第一章 潜入のパラサイト ~潜入~
何もない真っ白な空間――。
その場所にある不相応な真っ黒な箱――。
その箱を開けようと手を伸ばす。その『夢』はいつもそこで途切れる。
「ん……」
目を覚ました男は、寝癖が付いた少しパーマの掛かった茶髪の頭を掻き毟りながら起き上がる。眠りから覚醒した人間というのは、大抵頭がボケーっとしているものだ。これは睡眠時におけるレム睡眠とノンレム睡眠の交互作用がそうさせるのだ。男はゆっくりと自分の部屋にある窓の方を見る。窓を見ると陽の光が天高く昇っている。
「!!」
男は突然気が付いたかのように慌てふためき、携帯電話を手に取ると、画面に表示されている時間を確認する。
「やっべー! もう11時じゃねぇか!」
男は急いでベッドから飛び起きると服を着替え始める。男が急いで服を着替えていると、突然携帯電話が鳴り響く。どうやら電話の着信のようだ。男は着替えながら片手で携帯電話を器用に操作し片耳に携帯電話をあてる。
『おっそーい!!』
電話の奥から鼓膜を破らんばかりの轟音が響き渡る。男はその声で完全に目を覚ましたようだった。
「悪い! ピナ! 完全に寝坊しちまった!」
『もうサキチは遅刻が多いよ。そんなに時間にルーズだと彼女も出来ないぞ!』
「うるせーよ。彼氏の出来ないお前に言われたくない」
『とにかく早く来てよ。もう依頼者も来てるんだからね!』
そこまで言うと電話は切れた。サキチと呼ばれた男は服を着替え終えると急いで洗面所に向かい顔を洗い、寝癖を直す。そして、そのままの勢いで家を飛び出した。
「いってきまーす!」
サキチが向かう場所はとある小さな会社であった。普段は普通の高校生をしているサキチではあるが、アルバイトとしてこの会社で働いている。この会社にはもうひとりのアルバイトがいる。それが先ほど電話で話していたピナという女である。ピナは16歳でサキチよりも歳は1つ下だが、結構しっかりとしており、サキチはいつもピナの行動に引っ張られることが多い。
あとひとりこの会社を立ち上げた男がいる。いや、正確には『いた』というほうが正しい。この会社を立ち上げた男は現在消息不明となっている。サキチはこの会社のアルバイトとして働き出したのは2年ほど前であり、当時は社長と二人で仕事をしていた。しかしつい半年ほど前に社長が突然、行方不明となった。警察の捜査にも関わらず、結局見つかることはなく現在まで行方知らずとなっている。社長の消息不明とほぼ同時にアルバイトとしてやってきたのがピナであり、ピナは社長のことは写真でしか知らない。
しかしサキチは警察では見つけることは不可能だと、捜査が始まった時から感じていた。社長の行方は不明だが、原因は予測がついていたからである。
そしてそれがサキチとピナが行う仕事でもある。
サキチは会社に着くと急いで扉を開ける。
「はぁ、はぁ……。ごめん。遅くなった!」
「やっと来た。遅すぎるよ」
「ごめんって、これでも結構急いだほうだよ」
サキチの目の前には呆れ顔で立っている女がいる。この女がピナである。茶髪でセミロングの髪をしている。雰囲気的にとても活発で健康そうな女の子だ。そしてそのピナの後ろにはソファーに座っている一人の男がいた。
「おはようございます。いや、こんにちわ? ……ピナ、今何時?」
「アンタまだ寝ぼけてるの?」
「急がせてしまってすいません。私は大宮アツシと言います。今回弊社のサービスを知りまして是非利用したいと思い、依頼させて頂きました」
大宮アツシと名乗った男は丁寧な言葉で、サキチに話しかける。
「ありがとうございます。僕はサキチと言います。まぁニックネームですけどね。こっちの女の子はピナ……ってそれはもう知ってますよね?」
「いいからさっさと本題に入りなさい」
ピナはサキチの頭を小突く。
「それでは依頼して頂いた際にお渡しさせて頂いたヘッドフォンと音楽再生プレーヤーは持ってきて頂いておりますか?」
「はい、これですよね?」
男はカバンから白いヘッドフォンと音楽再生プレーヤーを出した。
「一度でもご自宅で確かめてもらいました?」
「ええ、一度説明書にあったように実行しました。凄いですよ。こんなことが可能だなんて」
