5.勇者が先か魔王が先か?
一仕事終え、戦いに参加した戦士達が遅めの朝食を採るため、宿の一階の食堂に集まる。
黒革の鎧を着た大男が、仲間と共に樹達の卓の隣へ座る。
「さっきは、随分と助けられたな」男が、愛想笑いを浮かべながら言う。
「お互い様だろう」アレクが、素っ気なく返す。
「戦ってる時には気付かなかったが、あんたら、随分変わったメンバー構成だな?」
正騎士に巫女、古代呪術学者、そして剣士。
「まあ、人には知られたくない内情ってのもあるだろうけどよ。妖魔が出たんだ、こういうことは、やっぱり聞いておかねえと……」
「勇者のことか?」アレクが、直球で訊き返した。
食堂の空気がすうっ、と冷たいものに変わるのを、樹は感じた。
男が[そうだ]と真顔で頷く。
「妖魔は勇者を追って現れるって話だ。もし、あんたらの中に勇者が居るんなら」
樹は、初めて聞く話に大いに驚いた。
魔王が現れる前に、大勢の配下の妖魔が現れる、とは、トーリから聞いていた。
が、その妖魔が、勇者を追って現れるのだとは聞かされていない。
勇者の行く先々に必ず妖魔が現れて暴れるとなれば、先に言われた通り当然、一般人にとって勇者も厄介者だ。
人々が勇者を嫌がる意味が、やっと分かった。
俄に、冷や汗が出て来た。樹は「やばい」という思いが極力顔に出ないよう、黒革の鎧の男から視線を外し、平静を装う。
どぎまぎしている樹の隣で、不意にトーリがくつくつと笑った。
「勇者さまは、魔王が現れる前にご自分の武器を手に入れるため、この世界を巡る。無事に武器が手に入れば、確実に魔王を倒される。それがお役目。
私達の中でそのような役目を仰せ使った者が居るとすれば……」
トーリは黒い瞳で揶揄うようにアレクの金の目を見る。
アレクは「バカか」と一蹴した。
「我々の中に勇者なんぞいない。そもそも、妖魔が勇者を追って現れるという話自体、真実なのかただの伝説なのか、分からないのだろう?」
「そりゃそうだが……」男は濃茶の、ぼさぼさの頭を掻く。
宿の女将が、心配そうに口を開いた。
「ですけどねえ、騎士様。オークみたいな強い妖魔が、真昼間から村の真ん中に現れるなんて、どう考えても妙でございますよ。あたしがばあさま達から代々聞いてたのは、妖魔っていうのは夜行性で、昼間は森の奥に潜んでて、夜になると人里を襲撃するって」
「それはありますね」トーリは、口元に手を当てて何か考えるような顔をする。
「ただ、必ずしも妖魔の全部が夜行性ではありませんし、夜行性の妖魔でも、空腹だったりすれば昼間に人や獣を襲いに村や町にやって来る可能性はあります。
今回は、そのケースではないかと」
「あんた、よく妖魔のことを知ってるな」男がじろり、とトーリを睨む。
アレクが、金の目を細めて男を睨んだ。
「古代呪術研究とその実践に於いて、右に出る家柄無しと言われるラスパポケット伯爵の名を知らない奴は、エジンの人間ではないな。――我々のパーティは、実は今回、こちらの伯爵令嬢が新しい古代呪術研究のためにルドラ山地の最古の遺跡へ向かうために組まれたのだ。ま、それでも戦力不足は否めないが」
「……なんで今更ルドラの廃城なんかへ?」黒革の鎧の男の、まだ信用していないぞ、という言い回しに、アレクは、「今だからだ」と平然と返した。
「妖魔が出るんだ。国王としては、ラスパポケット伯に、より強力な古代呪術の収集と研究を命じるのが筋だろう?」
ま、信じるかどうかはそっちの問題だがな、と、アレクはその話を早々に切り上げた。
国王の名まで出してしゃあしゃあと嘘を並べ立てたアレクに、疑った男も、宿の女将もまんまと丸め込まれる。
「王様としては、そういった備えはお考えになるでしょうねえ」
「まあ、そりゃそうか……」男の仲間もアレクの説明に納得した。
よくあんなことが言えるな、と感心した樹だったが、これからも町や村に宿泊する度に詮索されるのかと思うと、どんよりして来た。
気が重くなった樹の様子に気が付いたらしいアレクが、ふん、と鼻を鳴らす。
「ルドラ山地の遺跡まで結構な道のりだ。食べられる時にきっちり喰っとけよ、新米」
完全に歳は自分のほうが上だろうが、と言おうとして、樹は現在の見掛けが十七歳なのを思い出した。
剣士見習いがいくつからなのかは知らないが、ここは黙っていたほうがいい。
