42.異変
舞踏会当日。街の中から喧騒も離れ、正に祭りの後の静けさが感じられる。
トーマスのように終わって直ぐ帰ろうとする者も居るようで、旅姿で門へ向かう人の姿も見えた。逆に後片付けを手伝っている冒険者や旅人の姿も見える。
トーマスはその中を1人で歩いていた。
トーマスは実質的に最終日は売り物がないということを知らず、街へ繰り出したのである。結果、宿屋で何か食うことはなく空腹のまま外を徘徊する羽目となった。
勿論食べなくても平気なトーマスではあるが、食べなければなにか調子が出ないのも事実である。普段からやっている様な店で済ませばいいだけなのだが、トーマスは物足りなく感じてしまい、なにか特別なものを食べたくてしょうが無くなっていた。
彷徨っていると、遠くに王城が見えることに気付く。
トーマスはそれを見て思った。
ーーもしかしたら、残飯くらいはもらえるんじゃないか。卑しさ満点の思考回路で、トーマスは王城へ歩いて行く。
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本当は用など特に無いのだが、トーマスは理由を捏ち上げ王城へ入っていく。
トーマスは別に舞踏会へ参加しようとは思っておらず、むしろアンリエトには会わずにいたいと思っていた。
できればアンリエトと常に一緒に居る侍女。彼女に会えれば何か恵んでくれるだろう。そう考えたトーマスは王城内を歩く。
しかし、“追跡者”はそうとは思っていなかった。
トーマスが何かしら嗅ぎつけ、計画を邪魔しに来たのだと、追跡者ーー陰正は思っていた。
邪魔するようなら殺せーー貴族の男にそう命じられていた陰正は、王城内部にも関わらず事に出ようとしする。
普段はそんな事をすれば衛兵が駆けつけてくる。しかし今は普段通りでも、普通でもなかった。
「待ってもらおう」
そう言い、陰正は角から身を現す。トーマスは足を止め、ジッと陰正を見つめる。
その姿は見て真っ先にトーマスが思い浮かべたのは、浪人であった。
少し薄汚れた鼠色の着物を、だらしなく着ている。頭は長く伸ばした髪を後ろに1つに括っていた。
身につける武器は、腰に下げた一本の刀のみ。しかし、その眼光は厳しく、飄々としていながら油断ならないとトーマスに思わせた。
「……貴男は?」
「景政と申す。恨みはないのだ。されど拙者雇われの身、気は乗らぬがーー参る!」
そう口上を上げ、景政はトーマスへ斬りかかっていった。
陰正は鋭い踏み込みを見せ、瞬時にトーマスの目前へと移動した。そして、腰を切るようにして刀を抜く。
一動作による斬りかかりは、抜刀術と呼ばれるもので一太刀で一撃を加えるものだ。抜き打つと同時に斬り掛かることで、尋常ではない速度で斬り掛かることが出来る。
しかし、トーマスの動体視力ならば十分に対処可能である。その刀の刀身が見えていれば、だったが。
抜き放った刀には、刀身がなかった。いや無かったように見えた、というのが正しいか。
薄く均一に整えられた薄い水が、皮膜のように刀身を覆っているのである。
しかし完璧とは言えず、所々揺らぎが見えた。そのおかげでトーマスはなんとか掠る程度に負傷を抑える。
刀に付いた血液がゆっくりと刀身に溶けていき、僅かな間ではあるがトーマスにも見えるようになる。その刀身には波のようなものが刻まれており、トーマスはそれを見て思い出した。
独特な文様が、ある少年が持っていた刀剣に刻まれていたものに酷似しているのだ。
「……似ているな。烏丸に」
思わず口に出したトーマス。それを聞いていたのか、陰正はそれに反応した。
「知っているのか? ーー本家の麒麟児を」
「麒麟児?」
ーーやはり烏丸に連なるものか。疑問を口に出すと同時に、相手の素性について考える。
烏丸を知っていて、更にその姿格好から見るに、陰正が和国の出身であることは定かであった。
「遠目でしか見たことはないが、紛れもない天才だ」
陰正の目には、憧れの色が浮かんでいた。
