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――――公の処刑場はいつだって喧しい。
外から聞こえて来るざわめきを聞きながら、少年は淡々と思った。
少年らのいる場所から真っ直ぐ進んだ先にある、円形に開けた場所。そこには梯子の付いた台があり、台から伸びる戸のない門のような付属物には輪を作った縄が吊られている。
周辺には観客が囲うようにひしめき、大多数が一斉に喋るがゆえの騒音を響かせていた。どこからでも聞こえる雑音の中、黒頭巾で顔を隠した執行人らは黙々と作業を進めていく。
覚悟を決めた者は自ら死刑場へと歩を進めていく。
覚悟の出来ない者は無様に喚き引き摺られていく。
後になればなる程、醜態を晒す者は増えていった。それは当然のことなのだろう。人に限らず、生きるものは死を恐れる。だから足掻き、逃げようとする。
覚悟するというのは、難しいものらしい。
同志たちは台の上に乗り、輪縄に首を通す。それから落とし戸が外されると落下し、その拍子に首に負荷が掛かって骨が折れる。幾度と繰り返される死の音を聞く毎に、彼らの覚悟は崩されていくようだった。
そんなことを考えている内に、少年の番が来た。
立ち上がった少年は点々と尿が落ちた廊下を歩き、外を目指す。段々と大きくなっていく民衆のざわめきを聞き流しながら、太陽に照らされた地面を踏みしめる。熱せられた石畳が素足の裏を焼くが、気に留めなかった。
何食わぬ顔で死刑場へと姿を現す。色素のない髪、血を連想させる瞳、透き通るような肌、中性的な顔、男の割に細い体。彼が持つ全てが公衆へと晒され、見物客の不躾な視線を浴びせられる。
少年はそれらを意に介さず、共に行動してきた者たちと台の中央に立たされた初老の男を一瞥した後、梯子を上っていく。
輪縄の前に立ち、縄を首に掛けられるのを待つ。作業を終えた執行人が梯子を降りる。死が着実に近づく。けれど、六人とも取り乱すことはなかった。
此度の首謀者である少年たちの処刑で、この見世物は終わる。
台の上に立つ誰しもが、穏やかな顔で絞首される時を待つ。少年もそれに倣い目を閉じる。
戸を外す音と共に訪れる、浮遊感。
――――少年の瞼の裏を満たす暗闇が、白へと染まった。
◇◇◇
何一つない真っ白な空間。
そこに佇む少年の前には、髭を長く伸ばした老爺がいる。
「ふぅ、どうやら間に合ったようじゃの……危ないところじゃった」
ふさふさとした白い髭を撫でながら、老人は冷や汗交じりに言う。
姿は人であるのに、何故だか人の気配……生き物の気配を感じさせない老爺。彼を眼前にした少年は、薄い唇を開き、尋ねた。
「お前は、誰だ?」
「儂か? 儂は神じゃよ」
「……神?」
なんてことないような口ぶりで老人は答えたため、少年は眉を寄せる。
自らを神と呼ぶなんて、なんて馬鹿な老いぼれだろう。そう思いながらも、人らしさのない老爺が誰だろうが興味がない彼は、また一つ問いかける。
「それで老いぼれ、一体何の用? 僕を天国か、あるいは地獄とやらへと連れて行ってくれるのか?」
「いや、違うぞ。天国云々以前に、お主はまだ生きておる。お主が死ぬ前に、儂がお主をこの空間……世界の狭間に連れてきたからのぉ」
「……どうして、そんなことを?」
「お主を異世界へと連れて行くためじゃ」
大真面目な顔で、自称神は言う。
「お主がいた世界とは異なる世界で、とある危機が迫っていた。その世界は迫りくる危機を打開するべく、ある力を使った。それは異なる世界を繋ぎ、目標に定めた者を召喚するものでな。お主は、その召喚対象に選ばれたのじゃよ」
だがしかし、その肝心の少年は処刑されんとしていた。
自称神曰く死者の蘇生というのは存外難しいらしく、神の手を持ってしても成功する確率は少ないという。そして異世界の力により生まれた歪みは対象が召喚されるまで塞がれることはなく、生じた歪みが両世界に悪影響を与えるとのことだった。
「それを防ぐべく、儂はお主を此処に避難させたわけじゃ」
「……よく、分からない。理解出来ない」
「まぁ、そうじゃろうな。急に言われれば誰しも困惑するじゃろうて」
顔を渋くする少年に、老爺は頷く。
と、
「でも、僕だけが生き残ったことは分かった。……他の皆は死んだ」
彼は視線を下に落としながら、呟く。その赤さとは裏腹に冷淡な瞳に、憂いの色が混じる。
しかし老人はそんな彼へと、静かに告げた。
「そればかりは仕方のないことじゃ。お主らの行いは悪とは言い切れぬが、しかし多くの命を奪ったことは罪深い。これは許されざることであり、本来ならばお主も死なねばならなんだ」
「…………」
「此度の件は贖罪のためと思い、罪を償うべく励むのじゃ。良いな?」
黙り込む彼へと告げながら、老爺は枷を嵌められた少年の腕を指差す。
