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2.決定と災厄の始まり

死んでる?

 寝ようと思って伸びをして、寄り掛かったベンチの背凭れが壊れて、頭打っただけで?


「冗談……、だろ?」


 本当なら、ギャグ漫画みたいな死に方じゃないか。


 ――無い無い。ベンチがひっくり返ったくらいで、いくらコンクリの枠に頭ぶっつけたからって……


 半笑いで頭を振った樹に、エステルは、さも済まなさそうに説明した。


「あ、あの、異世界転生は神々がお決めになることなので……。私達人間がどうこう出来ることでは、あ、ありませんです。 

 かっ、神々は、勇者様の適正をお認めになり、こちらの世界へお呼びになったのだと……」 


「じゃ、俺があっちで死んでこっちへ連れて来られたのも、神様のご都合って訳なんか?」


 樹は、神々とやらの勝手な都合に、むかっ腹を立てて、ずいっ、とエステルへ顔を近付けた。


 エステルは「わっ」と小さく声を上げ、樹から離れる。


 単に十代の少女の照れなのか、それとも、樹が嫌なのか?

 エステルは、巫女の杖を握り締めながら説明する。


「ししし、真我、という、人や生命の『核』になるものがあって、普通の人間では、異世界から転移する時、その『核』を自分で守ることが出来ない、と言われています。

 ただ、伝説の魔導師と呼ばれる、途轍もなく大きな魔力をお持ちの賢者様だけは、神々と同じように異世界を自由に行き来できると」


 どうやら樹に臆しているらしいエステルに、これは嫌われているかなと半ばがっかりしつつ、しかし話の中身は信用出来ると、樹は判断する。

そして、それが本当なら。


「……じゃ、向こうの俺って、マジで死体なわけ?」


「だと……」


 強張ったエステルの笑顔に、それでか、と、樹は得心する。

 大神殿で、勇者の装備を整えると言われ、こちらの服に着替えた自分が鏡に映ったのを見た時。

 そこには、三十九歳の取り立て屋から逃げるおっさんではなく、十七歳の、ケンカと片思いと少しの勉強に明け暮れていた、やんちゃな自分がいた。

 憧れの俳優の真似をして髪を肩まで伸ばし、粋がっていた自分が。


 向こうで死んでいるのなら、こっちで若返って転生してもおかしくはない。


 ――哲弥はまだ四歳になったばっかだってのに……


 息子のこれからの成長と、妻の明るい笑顔を糧に、人生やり直そうと決めた矢先だったのに。

 あまりの急転直下に気持ちが付いて行けず、べったりと卓にうつ伏せる。

 こっちの神とやらの都合にオッケーを出した自分の世界の神様に、千も二千も文句を言ってやりたい気分だ。


 ふと、まさかという仮説が頭を過ぎる。


「もしかして、あんたらの神様が俺をこっちへスカウトするために、俺を殺したんじゃないんかっ!?」


「とととっ、飛んでもありませんっ!!」エステルは勢い込んでがばっ、と立ち上がった。


 白いほっぺたが、真っ赤だ。


「いくら神々でも、事象の理を捻じ曲げて人を殺すなどということはなさいませんっ。私達は、予言の女神テテラの御言葉に従って、勇者様をお待ち申し上げていたのです」


「……あー、悪かった」


 神々に殺されたにせよ、予言の通り、予定で死んだにせよ、今更エステルに当たっても仕様が無い。


 やり切れなくなりつつ凹む樹の耳に、「待たせたな」というハスキーボイスが飛び込んで来た。


 ぼんやりと顔を上げると、樹達の座る席の側に、二人の人間が立っていた。

 一人は、短く刈り込んだ金髪に、大きな金の目が印象的な顔立ちの少年だった。

 西洋の甲冑などにはあまり造詣が無い樹でも見事な仕上げだと分かる銀の鎧と、篭手、脛当てを着けている。腰には、鎧と同じ銀の鞘にロングソードを吊っていた。

 もう一人は二十代前半とおぼしき女性で、腰丈まである長い黒髪を後頭部で一度緩く纏め、その先を五本ほどの三つ網にしている。

 辛うじて美人の部類だが、詰襟の紺のフロックコートが妙に堅苦しい。ひょろりと高い背といい、黒ぶちの丸眼鏡といい、どこかの大学の助手か準教授のようだ。


 じろじろ二人を観察していた樹を無視して、少年はエステルに、

「で、そちらが例の方か?」と訊いた。


 ――例の方って、なんだよ? ちゃんと勇者って言やいいじゃねえの?


