第四十六話:師範と呼ばれて【前篇】
翌日、俺は予定通り一人でヴァレリウス王と謁見することになった。前と同じく私室に案内され人払いがされると、前回は抵抗した護衛や側仕えも何も言わずに下がった。
椅子に座ると前置きはなく、早速殿下の話となった。
「……どうであった?アレクシウスは」
「大変聡明な方で……、また色々お悩みのように感じました」
「……そうか」
その一言に、父と叔父との間で定まっていたアレクシウス王太子との関係と、そのなかで生じた様々な複雑な思いが込められていた。それは俺には立ち入ることのできない世界のことだった。
「私の弟子になりたいとおっしゃいました」
「聞いている。お前と会った後、魔道具で連絡があった。それでどうだ?」
「弟子であるかは別に、お教えすること自体に私には否はありません。陛下さえよろしければ」
陛下が改めて俺の顔を見た。そこにあったのは、王という公人としての厳しさと、心ならずも苦しい思いをさせている甥、いや姪に対する私人としての苦しさが入り混じった表情だった。
「……お前は分かっているのであるな?」
「殿下が女性であることは承知しています」
「うむ……」
ヴァレリウス王は腕を組み、目を瞑るとそのまま暫くの間、何事か考える様子だった。やがて腕組みを解き、再び俺の顔を見た。
「アレクシウスは……、生まれてから一度も、『自分自身』であったことがない。叔父のエルハンゼの遺児として、王太子として、そして『男』として……常に、誰かの期待という名の鎧を着せられて生きてきた」
その声には、深い悔恨が滲んでいた。
「余はあれの秘密を知り、気の毒に思いながらも、父や叔父たちの約束を守るために、本人の望みとはいえ、結果的に『水晶の離宮』という名の籠に閉じ込めてしまった。年に何度かは忍んで会っているが、あれが本当の気持ちを余に話すことはない」
俺は黙って聞いていた。
「思えばリヴィアにも辛い思いをさせてしまった。小さな頃、あれはよくアレクシウスに懐いてな、一緒にいる時は小鴨が親鴨の後をついていくようだった。だがそれもあれが6歳になる頃には終わった。それはアレクシウス自身の望みであったが、そうさせたのは結局のところ余だ」
「……后妃様もご存じないのですよね」
「知らぬ」
ヴァレリウス王の妻であり、リヴィアの産みの母であるエリアノール后妃は体調を崩して、5年ほど前から生家であるヨーク侯爵家に戻っていると聞いていた。
「なぜお知らせにならなかったのでしょう?」
「……彼女を守るためであり、アレクシウスを守るためでもある」
俺が不思議そうな顔をしたのに気がついて王が苦笑した。
「世情に疎いお前には分からぬだだろう。アレクシウスのことはこのアウレリアにとって最大の秘密だ。それが世間に知られれば、王位を狙う者はこれを利用し、余をはじめ秘密を隠していた者の責任を問うだろう。余はそれに王妃を巻き込みたくはなかった。それに……」
王はそこで少し言い淀んだ後、言葉を継いだ。
「王妃が知れば、彼女の生家であるヨーク家をはじめ、他家に秘密が知られる可能性が高くなる。余はエリアノールを信じているが、それとこれとは別だ。本人にその気がなくても周囲の者が察するかもれぬ。秘密を守ろうとするなら、そもそも知っている者を最低限に絞るのが原則だ。もっともこれはお前には必要のないことかもしれないががな」
そう言って王は少し笑った。それは乾いた笑い声だった。
「正直に言えば、父上が亡くなり、余が王位を継いだ時に全てを明らかにすべきだったのかもしれぬ。つまるところ余が決断できなかったことが二重三重の秘密を作り、アウレリアやリヴィア、エリアノールらを苦しめているのだ……」
俺はずっと思っていたことを口にした。
「陛下、私のような者にそのようなことをお話してよいのでしょうか?」
王は少し驚いた顔で俺の顔を見直した。まるで初めてそのことについて考えたような顔だった。
「言われてみればそうなのだが、まあ、よいだろう。お前が誰かに話した時は、それは残念だが余が間違っていたということだ。そもそもこのことについては、もとより余がそれなりの責任を取ることは承知の上だ。……もっとも、その時はお前もただではすまぬがな」
そう言って困った顔をしている俺を見て笑った。それは先程の乾いた笑い声とは違う、国王らしい力強い笑い声だった。笑い声は徐々に小さくなり、再び部屋の中は静かになった。暖炉で思い出したように火が爆ぜる音が聞こえた。
不意に王が立ち上った。
「ライル。お前に、アレクシウスの師範となることを許す。……いや、頼む」
王は、俺に深く頭を下げた。
「……あれの剣となり、守ってやってはくれまいか。そして、何よりも……」
王は、絞り出すような声で言った。
「あの子の、友になってやってくれ」
「分かりました」
その俺の返事を聞いて陛下はふっと笑った。
「そなたは良いな、万事が単純で」
俺がその意味を図りかねている様子を見て、陛下がもう一度、大きな声で笑った。
***
それから三日後。俺は再び殿下が寄越してくれた馬車に乗って、水晶の離宮へと向かった。
到着すると、あの日と同じく、老従者のクラリス殿が出迎えてくれた。彼は俺の姿を見ると、少し嬉しそうな顔をしてお辞儀をした。
