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病弱だった俺が謎の師匠に拾われたら、いつの間にか最強になっていたらしい(略称:病俺)  作者: 佐藤 峰樹 (さとう みねぎ)
第一部【王都クーデター編】

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第四話:師範代の最初の仕事は、ただ立つことでした【後編】

 朝食の後、俺は正式に師範代として、門下生たちの前に立つことになった。

 場所は昨日の訓練場。ずらりと並んだ門下生たちの視線が、痛いほどに突き刺さる。好奇、畏怖、そして一部からの侮蔑。その全てを受けながら、俺は隣に立つセレスティアさんに向き直った。

 彼女は昨夜とは違い、きりりとした稽古着に身を包み、黒髪を高く結い上げている。その表情に、昨夜の混乱の色はない。ただ、真摯な武術家としての光が、その紫水晶の瞳に宿っていた。


「では、ライル師範代。昨夜のお話の続き、お願いできますでしょうか」

「……師範代、というのはやめてくれませんか。ライルでいいです」

「……いえ、立場上、そういう訳にはまいりません」

 彼女はどこまでも真面目だった。仕方なく、俺は頷いた。

「……分かりました。では、始めましょう」


 俺が最初にやらせたのは、師匠から最初に教わり、山で毎日欠かさず行っていた稽古だった。

「まず、その木刀を置いてください」

「……え?」

「防具や武具は全て外します。俺の稽古では使いません」


 セレスティアさんは戸惑いの表情を浮かべたが、やがて何かを決心したように頷くと、壁際に設えられた所定の武具入れへと歩き、愛用の木刀をそっと置いた。

 周りの門下生たちが「おいおい……」「本気かよ……」とざわつくが、セレスティアさんの真剣な様子を見て、皆しぶしぶと後に続く。カタン、カタン、と木刀が武具入れに収まっていく音が、訓練場に響いた。


 俺は彼女の正面に立つと、見本を見せた。師匠は言葉ではほとんど何も教えてくれなかった。だから、俺もどう説明すればいいか分からない。それでも、俺は一生懸命、感覚を言葉にしようと試みた。


「足を肩幅に開いて、手は胸の前で組みます。そして……その、これが一番大事なのですが、意識を、組んだ指の先まで通してください」

 俺はそう言って、自分の手を見せる。

「でも、固くならず、力を抜きすぎない。強すぎると流れが止まって、弱すぎると消えてしまいます。その、ちょうど真ん中くらいで……。すみません、上手く言えませんが……」

 しどろもどろの説明になってしまったが、俺は必死だった。


 そして最後に、俺が知っている稽古の大事なことを告げた。

「……そのままの状態で立ち続けます」

「……は?」

 セレスティアさんだけでなく、周りで見ている門下生たちからも困惑の声が上がる。

「これが、師匠との稽古の始まりでした。ただひたすら、こうして立つんです」


 セレスティアさんは、そのあまりに武術とかけ離れた動きに、眉をひそめた。だが、彼女は何も言わず、俺の動きを真似る。

 周りの門下生たちも、何が何だか分からないという顔をしながら、見様見真似で同じように立ち始めた。


 訓練場に、奇妙な沈黙が流れる。


 七、八分ほど経っただろうか。最初にその沈黙を破ったのは、セレスティアさんだった。

「……あの、ライル師範代。これを、いつまで続ければよろしいのでしょうか?」

 俺は、当たり前のことを尋ねられた、という気持ちで答えた。

「ああ、まずはお昼までやってみましょう」


「「「はあ!?」」」


 セレスティアさんだけでなく、周りの門下生たち全員から、素っ頓狂な声が上がった。

「ひ、昼まで、ですか!?このまま、あと何時間も、ですか!?」

「そんな馬鹿な……ただ立っているだけで何になるんだ……」

 ざわつく門下生たちに、セレスティアさんの鋭い声が飛んだ。


「静かにしなさい!ライル師範代の御指導に、私語は無用です!無礼であろう!」


 彼女の一喝で、訓練場は再び静寂に包まれた。門下生たちは、不満そうな、それでいて彼女には逆らえないといった顔で黙り込む。

 セレスティアさんは、向き直ると、今度は俺に、先ほどよりずっと丁寧な口調で尋ねた。

「申し訳ありません、師範代。……差し支えなければ、この稽古の意味するところを、ご教授願えませんでしょうか」


 彼女の真剣な問いに、俺は困ってしまった。

 昔、師匠に全く同じ質問をしたことがあるからだ。その時の師匠はまず、こう言った。

「意味なんか聞いてどうする」

 そして、俺の目をじろりと睨みつけると、吐き捨てるように付け加えた。

「二度と聞くな」


 また別の機会に、俺は自分の立ち姿について、「師匠、これで良いでしょうか?」と尋ねたことがある。その時の返事は、

「良いか悪いかなんか知るか」

 だった。そして、

「二度と聞くな」

 と、そう言われた。


 それ以来、俺は師匠に疑問を口にすることをやめた。ただ言われたことを、言われた通りに、疑問を持ずに続けてきた。それが、俺の五年間の全てだった。


 俺は、セレスティアさんに正直にそのことを話した。

 俺の答えに、セレスさんたちは絶句した。意味も分からず、ただ師の言葉を信じて、何時間も、何年も、立ち続ける。それは彼女が積み上げてきたであろう、合理的で体系化された鍛錬とは、あまりにもかけ離れていたのだろう。

