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俺の仕事

作者: Genta

「これでホラーかよっ!?」って言われてしまいそうですが……。

結末がちょっぴり怖いだけで、グロ描写なんか欠片も無いんですが、お読みいただければ幸いです。

「統計によると今年の失業者数は例年を上回っています」

 テレビの画面ではニュースキャスターが今年の失業者数のデータを読み上げている。

「ま〜、失業者を減少させることを考えるのもそれはそれでいいんでしょうけど、ま〜なんですな〜…。この頃の若者は仕事を選びすぎなのでは?」

 ニュースキャスターに促されたひげ面の男がしゃべっている。

「私たちの若い頃はですな、そりゃ何でもやりましたよ〜。楽して収入を得て…そんなことばかり考えてるから堕落するんですよ。フリーターだとか言ってそんなのは、ただの野良犬ですな〜」

「ま〜ま〜、とにかくですね〜、更なる政府の対策に期待したいものですね〜」

 コメンテーターの毒舌を制するようにキャスターは差し障りないコメントを入れCMを促す。

「うっせえ、このじじい!」

 戸倉智之は枕元のリモコンを無造作に取り上げるとTVを消した。

 これと言った仕事を持たない智之にとって耳の痛い話題であったからだ。「俺の仕事は歌を作って歌うこと」と自称する智之だったが、実のところは月に1・2度、小さなスナックでギターを爪弾く程度のものだった。

 収入は無いに等しい智之だったが、その家計の穴は同棲している野田博美が支えていた。

 博美は都内の病院で看護婦をしている。収入もそれなりに有るし、取り立てて言うほどのとりえの無い智之ではあるが楽しい彼と一緒に居れば寂しくない、そんな理由から彼と同居し自分も含めた彼との生活を支えているのだった。

「紐」と言ってもいいような智之の生活を見かねた友人たちは、彼に仕事を探すよう勧めたが、それも智之にとっては先程までTVが垂れ流していたくだらないニュースと同じようなものでしか

なかった。

「っち、新曲でも作るか…」

 そう独り言をいいながらも智之の手は冷蔵庫から缶ビールを掴み取る。酒が無ければ良い曲ができないっとでも言いたげにグビグビとそれをあおる。その後に名曲が完成し大ヒットでもするのなら文句もないのだろうが、そうは行かない。2本・3本…杯を重ねるだけでいっこうに曲などうかんでは来ないのだった。



「智之さ〜ん…智之さ〜ん」

 気が付くともう既に夜になっていた。博美に揺り起こされて智之は面倒くさそうに目を開ける。何時もならテーブルに並べておいた缶ビールの空き缶が夕食の皿たちに入れ替わっているのだが、今日は違っていた。

「ん?外食か?今日は…」

「何言ってんのよ〜毎日毎日…飲んでばっかり!」

 博美は鋭い目で智之を見据えた。

「あっ、な〜んだ今日は忙しかったんだな〜。っま、いらいらするなよ。俺は外食だってかまわないんだから」

 職場でちょっとしたストレスが溜まった時に博美は智之に軽くあたるのだった。(今日も何時ものやつか?)と、そんな彼女の態度に智之はそう思っていた。

「何時になったらまともな仕事すんのよ〜?」

「してるぜ、俺は毎日毎日新しい曲作って歌ってんじゃん。ほ〜ら今日だって…」

 っと言いながらスタンドに立て掛けてあるギターを取り弾き始める。

(っま、ずいぶん前に作ったやつでも歌っときゃ〜博美には分からないだろう)

 てんてけてけてん・てれれんれん…イントロが始まって数秒足らずで智之の予想は大幅にはずれた。

「それ、『俺の青春』っとかなんとかって言うやつじゃん! 今日もどうせ、飲んで飲んで寝てばかりいたんでしょ?」

 ずばりそのままの曲ではあったが、新曲を作ったと言ったからには智之も後には引けない。

「ばっかだね〜おまえは。イントロが似てるだけで、ここからが今日の俺の仕事の成果なんだよ〜」

 と言いつつも、同じイントロを3回繰り返したところで、さすがに智之も焦ってきた。

(やべえ、思いつかねえ…けっ、こうなりゃでまかせで歌ってやるか)

 っと一息吸い込んだ時、飲みかけのビールの缶がギターのボディーにぶつかってきた。こぼれたビールがギターと智之のズボンをぬらす。

「な〜にしやがんだ〜!」

 迫力を込めた大声で智之は怒鳴った。だが博美はいっこうにひるむそぶりも見せない。これも何時もとは違うことだった。

「あんたはいいわよね〜。毎日そうやって自分のしたいようにしてれば…」

「俺だって仕事してんだろうが〜! 作曲して歌って…、今有名な奴らと違うのは売れてるか売れてないかってことだけで…。俺だってその気になりゃあ」

「その気になってまともな仕事しなさいよ〜あんたが今やってることなんて世間的には仕事って言わないの! いいわよね〜まったく! 3食昼寝付き…あっ…」

 思いついたかのように博美は自分を指差すとひにくっぽく言い捨てた。

「そうだそうだ、3食昼寝…それから女も着いてくる…いい生活だわ」

「な〜んだと〜〜!」

 激昂した智之はギターを持ったまま立ち上がる。

「なに?悔しいの?? 悔しいんならこれでも読んで仕事探せば〜? 世間じゃあんたみたいなのをどう呼ぶか知ってる? ひも!よ、ひも…」

 就職情報誌が智之の腹にぶつかり床に落ちる。それを合図に智之も切れた。ギターを振り上げ博美に詰め寄る。「うぉぉ〜」等とわけの分からない叫びと共に、智之のギターが博美の頭に振り下ろされた。

 ばきっ、ギターのネックが折れ、弦に繋がれたボディーがだらりとぶら下がる。殴られた博美はテーブルに倒れこみ、その勢いでビール缶もろとも床に転がった。そのまま智之に背を向けた状態で、ぐったりとしている。智之は舌打ちして、壊れたギターを放り捨てた。

「驚かそうったってそうは行かねえぞ。どうせ死んだふりしてるか、気絶してるか…どっちかだよ。死んだふりか? 俺は熊じゃないっつうの」

(ったくいやみかよ〜こんなもん投げつけてきやがって)

 智之は就職情報誌を拾い上げぱらぱらとページをめくった。ふとその指が止まり目が一点に吸い寄せられた。そこには小さな文字で「急募、しない人」っと書かれてあった。

 智之も今まで全く仕事を探そうとしなかったのではない。気の向く時には就職・アルバイト情報誌を読み、数社の面接も受けた。だが、何処の会社も特殊技能を求めていたり、学歴を問われたりして、智之に合致する職場は無かったのだった。

 それがどうだろう、ここに智之の目の前に「『急募』しない人」っと確かにある。何度も指でその文字をなぞりながら確かめるが、やはり見間違えではないようだ。

(はたして?何をしない人を募集してるんだ?? ○○しない人○○しない人○○しない人…飲酒しない人、喫煙しない人、女遊びしない人…ってんなら俺はだめだな〜)

 そこまで自分の非該当項目を考えてみてさすがに苦笑する。印刷のミスか?とも考えてみたが、どうやらそうでもなさそうなことは次の行を見た時に分かった。0120-471-471、し・な・い・し・な・い…印刷ミスにしてはできすぎた電話番号だ。情報誌を閉じた後も「急募しない人」が気になって仕方が無い。

(明日にでも電話してみるか)

