15.道具屋と泥棒
樹達は、武器屋を出て、携帯食料やテント、松明などの洞窟冒険用必需品を買うために道具屋へと移動した。
「冒険者協会の話だと、タイロ山の洞窟はどれもきちんと整備されているらしい。こちらが用意していくのは、食料と水、万が一の場合の暖を取る豆炭、松明くらいだろう」
「あのー」と、エステルが、恐々といった様子でアレクに訊く。
「万が一の場合って……。洞窟の中って、寒いのですか?」
「あら」と、グレイスが笑う。
「地下だもの、陽が射さないし地下水脈があったりすれば、ひんやりしていて当然よ?」
そりゃそーだ、と樹も失念していた自分をそっと恥じる。
故郷では全くの都会暮らしで、自然の環境がどんなものなのかなど失念していた。
エステルは、グレイスの教え方が自分をバカにしていると感じたのか、「しっ、知らなかったから訊いたんですっ。わ、私、そーいう所へは初めて行くしっ!!」
「私も初めてです」と、トーリがエステルを援護するように、真面目な表情で言った。
「アレクやグレイスと違って、旅に出る、という機会には、これまで恵まれて来なかったので」
「ああ、ごめんなさい。そうだったわね、私みたいな風来坊とは、あなた達は違うものね」
「ナダエの巫女は、いずれ修行の旅に出される」アレクが、静かな口調で言った。
「エステルは、今回がそれなんだろう。1から覚えればいいんだから、気にすることはない」
とにかく買い物を済ませよう、と皆が奥へ入ろうとした時。
横の棚の間から猛烈な勢いで小柄な人影が飛び出して来た。
当たりそうになった樹は、辛うじて身体を反転させて避ける。
店の奥から、店主のものらしい怒声がした。
「待てっ!! このコソ泥っ!! 誰かそいつを捕まえてくれっ!!」
周囲の客が一斉にこちらを見た。
樹より入口寄りに居たグレイスが長い腕を素早く伸ばすと、次の棚の隙間へ入り込もうとしていた人物の後ろ襟をひょい、と掴んだ。
「ぐえっ!!」
「ああ助かった。済まないな」奥から駆けて来た店主が、太った顎の汗を拭き拭き礼を言う。
「このお嬢さん、何をしたの?」赤い袖なしのシャツを着た、小柄な少女の襟を掴んだまま、グレイスは店主に尋ねる。
「万引きの常習犯だよ。全く、スラムの奴らは油断出来ん」
樹は、赤毛をポニーテールに結んだ少女を覗き込んだ。
どう見ても13、4歳くらいの少女は、苦しそうに、だが顔を歪めたまま店主を睨み付けている。
「だっ、からっ、今日は、ちゃんと、かっ、買い物しに、来た……、って言ったろ? ――ちょっ……、苦しいっ!! 死ぬぅっ!! 」
「あら、ごめんなさい?」グレイスはぱっと襟を放した。
その隙に逃げようとした少女の腕を、今度はアレクが軽々と捩じり上げる。
「いたたたたっ!!」
「どうする? 本当にコソ泥なら、このまま警備兵に引き渡すが」
「だ……、だからっ!! 盗ってないって、言ってんしょ!!」
樹は、捩じられた腕の痛みでか、前屈みになっている少女の胸元を何気なく目をやった。と、彼女の襟ぐり深い赤いシャツの奥に、青い瓶のようなものあるのが見えた。
男としてはメチャクチャ手を入れてはいけない場所にそれはあるのだが、多分、その瓶が店主の言っていた盗品なのだろう。
暫し逡巡したが、樹は思い切って少女の胸元に手を突っ込んだ。
「ぎゃーっ!! スッケベッ!!」樹の手を払おうと、少女は空いている腕を振り回す。
小柄なわりに大きいな、などと不埒なことを思いつつ、小さな小瓶を取り出した樹は、店主に「盗られたのって、これ?」と見せた。
「『生命の水』!! やっぱり盗ってたなっ、リリアっ!!」
ふん、と、リリアは頬を膨らませてそっぽを向く。
店主は若いものを呼ぶと、警備兵に伝えるように言って外へ向かわせた。
「そろそろ腕が疲れた。――トーリ」アレクの言葉にトーリが頷く。
トーリは右手で刻んでいた古代語呪法を、アレクがリリアの腕を放すのと同時に仕掛けた。
リリアの両腕は、本人の意思とは関係なく、後ろでくっついて固定されてしまった。
「何すんのよっ!?」
「アレクが疲れたと言ったので。呪文で縛らせて頂きました」
「ふざこと言って……っ」足は自由なので、リリアはトーリのほうへ一歩踏み出した。
しかしその途端。
「いっ、たたたたたっ!!」足を出した形のまま、リリアの下半身が硬直する。
「ああ――。言い忘れました。この呪文は、逆らったり動いたりすると、その部位が硬化します。痛い思いをしたくないのであれば、動かないほうがいいですよ」
「ちっ……、くしょうっ!!」痛みに顔を歪める赤毛の少女を、トーリはいつもの平板な表情で見返す。
相当痛いのだろうな、と、ややリリアに同情しつつ、樹は状況を黙って見詰める。
見慣れて来た、といっても、やはりトーリの古代語呪術は恐ろしい。
もし、魔王やその配下の力の強い妖魔がこういう術を使って来るとしたら、果たして自分は勝てるのだろうか?
