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春-それが初恋だから-  作者: 宮嶋 実果
3/10

〇2〇

 人は水分さえ適度に取っていたら、一週間は死なないと聞いた事がある。

 でもそれはあくまで【死なない】だけであって、健康を保てる訳じゃない。寝不足にはなるし、肌だって荒れるし、何より排泄が上手くいかなくなる事で身体が浮腫んでしまう。そして何より、空腹程悲しい事は無いよね?


 バイト中だった私の身体の上に倒れ込んできた人は、辛うじて汗臭くは無かったけれど、それでも不衛生で、無精髭を生やしていて、お腹の虫を盛大に鳴らしていた。

 動こうにも巨体が圧し掛かっているから動けないし、声も出ない。幸い、クリーナーの方は私がこの正体不明な人にぶつかってしまった衝撃で止まってしまっているから動いていない。



 とりあえず何とかして脱出しないとっ・・・。



 高校を止むなく止めさせられてから一ヶ月。

 伊達に肉体労働だけに勤しんできたワケではない。

 動けないのなら、動いて貰えばいいだけの事。


「あの、ダイジョウブですか?生きてますか?」


「・・・ぅう」


 うん、何とか生きてはいるようで良かったわ。

 これならなんとかなるかも?

 でも油断はできない。

 人生の中で油断と無料タダほど恐ろしい物は存在しない。これは工場が閉鎖してから初めて知り得た事。


 美しい花に棘や毒があるのと一緒で、物事には必ずしも打算や裏が付随している。

 ごくタマにそんな事はありませんって善人面を全面的に押し出す人達がいるけれど、そう言う人達だって何かしら――例えば自分達が背負っている名前を世間に知らしめるとか――考えているのであって、この世の中に聖人君子なんて存在しない。いるのなら是非とも紹介して欲しいし、あって見たいとも思うわよ、って、今はそんな事より。


「ごはんあげますんで、とりあえず退いてくれませんかね?」


 その言葉にピクリと反応を示す、名前も知らない男性ヒト

 その人は緩慢な動きでゆらりと上半身を起こすと、自分が押し倒す様に下敷きにしていた私をボンヤリとした眼差しで見下ろし、そして。


「・・・腹減った。」


 ポツリと、低くも艶のある良い声で情けない言葉を口にした。



 

 ぐつぐつと煮えたぎるお湯の中には、乾麺のパスタがくるくると踊っている。

 私はその間に玉葱とベーコン、ピーマンを手早く切り、それを少し多めのトマトケチャップと塩・コショウで予めフライパンで炒めて絡めておく。その中に茹であがったパスタを入れて絡めれば、ナポリタンの出来上がり。お好みで粉チーズを振りかけても良し。


「はい、出来ましたよ。味は保証しませんけどね」


「・・・・・・。」


 ゴクリ、と、喉を鳴らすのは、狭くて古い我が家にてお風呂に入った事で大分みられるようになった、男の人。

 髭を剃った事で最初みた時に比べて、かなり若返ったようにも見えるけれど、人は見かけによらないからね。


 朝沸かしておいた麦茶を透明なグラスに氷と共に入れ、その人に出せば黙々と食べ進めている。

 時刻は16時を少し過ぎた所。

 今日はたまたま早番だったから、こんな早い時間に帰ってこれたけれど、いつもはもっと遅い時間にしか帰ってこれない。


 それにしても。


「良く食べますね・・・。」


 二人前は作った筈なのに、あっという間に消費されて行くのを見るのは圧巻で、量が足りるか心配すらしてしまう。かと言って、また新たに作るのは面倒。何かなかったかなと思いつつ、冷蔵庫を開けては見るものの、とても人様に提供できるものは入ってなかった。


 強いて言えば、出せるのはお結びくらいだろうか。そう思い一旦閉めた冷蔵庫を再び開けた私は、自分の間抜けさを痛感した。


 何故かって?

 それはね・・・


 ガサっ、ゴン、コロコロ・・・。


 ビニール袋を床に落とし、その袋の中に恐らく入っていただろう野菜達が転がっている事にも気付いていないお母さんが、名前も知らない人が我が家にいる事に驚いて、悲鳴にも似た大きな声を上げてしまったから。


「梅子、この人は誰なのっ」


 ああ、面倒な事になってしまった。

 私はその日何度目かとなってしまった溜息をまた一つ吐き、お母さんに事情を説明すべく、客人の食事作りを一旦休止したのだった。 

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