第四十一話:新しい弟子【後編】
「殿下は、女性でいらっしゃいますね」
俺がそう尋ねてから、10分ほどが経っていた。その間、殿下は俺の顔を見据えたままだった。やがて、冷め切ったお茶のように冷たい声が、静かな部屋に響いた。
「……なぜ、そう思う?」
そう問われて俺は困った。初めて会った瞬間から、俺は彼女が女性だと分かっていたからだ。それでも考えた。
「匂いでしょうか……」
「匂い?」
「香水ということではありません。もっと根本的な、存在そのものから感じるもの、とでも言うのでしょうか。殿下からは、私が知る女性と同じものを感じます。それと……」
彼女は無表情に俺を見つめている。部屋の空気がいつからかピリピリとしたものになっていた。俺がこの屋敷に近づく時に感じていたものよりも、強かった。
「初めて会った瞬間から殿下は、何かをずっと無理をして我慢している……。まるで分厚い氷の鎧を無理やり着ているような……そんな風に感じました」
俺には何の悪意もなかった。自分が当たり前に感じる事実を口にしているだけだ。
アレクシウス殿下は、暫くの間、俺を無言で見つめていたが、やがて、その張り詰めていた糸が切れたかのように、ふっと息を吐いた。そして諦めたような、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべた。
「……そうか。それでこそ学び甲斐があるというものだ」
そう独り言のように呟くと、厳しい目で俺を見た。
「この秘密を知っているのは、父上と、私の側仕えのクラリス。そして、王の影の長であるフォルカーと、その娘イザベル……。お前で、五人目だ」
俺はその名前を聞いて少し驚いた。
「イザベルさんもご存知だったのですか? それにフォルカー殿のお嬢さんなのですか?」
彼女は少し意外そうな顔をした。
「知らなかったのか?」
「はい、騎士団の隊長、いえ、いまは副団長ということは知っていましたが」
彼女は軽く笑うと「あの者らしい」と呟いた。
「では、王の影については知っているか?」
「事件の後で、陛下から伺いました。王家を守る方たちだと。フォルカー殿にもお目にかかりました」
王城で陛下に引き合わされた時、フォルカー殿から「観客席で一度すれ違っています」と声を掛けられた。老人の変装を解いた彼は、まだ壮年と言っていい歳で、陛下と同い年だと聞いた。
「王家に関わることで彼らが知らぬことはない。場合によっては私よりずっと知っている」
その声には僅かに皮肉の成分があった。
彼女は、改めて俺の目を見ると、その黒い瞳で、俺の覚悟を試すように言った。
「私はこの国を継ぐために、男として生きてきた。これからも、そうだ。……この秘密を知った上で、なお、私の師となれるか?」
「……私にとっては、アレクシウス殿下が、男であろうと、女であろうと、関係ありません。殿下ご自身が私に何かを学びたいと思われるのであれば、それが私がお教えできることであるのなら、喜んでお教えいたします」
俺はそう静かに、しかしはっきりと答えた。その答えに彼女は、一瞬、驚いたように目を見開いた。そしてすぐに、花が咲くような笑顔を見せた。
「……面白い。陛下が言う通りだな」
彼女は、俺に手を差し出した。
「改めて、よろしく頼む」
俺はその差し出された細く、しかし強い意志を感じる手を、そっと握り返した。その手は暖かかった。
「今日はこのくらいにしましょう」
そう言う俺に彼女は頷いた。
俺たちは剣を鞘に納め、部屋の出口へと向かった。扉の前で、俺は少し迷ってから口を開いた。
「あの、殿下」
「何だ?」
「先日、陛下の謁見の際に、リヴィア殿下にお会いしました」
殿下の足が止まった。
「……そうか」
「はい。殿下のことを、とても心配されていました」
殿下は黙って前を向いたままだった。その横顔が、わずかに曇ったように見えた。
「殿下が元気にしているか、いつか教えてほしいと……そう、頼まれました」
しばらくの沈黙があった。そして、殿下は小さく、本当に小さく息を吐いた。
「……あの子は、昔から好奇心が強くて、じっとしていられない子だった」
その声には、懐かしさと少しの寂しさが混じっていた。
「元気にしていたか?」
「はい。とても」
「そうか」
殿下は小さく微笑んだ。
「あの子には、申し訳ないことをしている」
「殿下」
「いや、いい」
殿下は首を振った。
「これは、私が選んだ道だ。リヴィアには、もう少し、待っていてもらうしかない」
そう言って、殿下は再び前を向いた。だが、その横顔には、確かに妹を想う姉の表情があった。
***
「では、ライル様。こちらへ」
扉には先程ここまで案内してくれた老執事が立っていた。
アレクシウス殿下との面会はそれで終わった。別れの挨拶をすると俺は老執事に導かれて、再び静まり返った離宮の廊下を歩いていた。
(ギデオン殿と陛下にはどう話すか……。殿下が女性であることは話せないな)
そう考えていた時、老執事の足が止まった。
「ライル様」
ぐっと、気配が変化するのを感じた。
(……濃い)
さっきまでの人当たりの良い老人ではない。研ぎ澄まされた刃のような、鋭く冷たい殺意の『線』が、俺に向かっていた。
「あなたが本当に殿下に近づいてよい人間か、ここで試させて頂く」
その言葉と同時に、老執事の袖口から、二本の短剣が滑り出すと、振り返りざまに俺の喉元と心臓を狙って、最短距離で突き出されていた。
(第四十一話 了)
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