大宮は少し興奮したような顔付きで話す。
「これがうちの会社のサービスですからね。それでは今回は僕達もご一緒させて頂き、あなたのお手伝いをさせて頂きます」
サキチはピナの顔を見る。
「はいはい。サキチが遅刻している間に済ませてありますよ。大宮さんの持ってきた脳波データーと私達の脳波データーのリンクは完了しているよ」
「さすがピナ。仕事が早いな」
「サキチが遅いんだよ」
「お前な。せっかく褒めてあげてんのに……」
サキチはため息を付くと再び大宮の方を見る。
「それでは大宮さん。分かってると思いますが制限時間は90分です。90分経つと自動的に目が覚める仕組みになっています。それでも駄目だった場合は日を開けて次回ということになります」
「はい、了解しました」
大宮の了承と共にその場にいる全員がヘッドフォンを付ける。そしてソファに座ると音楽の再生が始まった。全員がゆっくりと目を閉じる。
ここからは一瞬である。気が付くと全員が同じ場所。会社の中ではないとても田舎の景色の中にいた。
「へぇ、これが大宮さんの夢の中ですか? のどかないい場所ですね」
「ええ、私が幼少期に住んでいた田舎です」
これがこの会社のサービスである。行方知らずとなった社長が開発したシステム。ヘッドフォンを付け左右の耳から異なる波長を流すことでヘミシンク効果と呼ばれる特殊な効果を得ることが出来る。ヘミシンク効果は強制的な睡眠と共に依頼者の記憶つまり海馬に影響を与え、鮮明な記憶を『夢』として再現する。さらにこの夢は自然な夢ではなく人工的な夢である為に、もうひとつの特殊な効果を得ることが出来る。
それが明晰効果である。これは簡単に言うと夢の中で夢と認識し行動出来るということである。これは夢の中で物を動かしたり、もしくは夢の中で物体を具現化したりすることが出来るという利点がある。この効果を利用し夢の中の記憶で、依頼者が求める何かを探すことが可能となるのである。
そうこの会社のサービスとは依頼者の記憶の中の『何か』を探すことにある。何かの部分は依頼者によってマチマチではあるが、大抵は忘れてしまった記憶から物を探す依頼である。というのも脳の記憶というのは段階構造となっており、凡そ8760時間つまり約1年で段階が1つ刻まれるようになっている。遠くの記憶ほど奥深くに重なっていく為、起きている状態から記憶を引き出すのは非常に困難である。そこでこのシステムを使い脳の記憶に直接刺激を与え、過去の記憶を掘り起こすのである。
「それで探したい物ってなんでしたっけ?」
「サキチ、もしかして資料読んでないの?」
「うるせーな。ド忘れただけだよ」
「はい。私が探しているもの当時埋めたタイムカプセルの場所です」
「タイムカプセル?」
大宮は田舎の景色を見ながら話し始める。
「昔、自分でタイムカプセルを家の近所に埋めたんですよ。でも、今はこの場所は都市開発で昔の……今のこの景色の名残がなくて、自分の家があった場所すら分からない始末です。そのタイムカプセルの中に当時とても大切にしていたオルゴールが入ってるんです」
「オルゴール?」
「亡くなった母が私にくれたオルゴールです」
「なるほどね。それで、この記憶の中なら家の場所は分かるんですよね?」
「ええ、そうですね」
「じゃあ、さっそく行きましょう」
サキチ達は歩いて大宮の家に向かう。田舎である道は舗装もされておらず、あぜ道を少し整理したような形になっている。サキチ達の横を子供が数人走り抜けていく。よく見ると田んぼの上をトンボも飛んでいる。これからは全て大宮の記憶である。ここまで記憶を繊細に生み出すことが出来るのもこのシステムの成せる技である。
「着きました」
大宮が足を止めた場所は、とても古い感じの家であった。
「ここが大宮さんの家ですか。それでどこにタイムカプセルを埋めたんですか?」
「確か、家のある場所から真っ直ぐ行った先にある大きな樹の下……」
大宮はその場所を指さす。
「あーあの樹です。あの樹の下に確かに埋めました。懐かしいな。今は、切り落とされて無くなってしまったので久しぶりに見れて嬉しいです」
サキチ達は樹の下まで歩いて来た。
「わぁー。近くで見ると大きな樹ですねぇ」
「小さい頃はよくこの樹に登ってました。今はもうさすがに登れないかなぁ」