 そう考え…博美が息をしていることを確認した智之はとりあえず眠ることに決めた。博美には明日謝ろう!っとも少し考えながら目を閉じた。



 翌朝、智之が目を覚ますと、既に博美の姿はなかった。部屋は昨晩の暴力の痕跡を残さず整えられていて、テーブルの上には朝食と置き手紙がある。壊れたギターも捨てられたのか、部屋には見当たらなかった。手紙には「昨日はごめんね〜。言いすぎたわ」っとだけ書かれてあった。

(俺がやりすぎたのに、あいつから謝ってくるなんて気味悪いな)とも思ったが、それよりも、何よりも昨日の「『急募』しない人」が気になって仕方なかった。朝食もそこそこに、智之は受話器を取り上げた。

 智之の口の周りには先程食べたトーストのくずがくっついている。

「し・な・い・し・な・い…っと」

 るるるるる〜るるるるる〜。2回目のコールが終わると同時に電話がつながった。

「はい、何もしない株式会社です。」

「あっあの〜、雑誌の募集記事見たんですけど〜」

「はい、そうしますと、そちら様はなにもなさっておられない方でいらっしゃいますね?」

 柔らかな感じの良い女性の声が耳に流れ込んで来る。

「って言うか作曲とか、作詩とかしてるんですけど〜」

「ええ、ですから世間一般的には何もしておられない方ですよね〜」

「はっ、ま〜そうですかね〜」

「でしたら午後にでもこちらへおこしくださいますか? 簡単な面接をいたしまして、入社手続きをさせていただきますので…」

 女性はそう言って電話を切った。

(俺が?就職??するのか?)智之は俄かに信じがたい話に疑いを持ちながらも、とにかく教えられたビルへ出掛けることにした。



 その日の午後、智之は高層ビルの中の1室にいた。

 広い応接間の中心に、ガラスのテーブルを挟んでソファーが並べられていた。他に調度品がないので、部屋がさらに広く見える。一つの壁面を全面使った窓からは、他の高層ビルが見えた。窓の近くに寄れば、周囲一帯を一望できるだろう。

 智之は高価そうなソファーを勧められ腰を下ろす。目の前には、仮面を着けた男が座っている。

 その奇妙な光景に驚く智之を察したように男は口を開いた。

「戸倉智之君だね? 早速聞くが、君は何もしないことができるかね?…それが我が社の仕事なのでね。」

 何もしないことができるか? などと聞かれたのは生まれてこのかた34年、初めてのことだった。

「っま〜何もしないで良いんならできる?っと言うか…何もしませんが…」

 目の前の仮面男は満足そうに頷いてみせた。

「どうぞ…」っと女性がお茶を運んで来る。これまた、仮面女だ。

「あっ、あのですね? ここに〜その〜就職しますと皆か・め・ん・を?」

「そうだね〜君はすぐにでも出世しそうだからじきに分かるよ」

 男は智之の言葉をさえぎるようにそう言った。

「明日から出社して貰うが、まあ今日はご家族とでも就職を祝うといいよ。」

 言いながら男は智之の目の前のテーブルにどっかとアタッシュケースを置いた。

「これ、とりあえずの君との契約金だ。月給については毎月25日に支給するから…」

 そう言うと男は「もういいよ、帰りなさい」っとでも言うように顎で戸口を示した。

 聞きたいことは沢山あったのだが、どうやら今日は立ち去るより他は無いようだ、智之は一礼すると部屋を出た。

 エレベーターの中は智之以外、誰も乗り合わせていない。彼は先程から気になっていたアタッシュケースを空けてみる。

 中には札束がぎっしり詰められていた。

 飛び跳ねたいような衝動を抑えながら、智之はアタッシュケースを閉じる。

 さっきの「何もしないことをできますか?」の奇妙な質問と同じくらいに、こんな大金を手にすることも初めてのことだった。



 夕方、智之はぎこちないしぐさでネクタイを首に巻きつけてあれこれやっていた。(今日は初めてのことだらけだ。)そんなことを考えながらも就職と言う響きに悪い気はしない智之だった。やがて博美が帰って来るだろう、就職したと聞けば博美も喜ぶはず!そう思うといたずらをする前の子供のようにわくわくするのだった。

「どうしたの??それ??」

 スーツを完璧に着込んだ智之を見て、博美は予想通りの驚きを、いや予想以上の驚きを見せた。

「就職決まったんだ。明日から仕事なんだ。」

「そうなの? ま〜すてき! っじゃ、お祝いしましょうよ〜。何か作るわね。」

 そう言ってはしゃぐ博美の額には、大きな絆創膏が貼ってあった。ギターで殴られた傷だろう。それを見て罪悪感に駆られながら、智之は博美を呼び止めた。

「いや、いいよ。今日は俺がおごるからさ。昨日…ちょっとやりすぎたしさ。っま、おまえがくれた情報誌のおかげで決まった就職なんだ。お礼しないとな〜」

「おごる? って…智之さん…」

「ああ、お金なら心配いらないぜ。契約金貰ったんだ。見ろよ!」

 自慢げにアタッシュケースを示す智之をちらりと見ると、博美は背を向けキッチンへ立った。その表情は智之に背を向けているので彼には分からなかったが、意味ありげな笑みをうかべていた。

「今日はご馳走よ。できるまでこれでも飲んで待ってて、あっ乾杯は後でしましょ?」

 智之には高級品を見分けることはできなかったが、その智之にですらそれと分かる程の高そうなワインとグラスがセットされる。そのワインをどうしたのか聞きかねるくらいに、とにかく博美は上機嫌だった。

 そのうちに、オードブル・スープ・魚料理・肉料理…何処かのレストランかと疑いたくなる程の、数々の料理が準備されていく。安物のテーブル、いやこの賃貸マンションに不釣合いな光景だった。



 智之は窓から差し込む朝陽にまぶしさを感じながら、ぼんやりとした頭で昨日のことを思い出そうとしていた。料理が並んで博美と乾杯して…料理食ったんだっけ??そんな記憶を手繰り寄せる。

 それにしても空腹だ、とにかく腹いっぱい食べて初出勤だ! そう決めると智之は朝食をがつがつやって、身支度を整え、部屋を出た。

 何時もなら彼より早く部屋を出るはずの博美が、笑顔で見送ってくれた。



 智之が出て行った後、博美は無表情でコードレスの子機を取り上げていた。0120-…。



 普段、通勤と言う言葉に無縁だった智之にとって、ラッシュアワーの込みようは想像を絶するものだったが、それでも初出勤に昂揚した彼の心にはそのストレスもさほどでは無かった。昨日来たと同じビルに軽やかに入って行く。

「戸倉さん、おはようございます…貴方の配属先はこちらの課です。どうぞ…」

 仮面の為にくぐもった声ではあるが、昨日お茶を運んで来た女性が案内してくれていることは智之にも分かった。好感のもてる彼女の言葉遣いに、仮面に隔てられた彼女の笑顔を想像してみる。

「あっあの〜ここではほんとうに何もしなくてもいいんですか?」

「はい、戸倉さんの身の周りのことは全て私がさせていただきます。ご安心くださいね〜」

 と智之に答えながら、彼女は扉を開いた。

 室内は細かなパーテーションで区切られている。智之は、その1つの区画へ案内された。事務机と椅子…、パーテーションで区切られて周囲の人の様子が伺えない意外は単なるオフィスのそれと変わった所は無かった。いや、椅子に肘掛が付いているのが智之には目新しい感じがした。

