第五話:その少年、血闘を教練に変える【後編】
他の門下生たちも、何が起きたのか理解できずに呆然と立ち尽くしていた。俺は自分の説明がちゃんと伝わっているかどうかが分からなかったが、取り敢えず続けることにした。
俺はボルツの首筋から剣を離すと、門下生たちに向かって声を掛ける。
「薪割りの木は止まっています。だから狙いをつけたら真っ直ぐ振り下ろせばよいでしょう。でも、人は動きます。だから相手にとっては、こういう単純な動きは一度その『方向』と『間合い』が分かってしまえば、合わせるのはとても簡単なんです」
俺がまるで稽古の続きのように話し始めたことで、怒りが頂点に達したのだろう。
「……ガキが、なめるなあああ!!」
ボルツが怒り狂った獣のような雄叫びを上げ、今度は戦斧を水平に、薙ぎ払うように振るってきた。
その凶悪な一撃を、俺は身を低くして避ける。だが、ただ避けるだけではない。避けながら、大きく左足を踏み出し、ボルツの懐深くへと侵入していた。頭上を轟音と共に戦斧が通り過ぎるのと、俺が彼の踏み込んだ左足のアキレス腱に刃引きの剣をぴたりと当てるのは、ほぼ同時だった。
「……大事なのは、防御・回避と攻撃が、同時に行われていることです」
俺は、また門下生たちに語りかける。
「こうした大きくて力の強い人の攻撃を、まともに受けるのはとても危険です。一旦防御に回ると、そのまま力で攻め潰されてしまうことが多いからです。なまじの技術は腕力の差の前では無力なこともあります」
ボルツは屈辱に顔を歪め飛び退った。その目には怒りと焦り、そしてわずかな知性の光が宿っていた。
「……小賢しい真似を!」
ボルツが雄叫びと共に踏み込みつつ戦斧を大きく振り下ろしてきた。
傍目には先程までと同じ動きに見えただろう。しかしボルツは斧を振り下ろすかに見せかけ、途中で俺の首を薙ぎ払うべく、垂直方向から刃を水平に転じようとしていた。それは手慣れた動きで、恐らくこれで何人もの相手を屠ってきたのだろう。
しかし彼の意識の『方向』が、振り下ろす軌道ではなく、初めから真横への薙ぎ払いに向かっているのが、俺には分かっていた。
そう考えるより早く俺は踏み込み、剣を突き込む。切っ先が振り下ろしから薙ぎ払いに転じようとした僅かな瞬間を捉え、戦斧を握る両腕の内側を通り抜け、ボルツの左目の皮一枚のところで、ぴたりと止まる。
寸前で動きを止めたボルツの全身が、わなわなと震えている。俺の剣先から放たれる圧に己の敗北と、目の前に突きつけられた死の恐怖に、完全に戦意を打ち砕かれたのだ。
やがて、彼の膝から力が抜け、へなへなと、その場に崩れ落ちた。戦斧が、ガシャン、と大きな音を立てて床に転がる。
俺はゆっくりと剣を下げると、完全に動けなくなったボルツの前に立ち、門下生たちに向き直った。
「……少しは、分かってもらえたでしょうか。無理に斬りつける必要はないのです。相手の意識の方向を感じて、ずらして、合わせて滑り込ませる。それだけです」
俺が純粋な気持ちでそう尋ねると、訓練場にいる誰もが、信じられないものを見たような目で、声もなく俺を見つめていた。
その凍りついたような静寂を破ったのは、ギデオン殿の、重い一歩だった。
彼はまず、床にへたり込んでいるボルツの前に立った。
「……代金は払う。二度と、この訓練場の敷居をまたぐな」
冷たく言い放つと、彼は次に、顔を青ざめさせているユリウスの友人たちを一瞥した。貴族の青年たちは、蛇に睨まれた蛙のように震え上がると、慌ててボルツを担ぎ上げ、逃げるように去っていった。
そして、ギデオン殿は、一人残されたユリウスに向き直った。その声には、怒りよりも深い、失望の色が滲んでいた。
「ユリウス。……お前にも、分かったか。お前と、ライル殿との差が」
「……っ!」
ユリウスは、わなわなと震え、何も言い返せない。悔しさと、恐怖と、そして理解できないものへの畏怖が、彼のプライドを粉々に打ち砕いていた。
「自室にて謹慎を命じる。ワシが許すまで、剣を握ることもならん。今日、お前が見たもの……いや、お前が『見えなかった』ものが何だったのか、己の未熟さと向き合い、よく考えることだ」
「……くっ……あああああ……!」
ユリウスは、言葉にならない叫びを上げると、踵を返し、訓練場から逃げるように走り去った。
嵐が去った訓練場には、再び静寂が訪れる。
その沈黙を破ったのは、コンラッドだった。彼は、おずおずと一歩前に出ると、その場に膝をつき、深く、深く頭を下げた。
「ライル師範代……!今朝の我々の無礼、心よりお詫び申し上げます!どうか……どうか、我々にもご指導を!」
その声に、他の門下生たちもはっと我に返り、次々とその場にひれ伏していく。
「「「お願いします!!」」」
地鳴りのような声が、訓練場に響いた。
俺は、目の前でひれ伏す人たちを見て、ただただ困惑していた。
指導?俺はただ、普通のことを説明しただけなのに。なぜ、こうなってしまうのだろう。
そんな俺の様子を見てか、ギデオン殿が、満足げな、それでいて少しだけ楽しそうな顔で言った。
「……決まりだな。ライル殿」
彼は、ひれ伏す門下生たちに向かって、高らかに宣言した。
「皆、よく聞け!本日の稽古はここまでとする!そして、明日より、ライル師範代による早朝の鍛錬を、アークライト流の正式な稽古として取り入れる!全員、心して参加するように!」
「「「ははっ!!」」」
先ほどまでの不満が嘘のような、力強い返事が返ってきた。
俺は、その熱気の中で、ただ一人、状況が全く理解できないまま、立ち尽くしていた。
ふと、視線を感じてそちらを見ると、輪の中から少し離れた場所に、セレスティアさんが立っていた。
彼女は、ひれ伏す門下生たちにも、去っていったユリウスにも目もくれず、ただ、じっと俺だけを見つめていた。
その紫水晶の瞳は、恐怖や驚きとは違う、まるで求道者が探し求めていた答えを見つけたかのような、熱を帯びた輝きを放っていた。彼女の唇が、声にはならないほどの微かな動きで、俺が先ほど言った言葉をなぞっているのが見えた。
少なくとも彼女には俺の言葉が聞こえていたようだ。しかし、そのあまりに真剣な眼差しに、俺は居心地の悪さを感じる。
師匠の教えの正体を知りたい。ただ、それだけだったはずなのに。
「これこそ、私が求める武の真髄……」
その彼女の呟きを、空耳だと思うことにした。
(第五話 了)
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次回は明日11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