 彼女は何かを言いかけたが、言葉を見つけられないようで、ただ唇を噛み締めた。


 気まずい沈黙が、訓練場を包んだ。

(なんだ、この稽古は!?)という門下生たちの視線が突き刺さる。

 その沈黙を破ったのは、セレスティアさんだった。

「師範代がおっしゃる通り、続けましょう」

 そう言うと彼女は瞳を閉じ、俺が言った通りの姿勢をただひたすら続けた。その姿に、他の門下生たちも覚悟を決めたのか、不承不承ながらも立ち続ける。


 時間は、ただゆっくりと流れた。

 思えば、師匠は細かな説明など一切してくれなかった。俺の形が崩れると、ただ、気が抜けている場所を単語で指摘するだけ。「手」「頭」「指」と。そこから先は、俺自身が感覚で修正するしかなかった。

 だが、俺は師匠ではない。俺なりに見て感じたことを、言葉で伝えようと試みた。


「すみません、肩に力が入りすぎています。もっと、楽に……」

「腰が引けています。もう少しだけ、前に……」

 

 太陽が昇り訓練場に差し込む光が角度を変えていくにつれて、脱落者が出た始めた。一人の門下生が、どさりと尻餅をついたのを皮切りに、次々とその場にへたり込む。

「も、もう無理だ……!足の感覚が……!」

 みんなぜえぜえと肩で息をしながら、自分の足を押さえている。


 正午を知らせる鐘が鳴った時、最後までその場に立ち続けていたのは、セレスティアさんとコンラッドの二人だけだった。

 セレスティアさんは汗びっしょりになりながらも、最後まで姿勢を保ち続けたのは流石だった。コンラッドは膝をガクガクさせながら意地だけで立っていた。


 昼食の時間、俺は師範代室として与えられた部屋で、一人で食事を摂っていた。

 壁一枚を隔てた向こうにある食堂からは、抑えきれない不満の声が漏れ聞こえてきた。


「……なんなんだ、今日の稽古は!ただ立ってただけじゃないか!」

「拷問だろ、あんなの……。足が棒のようだ」

「でも、昨日の強さは見ただろう?あれは本物だぜ……」

「そりゃそうだが……。だからって、これじゃ意味が分からん!本当に、俺たちに教える気なんかないんじゃないか?」

「ユリウス様の稽古の方が、よっぽど身になるぜ……」


 その声を聞きながら、俺はほとんど味のしないそば粉を練ったものを、ただ黙って口に運んだ。

 ……やはり、駄目だったんだ。

 一生懸命伝えようとしても、俺の言葉は届いていない。師範代なんて、俺にはやっぱり無理だったのだ。

 俺は、この後どうすればいいのか分からず、ただ頭を抱えていた。


 昼食の後、重い気持ちで道場に戻ると、そこには不穏な空気が満ちていた。

 午前中の稽古で疲弊した門下生たちが壁際に座り込む中、その道場の中心にユリウスが立っていたのだ。しかし、一人ではない。彼の後ろには、高価な貴族服を着た、見るからに態度の悪い男たちが数人控えていた。

「ユリウス様……」

 コンラッドが心配そうに声をかけるが、ユリウスは彼を一瞥もせずに、俺の前に進み出た。


「突っ立っているだけで強くなれるとは、初耳だな。そんなものが我がアークライト流の稽古だと、師範は本気で門下生に教えるおつもりか?」

 ちょうど訓練場に入ってきたギデオン殿が、厳しい声で諌める。

「ユリウス。ライル殿の稽古の邪魔をするな」

「邪魔?いいえ、師範。俺は、この道場の権威を守りに来たのです」


 ユリウスはにやりと笑うと、後ろに控えていた男の一人を手招きした。その男は、腰に下げた巨大な戦斧をこれみよがしに振り回してながら、前に進み出てくる。

 ユリウスは俺の顔を見ると嘲るように笑った。

「こいつは、王都の賭け試合で連勝を重ねている男だ。そこらの騎士崩れとは訳が違う。……なあ、ライルとやら。お前のその『自然の理』とやらが、金と血の匂いしか知らん本物の殺気の前で、どこまで通用するか。見せてはもらえんか?」


 それは、師範代への挑戦という形をとった、ただの野蛮な果たし合いの申し込みだった。

 訓練場の空気が、一気に凍りつく。

 ギデオン殿が怒りに何かを言う前に、俺は静かに、前に進み出ていた。


(第四話 了)

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