「ここのセクションでは指先だけで全ての用事が済みます。何かありましたら、肘掛の押しボタンを押してくださいね〜。すぐにまいります。それから…同じ姿勢で何もしないでいると疲れますから、え〜っと、これも肘掛にあったと思うんですけど、電動リクライニングシステムをお使いいただいてお好みの角度に背もたれを調節してくださいね。」

 そう言い残すと彼女は智之の傍から離れた。

 何がなんだか分からないがとにかく、何もしないでいるのがここでの智之の仕事らしい。

 友人や博美から「仕事しろよ」だの「まともな仕事してよ〜」だのせっつかれていた時には何もしていない自分を意識したことなど無かったが、こうして「何もしないことが仕事です」なんて言われてそれを義務付けされると嫌でも何もしないと言う行為について変に考えてしまう。

 だが、今の智之には真の「何もしない」の意味は分かろうはずも無かった。

(本当に俺は何もしなくていいのか? 今日から俺の仕事は「曲を作って歌うこと」から「何もしないこと」に変わっちまったのか?)(肘掛のボタンでお知らせくださいって、まるで飛行機の客室みたいだな)、そう考えていると先程の彼女がコーヒーを運んできた。

「とりあえずコーヒーにしましたけど、お好みがあればこのメニューから選んでくださいね。それから、昼食はこちらのメニューから…」

 と彼女は2冊のメニューを差し出した。

「あのさ〜やっぱ入社したんだし、一応はなんつうの? 挨拶だとか…ほら〜しなくていいのかな? 俺」

「はい、何もしなくていいんです。貴方の名紙を皆さんのデスクにお配りしておきました。あっ…」

 コーヒーに砂糖を入れようとした智之の手を彼女が止める。

「ご用は全て私がさせていただきます。お昼の休憩時間と…」

 触れ合ったままの手を離そうともせずに、彼女は話した。

「あの〜、お・お・お手洗いだけ…それだけにしてください。自由にするのはそれだけに…ね」

 彼女の手の温もりと感触を楽しみながら、(君が言うならな〜〜んにもしない、しません!)などと心のなかではしゃぐ智之だった。

「君、名前は?」

「私…ですか?シャドー、貴方の陰、なんです。私、貴方の後ろで貴方のしたいことをさせていただくんです。それが貴方の「何もしない」をお手伝いすることに繋がるんですもの。」

「シャ・ド・ー??」

「あっ、変ですか?…っですよね?? でも、ここに働く皆さんにはそれぞれの方に私みたいなシャドーが居ます。あっ、また来ますね。」

 余計なことをしゃべりすぎたとでも言いたい風に、彼女はあわただしく智之の席を離れた。

(ったく博美の奴が投げてきやがった情報誌を読んでからおかしな事ばっかしだな)

 そう思いながらも早速仕事に掛かる。と言っても何もしないのが智之の仕事なのだから「仕事に掛かる」と言うのも適切な表現では無いのだが…。



 昼休みを告げるチャイムが柔らかなメロディーで空気を震わせる。

 智之が昼食にオーダーしておいたハムトースト・サラダ・ミルクティーが運ばれて来る。

 仕事となるとやはり疲れる、智之は両腕を上に上げて背伸びをした。

 昼休みにたどり着くまでに彼は2度肘掛のボタンでシャドーを呼び出した。1度は昼食のオーダー、もう1度は暇をもてあまして押したものだった。

「お疲れ様です。さっ、休憩しましょ?」

 シャドーにそう言われて智之は昼食に手を着ける。だが、またしても彼女の柔らかな手がそれを止めたのだった。

「私がしますから…、お砂糖にミルク…っと」

 ミルクティーが混ぜられハムトーストが一口で食べれるくらいの大きさにカットされて行く。

「はい、……」

 彼女はハムトーストの一片を取り上げると、母親が幼児にするように「食べなさい」っと言わんばかりに智之の口元にそれを差し出す。

 その勢いにおされるように思わず智之はあんぐりと口を開けた。

「って、食べるくらい自分でするからさ〜」

「いいえ、私がします。って言うか、させてください。」

「あのさぁ? 何もしないのがここの仕事だよね? なのに、君はいろいろ…ほら〜やってんじゃん。どういうことなの?」

「このセクションは何もしないことが仕事なんですけど、私のいるセクションはなんでもするのが仕事になってるんです。何もしないお仕事をしてらっしゃる智之さんのセクションと私が働いてるセクションは表裏一対なんです。ちなみに貴方から見た私はシャドー、そして、私のセクションでは貴方をボディーって呼んでます。なんだかおかしいでしょ?」

 そう言いながら彼女は声をたてて笑う。

 へんてこな所に就職したものだ、と智之は思った。こんなこと博美に説明したって信じて貰えないだろうと…。

 そう思いながらも運ばれるがままにトーストやらミルクティーを口に流し込みもぐもぐやる。

「まだお昼休みありますけど、どうします?」

「ええっと、煙草吸いたいな〜、俺」

「はい、これ…」

 全く準備のいいシャドーだ、まるで智之の好みを知っているかのように、彼愛用の煙草が差し出される。煙草をくわえてライターを探そうと胸ポケットをごそごそしていると、火が着けられた。

「気分転換に外へ出られますか? それとも〜ええっと、本読みますか?」

「んじゃ、外出るかな。」

「はい、ご一緒しますね〜」

 智之が立ち上がるより早く椅子が動き始める。彼女が引いているのだ。

「ちょっちょっちょっと!!」

 自分で歩いてくよ、っと言っても無駄のようだった。振り返ると自分が座っている椅子の背もたれに両手で押して操作できるようなハンドルが有ったからだ。智之の足元にも足置き用のステップが出ている。まるで車椅子だ。

 智之は観念して車椅子?に身を任せた。



 昼休みが終わる時刻には智之は自分の席に戻っていた、と言うより戻されていた。

 先程まで屋上で過ごしていた間の光景が心に焼き付いている。どう考えても変だ、自分と同じように椅子に乗せられて運ばれて来たであろう男女が平然として普通の昼休みにサラリーマンやOLがするような会話を楽しんでいるのだから。彼らの後ろには確かに、彼らの「何もしない仕事」を補佐するシャドーがいた。

 首や肩をぐるりと回す。ぽきぽき言わせることで自分の存在を確認すると、智之は午後の「何もしない」に取り掛かったのだった。

 仕事と言う束縛に囚われているサラリーマンは皆、こんな風なのだろうか?智之はそんなことを思った。

 時計の針が止まっているようだ。いっこうに終業の時刻にたどり着かない。

 あれこれ考えているうちに「暇と戦うことがこれからの俺の仕事ではなかろうか?」と言う智之独特の結論が出された。「そうだ、そうだ!」自分の考えに変なくらいに納得がいく。

 暇と戦うっと言う目標に取り組む智之だったが、まじめに暇と向き合えば向き合うほどに秒針が重たく感じられた。

 手洗いに立ったりシャドーを呼びコーヒーを飲んだり…、結局5杯目のコーヒーをシャドーに持って来させた時、待ちかねていた終業のチャイムが鳴った。



「お疲れ様でした〜。」

 智之の帰り支度を整えながらシャドーが明るい声で言った。

「ああ、なんだか何もしてないのに凄く疲れたような気がするよ〜。」

「すぐに慣れますよ。今日だって智之さんちゃんと仕事してたじゃないですか〜。」

 そう言いながらシャドーは智之を乗せたままの椅子を動かし始める。

「ひょっとして? このまま家まで帰れって言うんじゃ??」

「…」

「ちょっと〜かんべんしてくれよ〜。やだよ、そんなの!」

 シャドーは何も答えず、ずんずん智之を運ぶ。エレベーターに乗せられる。なぜかエレベーターは上昇し始めた。

「え?何処行くんだよ??もう仕事終わったんだよね??」

 エレベーターの扉が開く。

 先程まで智之が居たフロアとは違い毛足の長い絨毯が敷き詰められている。まるでホテルのパーティー会場みたいな雰囲気だ。

「戸倉智之君の歓迎会を始めま〜す!」

 目の前の扉が開かれる。拍手やクラッカーのはじける音に包まれ、(なるほど?そう言うことか??)と智之は思った。

 大きな丸テーブルが配置された会場の正面の段上に、智之はするすると運ばれた。ご丁寧にも彼が椅子から降りなくても段上に上がれるよう、なだらかなスロープまで設置されている。

