第四十一話:新しい弟子【前篇】
「ない?」
王太子が驚きの声を上げた。
「ライル、お前は生きる意味がないというのか!?」
「はい。私はそう思っています」
「なぜだ?」
「生きる意味とは自分で思うものではないのだと思います。私は死のうと思い山に入り、師匠と出会い、結局ここにいます。そのなかでギデオン殿やセレス、ルナ、イザベル隊長、陛下、そして王太子とご縁を持つことになりました。しかし、それは私が望んだものではありません。自然とそうなったのです」
殿下がゆっくりカップを口に運び、一口飲むと、注意深く、音を立てることなく受け皿へ戻した。
「……そこに生きる意味があるのではないのか?」
「そうですね、確かにそう言えるかもしれません。ですがいずれも私はその時にできることをしただけで、何かを望んだわけではありません」
「どういうことだ?」
「私が望もうと、望むまいと物事は起きています。その中で縁が生まれる。そこに善いも悪いもありません」
俺は続けた。
「いま善いと思うことも、後には悪いこともありますし、その逆もあります。私にはそれをコントロールすることはできないのです。私にできることは、その中で、自分であることを保つこと。いずれ死ぬ身であるからこそ、いつ死んでもよいように」
「……それはいささか、受け身に過ぎるように思うが。自ら望み生きることも可能ではないか?」
俺は笑って答えた。
「それも生き方だと思います。生きる中で縁が生まれ、私という縦糸と縁という横糸が結ばれる。それは他人から見れば私が横糸になるのかもしれません。いずれにせよ、これが組み合わさることで大きな織物のようなものができるのだと思っています」
「大きな織物?」
「はい。その織物を遠くから眺めた時に浮かび上がるもの、もしかするとそれが意味なのではないのか、と思います。それは私の存在がどうこうというものではなく、もっと壮大な絵図で、私には遠く手に届かないものです」
「大神オースフィアが織っているという織物のことを言っているのか?」
オースフィアはアウレリアで広く信じられている神で、豊穣と再生を司る。神話では遥か天界で、この世の全ての生き物の運命によって紡がれた糸を使い、巨大な織物を織っていると伝えられている。小さな頃、村の祭りで話を聞いたことをぼんやり覚えている。
「……それは私の考えの及ぶところではありません。ただ、なにか我々を見守っている存在はあるように感じます」
「絵図と申したが、それはどんなものなのだ?」
「分かりません。これは私の考えに過ぎませんので」
「では、その中でお前はとるに足らない存在ということか?」
「いえ、違います。その壮大な絵図は私無しでは違うものになるように思います」
王太子は黙って先を促す。
「それは私がどうこうという話ではなく、全ての存在がその絵図の現れに影響し、小石ひとつに至るまで、その絵図の中で貴重な役割を果たしている。それがなにか分かりませんが、私は私という糸を切れるその時まで紡ぎ続ける。それしかないのだといまは思っています」
俺は自分の考えを確かめるために、少し間を置いた。
「生きる意味は私にとって常に私の外にあるのです。あるいは人は自らの真なる生きる意味を望み、それを叶える術があるのかもしれませんが、私の手にはそれは短すぎるのです」
俺の答えに王太子は口を噤んだ。それは長い沈黙で、カップのお茶が冷めるほどの時間だった。やがて彼は口を開いた。
「……ライル。お主の言葉はいささか私にとっては理解しがたいところも多い……。が、示唆に満ちたものであったと思う」
そう言うと、彼は視線を彷徨わせ、やがて太陽の光が差し込む、ガラス張りの天井を仰ぎ見た。
「……お前が言う通り、私の人生は、私のものではない。生まれ落ちた時から今日まで、私は一度も人生を選んだことはない。恐らく、この先もそうであろう……」
俺は黙って聞いていた。
「だが、その中で、私が私であることはできるのだろうか……」
「望めば」
思わず俺の口から出た言葉に王太子の視線が戻ってきた。
「私の師匠が言っていました。『望めば人はその瞬間から変わる』と。『つまるところ、やるか、やらないかなのだ』と。簡単なことですが、一番難しいこと、あ、これは怒られますね」
俺が苦笑すると、王太子が不思議そうな顔をした。
「どういうことだ?」
「師匠は『難しいという言葉を使うな。難しいと思ったらそこで終わる』と。随分その言葉の意味が分かりませんでしたし、いまも分かっているのか、正直自信はありません」
俺は目を瞑り言葉を探す。
「結局、自分の心の問題なのです。難しいと思おうと、簡単だと思おうと、そこにあるものが変わるわけではありません。こちらの都合でどうにかなるものではないのです。ただやるべきことをやる。その結果、できることもあればできないこともある。それを自分で知ることが大事なのだと、いまはそんな風に理解しております」
「……面白いな。心の問題か」
「はい。自分の心を誰かに明け渡さずに、自分で面倒を見る。その方法を師匠は教えてくれたのだと思います」
王太子の顔がぱっと明るくなった。
「花が芽吹く方法は教えるが、どんな花が咲くかは任せる、ということか」
俺は笑って答えた。
「殿下がそう思われたのならそれで良いのだと思います」
王太子は笑みを浮かべながら、小さく頷いていた。
陽の位置が、部屋に入った時から比べると、随分変わっていることが分かった。
「ライル、改めてお願いがある」
王太子が居住まいを正して俺の顔を見た。黒い瞳に強い光を感じた。
「私をそなたの弟子にしてくれないか」
「弟子、というのは分かりませんが、私が師匠に教わったことをお伝えして、一緒に稽古するということであれば構いません」
あまりにあっさり答えたので、驚いた様子だった。
「よいのか?」
「はい。ただ私の一存というわけにはいきません。陛下に尋ねてということになりますが、許可が頂ければ私の方は構いません」
陛下のことが出たので、王太子の顔は少し緊張したが、それでも嬉しそうな様子だった。
「では、陛下の許可が下りたらお願いする」
「はい。……殿下、私の方からもひとつ確認したいことがあるのですがよろしいですか?」
「構わない。申せ」
「殿下は、女性でいらっしゃいますね」
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




