4. 蟲王と騎士-1
暗い森の中、男が足早に道を歩いていた。
空は灰色の雲におおわれ、昼にもかかわらず薄暗い。どこか黒い木々と合わさり、そこは何処か暗い空気が満ちていた。
そんな暗い雰囲気の中を鎧姿の男が歩いている。歩くといってもそのペースは早く、今にも走り出しそうだ。
荷物は何も持っておらず、腰に下げたロングソードだけしか持ち物がないように見える。
鎧姿の男――言うまでもないトーマスだ。
彼が王を倒してから、早三ヶ月と少しが経とうとしていた。
その間、彼はずっと魔物を狩っていた。”城”から”始まりの所”、通常は逆だが、彼は魔物を狩っては移動し、また次の地で狩る。
それを繰り返し、とうとう始まりの所まで来ようとしていた。
トーマスが足を止める、その先には扉があった。
両扉で、その素材は金属だろう。また巨大でどうあがいても人では開けられそうに見えない。
それもそのはず、これはゲームで言うキーアイテム、それがなければ開かない仕様になっているのだ。
トーマスの手の中に突然指輪が現れる。宝石などはついておらず無骨なデザインで、ただの輪とも言える。
それを扉にかざすと、引っ掻くような金属音が鳴り、扉がゆっくりと開いていく。
BHでは、それぞれに扉があり、キーアイテムが無いと先に進めないのだ。
最初の扉は指輪、その後に、杖、剣、杯、メダル。ときて最期に全て合わさり城への扉が開く様になっている。
これはそれぞれ、オズワルド王が各地を治める公王達に授けたとされる宝具で。
それぞれが火、風、水、土を表している、もちろん火の公王は火に関連があり、他の公王も例外はない。
それぞれのステージを越え、始まりの所へ来たのだ。
ボスは全て倒す、筈だった。
杖、剣、杯、の公王は問題なく倒せたのだ、――しかしメダルの公王がいない。
所謂ボス部屋、そこに居なかったのである。ボス部屋は蛻の殻。メダルの公王はどこに消えたのか、それが彼を焦らせていた。
さらに、数日前から見える、立ち上る煙。
突如現れた大陸、それを調査もしに来ないなんて事はありえないだろう。
おそらく調査団や何かしらが来たのだ。
大陸を渡って来たのだ。きっと船だろう。
トーマスは船に乗せてもらおうと思っていた。
出発する前に調査団の所へ行きたい。
彼は扉が開くと同時に、勢い良く走りだした。彼の怪力による踏み込みは、土を爆散させる。
鈍色の光が走ったと思うと同時に、彼の姿は消えていた。
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平原の北の果て、そこに異形がいた。
大雑把なシルエットは人だろう。しかし異物が継ぎ接ぎされており、その姿は歪。
異物は全て虫の一部のようで、苦手な人が見たら卒倒するだろう。
――いや苦手じゃなくても卒倒するかもしれない。その姿は虫人間、正にそれだったのだから。
頭部は蝿らしき虫の頭部と合体しており、片目が複眼になっている。
右手は百足を束ねてあり、まだ生きているのか蠢いている。左手は甲虫の腕だろうか、硬質な光沢を放つ鋏が付いていた。
背中には羽が生えており、透明な薄羽が綺麗で、チグハグな違和感を放っている。
残り僅かな人間部分も、普通では無く蛆がわき、皮膚の下を何かが這いずり回っている。
虫、人間ですら無いかもしれない。
半分虫の頭部を南に向け、ソレは背筋が凍る様な笑みを浮かべる。
視線の先には、調査団の野営場。
王は、南へ足を向けた。
――――――――――
【name】 【蟲独の王】
【rank】 ???