「お待ちしておりました、ライル先生。……殿下は、稽古場にてお待ちです」
「先生、ですか」
「はい。殿下より、そのように伺っております」
人から先生呼ばわりされるのはなんともおかしな気分だった。
彼に案内されて通されたのは、離宮の裏手にある、湖に面した広い中庭だった。その中央に、彼女は立っていた。
前回会った時のような、王太子としての儀礼的な服ではない。体にぴったりと合った、動きやすそうな黒い稽古着。腰にはレイピアを佩き、短剣を差している。流れるような銀髪は、うなじで一つに束ねている。
アレクシウス殿下は、俺の姿を認めると、その黒い瞳でまっすぐに俺を射抜いた。
「お待ちしていました。ライル先生」
「殿下、その先生というのは、先程もクラリス殿からも呼ばれたのですが、どうも……居心地が悪く、困っております」
俺の言葉に殿下は笑った。その笑みは、これまで彼女が見せてきたどの表情とも違っていた。王太子としての厳格さも、秘密を抱える者の苦渋もなく、一人の人間が心から楽しんでいるような、純粋な笑顔だった。
「では、何と呼べば良いのですか? 先生殿」
「……呼び捨てで構いません。私がお教えするのは理です。もともとそこに存在するものですから、別に私でなくとも説くことができます。先生と呼ばれるような大層なことではありません」
「ふむ……」
殿下は、あごに手を当てて考え込む。
「教えを請う者である私としては、先生と呼ぶべきところだと思うが、本人が落ち着かないというのではよろしくないな。……では、師範と呼びましょう。これならば、そなたも私も、落ち着く」
「……分かりました」
「では改めて師範。私に、その『理』とやらを示していただけますか?」
殿下はそう言うと、腰のレイピアを抜き構えた。形がピタリと決まっていて、長年の修練を感じさせる。
「綺麗な構えですね。……殿下はどなたにそれを習ってきたのですか?」
「私付きの教師だ。元騎士団の教官からみっちり仕込まれている。剣だけではなく、次期国王として学ばねばならぬことは、一通り子供の頃から学んでいる」
「……なるほど。ではまず軽く手合わせをしてみましょう」
殿下がにやりと笑った。見た目と違って意外にこうしたことが好きなのだろう。(セレスさんに似ているな)と思った。もっともスタイルは随分違っている。
俺は持ってきた刃引きの刀を抜いた。
「よいのですか?」
「はい、いつで 」
俺の言葉が終わらないうちに殿下は動いた。
一気に距離を詰め、体勢を低くして足を狙う。フェイントだ。素早く変化させ顔を狙ってくる。俺は軽く頭を振ってかわす。殿下は構わずそのまま前ステップしつつ連続で突きを放ってくる。容赦のない攻めだ。俺は刀を体の中心に置き左右に転換させてこれを弾く。
殿下は立て続けの攻撃を外されたことに驚いた様子だったが、動きは止めない。
顔への突きと見せかけて、再び姿勢を低くして右前足を払いに来る。俺はその動きに合わせて左半身転換で彼女の攻撃をいなす。
ここで殿下が怒りの声を上げた。
「ライル師範! なぜ手を出さないのですか!? 私に遠慮しているのなら無用です! それとも私の剣は相手をするには不十分とお思いか!?」
俺は半歩離れてから刀を下げた。
「いえ、そんなことはありません。殿下の剣は大変立派なものです。特に仕掛けが早いことに、正直驚いております」
そう俺がそう言うとやや怒りの表情を和らげた。
「……あれはクラリスより聞いたのだ。師範が闘技場で相手が話しているうちに倒したと」
俺は思わず笑ってしまった。
「そうでしたか。確かにそんなことをしたように思います」
「ように……とはどういうことですか? ご自分がしたことを覚えていないのですか?」
「いえ、覚えてはおります。ただ、最初から考えて動いたわけではないので、人に言われるまであまり思い出すことがないのです」
殿下の俺を見る目が少し大きくなった。
「では、師範は狙って行ったわけではないということですか?」
「はい」
「それで勝負に勝てますか?」
俺は少し考えてから答えた。
「分かりません」
「分からない?」
「はい、結果はやってみない限り分かりません。殿下は戦う前に結果が分かるのでしょうか?」
「……分からない。だが相手に応じて作戦を立てるのは当たり前のことではありませんか」
「作戦を立てて当たればよいでしょう。しかし外れたらどうされますか?」
「その時のことを考えて作戦を考えます」
「それも外れたらどうされますか?」
「それ 」
殿下の言葉が終わる前に、俺の刀の切っ先が、彼女の構えたレイピアを下から弾き飛ばし、切っ先を眼前につけた。
彼女の目が大きく見開かれ、息を呑むのが分かった。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回はライルとアレクシウスの稽古の様子です。相変わらず不思議な稽古で、お読みになっている方も「?」かと思いますが、著者的には割合大事にしているところですので、お付き合い頂ければ嬉しいです。
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