サキチは樹をよく見つめる。
「時間がありません。さっさと仕事を進めますね」
そう言うとサキチは手を地面に付くと集中する。
「何を……しているんですか?」
初めて見るサキチの行動に大宮は疑問を抱く。
「まぁ静かに見ていてください。何度も夢の世界を行き来してるサキチだからこそ出来る技です」
サキチの地面にかざしている手が突然光を放ち始める。光はやがて形を成して行きひとつの物体となった。それはこの辺りの地図であった。
「おお! すごい。そんなことも出来るんですか?」
「結構集中しなきゃいけないし、割りと疲れるんですけどね」
その地図は現在の地図であった。今いる場所を中心点として描き地図で場所を確認する。
「どうやら、今はこの場所は公園になってるようですね。掘り出すには役所の許可がいるかも知れませんね」
そう言うとサキチは地図を大宮に見せながら説明を始めた。
「ありがとうございます。場所は分かりました。さっそく役所に行って掛けあってみたいと思います」
「そうですね。見つかるといいですね。お母さんからの大切な思い出のオルゴール」
すると突然、周りの背景が湾曲し始める。
「これは?」
「ああ、制限時間が近いんです。もうすぐ強制的に起こされます。起きたら書類と依頼金だとお願いしますね」
「分かりました」
90分という時間が迫り、強制的に覚醒へと近づくと起きる湾曲現象。サキチやピナにとってはいつも見る普通な光景であった。そして歪む空間の中サキチは確かに見た。遠くの湾曲した空間に紛れる謎の女の姿を。サキチがそれに気が付き確認しようとした瞬間、サキチ達は会社の部屋で目が覚めた。いつも見る会社の天井。見慣れた景色。
「それじゃあ大宮さん、こちらで手続きを」
目が覚めたピナはさっそく事務仕事を始める。いつもの光景。ただ違うのは、今まで見たことがない謎の女。サキチは少し不安な感覚に襲われたが、立ち上がると大宮の手続きの様子を見守っていた。
「ありがとうございました」
大宮はお礼を言うと会社から出て行った。サキチは落ち着こうとコーヒーを自動販売機で買うとソファーに座り、コーヒーを飲む。
「はぁ。なんとか無事に終わったな」
「うん。見つかるといいねオルゴール」
「まぁ場所が分かってんだし見つかるだろ」
「でも今回もなかったね。『アトラクタの箱』」
「……まぁそんな簡単に見つかれば苦労はしないさ。でも必ずどこかの記憶の中にはあるはずなんだ。俺達の求める記憶の断片が入ったアトラクタの箱が……」
「そうだね。それが社長を見つける為の第一歩だもんね」
サキチはコーヒーを全て飲み干した。そして社長との会話を思い出していた。
『サキチ……俺はな。このシステムを開発しちまったことを実は後悔してる』
『え? なんでですか? 凄いシステムじゃないですか?』
『確かに……自分で言うのもなんだが、人の夢に潜入しその夢の中で自由に行動出来るこのシステムは凄い』
『だったらなんで?』
『このシステムには重大な欠点がある。それが俺が通称『パラサイト現象』と呼んでいるやっかいな奴さ』
『パラサイト現象?』
『簡単に言えば中毒症状だな。なんでも出来る夢の中で長く過ごすと人は、その夢に依存しちまうのさ』
社長は手に持っていたタバコに火を付ける。
『現実世界の苦しみや悲しみなんかを全て忘れて、自分が中心となってなんでも出来る夢の世界に入り浸っちまう。しかも自分の力じゃどうにもならねぇときたもんだ。90分で強制的に夢から覚めるようにしてるのもそのパラサイト現象を少しでも軽減する為だ。それでも完全には拭い切れない。回数を重ねるごとに確実に身体は蝕まられていく。所詮夢は夢。現実とは違うってのにな。人の脳はそれを認識出来ないんだ』
社長はタバコの煙を天井に向けて吹きかける。そしてサキチの方を見る。
『サキチ……お前にこの仕事を続けられる覚悟はあるか?』
サキチはその時、何も答える事ができなかった。
それから2年近く経ち、社長がいなくなった今でもサキチは仕事を続けている。サキチはこの仕事を辞めることが出来ないのだろうか。もしかしたらサキチの身体もすでにパラサイト現象が起き始めているのだろうか。それとも……。