「驚きました〜?」

「うん、まあね〜。もうちょっと迫力を出してくれりゃあ、誘拐か何かと勘違いしちまったかもな〜」

 2人がひそひそ声で話している間にも司会者らしい男が智之とシャドーの紹介をしている。司会者の男の話からシャドーが智之と同じく今日初出社したのだと言うことが分かった。

「え? 昨日お茶持ってきてくれてたよね? あれって?」

「はい、私です。智之さん昨日面接だったでしょ?お茶運ぶの、あれが私の面接みたいなものだったの」

「そうか〜」と智之は納得した。何の疑問も無く「奇遇だな〜」とも思っていた。



 シャドーは仕事を離れても智之の世話を止めなかった。オードブルからメインの料理・ビールやワインまでかいがいしく彼の口へ運んだ。

 数人の人が智之とシャドーの席へ歩み出ては軽く挨拶をしたり智之のグラスに飲み物を注いだりしたが、今日入社した智之には当然のことだが知り合いも居ない。軽く挨拶を返して作り笑いしてやり過ごす。

「よ〜、戸倉君!」

 後ろからどんと肩を叩かれて振り返る。聞き覚えのある重々しくくぐもった声だ。

「初仕事はどうだったかね?」

「は、はい。特に何もしてないのに疲れたような気がします。」

「ん、最初はそうだろうが暫くすれば慣れてくるよ。仕事とはそう言うもんだ。」

 そこまで会話を交わして、智之は昨日自分を面接した仮面男が声の主だと気付いた。

「あの〜なんて言うか〜その〜俺、いや私が仕事〜してるなんて夢みたいで…ちょっと居心地悪いっす」

「蝉の一生を知ってるかな? 蝉は幼虫の時代を長年過ごしてだな〜、長い時間を経てああやって立派にみんみん鳴けるようになるのだよ〜。今までの君を蝉の幼虫だと思えばいいんだ!」

「たっ大器晩成ってことですか〜」

「っま、そう言う言い方もあるかもしれんな〜…おっ、ダンスタイムだぞ〜君たちもほらほら…楽しみたまえ!」

 そう言い残すと、男は智之たちから離れた。



 数分後、智之とシャドーは段上から降りていた。

 2人の周りには智之たちと同様にシャドーと組んで楽しげに踊っている人たちが居る。

 寄り添う彼女からは女独特の甘い香りがする。しなやかに踊る彼女、だが仮面に隔てられその表情は窺い知れない。

 胸元の開いたシャドーのドレスからハート形のペンダントトップが彼女の動きに合わせて揺らめいているのが見えた。智之はそのペンダントトップを何処かで見たような気がしていた。

「顔見せてよ〜」

 智之は今朝からずっと気になっていたことを思い切って口にしてみた。

「…」

「だめなの?」ほらさ、ちょっとだけでいいんだけど…」

「私の顔見たら驚きますよ〜。すっごく幻滅しちゃうかも?」

 いたずらっぽい口調で彼女は返した。

「いいからさ〜ほら〜!」

 智之は手を伸ばし彼女の仮面をはずそうとした。シャドーは身を捻って智之から離れる。

「だめ!」

 今日1日で初めて聞く強い口調で彼女は言った。

「ごっごめん、…」

「わっ私こそすみません。今日は…今日はだめ…」

「…」

 沈黙が流れる。賑やかな曲調の音楽と踊り楽しむ人たちがそれを際立たせた。

「ほっほら、謎めいている方が…いいんじゃないかな〜?って思いますし…」

 シャドーは気まずさを取り繕った。



 智之たちの歓迎会が賑わいのうちに終わると、智之はまたしてもシャドーの手によってエレベーターホールへ運ばれた。

 エレベーターの扉が開く。だが、エレベーターはまたもや上昇し始める。

「ちょっちょっと…かっ歓迎会も終わったんだし…?」

「智之さんはもう昨日までの智之さんじゃ無いんです。貴方は…貴方にはあんな安物の借家は相応しく無いわ。」

 シャドーがそう言い終わると同時に、エレベーターの扉が開いた。

「引っ越しが終わるまで暫くここから出勤してくださいね〜」

 ホテルのツインルーム風の部屋に案内される。智之はとまどった。

「引っ越しって〜?そんな予定無いんだけど。」

「いいえ、あんな部屋はこれからの貴方には不似合いですって!」

(あんな部屋?って俺の部屋知ってんのか?彼女)、智之の脳裏に疑問が過ぎる。

「君がそう言うんなら、引っ越しの相談とか…博美ともしなくちゃなんないし…やっぱ帰るわ、俺。」

「引っ越しの段取りは私が…」

 帰ろうとする智之を止めるようにすかさず彼女が口を次いだ。

「え? そんなことまでしてくんなくていいよ〜博美と俺でするからさ〜」

「でっですから、私が野田博美さんに連絡しておきます。そっそれより飲み直ししましょ? 二人だけで…ね?」」

「あ、ああ…」

 シャドーは仮面で表情を悟られなかったことに安堵した。智之に背を向け冷蔵庫からワインとチーズを取り出す。それらを取り出すのに微妙な時間が掛かった。彼女の手が震えていたのは冷蔵庫で冷えすぎたワインを掴んだからでは無かった。

 他愛ない話題と酒で二人は時を過ごした。

 智之は謎めいた仮面の女性との一時を楽しみ、またシャドーにとってその時間は自身の動揺を拭い去る為に費やす時となった。

「…もう遅いしさ〜…せっかくだから…なんつうの?ほら一緒に居てみたりなんかする??」

 智之がそう切り出したのは1本目のワインが空になろうとする頃だった。

 シャドーはその誘いに頷いて返した。(彼はもうすぐ眠る。自分の身に危険は無い)、そんな確信が有ったからだ。

「シャワー浴びてきていいかしら?」

「ああ、行ってきなよ。」

「じゃあ、これでも飲んで待っててくださいね?」

 最後のワインを智之のグラスに注ぐと彼女はバスルームに消えた。

 智之は一気にグラスを空けるとベッドに横になった。

 バスルームから聞こえるシャワーの水音に心が高鳴るが、やがて襲ってきた眠気に抗しきれず、意識が途切れた。



 バスルームの中、素顔のシャドーがいる。鏡に映る額の傷が生々しい。



 それから数日が過ぎた。

 智之の「何もしない」仕事は坦々と続いている。来る日も来る日も暇との格闘だ。確かに何もしなくても身の周りの事はシャドーが処理してくれる。

 だが、義務付けされた「何もしない」は確実に智之の心と体を蝕んで行く。引っ越しも済み立派なマンションでの生活が始まろうとも、「何もしない」の蝕みは手を休めることは無かった。

