8.勇者は悪か善人か?
妖魔の気配が途切れたのに呼応するように、エステルの創り出した神聖魔法の光球がすうっ、と消えた。
森の縁を照らす星明りの微かな光を頼りに、村の男達が慣れた手付きで松明を付けた。
アレクに呼ばれて戻って来た樹の側へ、二、三本の松明が寄って来る。
先頭は、革職人の親父だ。
「あんた」親父は、厳しい顔で樹に詰め寄る。
「勇者だ、ってこたあ、ないよな?」
アレクもエステルも、樹が勇者だと知れれば、何処の町も村も、樹達を招き入れないだろう、と言った。
だが、あれだけ多くのゴブリンとキラーバットを退治したのだ、少しは有難く思って貰っている、と、樹は考える。
愛想よく迎え入れはしないが、追い出しはしないだろう。
正直に「そうだ」と言おうと口を開いた樹より先に、アレクが声を張り上げて答えた。
「あるわけがないだろう。つい昨日まで、ネレトーやオオカミにさえ、倒すどころか追っかけ回されてた男が勇者だなんて――」
「嘘は言わんこった、正騎士さん」革職人の親父のすぐ後ろに立っている、ひょろりと背の高い中年の男が、仄暗い明りの中で顔を強張らせる。
「俺あ目の前で、あんたの仲間の兄さんがでかいゴブリンに噛み付かれたのを見たんだ。あのゴブリンはボスのホブゴブリンだ、並みの人間ならホブゴブリンの毒を入れられて動ける訳はねえ。――けど、そこの兄さんは、一旦剣を取り落としたが、すぐに拾い直して刺し殺した。妖魔の毒に耐えられる人間なんて、勇者以外には居ねえ」
男の証言に、村人が「そうだ」と口々に言いながら頷き合う。
懐疑と嫌悪の視線を前に、樹は小さくアレクに言った。
「……もう、言っちゃったほうがよくね?」
「だが……」と逡巡を見せたアレクだが、ひとつ呼吸を整えると、「そうだな」と意見を変えた。
樹は村人を一度睥睨すると、胸を逸らす。
「そうだ。俺は勇者だ、悪いか」
「やっぱり。あんた達が妖魔を引っ張って来たのか!?」革職人の親父が、声を張り上げる。
樹は、予めアレクやエステルに聞かされていたとはいえ、村人達が本気で勇者が妖魔を引き寄せている、と思っていることに、呆れた。
「どう考えたら、んなバカな答えが出て来るんだ?」素直な感想が、するりと口から滑り出てしまった。
「タツキっ!!」慌てた様子でアレクが小突く。
「誰がバカだとっ!?」
「おまえらのほうが、分かって言ってんのかっ!?」
村人が、いきり立って松明を振り上げる。先頭の革職人の親父が「まあ待て」と抑えた。
「昔っから、勇者が来ると妖魔が出る、と、エジンの何処でも言われてる。現に、あんたらが来た途端、黒森にゴブリンやキラーバットが出た。俺らとしては伝承通り、勇者が妖魔を連れて来たとしか思えん」
「だからバカだって言ってんだよっ」樹は相手に聞こえないように、小さな声で毒づく。
「もう一つの伝説じゃ、魔王がこれから現れるから、先に勇者が現れて、魔王を倒す武器を探すために旅するんだろ? 魔王には『魔王の剣』っていう、えっらく強い剣がある。それに対抗できるような武器を、勇者が探し出せなきゃこの世界は滅びるって。
妖魔が出て来るのは、魔王が現れる前に勇者が武器を見付けちまわないように、邪魔するためだろうが」
睨み返す樹に、革職人の親父が言った。
「そりゃ、あんたの言い分だ。俺達平凡な人間にとっちゃあ、どっちでもおんなじことなんだ。理屈はどうでも、妖魔が出れば、村は荒らされる」
「俺だって被害者なんだってっ!!」言い返した樹に、親父は首を振った。
「最初にも言ったが、勇者が来ればそれを追って妖魔が出る。あんたが被害者だろうが、こっちはもっと被害が出るんだ」
「……だから、出てけってのかよ?」樹は、村人全員を睨付ける。
「俺達が居なかったら、アレッサ村はゴブリンに完全に潰されてたぞ」
「いーや。勇者が村に来たから、ゴブリンが森に出たんだ。あんたらが来なかったらゴブリンも来なかった」ひょろ長親父が言い張った。
「こンの、ガンコもんどもがっ!!」完全にブチ切れて、樹は暴れる積りで拳を振り上げた。
が、拳は誰かを殴る前に、がしっ、と掴まれる。
