002
「ほら、着いたぞ」
商人は街の門の前で馬車を止め、断頭刃へと告げた。
随分と大きく、そして外部からの襲撃に対し堅牢そうな街だった。周辺は石造りの外壁で取り囲まれており、さらにその外は深く掘った水路がぐるりと一周し、門の前に掛けられた橋以外に通れる場所は見当たらない。少なくとも、門を通らずに地上から街に侵入することは難しそうだ。
「ここは、なんていう街?」
「トリトルートだ。王都ほどじゃないが、この国でも大きい部類の都市だ。宿は商店街の中央から少し逸れた、『赤猫亭』がお勧めだ。冒険者ギルドは武具屋を右に曲がってすぐの所にある」
「分かった。……ありがと」
「おぉ。お前さんの実力なら問題ないだろうが、気ぃつけてけよ」
ひらひらと手を振り商人と別れを告げ、断頭刃は街へと入る。
処刑場とは別の意味で、賑やかだった。あちこちから様々な声が上がり、店からは客引きの売り文句が飛んでくる。どこの世界でも商人たちの争いは激しいようだった。
大抵の人間は麻布で出来た一般的な服装である。男はシャツとベストにズボン、女は肩部分が膨らんだブラウスとロングスカートだ。
しかし鋼鉄製の鎧で剣や槍を提げていたり、ゆったりとしたローブ姿で杖の類を握りしめていたり、一見すると異様な出で立ちの者も見られる。こちらの世界では武装したまま平然と通りを歩く者が多いようだ。壁際に兵士がいるが、物騒な装備の彼らを注意する者はいない。
似ているようでいて自分がいた世界と違う。それを改めて実感しながら、断頭刃は商人に教えてもらった冒険者ギルドへと向かった。
普通なら宿屋で一泊分とるのだろうが、商人との契約で主に貰っていたのは金でなく物品なので、断頭刃の懐は少々寒い。貰ったものを売れば幾らか金になるだろうが、食料や武器になりうるものを売るのは愚策だろう。
そういった事情から先にギルドに加入し、依頼をこなして金を作ることにしたのだ。傭兵になるという手もあるが、冒険者の方が凡庸性があり金稼ぎに困りにくいように思えた。
「ここが、ギルド……か」
長方形に屋根を付けた二階建ての建物を見上げた後、断頭刃は押し戸を開き中へと入った。
中は存外静かだった。傭兵たちのように酒だの飲んで馬鹿騒ぎでもしているのかと断頭刃は勝手に思っていたが、そういった者は数える程度しかいなかった。食事出来るよう丸テーブルと椅子がいくつも置いているが、大半は羊皮紙や木の板を張り付けた壁の方へと群がっている。二階も大方同じだろう。
「…暑いな、ここ」
壁際に寄っているとはいえ、人が大勢いるからか。建物内は妙に熱気がこもっていた。最初は我慢しようかと思ったが、むわっとくる湿気を含んだ暑さに耐えきれず、断頭刃は赤いフードを外した。
男にしてはやや長い白髪と吊り上がった赤い瞳、処女雪のような肌が露わになる。男とも女ともつかない顔が晒されると、周囲がざわめいた。
既に慣れ切った反応だ。断頭刃は自分の容姿が悪目立ちすることを既に自覚しており、もうどうでも良いと感じる所まで行き着いていた。直射日光に弱いので陽の当たる場所では極力肌を隠すが、室内ならば顔くらい出す。
「受け付けは、大方あそこかな」
しばし建物の内装を観察した後、断頭刃は受付と思われる先へと向かう。緩く波打った茶髪を肩まで伸ばした女性が、にこやかに応対する。
「いらっしゃいませ、ご用件は何でしょう?」
「用件は……冒険者になりたいから、ギルドに登録したい」
街に入る前に商人に教えてもらったことを言えば、室内の空気が僅かに変わった。誰しもが新入り冒険者志望の少年に視線を向ける。
そして受付嬢は彼の前に羽ペンとインク、一枚の羊皮紙を差し出した。
「ではこちらにお名前と年齢、性別や戦闘特技などをお書きください。代筆は必要でしょうか?」
「ん……問題ない」
短く言葉を返した後、羽ペンの先にインクを浸して書いていく。
断頭刃は先生から読み書きを教わったので、名前などを書く程度のことは出来る。問題は、断頭刃の使う文字がこちらの世界でも通用するかどうかだ。
まぁとりあえず『断頭刃』、『十五歳』、『男』、『近距離から遠距離までの物理攻撃』と書き記した。
「……断頭刃? 名前ですか……これ?」