 仕事の束縛が終わると連日のように新入社員の歓迎会がある。

 不思議なことに新入社員が来る度に智之のデスクは隣席へと移動させられるのだった。



「あの、戸倉さんだよね〜?」

 ある朝、出勤途中に小柄な20代後半くらいの男が声を掛けてきた。

「俺、隣の席の藤岡一成っす。職場じゃしゃべったこと無いっすよね?」

 そう言えばデスクに座ればシャドーか、あの仮面の男がたまに廊下で声を掛けて来る程度で、その他の社員とは話した記憶が無かった。そのことに今更ながら気付く。

「そうだな、話したこと無かったよな〜って、あっ、っじゃ初めまして…だよね。戸倉です。戸倉智之。」

 何もしないことに束縛されている智之にとって、誰かと話すと言う単純な行為が妙に新鮮に思えた。

「話したかったんすよ、俺。戸倉さんと…」

「え? どうして?」

「俺、戸倉さんが来る1日前に入社したんだけど…。っま何もしないでお金稼げるんならラッキーかな?って思って。」

 智之はうんうんと頷いた。自分自身半信半疑でその場の乗りで入社した智之には彼の気持ちが分かりそうな気がしたのだ。

「戸倉さんが入社した日、俺、席が隣に移動したんすよ。その時は何も思わなかったんすけど。」

「席がどうかした?」

「おかしいっすよ〜、毎日毎日席が移動させられて…毎日毎日新しい人が入社して…あの会社おかしいっすよ〜!」

 一成の声には切迫した危機感を表現するような力が込められている。

「何かあるよ! 絶対に〜! ねえ?戸倉さんは何も感じないんすか?」

 そう言われてみれば、確かに妙だとは思ったが、智之の心の中には一成と同じような切迫した気持ちは無かった。

「っま落ち着けよ〜何もしないで金が入って来るんだからさ…」

「このままでいいんすかね〜俺たちは??」

「大丈夫だってば〜。そりゃさ〜毎日暇だよ。だけど暇さえ我慢すりゃ楽な仕事じゃん。あくせく働いてちょっぴり月給貰ってさ、普通の奴らはそうやって生きてるわけだから…」

「…」

「俺たちってさ〜、そう! 特別な人間なのかもしれないぜ。たとえばさ〜…そうだな〜選ばれし人々っつうのかな〜…っま特別なんだよ。だからさ、何もしなくたっていいんだよ。」

 そう言って智之は笑った。

 だが、一成の表情には払拭できない何かがこびり付いているようだった。

「おっ、新聞買ってくるよ。」

 改札口を出た智之は一成にそう言うと売店に行こうと歩を進めた。

「新聞なら会社に行けば有るじゃないですか。急がないとけっこうやばい時間っすよ〜」

 一成に呼び止められ時計を見る。始業時刻の6分前、確かに微妙な時刻だ。智之は新聞を買うのを止めることにした。



「こんな朝早くに何かね?」

 出社して間もなく、一成は面接の時と同じ部屋であの仮面男と向かい合っていた。

「…」

(俺たちはこのままで良いのか?この会社は何なんだ?)渦巻く疑問と不安を解明したいが為だった。

「黙っていちゃ分からんよ〜、出社早々私の所へ来たからには何かあるんじゃないのかね? ん?」

「俺…このまま何もしなくて良いんですか?このままで…?」

 重々しい男の問いに一成はそう切り出した。

「何もしないことが我が社の仕事なのでね。これは最初に言ったとは思うがね…」

「でも…、変じゃないですか? 何もしないまま永遠にこのままなんて!」

「何もしなくて良いと思ったからここに入社したのでは?…どうだね??」

「しっ失礼ですけど、ここの会社変ですよ! 毎日毎日新しい人が入って来て、その度にデスクが隣に移動して…! 何が目的なんです!?」

 男はそれには答えず、目の前のテーブルの上のチェスボードの上でコマを弄んだ。

「数少ない趣味の1つでね。君はチェスしたことあるかね?」

「チェスなんてしたことありません。…それよりこっ答えてください!この会社は何の為にあるんですか??」

「チェスをしたことの無い君が私に勝つ方法は何かね?」

「何のつもりです! 私の質問にも答えてください。」

「私の質問に君が答えることで…」

 男はそう言いながら煙草の紫煙をくゆらす。

「君の疑問が解決するよ。」

「そりゃ…、チェスの腕を上げて…勝つまで勝負する? …しか〜無い〜かな?」

 一成の答えを聞くと男はさも愉快げに声を立てて笑った。

「君はどうやら転勤して貰わんといかんようだな〜」

「どう言うことです?!」

 一成にはどうもこうも理解できなかった。先程までのやりとりで自分の疑問が晴れたとは思えなかった。

「もう君は、ここに居るべき人では無い…と言うことだよ。」

「くび?ですか?」

「ま〜そうとも言えんことも無いがね、君にとっては喜ばしいことだよ。」

 男は煙草をもみ消すと、そう言いながら仮面をはずした。

「何もせん奴の中にも、将来有望な者とそうで無い奴が居るのだよ。君には前向きな姿勢が見て取れた。だから…ここには居る必要が無いんだ。」

 満面の笑みをうかべた男の素顔に、一成の疑問への答えが有った。

「あの〜、有能で無い人はどうなるんです?」

「それは君には無関係なことだよ。以後のことは君のシャドーに任せるといい。」

 どうやら自分は今のまま、何もしないままではだめらしいことは一成にも分かった。だが、まだ釈然としないことが1つ、毎日この会社には新入社員が入って来る、そしてその度にデスクが移動させられる…そのことだ。

「あの〜」

「さあ、早く行きなさい。そして前向きにこの国の将来に貢献してくれたまえ!」

「毎日新しい人が入社して来るってことは誰かが毎日ここから出て行ってるってことじゃないんですか? ここを出た人はどうなるんです?」

「君は君の夢を実現させるといい。」

「答えになってません!」

 そう言いすがる一成を彼のシャドーが制止する。

「一成さん、さあ、行きましょう!」

「おっ教えてください!」

「戸倉君、君の隣の戸倉君にもさっきの質問をしてみたんだがね〜、彼はどう答えたと思う?」

「…」

「チェスの強敵である私が消えるまで待つ…そう答えたよ、彼は」

 そのやりとりの間にも、シャドーは一成を部屋の外へ連れ出そうと彼の腕をぐいぐいと引っ張る。

「君と戸倉君は住む世界が違うと言うことだ。それ以上は有能な君に察しがつかないわけは無い!」

 言い終えると、男は一成の肩をぽんと叩いて外へ促す。閉められた扉の音が一成には冷たく聞こえた。

(このままじゃだめだったんだな〜。戸倉さんにも伝えなきゃ! 戸倉さんはここを、この会社を安住する場所だと思ってるんだ。)

「シャドー、ちょっと待っててくれないかな。俺さ、部屋に忘れ物しちゃったんだ。」

「何もしないこと」が仕事のこの職場に一成の持ち物など無かった。ちょっと忘れ物を取りに行くとでも言えばシャドーと離れることができる、その間に智之にこの会社の真の意味を伝えよう、そう思っての彼の出任せだった。

「忘れ物なら私が取りに…」

「…俺にはこの会社の存在する意味が分かったんだ。そして、俺がこれからどう生きていったら良いのかってことも見えてきた。もう今までの俺じゃ無いんだ。だから…ちょっと待っててくれ。」

 シャドーは納得したようだった。

 一成はエレベーターに乗ると階下の昨日まで居た部屋へと急いだ。

(急がなければ!あの仮面の男は俺を有能と評価した。そして戸倉さんを俺の反対だと…有能と評価された俺はここから外へ出る、いや、出られるんだ。だとすると戸倉さんは??)