細くてしなやかな手だが、思いのほか力があり、振り解こうにも動かない。
「いくら説明をしても、平行線ね」グレイスだった。
「村の人達は勇者を狙って妖魔が現れ、そのせいで自分達も襲われると思っている。でも、勇者にしてみれば、妖魔に狙われるリスクを冒してでも魔王を倒す武器を探し出さなければならない。無論、巻き込んでしまった村人は全力で守るつもりで。――どちらも正解だけど、どちらも間違っているわ」
「どうしてだ?」アレクが、レン族の弓使いの女の、白い顔を睨み上げた。
「妖魔は、魔王がこの世界に姿を見せる前の先遣隊。でも、勇者をピンポイントで狙っているのではないわ。その証拠に、私が、エジンに来る前に寄ったミランジェ王国のソニア村は、一夜にしてオークとゴブリンの混成集団に襲われて壊滅したわ」
「え……」勇者の樹は、未だに最初に転生したエジン王国を離れていない。
「そんなら」と、ローエンという、アレッサ村の若い農夫が訊いた。
「妖魔は好き勝手な場所に現れて暴れるってか。それを魔王がやらせてるって」
「そういうこと。妖魔に襲われて、住人が全員食べられた村や町からは、そこにどんな妖魔が来ていつ襲撃されたのか、っていう情報は出て来ないしね」
「なんで?」
村ひとつ、町ひとつ無くなれば、そこの領主は慌てて原因を調べるだろう。
旅人とて、何時も宿泊している村や町が無くなれば、別の町で噂話のタネにするだろう。
樹の問いに、グレイスは、「生存者が1人も居なければ、領主も正騎士も話の訊き様がないでしょ」と真顔で答えた。
「ってことは、あんた、ソニア村が襲撃された時、そこに居たのか?」
アレクは、長身の女を強い目で見上げる。
グレイスは、感情の読めない赤い目で、アレクを見返した。
「ええ。居たわ。ただ一人の生存者として」
ふうむ、と革職人の親父が唸った。松明を持つ背後の村人達も、困惑と不安の表情をしている。
「アーケンで勇者が現れたって噂が出た時、そっち方面の妖魔の情報は極力行商なんかから訊くようにはしていたんだが……」
「妖魔が出たって話は、ミーナ村だけだったし……。ミーナ村じゃ、正騎士や傭兵が居たんで、どうにか妖魔は退治したとは言ってたが、他は何にも……」
ひょろ長親父も、難しい顔をした。
「無論、私は最後まで戦闘で生き残った者の義務として、ソニア村を管轄していたご領主にご報告はして来たわ。検分も疑いようがなかった。――その場に私が居殺したオークやゴブリンが転がっていたから」
革職人の親父が、再び唸る。
「レン族のあんたの話を信用するとすれば、俺達は勇者について間違った印象を持ってたわけか」
「そうね」グレイスは微笑んだ。
樹とアレク達を振り返ると、「分かってもらえるなら、良かったわ」
******
「上手く言い包めましたね」
アレッサ村の宿屋の部屋で。
トーリは立ったまま弓の装備を解くグレイスを、面白そうに眺めている。
グレイスは横目で黒ずくめのトーリを、初めて見せる不機嫌そうな表情で見返した。
「仕方ないでしょう? 思い出したくもないけど本当の話だし。ああでも言わなきゃこの村からまた勇者様ご一行の悪い噂が流れて、近隣の村や町に立ち寄り難くなるでしょう。そうなれば、武器探しも困難になる」
「けど、あんたは今だけ私らのパーティに加わったんだ。そこまで樹の心配をしてくれる義理は無いんじゃないのか?」
訝しいという口調のアレクに、グレイスは、「ああ、忘れてたわ」と、惚けた調子で言った。
ぴったりとしたスウェットの胸元に手を突っ込むと、一枚の紙片を取り出した。
「アーケンの大神殿に立ち寄った時に、大神官様から正式に授与されました。――追っ掛けですけど、私、正式にあなた達のパーティの一員なので」
紙片を手に取ったアレクは、がっくりと肩を落とす。
「……だったらそうだと、端から言えよ」
「合流した途端に妖魔騒ぎだもの。言うタイミングを逃したのよ」
矢筒とショートボウを自分のベッドのヘッドボードに置き、グレイスは優雅にベッドに腰掛ける。
長い脚を組む仕草が鼻血もののセクシーさで、樹は左端の椅子に座ったエステルに見つからないように、そっと右上を向いた。