羊皮紙に書いた内容に、女性は顔を僅かに引き攣らせる。どうやら言葉だけでなく文字などもちゃんと通じるみたいだ。なぜ通じるのか不思議だが、好都合である。
それはともかく。彼女の反応を受けた断頭刃は最初に書いた名前に二重線を引き、隣に『ルイゼット』と書き直す。受付嬢はあからさまにホッとした。
「それと、この特技一覧の部分はどういう意味でしょうか?」
「得物は基本、これ」
問われたので、断頭刃はギヨティーヌを構築する。
ランプに当てられ鈍く輝く長方形と、それに繋げられた長い鎖。華奢といえるほど細身の少年には不釣り合い極まりない、もはや武器とすら呼べない凶悪な刃物が現れる。
彼を見ていた者たちはその手に握られた得物に、再びざわめく。
「ぎ、ギロチン……」
「他にも使えるやつはあるけど、これが一番しっくりくる」
「そ、そうですか」
ギヨティーヌを分解しながら言えば、受付嬢は引き攣った笑みで応じる。冒険者たちも同様で、中には正気と思えない武器に青褪めている者がいるほどだ。
「……では羊皮紙をお預かりします。ギルドカードが出来るまで多少お時間がかかりますので、ギルドの説明に移らせて頂きます」
羊皮紙を受け取り一礼すると、女性は説明に入った。
かなり長々としていたが、傭兵と違い冒険者というのは七つのランクに分かれるらしい。最低は誰しもが最初になるFランク、そこから仕事をこなしていくごとにランクが上がり、一番上はSランクとなるようだ。
このランクは冒険者だけでなく依頼仕事や魔物にも付けられており、ランクが高い程報酬が高い分死ぬ危険性が高い。なので、基本的には自身のランクより上の仕事を引き受けることは出来ない。頑張っても、一段階上のランクまでが限界のようだ。
「一人ずつにランクがついているのなら、数人で仕事をする場合は?」
「その場合はパーティメンバーのランクを平均したものが、パーティランクとして適用されます。この場合は、二段階くらいランクが上の仕事でも受けられますよ」
「なるほど」
頷きながら、出来上がったギルドカードを受け取る。
「カードは最初の発行は無償ですが、紛失などで再発行する場合は金貨を一枚頂きます。なので、失くさないよう気を付けてください」
「分かった」
こちらでの金銭価値がどの程度のものなのか知らないが、金貨というからには高いのだろう。断頭刃は失くしたりしないよう、カードを腰の後ろにつけた鞄にしまい込んだ。
「ギルドに来る以来は大きく分けて討伐、採取、護衛となります。初めは採取から始めることをお勧めしますね」
「どうも。それじゃあ、さっそく仕事をしようかな」
ぺこりと頭を下げた後、そのまま依頼を張っている壁へと向かう。
断頭刃の所持する凶器、あるいは異様な色素に面喰ってか声をかけてくる者はおらず、むしろ彼に道を譲る様に誰しもが立ち退いて行く。
仕事を選ぶ分には都合が良い。気にせず受ける依頼を考え、先ほど勧められた採取系と、金になりそうな討伐系を一つずつ取る。
フードで再び顔を隠すと、断頭刃はギルドを後にした。
ギルドに入ろうとした彼は、自分が押す前に扉が開いたために手を止めた。
「おっと、危ない」
わざとらしく声を上げ、男は後ろへ引く。
対して、建物から出てきた小柄な人物は無言だった。一瞬だけ視線がこちらに向けられたように感じたが、すぐさまそいつは立ち去っていく。
「やれやれ、挨拶一つないとは……随分とシャイな奴だなぁ」
肩を竦め両手を上げながら、男――――クラディウスは去っていくそいつの後ろ姿を見やる。
年恰好は十代半ば前後か。男とも女とも取れる背丈と体格で、黒いズボンに赤いロングコート姿。フードを被っているので顔は分からないが、隙間から垣間見えた肌と髪は真っ白だ。黒い革グローブを嵌めた小さめの手には、低ランク依頼を書いているだろう木の板を持っていた。
仕事時以外は基本的にギルドにいるグラディウスだが、その赤フードにはまるで見覚えがなかった。おそらく新入りだろうと判断し、扉を開ける。
「……ん?」
中へと入ったクラディウスは、いつも以上に静かな室内に眉を寄せる。ギルドに所属する後輩たちは皆呆然とした様子で扉の方を見ている。