 一成の脳裏に嫌な予感が浮かんでは消え、そしてまた浮かんだ。その嫌な予感は浮かんでは消え、を反復する度に確信へと姿を変えて行くようだった。

 そして気が付くと一成は部屋の戸口にまで来ていた。

 だが彼の足はそれ以上前へは進まなかった。扉が閉ざされているのだ。それだけならノブを引けば…そうすれば智之に自分の確信を伝えられただろう。

 一成も扉が閉ざされていることを暫く不思議に思っていた。毎日通っていたこの部屋、だが今日のように扉が閉じていたことは今まで無かったことだったからだ。

 そして、ふと我に返ったようにノブを引こうと試みる。だが、引こうにもノブが無いのだ。何処かにセンサーが有ってそれに触れれば開くのかと、そんなことを考え扉のあちこちに触れてみる。

「すみませ〜ん!藤岡です。開けてくださ〜い!」

 センサー式のドアでは無いと気付いた一成はこつこつとノックしてみるのだった。何度ノックしても室内からの応答は無い。最初は遠慮がちだった彼のノックもどすどすと言う音に変わっていった。 是が非でもこの扉を開かなければ…、一成の心の中にはそんな思いがあった。

「開けてくれ〜!開けてくれないと〜大変なことなんだ〜!」

 一成は声をからして叫びまくった。手が痛い、拳にうっすらと血がにじんでいる。

「ちきしょう!」

 やりきれない気持ちをぶつけるように一成は扉を蹴飛ばした。そして、力無くその場にしゃがみ込んだ。

(朝戸倉さんと話しした時にどうして! この会社が変だと言うことを伝えられなかったんだ!)

 後悔だけが一成の心を満たして行く。

 廊下は静寂に包まれていた。先程までの苦闘を物語る一成の荒々しい息遣いだけが聞こえるようだ。

 いや?そうではない。何かが聞こえる。一成はその音の正体を見極めようと周囲に目を走らせた。 廊下の片隅、今まで全く気付かなかった、目もくれなかった場所を細長い物がするする移動している。それはちょうど人一人が横になって入れるくらいの大きさの、筒状の物だった。

 そう、彼の耳にとまったのはそれを運ぶベルトコンベアーのモーター音だったのだ。

「社員証が無いとこのドアは開かないんだ。もう、おまえにも…俺にも開けないんだ…」

 一成は背後からのその声に聞き覚えが有った。懐かしさが込み上げるような響きの声。

「ここから出よう! 忘れ物なんてもう無いはずだ!」



「そういや、この頃あいつ見ないよな〜?」

「あいつって?」

「何時も…ほら端っこの席で飲んでたあいつだよ〜」

 居酒屋「ぐびぐび者」のカウンター席で二人の男が熱燗を酌み交わしながら話している。

「あ〜、ぐうたらしてた奴だろ?仕事しないで…嫁さんに稼がせてよ〜」

「ああ、そいつ。この頃飲みに来てないな〜。毎日って言っていいくらいに顔出してたのによ〜」

「嫁さんに稼がせてた時も良い身分だな〜って思ってたけどよ〜なんでも…何もしなくて大金が入る場所を見つけたって話だぜ。」

「嘘だろ?そんなうまいはなし有ってたまるかよ〜。」

「それがさ、まんざら嘘でも無いみたいなんだ。一昨日だったかな〜。あいつがでっか〜いリムジンみたいな車に乗ってるの見かけたんだよ〜」

「それで?」

「おれさ、声掛けたんだよ〜。そしたら奴な〜、出世したから今度ご馳走するよ…って言いやがったんだ。」

「…」

「それっきり見かけねえんだ〜。」

 側の席でシシャモをぱくつきながら飲んでいた一成は、その男たちの話を聞くとはなしに聞く内に、腰を浮かせていた。

(何もしない株式会社のことじゃないのか?今の話??)、そう思うと気になって仕方ないのだ。

「ママ〜おでんとビールキャンセルな〜。わりいな〜、急用思い出しちまったんだ。」

 そう言うと一成はくしゃくしゃの1000円札をカウンターに置き立ち上がる。

 ママが釣り銭を渡そうとするのにも構わずに暖簾を潜って外へ出た。

 あの会社の存在の意味が危機感を伴って一成の心を圧迫するのだった。(俺は自分のすべき・生きるべき目的に気付いた。だからこうして生きている。そう生きているんだ。俺の逆だと評価された戸倉さんたちは?どうなるんだ??)、一成は頭をフル回転させていた。

 戸倉さんは何処に居るのか? どうすれば彼に会いあの会社のことを・自分の思う真実を伝えられるのか?…、一成は必死に考えた。

 そしてあの朝、智之と話しながら通勤した時のことを思い出した。

(戸倉さんには彼女が居て…確か…確か! 星南大付属病院に勤めてるって…)

 一成は「ぐびぐび者」の有る細い道からとりあえず大通りへ出た。タクシーに乗りでもすれば、星南大病院はそう遠くは無い。

 寄り添い歩くカップル、酔っぱらい、きゃっきゃと何やら楽しげに話しながら歩く女の子グループ…多くの人が行き交っている。そんな賑わいにさえ苛立ちを感じる程一成は焦っていた。

 一成にはタクシーを待つものの数分の時間が長く感じられた。



 すがすがしく晴れ渡った朝、智之はいつものように出社しようとマンションの外へ出た。オートロックのゲートを出ると黒いスーツを着た男が二人立っている。

「戸倉様、おはようございます。」

「…」

 見知らぬ男たちだ。がっしりと屈強な風貌はボディーガードを思わせた。

「上からの命令です。昇格なさった貴方をお迎えしろと…」

 そう言うと男たちは智之の両側に立ち歩き出す。

「君はすぐにでも出世しそうだ」と仮面の男から言われたことが、ちらりと智之の脳裏を掠めた。



 同じ朝、一成は「何もしない株式会社」の側の大通りを歩いていた。彼の心の中の霧はまだ晴れてはいなかった。

 社員証が無い今、既に一成にはあのビルに入ることすらできなかった。何度も試みてはみたのだが就職希望者を装おうとも、宅配便や出前の配達人を演じようとも…ビルのロビーにすら入ることができなかったのだ。

 ビルに入れないならせめて智之に出会えるまで周囲で待ち伏せするしかない! そう考えて毎朝毎晩彼との出会いを待った。既に1週間余が過ぎていた。

 そして、片側2車線は有る大通りを走る車の中に、一成は見つけた。智之を乗せた6mくらいはありそうなリムジンを…。

 声を掛けても届きそうに無いことは、直ぐに分かった。彼を乗せた車は道の反対側を走っているのだから。

 一成は大通りを横断しなければならなかった。信号待ちしていては智之を見失う。彼は手近な歩道橋を全速力で駆け上がった。

(このチャンスを逃せば戸倉さんに真実を伝えるチャンスは2度と無い!)、そう思うとがむしゃらに走ること等、どうと言うことでは無かった。

 一成は向かい側から来るOLや中年の男とぶつかりそうになりながら必死で走った。

 そして、向かい側の歩道に降り立った時、智之を乗せたリムジンは信号待ちを終え走り出そうとしていた。

「戸倉さ〜ん!」

 一成は車道に転がり出ると辛うじて智之の車の窓を拳で叩いた。運転手が驚いたように車を

停める。

「戸倉さ〜ん、戸倉さ〜ん…」

 智之は突然のことに「え?」っと言うような表情のままでのろのろと窓を開けた。自分が呼ばれて

いることに間違いは無い、だが窓外の男が誰なのか思い出せないのだ。

「やっぱし、あの会社変だったんすよ!俺、今は自分のやりたい事がはっきり分かる! 一生何もし

ないなんておかしいよ。戸倉さんにはやりたい事や目標無いんですか?!」

「私のやりたい事?…曲を作って歌うなんてことを言ってた時も有ったが…それも過去のことだ。あ

くせく働いてどうなるんだ? 働かなくたって…」

「やる事が有って…それに向かってく途中に何もしない時間が有るからまた目標に向かっていける!

