35.樹海
樹海を走る、いや“跳ぶ”と言った方が正しかった。段差が激しい森の中を、男ーートーマスは何かから逃げるように走っていた。
何時ものような鎧姿ではなく、硬革で出来た装備一式に、ヘルメットの様な形をした兜を被っている。
彼は中空に橋のように横たわった朽木へ跳び、後ろを振り返った。視線の先には広く『ラプトル種』と呼ばれる魔物が、群れをなし追いかけてくる。地球で言う恐竜、特に二足歩行のものと非常によく似ており、体長は大体3m、体高は1m50㎝程。群れで狩りを行い、現に今トーマスを追いかけているものも6匹ほどの群れであった。
硬い外皮を持ち、その顎の一撃は強力。皆一様に等級はC級以上に定められており、|樹海に多く生息する魔物でもあった。
高い所へは登れないだろうと上へ飛び乗ったトーマスだったが、ラプトルは気にも介さず登ってきていた。逆に逃げ場を失う結果になるのだった。
狭い足場のせいなのか、2匹で襲いかかるラプトル達。それをトーマスは槍で迎え撃つ。パルチザンと呼ばれる槍で槍の中では短い方だが、『牛の舌』形パルチザンと呼ばれる物で文字通り牛の舌に似た刃が付いている。突く事もできるが、薙ぎ払うように切り裂くことも出来る槍だ。
まず最初の2頭を薙ぎ払いで仕留める。刃は2頭の頭を一直線に切り裂き、樹海の下へと落ちていった。
トーマスは槍を握り直し、杖術のように1回転させる。下から掬い上げる様に、石突きの一撃を放つ。見事に1匹の頭を粉砕し、返しの一撃で1頭の頸動脈を裂く。ローキックで1頭を木から落とし、槍を残る1匹の口に突っ込んだ。穂先は喉奥を貫通し、力を失った躰は樹海の奥底へ消えていくのだった。
ストレージへと武器を仕舞いながらトーマスは呟く。
「走ればすぐ着くだろうと思っていたが……少し甘く見すぎていたかな」
樹海に入ってから2日。既に両の手では数えきれないほど襲撃を受けており、そして何よりトーマスは絶賛迷子中だった。
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元々は船旅の時に聞いた話が原因だった。船内にある酒場で中年商人が酒の肴に樹海の大きさについて話していたのだ。
『此処の樹海なんざ、東の樹海に比べたら大したことねえぞ! なんたってちっちゃいしな! なんにせよちっちゃいよりは大きい方が良いに決まってんだからな! ハハハッ!』
中年男は似合うとは言えない獣耳をつけていた。赤ら顔で口を開け豪快に笑う。
『いやいや。大きさより質よ質! お前がおねんねしてる様な所と比べること自体が間違ってら! 烏賊に凶暴な蜥蜴。竜だっているんだぜ?』
対して細井狐顔の男が反論する。同様に酒に酔っており、普段より少し声が大きかった。
結局酔っ払いの会話らしく議論に決着がつくことはなく、その2人は酒場で夜を過ごした。
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結局の所トーマスは、小さいなら余裕だろうと思っていたのだ。小さいと言っても他の樹海と比べてであって、決して歩き出踏破出来る規模ではない。
結果散々襲われ、迷子ーー遭難する羽目になったのだった。
そしてラプトルの後烏賊に襲われたトーマスは思った。
ーー遠回りしてでもいいから樹海を避けて帰ろうと。
高い木から見下ろすと、遠くに道らしきものが見えた。一部が樹海の近くを通っており、あそこに沿って行けば何処かしらつくことだろう。
トーマスは一直線に走りだした。
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土が剥き出し、しかもその剥き出しの地面でさえデコボコとしていた。いくら豪奢な馬車であり振動を感じにくいと言っても、まだ年若い少女のお尻は限界だった。
痛みを表情に出さないように気を使いながら、少女ーーリザベル・アンリエトは窓から外を眺める。見えた景色は、先程から同じ様にしか見えない森だ。
「けれど、此処を通って尻尾を出してもらわなきゃ困る」
アンリエトは景色をボウっと見ながら呟いた。それを見て侍女がアンリエトの方へ向かうが、彼女は手を軽く上げそれを止めさせる。侍女に頼むことなんて馬車では紅茶ぐらいしかないのだ。そしてアンリエトはそれすらも飽きていた。
――まさかお茶に飽きることがあるなんて。
これは王都に帰っても暫くお茶は楽しめないかも知れない。そう思い軽くため息を吐く。
次の瞬間、馬車の周りを囲む騎士達から怒声が上がる。それは敵襲を告げるものだった。
「ラプトル種の群れです!」
アンリエトが見ていた窓とは逆方向の森から、数十匹のラプトルが出てきた。それと同時にアンリエトの目の前の茂みからは、山賊に扮した男達が出てきていた。
「……少しは考えたのか」
そう口にしながら、馬車の窓を扉を開けた。侍女に“待っていなさい”と告げ、馬車を出る。
「――けれど。少し足りないな」
そう言い。グリドレード王国第三姫リザベル・アンリエトは獰猛に笑った。




