1.ようやく目覚めた
(どう考えてもここは、地球じゃない…)
銀色のサラサラした髪、薄いエメラルドの瞳を持つ赤ん坊は寝かされた豪華なベッドの上でそんなことを考えていた。
そもそも、ここが地球ではないと気づいたのは母である女性が泣き止まない赤ん坊をあやすために使った魔法が原因だ。
「フィル、ほーら妖精さんですよー」
そう言って手をくるくると回し、まるで妖精のようにも見える炎を操っていた。そのときはあまりに驚きすぎて泣き止んだのを覚えている。
そしてこれをきっかけに自分に前世の記憶があることを思い出した赤ん坊・フィルはほとんど泣かなくなった。
「ふぇ…」
とはいえ、腹が減れば泣いてしまうし、おむつが汚れれば気持ち悪くてまた泣いてしまう。まあ、赤ん坊は泣くのが仕事のうちなので勘弁してもらいたい。夜泣きだけはしないようにすると心に決めるフィルだった。
そんなフィルのそばには、いつもビシッと決めた、セルジュと呼ばれる青年がついている。最初は父かと思ったが、身内にしては態度がよそよそしく、また敬語を使うので使用人のようだ。実際にはフィル専属の側近なのだが、それを知るのは数年後の話である。
「フィル様、お食事の用意ができました」
「う」
セルジュはかっこいい。栗色の髪に暗い青色の瞳。光が当たるとその瞳は青空のように輝くのだ。顔はさわやかなイケメン、身長はほかの使用人に比べて高いという高スペックな使用人、それがセルジュだ。そしてこんな赤ん坊相手に敬語を使い、身の回りの世話を文句言わずしてくれる。こんな完璧人間が、自分なんかの世話係でいいのだろうかといつも思う。
セルジュはフィルを専用の椅子に座らせると、自分も近くの椅子に座り食事の用意をする。
「はいフィル様、お口を開けてください。あーん」
「あー」
(……慣れたけどさ。恥ずかしいことに変わりはないんだよ!)
口を大きくあけながらそんなことを考える。いわゆる赤ちゃんプレイだ。前世で特殊な趣味を持っていたわけでもないフィルは、この赤ちゃんプレイが一番、精神的にきつい。
かぷっと差し出されたスプーンにかぶりつくと、ふわっとした甘みが広がった。薄味だがしっかりと味付けされた離乳食である。
うまうまとご飯を楽しんでいるフィルは上機嫌だ。そんなフィルをみて思わずセルジュやその周りにいる使用人たちも頬が緩んでいた。
セルジュの主人はわずか0歳5か月である。彼の務めるこの家は一般的に貴族と呼ばれる。いや、貴族は貴族でも王家の血が混じったいわば、王族なのだ。そうはいっても、ずい今は別の意味で有名な貴族として知られている。
まずはフィルの母、ソフィ。彼女は天才と呼ばれる研究者である。研究対象は人々を無作為に襲う魔物。その魔物が一体どのように生まれるのか、なぜ人々を襲うのか、撃退する際の弱点・方法など、ありとあらゆる分野を研究している。現在わかっていることのほとんどは、ソフィが発見したことなのである。
だが天才ゆえに、少々天然なところもある。まだ生後2か月にも満たないフィルが泣き止まないからと言って、魔法を使ってあやしていたのだ。それが水や光属性など、人に害のないものならばわかるが、ソフィが使っていたのは「火」。制御が難しく、失敗すれば大惨事となるであろう魔法を赤子の前で平然と使う、それが母・ソフィである。
次にフィルの父、ルーク。彼はこの国随一の魔術師である。小さなころから自在に魔法を操り、魔術師教育機関ではトップの成績で卒業。その後はあらゆるところから引っ張りだこで常に戦の最前線に立っている。そんな男である。ルークは誰もが天才と認める魔術師であり、部下、民、そして上司までもルークへ尊敬を込める。もちろん、家族や使用人も例外はない。あの天然なソフィに意見を言い、聞き入れてもらえるのはルークぐらいだ。
(そしてお二人とも、非常に美しい)
そう。なんといっても、二人は十人中十人が振り返るような容姿なのだ。ソフィは美しい金髪にエメラルドの瞳、ルークは透き通るような銀髪にサファイアの瞳を持つ。その二人から生まれたフィルは、ソフィの瞳とルークの髪色を受け継いでいる。
(まるで天使のようだ)
ベッドですやすや眠るフィルをなでながら、セルジュはにやける頬を止められない。いや止めようと思っていない。
(そしてフィル様は、この家の長男…つまりいずれはマーティン家を継ぐことになる)
フィルはこの家の長男として生まれた。これからマーティン家の次期当主として教育していかなければならない。その役目を担っているのがセルジュだった。
セルジュはつい最近まで騎士をしていた。フィルが生まれると同時にルークに引き抜かれ、マーティン家で働くことになったのだ。よって人様の教育など、やったこともなければ次期当主の教育の仕方などわかるはずもない。だがセルジュは不思議と不安を感じていなかった。
(フィル様は聡明なお方だ)
いつからだっただろうか、フィルはまったく泣かなくなった。赤子は夜泣きをするものだと聞いていたが、驚くほどフィルは静かなのである。お腹が減ったときやおむつの取り換えなどのときは多少ぐずるが、本当にそのときだけでいつまでも泣き続けるということがない。また、絵本の読み聞かせや食事のときなど、まるでこちらの言葉を理解しているかのようにうなずいたり返事をしたりする。
(ルーク様とソフィ様のお子様なのだ…天才なのは間違いない)
ただ前世の記憶を取り戻しただけのフィルだが、セルジュを含め、家の使用人、両親、民、はたまた国の王からも天才と称されることになるとは、このときは知りもしなかったのである。