第四十四話:魔女の秘密の部屋【後編】
わたしは自分の魔力を銀線に通し、水晶の術式の内部構造を探り始めた。魔力で幾重にも重ね合ったレンズが仄かに輝く。わたしは魔力を調整し、術式の最も複雑な『核』の部分に意識を集中する。
(……これがタイドリアの魔石)
レンズを通すと、魔石の核に汚れがなく、石が力を持っているのが分かる。さらに、その力を最大限に引き出すための術式が、魔石の核に小さな文字で刻まれている。
魔石はその性質に合わせて、攻撃、防御、治癒、移動など、様々な用途に使われる。その力を引き出すには、魔石の核に術式を刻み込む必要がある。核に近ければ近いほど強力になるが当然、書き込むスペースは狭くなる。そのため如何により小さく、より効率の良い術式を刻めるかが腕の見せ所となる。もちろんそのためには高精度の魔道具と、高い技術力が必要だ。
そうして出来上がった魔石は、単純なものであれば詠唱の必要はなく、使用者が持つだけで機能する。この魔石がそのタイプだ。それでもまだアウレリアでこれを作るのは難しい。
(凄いわね。流石技術の神、アークス・マダナを主神にしているだけあるわ)
タイドリアは強い魔石を多く輩出する国だけど、それをさらに強くする技術が進んでいる。もちろんアウレリアにも魔石に術式を刻む技術はあるし、魔法学校でも習うけれど、レベルが全く違う。
このレンズに映る術式自体はそれほど複雑ではないけれど、刻まれた字は小さい。わたしが使っている魔道具はアウレリアで手に入る最高レベルのものを改造し、さらに魔力で磨き上げたものだから読み取れるけれど、学校の研究室にある程度のものでは、とても読み取れないだろう。
(技術力の差は明らかね)
それでもわたしは自然と笑顔になってしまう。それがたとえタイドリアのものでも、人の努力と技術の進歩は、わたしにとっては福音なのだ。
タイドリア人は魔力が総じてアウレリア人に比べて低いけれど、だからこそ彼らは豊富な魔石をより効率良く使う技術が進んでいる。その一端が、いまわたしの目の前にあるこの魔石なのだ。
(この技術にわたしの魔力が加われば、何ができるか?)
そう考えるだけでワクワクしてくる。
一方で、学校で教えられているタイドリアの技術評価と、目の前の魔石の水準には大きな差がある。それを考えると深刻にならざるを得ない。
(それにこれは彼らの最高峰ではない)
本当に貴重な術式を刻んだ魔石を、第三者の手に落とす危険を冒すはずがない。わたしたちが手に入れたということは、彼らにとってその程度のものだということだ。
(この70年間の平和が続いた時代の中で、わたしたちが持っているタイドリアの情報は古すぎる。もし彼らといま戦争になったら?)
そう考えると軽く身震いがする。わたしは停滞よりも進歩や変化を望むけれど、自分の国が滅びるような未来は望まない。アウレリアは建国以来、その武力で東のタイドリアと北の蛮族を抑えて繁栄を続けてきた。ところがこの間のクーデター事件は、『中原最強』と呼ばれたアウレリア騎士団の実力の低下を内外に知らしめてしまった。
(思ったよりも、まずいかもね)
そう考えながら、わたしはさらに魔石の核の奥にレンズを向けた。こうした魔石は使い回されることもあり、時折、深いところに以前書き込まれた術式の痕跡が残っていることがあるからだ。
レンズに注ぎ込む魔力を微妙に調整して、魔石の波長や特性に合わせる。
不意に魔石に繋げた水晶から声が響いた。
「■■#&%*……$#■■」
アウレリア語ではない、タイドリア語だった。わたしは水晶に波長を変える響石を載せる。すると言葉がアウレリア語になった。
『……タイドリ、ア……王国……#%……魔力……ゴ、ーレム……試、作品……%$……起動、確認…………『適格者』を、要求……■■#……』
胸が、ざわついた。繰り返し聞いて調節をしたが、分かったのはこれだけだった。
ゴーレム? 伝説級の古代魔法の産物だ。それをタイドリアは復活させようとしているのか?
