第四十七話:離宮での稽古【前編】
「では、まず足の裏を感じてみましょう」
俺はそう言って自分の履物を脱ごうとすると、殿下が驚いた顔をした。
「あ、これはいけなかったでしょうか?」
殿下は少し笑って、「構わない」と答えた。俺も笑って履物を脱いだ。
「足の裏が、地面に触れている感覚です。踵から指先まで、どこに重心があるか。どこが地面を押しているか。それを感じることが大事です」
そう言って稽古場を歩いてみせる。ゆっくりと、一歩一歩、自分の足裏を感じながら歩く。
殿下も俺の真似をして歩き始める。そのまま二人で稽古場を円を描くように無言で歩き続けた。最初は戸惑っていた殿下だが、次第にリラックスして足裏の感触を味わいながら歩き始めた。
「次に、呼吸です。歩きながら息を吸って、吐いて。その時、体のどこが動いているか感じてください」
殿下がゆっくりと息を吸う。その肩が、わずかに上がった。
「肩に力が入っています」
殿下の表情が、少し硬くなる。
「いえ、悪いことではありません。ただ、それに気づくことが大事なんです」
俺は自分の肩を軽く叩いた。
「その力を、下に流してください。重さに任せるように」
殿下は目を閉じ、呼吸を整え始めた。最初はぎこちなかった肩の動きが、少しずつ柔らかくなっていく。数分が経過した頃、殿下の呼吸は明らかに変わっていた。
「……これで、よいのでしょうか」
「はい。それでいいです」
俺は頷いた。
「殿下、いまの感覚を覚えておいてください。では今度は足を止めて立ってみましょう。手を前に、大きな木を抱えるようなイメージで。目は開けていても閉じてもかまいません」
殿下が小さく頷き、言われた通り胸の前で輪をつくる。
それから、俺たちはただ立ち続けた。剣も持たず、技も教えず、ただ立つ。最初は殿下も戸惑っていたが、次第に表情から硬さが消え、自然な呼吸のリズムが生まれていった。
「殿下、いま何を感じますか?」
俺が問うと、殿下はゆっくりと目を開けた。
「……風が、吹いています」
「そうですね」
「それから……足の裏が、少し温かいです」
「いいですね」
俺は微笑んだ。
「それが、殿下がそこにいる、ということです」
殿下は不思議そうに俺を見た。
「たったそれだけのことが……剣と、関係があるのでしょうか」
「あります」
俺は即答した。
「剣を振るのは『自分』です。でも、その『自分』がどこにいるのか分からなければ、剣もどこに行くか分からない。だから、まず自分がここにいる、ということを感じるんです」
殿下は黙って俺を見つめていた。その黒い瞳には、まだ完全には理解できていないが、何かを掴もうとしている光が宿っていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ここで二人がやっている稽古は、どちらかというとボディワークと呼ばれるものに近いです。まず自分を知る。その時に、まず自分の体の輪郭、「どこからどこまでが自分なのか」ということを確認して、それがどんな風に存在しているのか「地面に立っているのか」からはじめているわけです。
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次回は今日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