樹がトーリの術に感心していると、警備兵が二人、やじ馬を分けて店奥に入って来た。
店主が、「こっちです」と警備兵に呼び掛ける。
「今度は捕まえましたよ。この小娘、さっさと牢に入れちまって下さい」
「分かった。……取り敢えず首長邸へ連行する」
警備兵がリリアに縄を掛けたタイミングで、トーリが術を解いた。足が動くようになったリリアは、兵士に引き摺られながらも踏ん張り、店主に訴えた。
「待ってよっ!! あたしが居なくなったら、母さんが……!!」
「知るかそんなこと。金を払わんヤツに飲ませる薬なぞ、ここには無いよ」
「ひっ、ひとでなしっ!!」リリアが真っ赤になって叫んだ。
「あんたっ、それでも人間っ!? この店をあんたがやってられるのも、元はあたしの父さんがあんたを助けたからじゃないっ!! 父さんが死んだ途端に、掌引っ繰り返して、あたし達から何もかも持ってったくせにっ!!」
「人聞きの悪い事を言うなっ!!」今度は店主が真っ赤になった。
「そりゃ、昔は助けて貰ったこともあったがな。商売は客を多く取ったほうの勝ちだ。おまえの親父が下手くそだっただけだっ」
そういう側面も商売にはあるけどな、と、元不動産屋の樹は思う。
客を取ったり取られたり、というのは、不動産業界では、大きな金が動くので茶飯事だ。
時には暴力団まで首を突っ込んで来て、法律無視で客を剥ぎ取って行こうとする。
しかし、最終的に客を引き留めるのは、いかに自分が真摯に商売と向き合っているか、だ。
いくらおいしい言葉を並べても、客は、上客になればなる程騙されない。
嘘偽り無く好条件も悪条件も提示して、初めて信頼が出来上がるのだ。
それにしても。
これは、ただのコソ泥逮捕劇とはちょっと違う様相になって来たぞ、と樹は胡散臭さを感じる。
「嘘付きっ!!」喚いたリリアを警備兵が引き立てようとした時。
「待て」
アレクが兵士を止めた。
「何だおまえは?」一番格上らしい警備兵が、アレクをじろりと睨んだ。
アレクは警備兵を睨み返す。
「リリアの言うことが正しいのなら、店主、あんた随分と恩知らずなんじゃないのか?」
「な……っ、何を言うんだっ」
店主は、禿げ上がった額の上まで赤くして怒る。
「こんな小娘の言うことなんぞ、嘘に決まってるだろうがっ。――さあ、コソ泥は早いとこ連れてって下さいよ」
店主の言葉に従い、リリアを再び連行しようとした警備兵の腕を、アレクが掴む。
「貴様っ!! 公務の邪魔をするかっ!?」
「私は、エジン国の正騎士、アレクサンドラ・リーゼンバウワー。他国の法に口出しする積りは無いが、どうも店主と娘の話が気になる。そこそこの額の品を盗ったとはいえ、相手は子供。貴公らが厳罰に処する必要までは無いと思うのだが?」
「何だと……?」腕を掴まれた上級兵が、リリアの綱を部下に預け、剣の柄に手を掛ける。
と。もう一人の部下が上級兵の耳元で何事かを告げた。
聞いた上級兵の顔色が、見る間に青くなる。
「エジンの……、王位継承権所持者、だと?」
「はい。確か、リーゼンバウワー家は公爵で、継承権は上位の筈です」
上級兵は部下を見、またアレクを振り返った。
「貴様……、い、いや、貴殿は、本当に、リーゼンバウワー家の……?」