 と、言い掛けた樹の袖を、エステルが引っ張った。


「なっ……、何っ?」


「あ、あとでご説明を。――はい、こちらが例の方です」


 少年は、ふうん、と頷いた。


「失礼。私はアレクサンドラ・リンクフィンド・リーゼンバウワー。呼称はアレクでいい。見た通りの正剣士だ。そしてこちらは――」


 アレクが振り向くと、黒髪の長身女性は深々とお辞儀をした。


「トーリ・ラスパポケットです。仕事は古代呪術の研究と実践です」


 女性にしては低い、テナーサックスのような声に、樹は少し驚く。

 だがある意味、トーリの見た目と声のトーンは、合っている。

これでアニメの女の子のようなキャピ声だったら、それこそ椅子から落ちてしまう。


「ここ、座っていいか?」少年正剣士は、樹の返答を待たずに正面の椅子を引いた。


「トーリの仕事は、古代にこの世界で繁栄していた国家――テスラ人の古代遺跡から、現代のものとは違う系統の呪術を探し出して、研究することだ」


 勝手に同輩、もしくは友人の仕事の話を始めたアレクに、樹は少し呆れる。

 何で当人が何も言わないまえに、あれこれトーリの仕事の説明をするのか?

 首を傾げた樹の目の端に、エステルの、些か不愉快といった表情が映った。


 ――あれ? もしかして神殿は、古代呪術の研究を歓迎していないのか?


