2章
騒がしい朝とは打って変わり、その後の授業は無事平穏に進んでいった、……はずだった。
体育の授業を終えて教室に戻ってきたとき、変わったことに気づいた。一人だけ、体操服を着たままの女子生徒がいる。
二見愛、目にかかりそうなほど長く伸ばした前髪が、どことなく暗い印象を抱かせる女子だった。
横には幸恵が困った顔をして立っていた。
「あっ、亮ちゃん、大変なの! 二見さんの制服が、授業が終わった後に、なくなってて……」
また、か。以前にも彼女の筆箱がなくなった事があったが、今度のはさらにひどい。
教室の周囲を見渡す。みんなが、この席から距離を置いて見つめていた。中には、こっちの事を指さしながら、楽しそうに話をする奴らもいた。
教師だろうが生徒だろうが、どいつもこいつも面倒事が大嫌いで、自分の保身ばかりを考えている人ばっかりだった。
「俺、先生に言ってくる」
教室を出ようとする俺の手を、二見さんが握って止める。
「別に、いい……。今日はもうこのまま帰る……」
ぼそぼそとうつむきながら、つぶやく。
「でも……」
幸恵が何か言い掛けるも、二見さんは荷物をカバンにまとめて、さっさと教室を出て行ってしまった。
「亮ちゃん、どうしよう!!」
「俺が、話をしてくる」
◆
俺は本日二度目の、職員室にて担任の坂口先生と二人で向き合うことになった。
「そんなことがあったのか。分かった、今日の授業は終わってるし、二見は欠席にはしないでおこう」
「それだけですか?」
「制服は探しておくし、親御さんにも連絡しておく。こういう事件も多いからな」
先生は明らかに、事務的な対応だ。
「イジメかもしれませんよ?」
「イ・ジ・メ!! 君、そんな事を言ってはいかん!!」
校長先生が、職員室の端から飛び出してくる。必死になって走ってくる大人を、今朝ぶりに見た。
「いいかね、大王丸君!! イから始まる三文字の単語を軽々しく言ってはいけない!! くれぐれも婉曲な表現を使いたまえ!!」
校長先生の言葉狩りが始まった。
「たとえ、そんな事実がなかったとしても、言葉はうわさを呼び、うわさはうわさを呼び、しいては奴ら、教育的な委員会的な不祥事を起こしてしまう!! 責任問題だ!!」
「でも、イジ……」
「証拠はあるのかね、証拠は!! 最近は不審者も多い! 我が校は巡回を強化し、対策を講じている。私に責任はない! 全ては秘書がやったことだ!!」
校長先生はヒートアップしていた。大人、かっこわるい。
「でも、実際に事件は起きているんですよ!!」
「マイホーム」
校長先生が、突然遠い目をして語り出す。手にはタバコを携えていた。
「私のね、若い頃からの夢だったんだ……」
「は?」
「ローンはあと20年。小さな家だが、大きな窓と小さなドアと、部屋には古い暖炉があってな……」
「はあ……」
「真っ赤なバラと白いパンジー、そして子犬の横にはあな……」
「校長先生!! もうその辺でよろしいですから」
いろいろ危なくなってきたので、坂口先生が止めに入る。
「ここからがいいところだったのに」
校長先生がふてくされる。
「とにかく! この件に関しては、私たちの調査に一任してくれないか。くれぐれも他言しないように」
「でも、納得できません!!」
校長先生がタバコに火をつける。深く煙を吸い込むと、大きく吐き出す。
「ところで、君は今朝女の子を追いかけ回して、ここにつれられて来たようだが」
突然、今朝の話を持ち出してくる。
「いえ、あれは誤解です」
「仮に、あの一件が警察に届け出られて、色々騒ぎになったとしよう」
「ですから、誤解です」
「君はそう主張するだろう。でも、周りは証拠もないのに、君が女の子に乱暴しようとしていたと主張する。警察は、容疑者である君の言い分と私たちの言い分、どちらを信じるかね?」
校長先生が、こちらを鋭くにらみつける。
「それは、脅しですか?」
「いや、証拠もないのに騒ぐというのはそういう間違いが起きてしまうかもしれない、という事を勉強してほしいと思うのだよ。教育者として」
暗黒教育であったが、何も反論できなかった。