「しかし……そうか。ならば“黒面”に連なるものとして、見窄らしい姿は見せられん。ーー黒面衆の秘技、とくとご覧いたせ」
そう言うなり、陰正はトーマスにまたしても斬りかかる。上段から振り下げた一撃は、トーマスの目からは先程と何が違うのかはわからなかった。
故に特に脅威はないと、トーマスは最小の動きでそれを避ける。
ーー瞬間、陰正は嗤った。
その事をトーマスが気付いた時には既に遅く。上段から斬りかかれたにも関わらず、トーマスの胸は横に大きく切り裂かれていた。
「まだまだ行かせてもらう!」
今度は右斜めからすくい上げるような一撃。トーマスは回避することを止め、それを受け止めようとストレージから出した短剣を構える。
短剣と太刀との衝突。衝撃に身構えたトーマスは、ありえない光景を目にした。
ぶつかる寸前、刀身が3つにブレたのだ。短剣をすり抜け、気付いたら左腕を切られている。
トーマスは一旦距離をとろうと、大きく後ろに飛んだ。
鎧を着ていなかったために、裂傷は大きかった。ジクジクと治っていく傷を確認しながら、トーマスは考える。
しかし何もわからなかった。見えないのはまだ判る。しかし何故増えるのか、何故透過するのか。幾ら悩んでもトーマスにはわからないのであった。
しかしトーマスにはそれよりも気がかりな事があった。王城内の不審な人物。何より内部で戦闘が起きている。それなのに誰も来る気配がなく、衛兵の姿など視界の隅にもうつらない事だ。
ーーなにか起きている。トーマスが確信するのに、そう時間はかからなかった。
「何時まで動かないつもりだ?」
何時までも立ったままのトーマスに苛立ったのか、陰正が挑発するように問いかける。
トーマスは無言で、武器をかまえる。
摩訶不思議な攻撃。そして王城内の異変。
見る限りは冷静そうに見えるトーマス。
ーーしかし、彼は焦っていた。
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少し時を遡った王城内部。
王城内の一角にある舞踏会場では、何事もないかのように華やかな光景があった。
男の貴族は着飾った女性に声をかけ、ともにダンスを踊る。華々しい光景がそこにあった。
舞踏会では複数の男女が固まっており、その中でも一際取り巻きが多いのは、ジュリーヌ・ティアーヌ姉妹だ。
彼女らは無礼な者には手痛い仕打ちをするが、礼節を持って接すれば相応に応えてくれる。その事から姉妹は、このような場では人気であった。
反面、同じ姉妹でありながらアンリエトの所には人一人居らず、周りの空間には空白ができている。アンリエトにダンスを申し込むものなど皆無であった。
故にアンリエトが小さい頃からこのような場には積極的に参加しなかった。理由は見て明らかである。
片手に持ったグラスを傾けながら、舞踏会の中心となっているダンスホールを見る。そこではアンリエトの姉達が楽しそうに踊っていた。
ーートーマスがいたら、自分もあのように踊れていたのだろうか。アンリエトの心に浮かび上がる思い。些かの期待を飲み込むようにグラスを呷る。
期待すると同時にアンリエトは不安も抱えていた。
小さい頃からの苦手意識がそうさせるのか。舞踏会で明らかに嫌われてる自分を見て、トーマスが変わらずに接してくれるのか不安であったのだ。
中空を見て考えこむアンリエトに、話しかける者がいた。
「王妹殿下、1曲お相手願えませんか?」
「……公爵」
誘ってきたのはアンリエトもよく知る人物であった。リシャール・クールニュ。クールニュ公爵家現当主である。
アンリエトはこの若さである役職を任されており、彼は仕事でよく知る人物であった。
アンリエトは彼の手を取り、ダンスホールへ歩いて行く。集まった人々は信じられない、という顔をしており、ジュリーヌ・ティアーヌ姉妹、更には母親の女王まで驚愕の表情を浮かべている。
2人には奇異の視線が突き刺さるが、アンリエトは気にする余裕もなく考え込んでいた。
ーーわからないからだ。何故、このタイミングで話しかけてきたのかが。
