ネジないの
「おじさんの頭の中はお花畑?」
あどけない顔をした少年から不意に放たれた言葉に、男はぽかんと口を開けた表情を返してしまった。
しかし、すぐさま顔を引き締める。
「坊主、俺に何か用か?」
怒気を孕まないよう注意を払って言葉にした。
若造や中年ならともかく、目の前にいるのはまだ十代にも満たなそうな子どもである。ふざけた台詞を投げかけてきたからといって、喧嘩腰になるところではない。
「ぼくはネジを探してるんだけどね、おじさんの頭の中がお花畑だったら、そこを探して見つけられないかな、と思って」
「ネジ?」
「ぼく、頭のネジが一本抜けてるって言われるの。ぼくの頭から、どこか他の人の頭の中に行っちゃったんじゃないかと思うんだ」
――頭のおかしいガキか。
「おじさんは違うみたいだね。――――誰か知らない? お花畑の人」
少年は小首を傾げて尋ねた。
「なんで連れてくるかな」
突然の来訪者に、教祖は困り顔でそう言った。
「ここにはお花畑な連中がいくらでもいるだろ」
「それは否定しないけどさ」
「おい坊主、ここにいる信者どもならどいつもこいつも一人残らずお花畑だ。気が済むまで探せ」
渋い顔をする教祖を尻目に、男は淡々と少年に告げた。
「ありがと、おじさん!」
言うや否や、少年は駆け出した。広い屋敷に冒険心でもくすぐられたのだろうか。
「キミ用心棒でしょ、子どもなんか連れて歩きなさんなよ」
「連れはしない。しばらく遊んでれば気も済むだろ」
「人の家を舞台にしないでほしいんだけども」
「お前の娘もいるだろ。仲よく遊んどけ」
「それは無理かも……」
「あなた誰? 馬鹿な親から生まれた不幸な子どもの一人?」
少女の口から発せられた質問に、
「わかんない」
少年は単刀直入に答える。
少女は訝しげな眼を寄越してくる。
「じゃあ、ここで何してるの?」
「キミの頭の中はお花畑?」
「は?」
「ぼくは頭のネジが一本抜けてるって言われるから、どこかにないか探してるんだ。もしキミの頭の中がお花畑だったら、そこを探して見つけられないかな、と思って」
――ただの馬鹿か。
「私は違うわね。この家にいるのはそんな連中ばっかりだけど。どいつもこいつも馬鹿でクズ。あたしの父親なんか金の亡者だし。――――というか、あたしから見ればあなた自身がお花畑なんだけど」
「ぼくが? でもたぶんネジはないよ。誰かの所に行っちゃってる」
「……そう…………大変ね」
少女がため息交じりにそう呟いた。
数十分ののち、少年は部屋に戻ってきた。
「どうだ坊主、気は済んだか?」
用心棒の問いに、少年は首を振る。
「全然見つからない。みんなお花畑じゃないっていうし……」
「そうか。じゃあ、そろそろ諦めて家に――」
「おい詐欺師! 面見せろコラッ!」
突然、屋敷に怒号が響いた。続いて、どたどたというやかましい足音が聞こえたかと思うと、部屋のふすまが開け放たれた。
「この腐れ教祖! よくも俺を騙しやがって! 何が幸福だ! 何が真実だ! お前は自分が金を儲けることしか考えてないだろ!」
現れたのは一人の男だった。怒りで震える声、真っ赤になった顔、血走った眼。
その視線はまっすぐに教祖へと向かっていた。
「あんた、なんだい突然!」
「うるせえ! 俺は分かったんだ! こんな宗教、すべてまやかしだった! 俺を救ってはくれなかったんだ!」
男が両手をすっと前に出した。その手には拳銃が握られていた。
「お前を殺してや――」
男が言い終える前に、銃声が響いた。
「お前が死ね」
用心棒の手にも拳銃が握られていた。その銃口はまっすぐに、侵入してきた男に向けられていた。煙が微かにたなびいている。
「いきなり殺すなよ、おい」
「いきなり殺されるところだったぞ」
「それはそうだけどさ、手を撃つとかできるでしょうに」
「俺は心の中に獣を飼ってるんだ。――――殺る時は殺る。中途半端な真似は出来ねえよ」
言いながら、用心棒は膝を折り、眉間に穴の開いた男の顔を覗き見た。
「騙されて逆上する。そんな馬鹿な男らしい面構えだな」
そう吐き捨てた用心棒のそばに、少年が歩み寄ってきた。
「おい坊主、死体なんてまじまじと見るもんじゃねえぞ。どんな死に方でもろくなもんじゃ――」
用心棒の声はそこで途切れた。
「ん? どうした」
教祖が声をかけた次の瞬間、
「――――!」
空中に血が舞った。
「なッ?」
用心棒が倒れこむ。その口からは血が溢れている。
用心棒は自分の胸のあたりを手で押さえていた。そこからは血が滲みだし、赤い染みを作り始めている。
「なんだよ、おい!」
突然の事態に困惑した声を上げる教祖に答えを寄越したのは、幼い声だった。
「ごめん、ぼくが刺したんだ。いきなりでびっくりしちゃった?」
こともなげにそう言ってのけた少年の手には、ナイフが握られていた。
「なんでこんなことを……」
「おまえ……誰かの差し金か…………?」
二人の言葉に、少年はきょとんとした顔をする。
「ぼくはネジを探してるだけだよ。お花畑はなかなか見つからないし、ぼく、他の所にないか考えたんだ。――――おじさんの心には獣がいるんでしょ?」
少年の問いかけに、用心棒は答えを返すことができなかった。無言で息を飲むしかなかった。
「もしかしたら、その獣さんがぼくのネジを飲み込んだんじゃないかと思ったんだ。心があるのってここだよね?」
少年はずいっとナイフを突き出し、なおも赤く染まっていく用心棒の胸を刺した。
「――――!」
「鉄の匂いがする! ぼくのネジはここにあるかも!」
少年は嬉々としてナイフを胸に突き立てる。
教祖はそれを止めることもせず、ただただ息を飲んで見ていた。
一分も経たぬうち、
「あれえ? 無いや。ここならあると思ったんだけどなあ」
少年は残念そうな声と共に、その手を止めた。
「どこにあるんだろう、ぼくのネジ」
そして、教祖の方に向き直る。
「おじさんは『金の亡者』なんだよね。金だけじゃなくて鉄も好き?」
そう言った少年の目は、期待に満ちた輝きをしていた。