わたしが知っている限り、ゴーレムは最悪の部類に入る魔物だ。物理攻撃で倒せても、術者を倒さない限り再生し続ける。かつてこの大陸にあった魔法王国のムドル王は、ただでさえ難物のゴーレムを、特殊な方法で魔改造した特殊なゴーレムを量産して他国を侵略し、このアストレア大陸の統一を果たした。だが、その支配は長くは続かなかった。やがて完全に暴走したゴーレムたちは主であるムドル王すら殺し、それでも動きは止まらず、魔石に込められた魔力が尽きるまで100年以上、地上を徘徊し破壊し続けたという。そのため、現在でもゴーレムを操る魔法は全て禁忌とされている。
(もっとも、ゴーレムを動かすほどの魔力を持った人間がいないということもあるけどね)
流石のわたしもゴーレムを作り出すほどの魔力は持っていない。とても一人では無理だ。
(……でも、もし複数の魔法使いの力をまとめ上げることができたら?)
そう考えた時、少し前に自分が考えた『この技術にわたしの魔力が加われば』と感じた高揚感が、全く逆の、冷水を頭から浴びせられるような気分になった。
(まあ、簡単にはできないか……)
そう思うと少し気分が楽になった。実際、タイドリアの魔法術式にアウレリアの魔力をそのまま通すことは難しい。複雑なものを動かすには、魔力を変換できる魔道具が必要になる。それはわたしレベルの魔法使いが、きちんとした設備のある研究室で作業しなければ作れない代物だ。
わたしは気分転換に解析を終えた黒い水晶を手に取ると、改めて悪戯っぽく笑った。
(……さて。せっかく解析させてもらったんだし、少し『お礼』をしなくちゃね)
わたしは、目を瞑ると詠唱を唱え、黒い水晶の術式が刻まれているところより深い場所に、新しい術式を書き加えた。魔力の低いタイドリア人は術式を書き込む特殊な魔道具が必要だけど、わたしほどの魔法使いであれば念じれば書き込むことができる。
手に持った黒い水晶の内側がゆっくり光り始め、やがてゆっくり元へと戻っていく。
(……これで、よし。この水晶が次にどこへ行こうと、わたしはこの『裏口』から中身を覗き見ることができる)
わたしは満足して水晶を置くと、今度は魔法学校の生徒失踪事件の調査に移った。
壁にかけた王都の地図に、わたしの『小鳥』たち――魔力で編んだ蝶や鳥の形の使い魔――から送られてきた情報を、ピンで留めていく。
失踪者は、この一月で三人。全員、わたしがお父様に報告した通り、「魔力の高い平民の子」。そして、三人が最後に目撃された場所は、すべて港湾地区の、特定の区画に集中していた。
痕跡も、目撃者もいない。まるで、神隠しだ。
わたしは、その港湾地区に放っていた、最も高性能な『小鳥』に意識を接続した。視界は、港湾地区の、打ち捨てられた倉庫の裏手だった。
(……何も、ない?)
使い魔の視界を借りて、生徒たちが消えたという路地裏を丹念に探る。だが、手掛かりはない。ただの誰にも振り返られることのない薄汚れた路地裏だ。
(……いえ、待って)
なにか違和感を感じたわたしは魔力の籠もった片眼鏡を右目にかける。映像を実際見ているわけではないのだけれど、片眼鏡を掛けると頭に浮かぶ視界が変わる。イメージするには体や体験が重要なのだ。
(……これは?)
路地の石畳の、その隙間。ごくわずかに、本当にごくわずかに、魔力の残滓が薄黄色に残っている。それは、アウレリアの術式ではない。
わたしははっとした。
(……さっきの、『記憶の水晶』の術式と、同じ……!?)
わたしの中で、点と点が、最悪の形で繋がった。マルディーニが接触したタイドリアの魔術師は、まだ王都に潜伏している。そして彼らはクーデターの混乱に乗じて、「魔力持ちの平民の子」を攫い、あの『魔力集積ゴーレム』の「適格者」として集めている?
まだ確信といえるものはなかったが、強い胸騒ぎがした。
わたしは、すぐさまイザベル副団長に連絡を取ろうと、新たな『小鳥』を編み始めた。
その時だった。
ピリ、と。
工房全体に張り巡らせていた、わたしの警報魔法が、微かに反応した。
(第四十四話 了)
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