「……はい」と、不本意ながら返事して、樹も食事を食べ始めた。
******
「ああ言っちまった以上、ルドラ山地ってとこに行ったほうがいいんじゃね?」
食事を終え二階の部屋へ戻った樹は、他の三人に提案する。
剣を剣帯から外し、自分の寝台に立て掛けたアレクが、じろり、と樹を見て来た。
「今日、オークが出た。ということは、山にはもっと多くの妖魔が徘徊している可能性がある。――それでも、行くか?」
樹は瞬間、先刻初めて戦った妖魔の強さを思い出す。
――あんなのが、もっと居るってことか……
行こう、と言ったものの、躊躇う。
トーリが、ひょい、と樹の手を取った。
「剣士レベル7、騎士レベル8、身の守り6、魔力10、基礎体力レベル20。素早さレベル7……。あら、勇者オプションレベル『オークキラ―』開放」
「オークは一撃で退治出来るレベルというわけか」
アレクの言葉に、トーリは「それだけではないです」と付け足した。
「総合レベル――勇者レベルが出ました。3です」
「それは、早いですっ」エステルが、紺色の目をまん丸に見開いた。
「普通、剣士か騎士レベルが10以上にならなければ、勇者レベルは出ないはずですが……。タツキさまは、例外なんでしょうか?」
「て、言われても、」強制転生二日目の新米勇者に、分かろうはずもない。
「ま、レベルアップが早いに越したことはない。――これから出発すると、次のアレッサ村まで丁度夕方には着くな」
アレクの一言で、樹達は手早く支度を済ませ宿を出た。
宿の外では、オークの死体の片付けを村人がしていた。
村の神殿の神官が聖水で死体を清め、毒を緩和したのち、男達が斧やのこぎりで身体を切断していく。
「オークって喰えねえんだ」
「血も肉も弱毒性だ。口にすれば腹を壊す。不味いし」とアレク。
「それって、食べたことあるみたいな言い方だな? まさか、正騎士団の遠征で食べたとか」
アレクは、金の細い眉を不快そうに釣り上げた。
相手の表情から、これは齧ってみたな、と、樹は想像する。
「……オークは何処も使いものにならないそうだ。皮もなめして使えないし、ただでかくて危険なだけだから、早いところ焼いてしまうのが一番なのだと」
そうだな、と振り向いたアレクに、エステルはこくこくと首を縦に振る。
どうも、エステルは十六歳という年齢より幼い仕草が多い。その上、気を許している相手以外には、バリバリに警戒しているようだ。
どうして見知らぬ人間に怯えてしまうような巫女を、アーガリルは樹の仲間としたのか?
浅緑色の髪に隠れた紺色の瞳を窺うように、樹がエステルを見ていた時。
「よお」妖魔の解体に気を取られて足を止めていた樹達に、黒革の鎧の男が声を掛けて来た。
「おまえら、もう先へ行っちまうのか?」
「魔王は待ってはくれませんから」トーリが、平坦な声で答えた。
「オークの始末、悪いが任せる」アレクは薄く笑む。
「……まあ、いいけどよ。――ああそうだ。勇者にだけは出くわさないようにしろよ。下手すると妖魔を引き連れてるかもしれねえから」
「そりゃ、おかしいだろが」樹は反論した。
「魔王を倒すのが勇者なんだから、魔王の配下の妖魔を、勇者が引き連れるわけねえだろ。それを言うんなら、妖魔に纏わり付かれてるかも、だろが」
男はけっ、と、片眉を上げた。
「どっちにしたって、勇者が居れば妖魔がセットで出て来るんだ。用心するに越したこたあねえ」
じゃあな、と、男は村人の手伝いをしている仲間達の中へ戻った。
「……卵が先か、ニワトリが先か、みたいな話になってるじゃんよ」樹は市井の人々のおかしな感覚にぼやく。
アレクが笑った。
「上手い喩だな、それは。言い換えれば、勇者が先か、妖魔が先か、か?」
「それは、勇者に決まってんだろが」
「ちっ、違うと、思いますっ」エステルが、珍しく口を挟む。
「そもそもは、魔王が原因です。ですので、魔王が先で、勇者さまは後ですっ」
「あー、案外、逆かもしれませんよ?」トーリが、何故か混ぜっ返す。
「初めに勇者ありきで、魔王は勇者を倒すために現れた、のかも」
「それは、ないんじゃね?」樹の否定に、トーリが「そうでしょうか?」と、疑問を投げかける。
聞いていたアレクが、「ああもうその話は道中でしろ」と、キレた。
……なんだか、進まない話ですみません。
もうちょっと、頑張ります~