。

 明日出発という中、ルークが今夜は親子3人で過ごそうと提案したのだ。屋敷の使用人たちはすぐに夜空の見えるテラスをセッティングし、今に至る。フィル自身、少し緊張していたのでよかった。


「まあルークったら。たまには私にフィルを譲ってちょうだい」

「ソフィは今まで抱っこしてたじゃないか」


 両親が頭上で言い合っているのを聞きながら久しぶりの父の胸に顔を埋める。どうしてか、精神年齢は高いはずなのに安心するのだ。そんなフィルにルークは笑う。父の心臓の音を聞きながらフィルはセルジュのことを聞いてみようか迷っていた。父なら知っているかもしれない。そう思ったのだ。


「ん?どうかしたかい?」


 さすが父。感情が乏しいフィルの些細な動きで感づいたようだ。これは言って楽になってしまおうとフィルは口を開いた。周りには、気を利かせたのか使用人は一人もいない。


「セルジュが…なんだか、おかしいんです」


 セルジュの些細だが気になるところをぽつぽつと上げていく。話下手なフィルには時間がかかったがルークもソフィも黙って、時折頷きながら聞いている。一通り話したところでルークは優しくフィルの頭を撫でた。


「フィルはセルジュのことどう思う?」

「…どう、って…?」


 フィルはほほ笑む父を見上げながら首を傾げる。色白でもちもちサラサラの頬をルークはぷにぷにとつつきながら口を開く。


「ほかの使用人と同じかい?」


 その言葉に違和感を覚えた。フィルにとってセルジュは、ケーキを作ってくれる使用人たちとも服を大量に買ってくれる者たちとも違う。彼はフィルがずっと生まれたときから一緒にいた、思えば両親よりも長い時間一緒にいた存在である。ゆっくりと首を横に振った。


「セルジュは……お兄ちゃんみたい」


 この世界のことについて教えてくれたのはセルジュ。いつも身近にいてフィルの好奇心を伸ばし引っ張ってくれたのは彼だ。前世に兄がいた記憶はないが、彼は家族同然だと思っている。


「そうだね。セルジュだって、きっとフィルのことを大切に思ってるよ。フィルが機関に行っちゃうから、彼は寂しくなったんじゃないかな」


 父さんも寂しい、母さんもよと両親が言うのを聞きながらそうだったのかと頷いた。近くにいすぎたから気づかなかった。セルジュはそこにいるのが当たり前だったのだ。


「…僕も、寂しい…かも」


 なんだか急に家を出るのが怖くなった。心臓が波打ち、離れたくないと訴えかける。たまらず父の胸にまた顔を埋めた。そんなフィルの心情を察してルークは背中をぽんぽん、と撫でる。


「寂しかったらいつでも帰ってきていいんだよ。そうだなあ、フィルが帰ってきたら次は遠出しようか」

「そうねぇ。使用人全員連れて行ってもいいわね」


 両親の心地よい会話を聞きながら、いつの間にか収まっていた心臓に安心してフィルはゆっくりと瞼を閉じたのだった。





 次の日の朝。予告通り機関の馬車が屋敷の門に到着していた。準備はセルジュが完璧にしてくれている。あとは出るだけだ。門のところにはすべての使用人と家族が揃って見送りしてくれる。ルークが前に出てきてフィルを抱きしめた。


「いつでも帰ってくるんだよ。いってらっしゃい」


 ソフィがその横から出てきてフィルの頬にキスをした。笑ってはいるがどことなくいつものほほ笑みとは違った。


「フィル、愛してるわ。たまには母さんにもお手紙書いてね」


 その言葉に頷きながら、視線をセルジュに向ける。彼はフィルの荷物を持って静かに立っていた。視線が合わない。


「…行ってきます」


 踵を返して馬車へと向かう。機関の者が扉を開けて待っていた。段差に足をかけ、乗ろうとしてその動作を止めた。一瞬の間のあとゆっくりとかけていた足を下ろし、後ろにいるセルジュへと振り返る。不思議そうに首を傾げているセルジュ。そんな彼の腰に勢いよく抱き着いた。セルジュも周りも、そしてフィル自身も驚いている。


「フィル様…?」


 顔をあげ正面からセルジュの目を見た。戸惑っているのがわかる。いつもしっかりしているセルジュの戸惑い様に、思わず笑ってしまった。


「行ってきます、セルジュ」


 セルジュは一瞬の沈黙のあと、はっと我に返って持っていた使用人に持たせ、フィルにゆっくりと手を回すと小さい体を抱きしめた。


「行ってらっしゃいませ。お帰りを…、お待ちしております」

「うん」


 離れるのが名残惜しい。けれど皆が出発のときを待っている。今度こそ馬車に乗り込み、家族、セルジュ、屋敷の使用人全員に緩く手を振った。馬車の扉が閉められ、ゆっくりと動き出す。

 こうしてフィル・マーティンは生まれ育った家を後にし、神童となる一歩を踏み出したのであった。


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