 しかし、そうだとしても、今その辺りをつついて樹に得なことはない。


 しばらく皆の様子を観ようと思った時。エステルが、済ましてアレクに尋ねた。


「で? ええと、王城のほうからはアレクさんとトーリさんだけなのですか?」


「生憎。……王城も来るべき強力な妖魔の襲来に備えればならん。ので、金銭的にも人員も、勇者様への援助は厳しいそうだ」


 アレクは懐から革の袋を出す。卓に置くと、ずしっ、と木の卓が僅かに動いた。


「旅の支度金だそうだ」


「王都金貨二百枚。現在の国情からは張り込んだほうですね」


 トーリの言葉に、エステルは「そうですね」と真面目な顔で頷いた。


「チョイ待ち」ここはさすがに樹は話に割って入った。


「あのさ、俺って、これから現れる魔王を倒すために転生させられたんだよな?」


「そ、そうです」と、エステル。


「に、しては、随分地味~~な、門出じゃない?」


「なんだ、勇者殿は王城で国王に謁見して、ファンファーレでも奏でられてお見送りされるのがご希望だったのか?」


 アレクが、意地悪く笑った。


「そーじゃねえけど……」


 事故か神々の故意かは知らないが、樹は、生まれた世界でもう一度やり直そうと思い直した矢先に、異世界に転生させられた。

 否応もない。

 にも拘わらず、まるでコソコソ人目を忍ぶように、こんな食堂の片隅で出立の相談をしなくてはならないとは。


「なんだか……、強盗にでも行くようなんで」


「ふうん。確かに」アレクが、細い顎を指で撫でた。


「ま、でもそれが一番近いかな。これから我々が行く先は、ほとんどが歓迎などされない所だ。下手をすれば、勇者殿の仰る通り、強盗でもしなければならないかもしれない」


「そっ、それは大袈裟ではっ。リーゼンバウワー大尉」エステルの言葉に、アレクがくすっと笑った。


「相変わらず、星の女神の筆頭巫女殿は、私の近衛師団の時の階級を呼ぶのだな」


「大尉……、アレク様こそ、私を筆頭巫女とおっしゃいますけど……。現在は、ただの星の女神の下僕です」


 ――なんだか、訳ありだなあ、みんな。


 ちょっと面倒なメンバーと組まされたのかと、気鬱になって来た樹に、トーリが言った。


「勇者様、利き手ではないほうの手をお見せください」


 何だろうと思いつつ、樹はトーリのほうへ左手を伸べた。

 トーリは、樹の手の甲を上向きにすると、聞き慣れない言葉を紡ぎ始める。数分呪文であろう言葉を小声で唱えたのち、自分の手を樹の甲に翳した。


「オープン・レベル」


 と。

 樹の手の甲に緑色の細かい文字が浮かび上がった。

 ここが異世界だと分かってはいたが、こうして呪文で自分の手に何事かの文字が刻まれているのを見て、樹は改めて違う世界へ自分が身を置いているのだ、という実感が湧いた。

 そんな感慨に思いを馳せつつ、緑の文字を見るのだが。


「……全然、読めねえ」


「あ? ああ、そうですよね」と、エステルが微笑んだ。


「勇者様になられますと、聞き言葉は自動的に翻訳されますが……」


「文字は努力で覚えるしかないな。――どれどれ?」アレクが、やや乱暴に樹の手を引っ張る。


 以外に細い指の感触に、樹はちょっと驚いた。


「――剣士レベル1、騎士レベル1、その他、勇者オプションレベル全て未開放」


 ああやっぱりね、と、アレクは驚く様子も無く、樹の手を放した。


「やっぱりって……、どの程度なわけ?」


「剣士レベル1っていうのは、そこららへんのシカやウサギ、ちょっと強くてオオカミを追っ払えるくらい。行商人や新米兵士、羊飼いの一般レベルだ」


 羊飼い、と聞いて、樹は内心落ち込んだ。

 ボーナス、とまでは言わないが、勇者なんだから、せめてもうちょっと上のレベルからのスタートにして欲しかった。


「……どれくらいで、次に上がれる?」空しくなって、アレクに尋ねる。


 少年正剣士は、「うーん、人によりけりだけどな。けど、腐っても勇者だ。そんなには掛からないだろう」


「腐ってもて……。そーいう言い方はおかしいんじゃね?」


 少々かちんと来た樹は、アレクに文句を言う。

 アレクは平然とした顔で、「ああ悪い。まだ腐る手前だったっけ」と言った。


「だから、何で俺が腐るんだよっ」得心出来ずに突っ掛かると、別な方向から返答が来た。


「勇者だからです」


 トーリの、のんびりとした低音に、樹は訳が分からずぽかんとする。


「勇者が現れる時は、必ず魔王も現れる。魔王は、自らの本体を現す前に、多くの魔の眷族を世界中に出現させます。眷族の妖魔は村や街を荒らし、人を殺し、喰らう。――だから、人々は勇者に現れて欲しくない」


「ちょ……。それって逆だろ?」樹は言い返した。


「魔王が現れるから、その前に勇者が転生させられて――」


「どっ、どちらにしても、同じなのです」エステルが、気の毒そうに俯き加減になりつつ説明する。


「妖魔が現れて暴れて困るのは、確かに魔王のせいです。でも、市井の人々は、いつの間にか勇者がその先触れと思っているのです。だから」


 魔王を退治する勇者も、凶兆とみなされてしまう。


「勇者殿が、何処かの街の宿の主に一言「俺は勇者だ」と言った途端、二度とその街へは入れなくなる。どころか、その街の周辺の町や村からも、立ち入り禁止になるだろう」


 アレクが、金の瞳をきつくして、樹を見た。


「それって、えっれー、理不尽じゃね?」正義の味方が、悪を呼び寄せていると思ってるなんて。


 バカにも程がある。

 樹の膨れた顔が面白かったのか、アレクが相貌を崩した。


「だから、まあ、本当に強くなる前の勇者は、時々腐るのさ」

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