…だから何もしない時間にも、息抜きする時間にも意味が有るんだ! あんたは間違ってる!」

 一成は必死で叫んだ。

「今日私は昇進してね…っま、君が誰なのか? 思い出せないのは失礼だが、ま〜、そのお詫びに何

時かご馳走するよ〜。」

 そう言うと智之は手を挙げて挨拶した。

「戸倉さん! あんた、きっと後悔するよ!」

 一成の怒鳴り声を涼しく受け流すように、智之は「車を出せ!」と促した。



 智之を乗せた車はビルの地下駐車場で停車した。

 智之が車から降り立つと、すらりとした男がしかめっ面で彼を迎えた。

「戸倉智之だな。」

 男の声が冷たく駐車場に反響する。

「君は人種選別審査でこの国に不必要な人種と判断された。」

「なっ何言って…」

「自己実現欲・社会への貢献力・生産性…多角的方面から君を判断した結果だ。」

「ねえ、この男何か言ってるよ。君たち俺の部下だよね〜? どうにかしてよ! こいつ!」

 智之はリムジンの側に立つ二人に命令した。

 だが、男たちは何も聞こえていないっと言った風に智之の命令には反応しない。

「どうした!?早くしないか!」

 智之の鋭い声に一人の男が振り返る。

「ぐうたらしてるような男はこの国に不必要だと言うことです。」

「そう言うことだ。君はこの二十日間ここで過ごす間に何もせず何も考えずに居た。「何もしない」

と言う点では完璧だった。よって「何もしない株式会社」における人種選別でトップクラスの成績で処分対象者に選ばれた。」

「おかしいっすよ〜毎日毎日席が移動させられて…毎日毎日新しい人が入社して…あの会社おかしい

っすよ〜!」、そう必死に言っていた誰かの表情がフラッシュバックする。その顔と今朝自分の車に

駆け寄って来た男の顔が重なり合う。

「以後3時間留置し、正午には君を処分する。」

「ちょっちょっと! 俺は〜何もしなくて良いって言うから言う通りにしてただけじゃないか!」

「反論はけっこうだ。もう決定した事だ。」

「処分って?何するんだよ〜??」

「報告書通りの馬鹿者のようだな、君は…。不必要な人種には消えて貰う。以上だ!」

 そう言い渡すと男は踵を返し立ち去った。革靴のこつこつ言う音が冷たく不気味に響いている。



 言うまでも無く、智之はこのビルからの脱出を試みた。当然のように、外へ出ることはかなわなか

った。

 藤岡一成の最後の言葉がもっともらしく感じられる程に智之は後悔していた。

 なぜこんな目に遭わなければならないのか…まさか、ここが人を見極め試す場所だったなんて。千々に乱れる心の中にいろいろな事が思われた。

(そうだ、博美に電話するんだ。あいつなら…あいつに助け出して貰うしか無い!)、智之はどうし

て今まで気付かなかったのか? と自分におかしくなった。携帯を取り出して博美の勤務先を呼び出

す。

「はい、星南大付属病院です。」

「あの〜野田博美をお願いします! とっとにかく早く!」

「…暫くお待ちください」

 智之に残された時間は30分を切っていた。電話保留中のオルゴールが彼の持ち時間を削って行くよ

うだった。

「もしもし、お待たせしました。お調べしましたが、野田博美と言う者はこちらにはおりませんが…

。あの〜、入院の方か面会に来られている方ではありませんか?」

「嘘でしょ!? あのさ〜冗談言ってる場合じゃ無いの! 俺めちゃめちゃやばいんだって! 急い

でんだよ〜。看護婦の野田博美、ちゃんと探してよ!」

 再び保留音が秒針に拍車を掛ける。

(博美が居ない?そんな馬鹿な!)、何かの間違いだと智之はそう思っていた。

「智之さん?」

「ひっ博美〜大変なんだ。とにかく!」

「ちょっと待ってよ! 私よ、1度、あなたのライブで会った…ほらほら、ムーンライトってスナック

で…あの時の武田由貴よ〜」

「あっ、由貴ちゃんか。ゆっくり話してる時間無いんだ。博美出してよ!」

「あれ?知らないの? おっかしいな〜、博美なら3週間くらい前に急に辞めちゃったわよ〜」

(辞めた?博美が??)

 智之の頭の中は真っ白になった。その時、黒服の男が智之に迫っていたが、取り乱した彼に背後か

ら近づく靴音が聞こえようはずも無かった。

「じょっ冗談言わないでよ〜ね〜、博美居るんだろ?」

「もう、智之さんこそいい加減にしてよ。これからオペなの、じゃ…」

 無情にも電話は切れた。それと同時に智之の意識も闇の中へ叩き込まれた。携帯電話が宙を舞い、

床に落ちて砕ける。



「処分対象者AR901です。携帯電話で外部との連絡中でしたので、やむを得ず手を掛けてしまいました

が…」

「生きているんだな?」

「はい、気絶させただけです。」

「携帯は?」

「処分済みであります。」

「くだらん手落ちで証拠を残すなよ。」

 朧気な意識の中、男たちの話し声が聞こえる。智之は細長い筒状の空間に横たえられていた。

「戸倉君、ようやくお目覚めのようだね。」

 智之の透明なカプセルに、あの仮面男が近付いてくる。智之は恐怖の絶叫を漏らした。だが、口が

ぱくぱくするだけで声にはならない。

「君もそろそろ気付いただろ? ここでは、この国にとって有益な人種と無益な人種を選別していた

のだよ。」

 男はカプセルに横たわる智之の周囲をぐるぐる歩き回りながら楽しげにそう言った。

「チェスの勝負…君は強敵である私の存在が消えるまで待つ、そう言ったね。私も同じだ。この国の

失業者数を減少させる為にはね、雇用対策を推進するよりも…君たち無能な人種を消す方が手っ取り

早いんだよ。」

 男はからからと乾いたそれでいて満足そうな笑い声をたてた。

「たっ…大器晩成だって! 言ったじゃないか?! あんた!!」

 智之は声を限りに叫んだ。

「君の勘違いだよ。私は蝉の話をしたまでだ。蝉は幼虫の長い時間を経て、み〜んみ〜ん鳴けるよう

になる。だが、しかし? 蝉のそれからの寿命は…短い…、君の命もそう長くは無かったな」

 そう言いながら男は仮面をはずした。

 智之は男の顔を凝視して凍り付いた。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。最初で最後のご対面なんだから…」

 男はそう言ったが…智之には初めての出会いでは無かった。かき集められた智之の記憶の欠片、その中に仮面の男が居た。就職情報誌を見た日の朝、働かない若者たちをTVで批判していたひげ面の

