第四十六話:師範と呼ばれて【後編】
俺はすぐに刀を引き、鞘に戻した。
「失礼をしました」
頭を下げる。
凍りついたように固まっていた殿下が数回目を瞬き、ゆっくりと俺を見つめた。
「どんな時も間に合わなければいけません」
「……どういうことでしょう?」
「剣に限らず、いつ何時も間に合わなければ意味がありません。始めや終わり、規則に関係なく、その時、反応できなければならないのです」
「……では、師範は、作戦を立てるのは無意味だと?」
「試合や競技では意味があるでしょう。ですが恐らく殿下が望むものはそうしたことではないはずです。もし試合に勝ちたいのであれば、私よりもその試合に精通している者に学ぶべきです」
殿下は黙って俺を見ている。その視線には、疑問と興味が混じっていた。
「私が知っている稽古とは、稽古場や道場の中と外で切り替わるものではありません。ずっと『自然』でいることです」
「『自然』?」
「そうです。常に普通で自然でいること。無理に作らず構えない」
「……それはどうすればよいのでしょう?」
離宮の稽古場は静かで、ただ風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
「まず、立つことから始めましょう」
俺はそう言った。
殿下は少し戸惑ったような顔をしたが、レイピアを鞘に戻し、すぐに姿勢を正して立つ。背筋を伸ばし、顎を引き、両足を揃えた。完璧な、貴族の立ち方だった。
「殿下、それは『立たされている』姿勢です」
殿下が眉をひそめる。
「もっと楽にしてください。力を抜いて」
「……しかし、正しい姿勢とは――」
「姿勢は大事です。ですが、その前に『自分がそこにいる』ことが大事なんです」
俺は続けた。
「殿下がいま立っているのは、『王太子として立つべき姿勢』です。誰かに教わった形。でも、それは殿下自身の立ち方ではありません」
「……私自身の、立ち方」
「そうです。殿下が、殿下として、そこにいる。ただそれだけでいいんです」
殿下は黙って俺を見つめていた。その黒い瞳には、困惑と、少しだが何かを探すような光が宿っていた。
(第四十六話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
劇中でライルが語っている「試合」や「競技」の話は、前提にルールの無い武術を考える時に結構重要だと思っています。もちろんそれは「試合」や「競技」が、武術に比べて劣るということではありません。指向性が違うということで、学ぶ側が何を目指しているかによって変わるものだと筆者は考えています。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