「けど、レン族の御方が大神殿の、しかもアーガリル大神官様と顔見知りとは。どういう経緯か、話して貰えれば有難いが」アレクが、疑う訳じゃないが、と付け足した。
「ま、正騎士としては気になりましょうが。ここは申し訳ないけど、まだひ・み・つ、って話で」
赤い目を、悪戯っぽく細めたグレイスに、アレクは「だろうね」と息を吐いた。
「まあいいか。――あんたみたいな飛び道具が仲間になってくれるのは、心強いし。おまけに、さっきの村人への説得で、これから先、勇者が悪者どころか妖魔退治に大変な功績があるって噂にもなりそうだしな」
アレクの話に、樹は、
「それはそれで、めんどいんじゃねえの? 行く先々で勇者大歓迎みたいになっちゃったら、それこそ武器探しもしにくくなんねえ?」
「要は、程々ってことですね。上手くいくかは分かりませんが」トーリが、この先の不安を短く纏めてくれた。
「進んでみなけりゃ分からないさ。――悪い、先に湯あみしてくる」
話しながら、いつの間にか鎧と鎖帷子を脱いでいたアレクは、着替えのシャツとタオルを抱えて部屋から出て行こうとする。
宿屋の浴室は5、6人はいっぺんに入れる。どうせなら一緒に済ませたほうが早いと思い、樹は声を掛けた。
「あ、俺も行く」
自分の着替えを持って立ち上がった樹に、アレクが眦を釣り上げ、真っ赤な顔で怒鳴った。
「来るなっ!! バカっ!!」
物凄い剣幕に圧されて、樹はその場に立ち竦む。
なんで怒られたのか、見当がつかない。
「いくら何でも、それは怒られますよ、勇者様?」
樹は、はっとしてトーリを見た。彼女は真面目な顔で首を振っている。
「淑女の沐浴に、夫でも許嫁でもない男が一緒に入ろうなんて」
「……淑女、って?」
「あら? 気が付かなかったの? 何日か一緒にいて」グレイスがくすくす、と笑った。
「アレクは女性よ」
――え……、えええええぇっ!?
会った時からずっと小柄な少年正騎士だと思い込んでいた樹は、トーリとグレイスに、1トン級のハンマーで頭をどつかれた気がした。
「会った時から、その辺りはニブい方かしらと思ってましたが、ここまでとは、本当に思いませんでした」
樹の顔面が、俄に熱くなって来る。
最悪だった。
沐浴から戻って来たアレクと、どんな顔をして会ったらいいのか、考えたら頭がクラクラして来た。
「ああ、そう言えば」と、トーリがパニクってる樹に追い撃ちをかけた。
「アレクは小柄ですけど、脱ぐと結構バストは大きいですよ」
肉体は十七歳、精神年齢は、たぶん三十九歳……、いや、今は二十歳くらいになっているかもしれない樹にとって、強烈なカウンターパンチだった。
「あ、鼻血……」エステルが、さも嫌そうな顔をしながら、樹に止血の魔法を掛ける。
「興奮したオスの鼻血なぞ、じきに止まります。嫌々魔力を使う必要はありませんよ、エステル」
にべもないトーリの一言に、「そういった理由でっ、かっ、仮にも勇者たる方が、みっともなくも鼻血を垂らされているのがっ、い……、嫌なんですっ!!」とエステルは真っ赤な顔で怒鳴った。
トーリはくすっ、と笑い、浅緑色のエステルの長い髪の一房を手に取ると、「可愛い……」とキスした。
彼女らのやり取りを眺めつつ、樹はがっくり肩を落とす。
要するに、エステルもトーリもアレクも、国からの命令でくっついて来たのであって、誰も樹が「勇者だから」と、歓迎していない。
むしろ、早く武器を見付けだし、さっさと魔王が現れて、この状況が解消されることをのみ望んでいる。
――パーティ仲間が全員美女って、中々無いし、ほんとはウハウハな筈、なんだと思うんだけどなぁ……
女の子達から愛されてないのなら、ハーレムとは言えないかもしれない。
ただの仕事仲間だっていうなら、毛深くてでっかいおっさんでも同じだ。
女の方がドライでシビアなのを考えれば、却ってそっちの方が良かったかもしれない、と、いくばくかの孤独感と寂寥感を噛み締める樹だった。
のたのた書いてます~~すみません。
一応、いちおうっ、これでパーティははっきり女子だらけって分かったんですが……
やっぱりこういうの、樹も言ってますけど、ハーレムじゃないですよね……(汗)