「確かにそうだ。が、そちらにはそちらの事情も法もあろう。だが、今回だけは、リリアを見逃してやってくれないか?」
「そっ、そっ、そっ……、そんなことはっ」隣国、しかも大国エジンの王位継承権者に怖気付く警備兵に、店主は慌てる。
「かかか、関係ないだろうっ!! ここはニルヴァだっ、エジンじゃあないっ!! 」
どうしてもリリアを牢にぶち込みたがっている店主に、樹はやはり何かあるな、と確信する。
「確かになあ。ここはニルヴァだ、エジンじゃねえ。でも、品物の値段を払えば、この娘は牢には行かずに済むんだろ?」
樹の提案に、大国と揉めたくない警備兵達は、皆頷く。
樹は「よし」と笑うと、「だったら、そこの棚のもう一本の瓶と合わせて二本、買わせて貰う」
「おまえ……。勝手に決めるな」それまでシリアスに表情を引き締めていたアレクが、呆れたという顔で樹を窘めた。
「あの小瓶、一体いくらだと思ってるんだっ」
「そんなん、俺が知る訳ねえだろ」樹は開き直って言い返した。
金額では無い。
リリアの言が正しければ、いや、正しいのだろう。
店主をギャフンと言わせてやりたくなった。
「有り金全部で買えるだろ?」
樹はアレクに訊いた。アレクは「まあな」と、渋々、認めた。
「こっ、コソ泥はコソ泥だっ!! あんたらが何処かの偉いさんだって、ここの法律を決めてるのはメンデス首長だっ!!」
「親父さんさあ」樹は、わざとぞんざいに言った。
「いくらニルヴァが頑張ったって、大国のエジンに睨まれたら風前の灯だよ? 喧嘩を売る相手は、よくよく考えて決めたほうがいいって」
「グレイボウ、今回は相手が悪い。俺達は引き揚げさせて貰うぞ」
警備兵はリリアの縄を解くと、「今回は得したな、小娘」と渋い顔で言い、リリアの肩を軽く小突いた。
「あっ、ちょっ……、ちょっと待って下さいよっ」
警備兵に見放され、店主グレイボウは慌てる。
「さて」樹は店主の肩を叩いた。
「小瓶2つでいくらだよ?」
「ぎ……、銀貨2枚で……」
「あらあ、おかしいわねえ」グレイスは青い小瓶の蓋を開けて、ふんふん、と中身のにおいを嗅いでいる。
「これ、『生命の水』の一番安い品よ? 相場なら、2本で銅貨6枚でしょう?」
「親父」樹はむかついて、店主の後ろ襟を掴んだ。
自分ではそんなに力を入れた積りは無かったのだが、いつの間にかレベルが上がっていたせいで、店主はすぐに苦しそうな顔になった。
「はっ……、放して……っ!! 」
しかし、樹は気にせず締め上げる。
「俺の故郷じゃあ『嘘付きは泥棒の始まり』って言うんだ。この娘じゃなくって、本当の泥棒はおまえのほうだな」
「す……、すいま、せん……。でっ、ですからっ、放して……、くだ……」
「これに懲りたら、もっとまともな商売をすることだな」アレクが懐から銅貨6枚を出し、グレイボウの口に押し込む。
樹が手を放すと、店主はがくり、と床に膝を付いた。
「リリア」
アレクは、ことの成り行きを呆然とした顔で見ていた少女に言った。
「家に送ってやろう」
赤毛の小柄な少女は、最初に出会った時の態度とは一変、こくこくと頷くと、樹達に付いて素直に店を出た。
あああ、やっぱりトロい・・・
すいません。