任された役職というのはあまり表で話すような内容ではないーー俗に言う汚れ仕事のようなものだ。華々しい舞踏会で話していいことではなく、そしてそれを破るような人物にアンリエトは思えなかった。
しかしその予想は大きく外れることになる。
リシャールはそれを破り、踊る最中に話しかけてきたからだ。
「暗部の件は、どうでしたか?」
「ーーっ!? 公爵、それはここで話すようなことではない」
アンリエトはそのことを責めるように咎め、話を終わらせようとする。しかしリシャールは聞こえてないかのように、1人で話し続ける。
「王妹殿下の事です。失敗することなど無いのでしょう。貴女はそれ程の実力を持っている」
リシャールは無礼とも言える態度を取る。アンリエトは初めて見る様子に、訝しげな目を向けた。
「しかし、だからといって伝統を蔑ろにしていいわけではない」
「……またその話か」
リシャールは伝統や格式を重んじる貴族であった。それに固執しすぎたといえる。
昔から雇っていた者達。暗部組織の慣例。それらは彼にとっては尊ぶものであった。それ故に、合理主義的なアンリエトの組織経営に度々反論していた。
「昔から、という理由だけで使えない者を雇うほど私は甘くはない。それに組織のことは任せる、と女王陛下から承っている」
「それに関しては、まだ納得できたところもあります」
それでは何が不満なのか、会話を続ける気はなかったアンリエトだが、それだけは聞いてやると視線で伝える。
「賤民ーー冒険者を雇うとはどういうお考えですか? それも組織の長が、素性も知れないものを!」
「おまえまでその話か」
「それだけは納得できません。今までの伝統を蔑ろにする行為の数々! さすがにもう許容は出来ん!」
リシャールの選民意識はもはや病的な域に達しており、冷静な判断ができなくなっていた。貴族の中では一般的な考えであり、特に問題になるようなこともないのがアダとなった。
誰も彼が凶行に及ぶとは思わなかったのだ。
「古き掟にはこのような一文があります。『王族又は其れに連なる者が国に害となる行為に及ぼうとする時、正当な権利を持って之を誅する事が出来る』と。ーーそうでありますよね女王陛下!」
アンリエトの母でもある第18代グリドレード王国国王リザベル・リリアナは黙する。病的に古来からの伝統に固執するリシャールが言うことであり、そのことを知っているリリアナは迂闊に反論することが出来なかった。この国の誰よりも、この国の歴史に詳しいかも知れないのだから。
リリアナは、視線を横に控える臣下に向ける。その視線の意味を感じ取った臣下は、静かに頷く。
ーーどうやら本当にあるらしい。
王族が自分が決めた掟を破ることは出来ない。反論することが出来ず、渋々了承する。
「ーーそのようだ」
「では?」
「ああ、勝った方を公明とする。だが王国の兵士を使うことは許さん」
「なぜ!?」
「黙れ。古くからの慣習を蔑ろにすることは国家の荒廃を招く。言わんとすることは判る。しかし、それを全て鵜呑みにすることは出来ん。ならば勝った方を是とする。それもまた、古き時代からの定だ」
リリアナはそう断言する。リシャールは不満だったが、勝てばいい、そう自分に言い聞かせ納得する。
その実、リリアナはリシャールがアンリエトに勝てるとは思っていなかった。それに勝って欲しいとも思っていなかった。
実際にアンリエトは優秀であり、組織経営も手堅くこなしている。反面、リシャールはその選民意識が何時か問題になるのではないかという懸念がある。
ならばリシャールの言い分を突っぱねて、問答無用で捕縛すればいいだけなのだが。リリアナはそうしようとは思わなかった。
アンリエトのやり方は悪くはない。しかし、それは限定された場合の話だ。
リシャールほど病的ではないが、アンリエトに反感を持つ人間は少なくない。それは舞踏会の中で、突然の出来事に戸惑っていない人間が多数居ることが何よりの証拠だ。
逆にアンリエトは、慣習や伝統を粗末にし過ぎている面がある。民衆やギルドを軽んじるのは駄目だが、その逆もまた然りであった。