途端、甲高い音を立てながら鋼鉄製の枷が弾け飛ぶ。続いて、彼の身体を包む囚人服がみるみるうちに変わっていく。
襟の詰まった黒い上着にズボンと鉄を仕込んだ頑丈なブーツ、黒い革手袋、そして膝まである真紅のフードコート。首には禍々しい形状をした銀のロザリオ。――――その衣装は、少年が最も着慣れた衣服……戦闘装束そのものだった。
「あの恰好のまま、あちらの世界に行くのは危険じゃからな。二つほど餞別をやろう。一つは高い防御力を与えたその装束、もう一つは……これじゃ」
言葉を続けながら指先に光球を宿し、老爺はそれを少年へと放つ。赤い衣に包まれた体に光は吸い込まれ、跡形もなく消える。
彼は訝しげに首を捻りながら、光を吸い込んだ胸元を撫でる。
その様子を見ていた老いぼれは、顎を擦りながら説明した。
「お主が望む力を一つ、叶えられるようにした。これによりありとあらゆる魔術を使えるようにも、身体能力を飛躍させることも可能じゃ。流石に不老不死は出来ぬがな……さぁ、お主はどんな力を求める?」
問われた直後、彼の脳裏にはある願いが生まれた。同時に、その力を顕現するための言葉が浮かび上がる。
「来たれ、拷問処刑――――処刑器具」
少年の宣言と共に、その手へと鈍色の物質が構築されていく。
頑丈に編まれた長い鎖。両端には大きめの輪っかが備え付けられ、更に片方の輪には巨大な長方形の刃が繋がれていた。
武器というにはあまりにも無骨で、凶悪な形状をした刃物。
「聖女ギヨティーヌ」
これこそが、彼の相棒。
「ギロチンの刃……武器の類を作り出す力を選んだか。うぅむ、もっと大々的な力を望むかと思っておったのじゃが……これだけでは魔物や魔族相手に立ち向かえるかどうか……」
少年が望んだ力を目にし、困ったように呻く自称神。
それを無視し、彼はギロチンの刃を見つめ、慎重に表面をなぞり、何もない空間で素振りを行う。
いくつか確認を終えたあと、少年は老爺に言葉を投げかける。
「これ、斬れ味と強度の方はどうなの?」
「ん? うむ、おそらく問題はないぞ。何せ神の力を用いて精製するのじゃからな。イメージ力に問われるから構造を知らぬ武器は作れぬが、折れず曲がらずでよく切れるはず……」
そう答える老いぼれは、脳天に強い衝撃を受けた。
額の中央からツーと伝い落ちる、生暖かい赤色の液体。前頭部に手をやれば何かが脳天をかち割り内部に食い込んでいる。
何が起きたのか分からず、少年へと視線をやる。丁度彼は、握りしめた鎖で額に食い込んでいたものを引き抜いたところだ。
そうして彼の手元に、血塗れのギロチンが収まった。
「なるほど、確かに質は良いらしいね。よく研がれているみたいだし、刃こぼれした様子もない」
「な、なに……を……!?」
しげしげと刃がこぼれていないか確認する少年が、信じられなかった。脳天から噴き出る血で体を染めながら、老爺は驚愕の眼差しを向ける。
まさか神に与えられた力で神を殺すような罰当たりが……否。そもそも神の身体に傷を付けられるような者がいるとは思っていなかったのだ。
そんな老爺の思いも知らず、彼は淡々と述べる。
「先生に教わった。自らを神と呼ぶ恥知らずや、神の名の下に悪逆を働く愚か者は、殺すべきだと」
言いながら少年は、再びギロチンを構える。
「妙な力を使うから人でないのは確実だけど、あんたが神だとは到底思えない。なぜなら神は、人を救いも罰しもしないのだから」
「待――――っ……!」
「お前は神を語る不届きものだ…………死ね」
死の宣告と共に、ギロチンが振るわれる。
その巨大な刃は易々と、避ける暇を与えることなく、制止の声を掛けんとした老爺の細首を刎ね飛ばした。
ごろりと足もとに転がる、目を見開いた老人の生首。それを邪魔と判断し、遠くへと蹴り飛ばす。
ふと何か奇妙な感覚を覚え、そちらへと視線を向ける。
彼の赤い目には、姿かたちと言えるものは見えない。しかし、何かが近づいてきているのが分かった。この身では到底抗えない、強い力のようなものが。
おそらく神と名乗っていた老いぼれの語っていた、異世界へと続く歪みとやらだろうと、彼は推察する。
悪ふざけとしか思えない話。到底信じられないことだが、この身に受ける感覚は本物であると認識せざるを得ない。これに関しては事実として大人しく受け入れることにした。
「……先生、斬首剣、磔刑杭、絞首縄、轢殺輪。そちらにはまだ行けないようですので、少々お待ちください」
共に死ぬ筈だった、しかし取り残されることとなった少年は、先に旅立っていた五人へと言葉を紡ぐ。
「どうやら僕には――――この『断頭刃』には、まだ仕事があるようです」
少年、断頭刃は赤いフード目深に被り、歪みへと向かい歩き出す。
真っ白な空間に、首と胴が泣き別れた老爺だけが残された。