3章
アパートにある、自宅のドアのカギを回す。教師に脅されたショックはまだ消えない。
「大人って汚い……」
思わず、独り言が出る。考えてみれば、周りにはロクな大人がいなかった。
「帰ってきてる……、わけないよな」
家の中を見渡す。朝、出て行った時のままだ。
服を着替えて、テレビのチャンネルをつける。一人で、無音というのは色々と耐え難い。夕方のニュース番組が流れていた。
「さて、始めるか」
スーパーで買ってきたものを整理しながら、夕食の準備をする。
「二人分、作っておくかな」
玄関のドアを眺める。ドアからは、何の気配も音もしない。
豚肉に、小松菜に、キャベツに、キムチに、もやしを取り出す。
まずは米を洗い、炊飯器にセット。ちょうど作り終わる頃に炊けるようにタイマーをセットする。
小松菜とキャベツを洗い、包丁でざく切りにしていく。その後、みりん、しょうゆ、酒を合わせた調味液と、わさびじょうゆと水溶き片栗粉をあらかじめ作っておく。
「君も、伝説の勇者になれる!!」
テレビから、ゲームのCMが流れる。誰でも仮想現実の中では、世界の運命を賭けて冒険できる。現実じゃないから、楽しいのだろう。
豚肉のすじを切り、塩こしょうを軽くふって、下拵えを終えたところで、チャイムがなる。
「えへへ、今日もいいかな?」
扉の向こうにいたのは、私服姿の幸恵だった。
「何となく、そんな気がしたから多めに準備してた。よかったら、食べるか?」
「うん、そのつもりで来たから」
何の葛藤もためらいもない、さわやかな笑顔で返事をされる。
「もう少しで出来るから、テレビでも見てて待ってて」
キッチンの隣の部屋にある、テーブルへ促す。ニュース番組から、芸能ワイドショーへと話題は移っていた。
豚肉をオーブントースターに入れて、数分しっかりとヤキを入れる。その間に、なべを二つ用意し、片方には中華スープをわかし、白菜のキムチを投入。
もう片方の鍋には油を引き、熱した後に小松菜とキャベツと調味液を入れ、炒める。野菜に火が通った頃合いを見計らって、水溶き片栗粉でとろみをつける。
「わー、いいにおいだねー」
幸恵がやってくる。立っているものは、親でも幼なじみでも使え、との格言にあやかって指示を出す。
「出来上がったのから、そっちのテーブルに運んでいってくれるか?」
「喜んでー」
完成した野菜炒めを皿にとりわけ、一煮立ちしたスープにもやしを入れ、カップに注ぐ。
「こっちもそろそろだな」
焼きあがった豚肉を取り出し、わさびじょうゆを塗って、メインディッシュの完成。炊きあがったご飯をよそえば、本日の夕食が出来上がる。我ながら、上々の出来映えだった。
「いただきまーす」
「いただきます」
お腹もすいていたので、話もさておき、まずは食す。気持ち、薄味だったようにも思えるが、問題というほどでもない。
「うん、美味しい、美味しい。わさびじょうゆに、キムチスープって、今日は何だか刺激的な料理だねえ」
「色々、刺激的な事件があり過ぎたからなぁ……」
何だか、一日の疲れがどっと出てきた。
「二見ちゃんの件はどうだったの?」
いきなり、答えづらい事を直球で聞かれる。
「あの……、その……、世の中には複雑な事情があってな。俺も、結局は我が身が可愛い、自分の事しか考えていないダメな人間だったんだ……」
やりとりを思い出して落ち込む。
「え、何があったの?」
幸恵が驚く。しかし、こっちの様子を察したのか、それ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。
「しかし、亮ちゃん料理が上手になったよね」
話題を変えてきた。
「もう、作り始めてから長いからな」
「いいお嫁さんになれるよ」
「いや、お嫁さんにはなりたくないのだが」
「大丈夫だよ、私はそういうのに理解あるから応援するよ!」
「だから、そういうのになりたくないのだが」
つくづく誤解を受けるというか、お互いに認識している世界にずれでもあるかのようだった。
「お父さんたちから、何も連絡ないの?」
「相変わらず。生活費と家賃は振り込んでくれているが、どこで何をしているのやら」
幸恵の箸が止まる。見ると、おかわりを要求していた。
「はいはい、幸恵さんはよく食べますね」
ちゃわんを持って、台所へ立つ。
「別にいーじゃない! 亮ちゃんのケチー!!」
「それが人の家で、夕食ごちそうになってる奴のセリフかー!!」
いつもの、たわいのないやり取り。それが、とても大切なものに思えた。
◆
次の日、二見さんは普段通りに登校してきた。特に変わった様子もないが、それだけに真新しい制服だけが普段との違いを浮き上がらせていた。