双方を立たせるやり方が必要であり、そのことをリリアナは知って欲しかった。
しかし、大きな誤算によりその目論見は外れることになる。
リリアナの誤算。それはアンリエトがリシャールに追い詰められる事だった。
リシャールが行った戦法は、至って単純なものである。
周りを兵士で囲み、リシャール自身が遠隔攻撃を行う。ただそれだけだ。
しかしこれは、通常ならばアンリエトには効かないはずであった。
闇属性の異能を持つアンリエトは、体を他の異能者同様変質させることが出来るからだ。囲まれようとも突破出来るだけの技量もある。
しかし、それはリシャールの“新魔法”と“聖銀武器”によって無駄となる。
強者故の驕りか、アンリエトは兵士に囲まれようとその場を動くことはなかった。
周りを兵士で囲まれたアンリエトを見て、リシャールは高笑いを上げ自慢気に叫んだのだ。
古代の魔術を魅せつけてやる、と。勝利を確信していたリシャールは誇示するように話し始める。
彼の家にあった古文書を学園都市の研究部へ預けた所、魔術の復元に成功したという事。それは“念動”という魔術で、はるか古代に祖先が使っていた魔術だと。更にある協力者から貰い受けた“聖銀武器”は、闇を祓い滅すると。
そう言いながら、リシャールはある武器を取り出す。
それは一本の槍だった。全てが白銀で作られており、くすみや汚れなどが一切ない。
長く鋭く尖った刀身、口金には牡山羊の顎鬚のようなものを生やした馬が模られている。石突には巻き付くように獅子の尾が装飾されていた。
その場の空気が完全に変わったのは、リシャールがそれを投げつけた時だった。そしてリリアナが、自分の失態に膝を叩いたのも。
短槍に属される白銀の槍は、緩やかな動きでアンリエトへと向かっていった。リシャールは投槍の訓練などしたことがないのだから当然であったが。
アンリエトに届くはずもなく、中程で落ちようとする。しかしリシャールが小声で二言三言呟いたかと思うと、爆発的な加速を見せアンリエトへと向かっていく。
アンリエトは避けることが出来なかった。そもそもが避けようとしないアンリエトに直撃をする。槍は右肩に突き刺さった。
しかしアンリエトは、体を変質させることで無効化出来る。それ故の余裕の態度であったが、次の瞬間その余裕は吹き飛ぶこととなった。
ーーアンリエトにとって久方ぶりの激痛。
痛みに慣れていないアンリエトは、苦痛のあまり叫ぶ。
強者であり、常に余裕を崩さず堂々としていたアンリエト。彼女の苦しむ姿を見て、舞踏会場で動揺が広がっていく。
普段すり抜けていくはずの槍は、何故かアンリエトの体に突き刺さっていた。
刺さった部位の周りだけ変質化が解かれており、深々と突き刺さっている。更にまるで刺さった刀身が、熱した鉄の如く傷を焼いていた。
アンリエトは囲みから出ようと、囲いの一角へ向かう。特別なのはあの武器だけであり、囲いを抜けてしまえば対策のしようがあると考えていたからだ。
しかし瞬時に、とはいかない。そして、それを見逃すリシャールではなかった。
アンリエトを柄で殴りつけるように槍を手繰る。白銀槍の力は刀身以外にも有効のようで、アンリエトは大きく殴り飛ばされる。
リシャールのアンリエト対策は万全。相手は有効打を一報的に与えられ、アンリエトは反攻が難しい状況。
アンリエトは、強者に甘んじていた自分を心の中で叱咤する。しかし、後悔しても仕方がないとリシャールが居る方向を強く睨む。
アンリエトの生涯で、初めての絶体絶命的な状況。しかし、アンリエトは諦める気などさらさら無かった。
強い闘志を持って立ち上がる。その体からは、黒い瘴気がユラユラと立ち上っていた。
アンリエトは、自分の顔を覆う眼帯を半ば千切るように取る。中から現れるのは、一部の白も無い黒き眼球。
「“怪物”を、舐めるな……!」
アンリエトは嗄れた、低い唸る声で叫ぶ。
黒い瘴気を身に纏ったその姿は、正に死を体現していた。