「なんだよお前ら、ドラゴンにでも遭遇しちまったみたいな顔しやがって。一体何があったっていうんだ?」
そう尋ねてみるが一向に答えがない。完全に放心してるな、と判断した彼は嘆息すると受付嬢のアニスへと問うことにする。
「アニス、一体こいつらどうしたんだ? どいつもこいつもアホ面晒してやがんだが」
「クラディウスさん……えぇと」
アニスは心ここにあらずという様子でクラディウスの名を呼ぶと、困惑した顔で説明しようとする。彼女もどこからしくない。本当に何があったのかと彼は怪訝に思った。
「ついさっきですね、冒険者志願の人が来たんですよ」
「新入りか……それ、赤いコートを着たチビか?」
「はい。あれ、彼に会ったんですか?」
「ちょっと前にな」
肯定するクラディウスの頭に先ほどの赤フードが浮かび上がる。どうやら、彼がこの不気味な沈黙の原因らしい。
「で、そのチビが何かやらかしたのか? 例えば、馬鹿にするようにして絡んできた連中をあの新入りが返り討ちにしたとか」
「いえ、そういうことはなかったですよ。というより、彼に絡める人が全然いなかったですし」
「なに? 誰も絡まなかった?」
意外な返答に、彼は焦げ茶色の目を軽く見開く。
傭兵と違い冒険者はメンバー同士での上下関係、縄張り争いが強い傾向にあり、新入りをいびったり気に入らない奴にむやみやたらと食って掛かる者が多い。中には決闘と称し、格下を叩きのめして見せしめにすることで優越感に浸るような者だっている。もちろん、たまに実力のある新入りがそんな連中を返り討ちにすることも稀にあるが。
しかし、あの赤フードの小僧の場合、そんなことは一切なかったらしい。
「顔が見えなかったとはいえ、からかいにくいタイプには見えなかったがな……どういう奴だったんだ?」
「白髪で目が赤い、女の子みたいな顔の子でしたよ。淡々としているというか、ちょっとのんびりとしているというか……思春期の少年にしては口調が柔らかくて、言葉遣いが幼いように感じましたね。あと、なんともいえない独特な雰囲気をしてました」
彼女から聞かされる新入り情報に、クラディウスは尚更不思議だった。
「なんだ、好奇心旺盛な馬鹿を呼び寄せそうな奴じゃないか。なのに誰も絡みに行かなかったのか?」
「ええ。……武器がアレ、だったからかしら?」
「アレ?」
引っかかる言い方に、自然と眉尻が跳ねる。
「あれってなんだ? あのチビ、どんな武器を持ってたんだ?」
「武器というかなんというか」
と、ごにょごにょと言いにくそうに歯切れ悪く喋るアニス。その様子をしばし眺めていると、観念したように彼女は言う。
「ギロチン、なんですよ」
「…………は?」
聞き間違いだろうかと、男は自分の耳を疑った。
だが、聞き間違いでもなんでもなかったらしい。
「だから、ギロチンですよ。あの子、ギロチンの刃に鎖をつないだ状態で武器にしているみたいなんです」
「おいおい、何の冗談だよ……。ギロチンって、武器じゃないだろ」
「私に言わないでくださいよ、こっちも反応に困ってるんですから」
噛みつくように反論した後、アニスは盛大にため息をついた。精神的に相当お疲れのようだ。当然だろう、ギロチンの刃を引っさげる新入りがギルドに加入したのだから。
「しかし、ギロチン……か」
受付嬢の口から聞いた新入りの武器を反復し、クラディウスは思案する。
先ほどの人物像に加え、そんな馬鹿みたいな物を武器としていると知って黙っている奴がいるとは思えない。確実に誰か、そいつを小馬鹿にしたり侮ったりといったリアクションを取る筈だ。
だが見た感じ、あの赤フードに対してそういった類の感情を抱いている奴はいない。全員が唖然、もしくは萎縮してしまっている。
つまり、からかえないほどヤバいと分かる奴だということだ。
「そういう風には感じなかったんだがな……」
呟きながら、彼はメンバー帳簿をするりと手に取り、ページをめくる。ギルド登録時に書く羊皮紙には魔法が掛けられており、羊皮紙に書いた情報が自動的に帳簿へ記される仕組みとなっているのだ。
「ルイゼット……それに断頭刃……? 本当になんなんだ、あのチビ」
新たに書き加えられた名と二重線で消された文字に、クラディウスはぽつりと戸惑い混じりの独り言を吐いた。