「先生から、話はあったんだよな……」
内々《ないない》に処理するといっても、さすがに親御さんには話をしていただろう。そういう事に関しては、抜かりのない教師陣だった。
「とにかく、次に何かないように注意しようね」
二見さんの様子を気にしていた幸恵が、俺に話しかけてくる。
「そうだな、俺も気をつけて見るようにするよ」
せめて、それだけでも力になってやりたかった。
「こらー、席につけー」
内容とはうらはらに、やる気のない口調で坂口先生が教室に入ってくる。生徒も、スローテンポで席に戻り始める。
「黒辺は、また来てないのか……」
こっちもいつも通りの、空席だった。
「セーフ!!」
<黒い弾丸>の愛称で親しまれている、というよりは八割ぐらいはバカにされている、黒辺桐子が教室に入ってくる。
「大声を出しても、アウトです」
先生が冷静に告げる。
「でも、まだホームルーム始まっていませんし、限りなくグレーゾーンに近いセーフじゃありませんか?」
またも今朝からゴネ始める。恒例行事過ぎて、何かの修行ではないかと思えるぐらいだ。
「いえ、議論の余地もないぐらいアウトです」
「でも、今朝はふみきりの前で困っているおばあさんを助けてきたんですよ。これは一概に、アウトとは断定できないでしょう」
「今年に入ってから、おばあさんを7人、おじいさんを3人、小さな子供を2人も助けていますね」
坂口先生が、出席簿を見ながら答える。そんなものをカウントしていたのか。
「そろそろ、表彰されませんかね?」
「いつからこの町は、困っている人がそんなに頻出するほどの、無法地帯になったんですかね、私には不思議でなりません」
「世の中には、不思議な事ってあるものなんですよ。じゃあ、そういうことで」
黒辺が席に着こうとする。
「証拠もないのに、認めるわけにはいきませんね。おばあさんの名前とかは、分からないのですか?」
「名乗るほどのものじゃなかったし……」
助けられた人が名乗りだす、というのはかなりのレアケースだろう。NPC的なおばあさんを助けてしまったわけか。
「では、遅刻ということで。進路相談が楽しみですね、黒辺さん」
坂口先生がほほえむ。そういえば、進路予定表の紙は、明日が締め切りだった。
◆
何もなければいい、そう思っていればいるほど、事件は起きやすくなる気がする。
「おい、謝れよ!!」
人気のない、体育館の裏で二見さんが複数の女子生徒に囲まれているシーンを発見してしまった。
「何か言えよ!!」
女性たちの中で、リーダー格の気の強そうな一人が、二見さんを突き飛ばす。
抵抗らしい抵抗もしないまま、二見さんが地面に倒れる。真新しい制服が、土に汚れる。
「何があったのかは知らないが、やめろよ!!」
非力かもしれないが、止めに入る。相手が女性とはいえ、大勢なのはちょっと怖い。
「あんた、たしか……、変な名字の奴!!」
雑な覚えられかただった。
「大王丸、大王丸です」
「知らないなら、無関係の奴が入ってくるんじゃねえよ」
「無関係といっても、クラスメイトだし」
「言っておくけど、私たちは別にイジメてるんじゃないから」
嘘だ、と思ったけど校長先生ならそのストーリーに喜んでのっかってしまいそうだった。慎重に話を聞き出そう。
「じゃあ、何をやっているっていうんだ?」
「コイツが悪いんだよ。自分から人にぶつかっておいて、謝りもしない」
二見の方を見てみる。俺たちの話を聞いているのか、いないのか。視線を下げたまま、反応をしめさない。
「少しは悪いところもあるかもしれないけど、こんな風に暴力を振るうことはないだろう!」
主張してみた。リーダー格の女の子が近づいてきて、俺の制服の首もとを掴んでくる。
「私たちのやることに、いちいち首つっこんでくるんじゃねーよ」
脅しを受ける。
「放せよ!」
彼女の手を掴んで、ふりほどこうとする。
「キャー! 助けてー!!」
突然、女の子らしい対応をされるので戸惑う。
「え……っと」
「コラー、大王丸ー!! お前、とうとう現場をとらえたぞ!!」
「おうふ!!」
体育教師の先生からタックルを受けて倒れる。
「俺の教師としての、長年のカンがお前が怪しいと告げていたのでな。特に、お前を中心として巡回していたが、見事的中だ!!」
「カンに頼る捜査方法、やめてもらっていいですかね。大外れですって……」
力なくつぶやく。
「ふはははは! 学園に潜む害虫は、俺がすべて駆除してやるー!!」
「誤解だー!! 俺は何も悪くないー!!」
体育教師の体罰は、ここでも問題になっていた。
続く