【bace】 人間族
【state】 平常
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ペドロ率いる調査団の大軍勢は、平原を南に進んでいた。
戦車に乗った、ペドロと彼が連れている仲間を先頭に、鏃のような形で進んでいく。
彼らは騎士でも兵士でもなく、ただの冒険者だ。そんな彼らだから、足並みを揃えて進むと言う事はなかった。
中程まで進んだ頃、ヴェネットが目を細める。
「……前方、人影あり」
平原の北、そこに1人の人らしきものが見える。
しかし、その距離2㎞ほど。常人の視力ではなかった。
ヴェネット――彼女は鷹の獣人だ。獣人といってもその血はとても薄く、身体的特徴は人間と変わらない。
彼女は視力だけ異常に高く、つまり目だけが先祖返りしたのだった。
鷹などの猛禽類、特に鷹は視細胞が150万個、人間の約8倍持っているといわれる。
人間よりも鮮明な視界は、1500m下の死骸すら見つける。
鷹の視力を持ち、訓練しているヴェネットにとって2㎞先を見通すのは容易いことだった。
「数は?」
「……1人」
「男か、女か?」
「……まだわからない。……もう少し近づければいける」
そう言い、彼女は前方を見つめ続ける。
戦車は平原を進み続けていた。
「……男みた――ヒッ」
突然悲鳴を上げるヴェネット。目は大きく開かれ、歯はカチカチと音を立てる。
冷や汗が顎を伝い、ひと目で尋常では無いことが判る。
「おい……。どうしたヴェネット?」
仲間の異変に気づいたペドロは、ヴェネットの肩を揺さぶりながら問いかける。
肩を揺さぶられ落ち着いたのか、普段通りに戻るヴェネット。数度深呼吸をし、大きく息を吐く。
「……多分男。だけど……人ではない」
「人じゃねえ?どういうことだ?」
思い出したのか、喉を鳴らす。もう一度見たくないのか視線を下に逸らす。
「――あんなの人じゃない。……虫の、虫の化け物……」
ヴェネットは震える声でそう言った。
軍勢の先、そこに一人立つ異形。
それは口を吊り上げ、左手の鋏を小刻みに鳴らしながら。少しづつ軍勢へと近づいていた。
虫の化け物。あまりにも抽象的で想像がつかない。それでもヴェネットがここまで怯える敵だ。
一体どんな敵なのか。ようやく楽しくなってきた。
ペドロはそう思い、口角が自然と上がるのがわかった。
ペドロ。彼の人柄は、勇猛、戦闘狂――そして強欲。”征服王”の異名を持ち、気性は荒い。
今までも、世界を回り数々の侵略を果たしてきた。襲い、奪い、降し、そして喰らう。
そう聞くと最低の男に思えるが実際は違う。差別意識は薄く、奴隷の扱いも優しいものだ。
征服したからと言って皆殺しにするわけでもなかった。だからと言って、敵がいない訳でもなく、少ないわけでもない。
荒々しいが、人情に厚い。彼の周りには人が集まり、そしてギルドができた。
数少ない、ランクS保持者でもある。
そして、今回の調査団を率いる冒険者でもあった。
彼をランクS足らしめているのは、その圧倒的な特殊能力と鍛えぬかれた肉体だ。
”征服者の尖兵”そう呼ばれている。
一言で言うなら、兵士を作る能力。彼が込める魔力により性能が変わる兵士を作り出せるのだ。
兵士は命令に忠実。死を恐れずただ敵に向かっていく。
生み出せる数は最大で10万とも言われている。ただ1人で国と戦える男。それがペドロだ。
「野郎共!敵だ構えろ!」
ペドロがそう叫び、剣――グラディウスと呼ばれるそれを抜き、両手を広げると 同時に軍勢が顕れる。
統一された鎧に身を包み、長槍を持っている。整然とした隊列を組み、無表情に無感情にただ進む。
”征服者の尖兵”その数三千。
ソレを見た冒険者達も、次々と剣を抜き、槍を構え、雄叫びを上げる。
武器を掲げ、足を踏み鳴らす。
「――さあ、どうする?虫の化け物」
ペドロが不敵な笑みを向けるその先。
総勢五千を超える大軍勢。それを目の前に、王はただ静かに嘲笑うだけだった。