男だ。

「私は野良犬が大嫌いでね〜。何の貢献もせず、ただ自堕落な物質的浪費を繰り返すだけの…君のよ

うな野良犬は! 大嫌いなんだ!」

 男はヒステリックに叫ぶと、さも醜い物でも扱うように靴先でちょいちょいと智之のカプセルを小

突いた。

「消えて貰うよ。…政府の決めたプロジェクトなんだよ。」

「そんな〜むちゃくちゃだ〜! 俺は無能なんかじゃ〜無い! 曲を作って歌って…」

「今更な〜にを言っているんだね? 君の曲なんぞ…いやいや君の存在なんぞはゴミ同然だ。」

「あんたらの言う国が悪いんだ〜。やりがいのない仕事しかこの社会には無いじゃないか? やれる

仕事が有ったら俺だって〜俺だって〜。」

「君ら無能の人種を養うのにどれだけの財政を割いているか? 君には分かるまい。国からの給付金

を不正受給してぐうたらしてる奴がどれだけ居ることか! 君もそうだろ〜? 野田博美名義のマン

ションを仮住まいにして、君は架空の住居を構えて、そうやって給付金の不正受給を公然とやってお

ったのだろう?」

「国が国民を殺すなんて〜めちゃくちゃだ〜!」

「殺す?人聞きの悪いことを言って貰っちゃ困るな〜。これは人種をコントロールして有能有益な人

種のみを保つ為の施策なのだよ〜。」

「…」

「安心したまえ、君ごときゴミがこの世から消え去ったところで、どうと言うことにはならんよ。毎

年毎年、行方不明者の捜索願がどれだけ出ていることか? 君が消えてもそれは社会から見れば多く

の行方不明者の一人にすぎんのだよ。何人も君を案ずる者はおらんのだから…」

(俺が居なくなったら、博美はどう思うだろう?)、智之はふとそう思った。今までは振り返ったこ

となど無かったような様々の過去の思い出たちが心の中を行き過ぎる。

「さあ、もうそろそろ終わりにしようか。」

 男はそう言うと智之のカプセルに接続されている機械を動かし始めた。

「この装置はね〜、徐々に空気が抜かれる仕組みになっている。面白いじゃないか、何もしなかった

君が呼吸することもしなくてよくなるのだから…」

 智之は手足をばたつかせて抵抗を試みた。だが、どんなに暴れ身もだえしても…カプセルが僅かに

揺らぐ程度だった。

「さ〜て、仕上げは彼女にして貰おうかな?」

 ひげ面の男に促され智之の側に立ったのはシャドーだった。

「シャッ…」

 智之は愕然とした。昨日まで一緒に居た彼女も政府のプロジェクトの為に、それだけの為に自分の

側に居たのだ。そう思うと言葉すら出なかった。

「まっまともな仕事…して欲しかったのに……。気付いてくれると思ってたのに〜」

 か細い涙声が仮面の中から聞こえる。

「シャドー! 最後なのだから、彼のご所望の素顔でお別れしてやったらどうかね?」

 促され、シャドーが仮面を外す。智之が眼を見開いた。そこにいたのは、博美だった。額には、ギ

ターの傷がうっすらと白く残っている。

「智之さ〜ん! 貴方が悪いのよ〜! 毎日毎日仕事しないで…そうやってるから…。私は大切な事

に気付いて欲しかったのよ! 私…それだけでよかった。」

 博美の手から力無く仮面が落ちた。

「博美〜俺をはめたのか?!ちきしょう!!」

「ちっ違うわ! 貴方と同じようにここに来ても、何もしない事に矛盾を感じた人は外の世界で一生

懸命生活してるの! 貴方にもそう言うことに気付いて欲しかった! 私、あの日…、貴方と大喧嘩

した日、あの就職情報誌の隅っこに「何もしない人が居なくなります!」って広告を見つけたの。本

当にそれだけ! 貴方がちゃんとした仕事に就いて何もしない貴方じゃなくなるんだ!ってそう思っ

てたの。まさか、何もしないままの貴方がこの世から消えちゃう…そんなことだなんて知らなかった

の!」

「おしゃべりはそのくらいにしたまえ。」

 ひげ面の男は博美に小さなスイッチを手渡す。そのボタンを押せば智之のカプセル内の空気が急速

に抜ける仕組みになっているのだ。

 智之は既に抵抗する努力を止めていた。迫り来る自分の最後を待つしか無いことを悟ったかのように…

「どうした!シャドー!これは君たちが自ら選んだラストシーンなんだぞ! さあ、やらないか!!」

 男はそう叫びながら博美に詰め寄る。

 博美には躊躇があった。彼女は智之に人並みの生活をして欲

しいと切望しただけなのだ。それ以上は望んではいなかったし、それがかなわなかったからと言って

自分の手で彼を消すことなど頭の片隅にも無かったのだ。

 新曲ができた、と言っては嬉しそうに歌ってくれた智之・誕生日にハート形のペンダントを贈ってくれた智之・酔いつぶれた彼を支えて部屋まで帰ったこと…様々な智之との思い出が巡る。

「智之さ〜ん…!」

 ひときわ甲高く叫ぶと博美は堅く目を閉じた。政府からの命令と言うもっともらしい理由付けの力

を借りて今から自分がしようとしている行為への恐怖を拭い去りたかった。

 そして彼女は…スイッチを持った右手をぎゅっと握りしめたのだった。

「うっ…うぐっ…ぐっ…」

 体内の空気、いや内臓の全てが引きずり出されるような感覚が智之を包む。彼の口は吸気を求めて

ぱくぱくと動いた。

「野良犬がもがき苦しむ姿、何時見ても良いものだ。今まで何もしようとしなかったゴミでも、死が

目前に迫ると生きる努力をするのだから皮肉なものだな」

 激しく体をうごめかせていた智之だったが…カプセルの壁をどんと強く蹴ったのを最後に動かなく

なった。

 1人の男が消えた。だが、それは政府の人種選別プロジェクトの一齣でしかなかった。



 とある工房。中央に据えられた作業台の前で2人の男が陶器を作っている。

「しかし、おまえが俺のシャドーだったとはな。驚いたよ。」

 藤岡一成は轆轤を回す手を止めてそう言った。

「おまえと同じ美大に通っててよかったよ。おまえの作る作品に俺が絵を描く。こんな風に仕事がで

きて嬉しいんだ。」

 一成の親友金田竜一も出来上がったばかりの皿に絵を描きながら顔をほころばせる。

「ああ、おまえが俺を信じててくれたおかげだよ。」

「おまえがちょっとやそっとの挫折で自暴自棄になる奴じゃ無いって…そう思ってたんだ。」

「一生何もしないなんて、やっぱおかしいよな〜。」

「そうだな。」

 一成と竜一は土と絵の具で汚れた手を握り合う。



 同じ頃。戸倉智之を巡る物語はまだ終わってはいなかった。

 細長いカプセルの中、もだえ苦しむ女が1人。彼女の胸元でハート形のペンダントトップが苦しげに

はい回っている。

「野良犬に餌をやる奴も罪人だ。母性本能だか何だか知らんが…言いぐさはいろいろあるものだ…」


 お読みいただき、ありがとうございました。

この作品は、私が初めて書いた駄文です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『〜』を使わなくてもいいのでは?!と思うところがいくつもありました。お話しの内容はとても面白かったです。
[一言] 駄文だな! 全くの駄文だ! 修行のしなおししろ!
[一言]  いや何と言うか……近頃の若者にとってはある意味ホラーですね(笑)  久しぶりに先が読めない作品を読ませて頂きました。  斬新な発想には好印象を抱けたのですが、初期の作品と言うこともあってか…
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