私も彼女もきっと望んでいないのに、なんで友だち関係って終わっちゃうんだろう。
二週間ほど経った。高校生の僅かな小遣いも底をついて、毎食自分で用意するわけにはいかなくなってきた。今晩はどうしようかと思いながら廊下を歩いていると、私が近づいても真ん前から動かない人影があって顔を上げた。
よしちゃん、吉見 加奈子が立っていた。久しぶりに会う。私が一方的に彼女たちから離れてから、そのまま疎遠になっていた。
「ありさ」
「よしちゃん。どうしたの?」
「ううん、最近、あんまり見ないなと思って。元気?」
「元気だよ」
「みっちゃんとも全然遊ばなくなったなあ。お昼も別々だし」
「そうなんだ」
同じクラスのくせに全然知らなかった。でも想像はついた。みっちゃんは誰かと一緒にいないと動けない人間だから、いつでも一緒にいられる同じクラスの中に友だちを作ってそこで遊んでいるんだろう。
「私ありさに本、借りっぱなしなんだよね。ごめん、今度返すから」
「あ、そうだね。急がなくていいよ」
何の話をよしちゃんはしたいのだろう。彼女はこんなふうにとってつけたような会話をする人じゃない。いつもなら、簡潔に本題だけを話すのに。そう思ったのが聞こえたわけじゃないだろうけど、彼女はまもなく用件を切り出した。
「あのさ」
「うん」
「ありさのクラスの松本くんって、小学校の頃一緒だったんでしょ」
「…そうだけど」
「…か、彼女とか、いるのかな」
そういうこと。
へえ、そういうことか。
それ、私に言うんだ。
「好きなの」
出た声はものすごく平坦だったけれど、よしちゃんが気づいた様子はない。
「好きっていうか、気になるっていうか。あの、委員会一緒でさ」
「へえ」
「変だと思うけど。その、私男嫌いって前から言ってたし。でも松本くんは他の男子と違うっていうか、本当、こういうの初めてで、どうしたらいいのか分かんないんだけど。『好き』なのかどうかも、本当に分かんないんだけど」
照れたように髪を手で梳いて、顔をうつむけた。
かわいいね。
「告白すれば」
「え」
「よしちゃん、美人だし。分け隔てなくはっきりした態度とるから、『松本くん』も好感もってるんじゃない。媚びたような女の子は嫌いって言ってたし。お似合いだよ」
「え、ありさ?」
「私、用事があるから、帰るね。本返すのは本当に、急がなくていいから。バイバイ」
声を上げるよしちゃんに構わず踵を返した。鞄が廊下の壁に乱暴にぶつかったけど、気にする様子はけっして見せない。
きっと察しのいい彼女のこと。私と彼が何かある、あるいは私が一方的に彼に好意を持っていると思っただろう。まりこやみっちゃんほどじゃないけど、彼女だって友だちには優しいし、まだ私に情があるはず。私に気を使って、告白自体見送ってくれるかもしれない。
私はそこまで考えて、彼女に怒ったような態度で言葉を放った。
本当、女って汚い。自分のことだけど。
お腹は相変わらず空いていないし、食べたくない。お金もない。けれど食べなくてはいけないという強迫観念のようなものに駆られて、家族が寝静まったあとに、冷蔵庫をあさって食べられるものを探して、涙を流しながら食べた。どうしようもなくみじめだった。
三日経った。彼が誰かに告白されたという話は聞かない。よしちゃんは私の視界になるべく入らないようにしているようだった。移動教室のときなどにふいに目が合いそうになると、慌てて視線を下げた。自然を装っているようでばればれだ。
そんな彼女を目で追っていると、ふいに呼び止められた。
「おい、深垣」
担任だった。中年の男性教師。わりと好かれているけれど、生徒達は単に物に釣られているだけ。生徒をめったに咎めないし、クラスマッチなり文化祭なり、何かと差し入れをするからだ。まあ今はどうでもいいこと。
何の用ですかと訊ねると、担任も戸惑ったように私に質問を返した。
「最近、どうかしたのか」
「え、なんですか?」
まだものを食べるときに出る涙は克服できてなかったけれど、それを教師に悟られているわけはない。
「いや、親御さんから電話があってな。あんまり、心配させるなよ」
「…はあ、すみません」
「何かあったら言いなさい」
親から電話?私に関してそれほど関心があったとは思えない。どうかしたって、一体教師に何と言ったのか。学校へ電話するなんて、ばかじゃないのか。
今の私にはどうしても荒んだ感想しか持てないみたいだった。
家に帰ると母親がダイニングテーブルにかけてこちらを見ていた。専業主婦の母は、普段何をしてるんだろう。何を楽しみに生きてるんだろう。いつしか私は、『女』の象徴のような母を、どこか見下すようになっていた。
「ただいま」
母はあいさつを返さずに聞いてきた。
「今日も、ご飯いらないの?」
「うん、食べてきたから」
いつもはこれで会話が終わる。母の少しおかしい様子に気づきながらも、構わずにリビングを通って階段へ向かおうとした。
「いらないならいらないって言いなさいよ」
「ごめん」
「ごめんじゃない!!」
突然怒鳴って立ち上がった。椅子が勢いで倒れて、大きな音がなって怖い。
「え、ごめんなさい」
「なんなの?どうして一緒にご飯食べることもできないの?何かした?うちに不満でもあるの?母さんに話してみなさいよ」
「ごめんなさい…」
言葉が効いたわけじゃないし、申し訳ないと思ったわけじゃない。母親の剣幕が怖くて、ただ涙がにじんだ。母もなぜか涙を浮かべて、椅子を直してもう一度座った。
「もういい」
まだ心臓はばくばく言っていたけれど、自室に向かいながら、母という人間の弱さが透けて見えてしまったような気がした。
こんなだだっ子のような会話の終わり方をさせる人だったか。
がっかりした。
夜、父親が私の部屋をノックして、扉越しに何か諭すようなことを言った。彼らは私を道理も分からない幼児だと思ってるんじゃないか、と思うような口調だった。
どうやら両親は家族と食事をとらない私が不良娘になったと思ったらしい。
少し反省する。母親の怒鳴り声も、そう言った意味では成功と言える。怖かったから従っておこうと思った。
翌朝朝食の席に着いた私を見て、涙ぐんだ。いちいち大げさな母親だ。これで恫喝すれば言うことを聞くと思われては困るけれど、おとなしくしていれば大丈夫だろう。
私はと言えば、泣きだすようならとりあえず申し訳ない気持ちで涙が出たとかなんとか言おうと思ったけれど、不思議と出なかった。気持ち悪さもそこまで感じなかった。慣れたのか、必要に駆られたからなのか。
それ以降、問題なく食事ができるようになった。腑に落ちないまま、私の異常は収まった。